囁く迷宮1
ナーニャはいつものように〈赤い狐亭〉の裏口から入ると、ただいまとひと声鳴いた。ロドリゲスが気づいて、いつものようにコルネがご飯をくれた。いつものようにコルネと一緒に寝た。
ふと夜中に目を覚まし、ナーニャはすこし悲しくなった。次に迷宮にいったら、もしかしたら帰ってこれないのではないだろうかと。こうしてコルネの暖かい布団でねることも、ロドリゲスのご飯も食べられなくなるのではないかと。
朝になってコルネが起きて仕事に行くと、ナーニャも厨房のかまどの前で暖を取った。今日は冒険者が少ないようだ、迷宮にもぐっているのだろう。朝食えおたべたあと、いつもはすぐ遊びに行くが、ナーニャはなんだか寂しくてコルネについてまわった。
あまりにもまとわり付きすぎて、コルネの足を絡ませてしまうくらいだった。
「ちょっと、ナーニャどうしたの?」
『んなー』
ぐりぐりとナーニャはコルネに顔をすりつけた。
「困った子ね、いつもならすぐあそびにいくのに」
「クロがこんなにまとわりつくのは、めずらしいな」
ロドリゲスも腑に落ちない顔をして、ナーニャの背中をなでた。
冒険者達の朝食がが終わり、コルネ達は昼食の準備までは暇になる時間だ。ナーニャはコルネとロドリゲスに甘えれるだけ甘えた。コルネもロドリゲスも嬉しそうになでてくれた。ナーニャは〈赤い狐亭〉に入り浸り午後になったら、ポル爺のところへいくといった生活をして、ついに出発の日になった。
ナーニャは朝ごはんを食べると、二回鳴いて〈魔法屋クロエ〉へと向かった。
後ろから「ナーニャいってらっしゃい」とコルネの声が聞こえた。
朝の日が眩しくてナーニャは目を細めた、屋根に登り大通りを見ると、冒険者たちが待ち合わせをしたり、行商人の馬車や仕事に行く人々が行き来していた。しばらくはこの光景も見れないし、〈赤い狐亭〉にも帰れない、でも帰ってきたらコルネにいっぱいなでてもらおうと自分を奮い立たせた。
ナーニャが〈魔法屋クロエ〉の扉をくぐると、ちょうどクロエがポル爺を籠に入れているとこだった。籠の底には空気を入れた革袋の上に厚手の布がしいてあり、ポル爺も座り心地が良さそうだった。
「ナーニャきたのかい、ちょうどよかった、いまから出るとこだったからね」
『にゃー』
「しっかりついておいで、ポルポルの言うことをちゃんと聞くんだよ」
クロエはポル爺を背負い、ナーニャは後ろをとことこと付いて行った。南門につくとバルダー達が集まっていた。クロエはかるく手を上げると、バルダー達に話しかけた。
「バルダー」
「おう、クロエ早かったな。おい、お前ら今回同行する魔法使いのクロエだ。腕の方は確かだ、仲良くしてやってくれ」
部隊の者たちが代わるがわる挨拶してくる。盾役がが二人、斥候が二人、魔法使いが二人、治癒士が二人。弓使いが一人に軽戦士が三人、荷物持ちが一人の十三人だった。猫は斥候の一人、カレラが連れているポニータだけだった。
クロエを入れると魔法使いが三人もいて、戦力だけでみるとおおすぎると言えた。魔物だけであればの話だが。
「こっちがポルポルで、黒いのがナーニャだ、この子たちもよろしく頼む」
カレラは自分の猫をつれてきてポルポルとナーニャのそばに放した。
「かわいいね、まかせといて、この子はポニータよ仲良くしてね」
猫達も顔合わせして、喧嘩することもなく、うまくいったようだ。
隊列を確認して、もぐる計画が話し合われると一行は迷宮に向けて進みだした。迷宮に入口の前で荷物の確認をすると、またぞろぞろと中へ潜っていく。
バルダー達は思ったより手練だった、ポニータが見つけカレラが確認して、遠くから
魔法使いと弓使いで魔物をたおしていった。一度目の休憩ですでに三十三階に到達していた。
「あんたたちやるじゃないか、他の部隊にはまねできないんじゃないか?」
「まぁな、伊達に二十年もぐってねぇよ」
バルダーは今年で四十二歳になる、冒険者になったのは遅めだったが、誰よりも長く冒険者だった。
「次の休憩は六十階くらいになるだろうな、深いとこほど金になるからな」
「そうかい、じゃあ私も少し休ませてもらうよ」
迷宮に落ちている宝物は、深いとこほど強力だったり価値のあるものが増える。誰がおいているかわからないが、定期的に置かれている感じだ。クロエは二匹の猫に食事を与えると、自分も軽く食べ、毛布をかぶって横になった。
休憩が終わり、バルダー達は順調に進んで、四十八階にはいった。ナーニャが変化を見せたのはもうすこしで四十九階へいく通路の手前だった。ナーニャはかすかに石の擦れる音を聞いていた。
『ポル爺、大きな岩蜥蜴の音がするよ』
『むう、わしにはきこえなかったが』
『多分この先でじっとしてる』
クロエは猫達の声を聞いて、バルダーに伝えた。
「大岩蜥蜴の待ち伏せか、カレラこっちに」
カレラが先頭からもどってきた。
「なんいだい? お頭」
「大岩蜥蜴がこの先でまちぶせているらしい、黒猫が音を聞いた」
「ポニータはなにも反応してなかったけど、ずいぶん耳が良いね」
そう言ってカレラはナーニャのあごをくすぐり、ナーニャはすこし誇らしげに尻尾を立てた。
「怪しい岩に弓を射ながらすすむか」
大岩蜥蜴は何も無いとほとんど動かないため、なにか刺激を与えてやれば良い。クロエも以前不意打ちをくらったことがある、じっとして動かないから、気づかないときは犠牲者がかならず出る。
「そうだね、それがいいかもしれないね」
「セレナ、聞いていたな? カレラといっしょにすすんでくれ」
セレナは弓使いだ、肩までの伸ばした茶色の髪を後ろでくくり、可愛らしい小柄な女性で細く見えるが、筋肉質で強い弓を使っている、弓の腕はかなりなものだった。
「わかったよ、カレラ指示を頼む」
「あいよ、怪しい岩つけたら教えるから」
カレラとセレナが先頭に戻ると一行は警戒しながら前に進む。クロエは[フルフルの魔導書]を手に持って備えた。カレラが指示をして、セレナが大き目の岩に矢を射かけていると、六度目で反応があった。大岩蜥蜴はギロリとセレナをにらみ、のそっと動き出した。
「でたよ!」
カレラが声を上げて知らせ、セレナと一緒に後退してくる。大岩蜥蜴はセレナにむかって、重そうな巨体を動かし歩いてきた。
「たまにはやくにたたないとね、ここはまかせておくれ」
クロエが前に出て呪文を紡ぐと、ジリジリと言う音を出しながら大きな稲妻が大岩蜥蜴に向かって伸びた。それはしばらく続き、あたり一面を青白い光で染め上げた。
「うおお、まぶしい」
「あいかわらず派手な魔法ですな」
バルダー達も眩しくて目を開けていられなかった。光が収まり大岩蜥蜴を見てみると表面がやき焦げて口からも煙が出ていた。
大岩蜥蜴は火で炙り殺すのが普通だった、雷は効果が薄かったからだが、クロエの放った稲妻は中身まで焼いてしまったようで、バルダーの部隊の魔法使いは驚いていた。
バルダー達はさらに進み、五十一階へと進んだ。この迷宮の一番の敵、ムルムルの囁きが大きくなってくる境目だ。クロエは気を引き締め、歩みを進めた。