ムルムルの迷宮1
朝の街は人通りが多い、仕事に向かう人や、よその街に行商にいく馬車が動いている。
ナーニャは馬車に気をつけながら、南に向かって歩き出した。途中顔見知りの猫に会った、野良猫のメケは虎毛で八歳くらいの生粋のどら猫だ。目つきが非常に鋭い。
『おう、〈赤い狐亭〉のクロじゃねぇかどこ行くんだ?』
『ナーニャだってば、いまから迷宮にいくんだ』
『はぁ? クロ、悪いことは言わねぇ、やめときな』
『だから、ナーニャだってば、そうだ、今日は腸詰めだったよ』
『まじかよ! そりゃたいへんだ、腸詰めぇぇ待っていろよぅ――』
メケはあわてて走って〈赤い狐亭〉へ向かっていった。メケはたまにふらっと宿に来て、コルネから食べ物をもらっている。街のあっちこっちを回っているメケは、数ヶ月に一度しか見ることがない。あわただしいなと思いながら、ナーニャは南門へ歩をすすめる。
暖かくなってきて、渡り鳥のミュッケたちが、さいきん増えてきていた、鳥達が少し騒がしい。夏が近くまで来ているのだろう、茶色でお腹だけ白いミュッケはこの街で子育てをして、夏が終わりに近づくと、南の方へ帰っていく。ナーニャは、去年ミュッケの雛にちょっかいをだして、しつこく親鳥に追い回されたので少し苦手だ。ナーニャはミュッケがとまっている樹を、さけながら歩いた。
ナーニャは南門を抜け、迷宮を目指す。街の外は種まきの時期で、土がむき出しの畑が多い、秋になれば小麦の穂が一面に広がり風に揺られ、とても綺麗だった。ナーニャはその光景がとても好きだったが、土がむき出しの畑を見て少し寂しくなった。
街道をすすむと土色のカエルがでてきていて、ナーニャはみつけたカエルにちょっかいを出して、遊びながら進んだ。迷宮までの道はある程度開かれていて、草の中を進んでいかなくてもいける。冒険者達より先についたナーニャは、入口近くの岩の上で横になる。
迷宮の入り口を見ると、深い闇に引きこまれそうになった。少し不安になったナーニャは、昨日のポル爺の話を思い出し、心を強く持とうとした。ナーニャには恐れはあるが、好奇心のほうが優っていた。
ナーニャが迷宮に連れて行かれたのは、一年ほど前のことだ、その時の七人の冒険者はナーニャを連れて、四十六階までもぐっていた。
ムルムルの囁きも四十階程度だと、そう酷くはなかったが、魔物との相性が悪かった。七人の中に魔法使いは一人いたが、隙を突かれ一瞬で命を落とした、魔法使いを失った一行が、崩れるのはそれからすぐだった。
魔法しか通じない魔物が徘徊していて、運悪く帰り道で出会ってしまったのだ。その魔物は岩のような外見を持った、とても大きな蜥蜴で、次々と冒険者たちを飲み込んでしまった。
ナーニャはその小ささと黒い毛、猫の習性である体臭を消すということが幸いして、その場は隠れてやりすごすことができた。あとは匂いを辿って、ひたすら上を目指した。なんどか生きるために戦ったが、狩ることのできた小さな魔物は、おいしくなかった。あきらめずに戦って生き残れた事で、ナーニャはポル爺やコルネと会うことが出来た、それはナーニャにとって、とてもうれしいことだった。
しばらくすると、ちらほら冒険者達が現れ始めた、入口の前で荷物をかくにんすると部隊ごとに迷宮へ入っていった。
ナーニャは一緒に連れて行ってもらおうと、冒険者達に近づいてみるが、撫でられはするものの、一緒に連れて行ってはくれなかった。しばらく続けていたが。昼近くになってくると、お腹がすきはじめた。今日は諦めて、ポル爺のとこに行こうとしたとき、エミリ達がやってきた。
「スタンリー! みて、黒猫が来てるよ!」
「〈赤い狐亭〉のか?」
「あの顔はそうだよ、おいでおいで」
「ああ、そうだな、よくわからんが」
エミリは黒猫が〈赤い狐亭〉のナーニャだと気付いたが、スタンリーには黒猫の見分けがつかなかった。スタンリーは、エミリが連れて行くとしつこかったため、しぶしぶ連れて行く事にした。他の仲間は別にどちらでも良い、といった顔をしていた。スタンリー一行は、荷物の点検を終えると、ナーニャを連れて迷宮へと足を踏み入れるのだった。
迷宮に入ると辺りは光苔のおかげで、幻想的な光景が広がっている。
天井は高く、天然の洞窟のようにも見える。スタンリーたちより前に、多くの部隊が入っていっているため、しばらく魔物と出会うこともないだろう。
斥候のマルセルが、十メートルほど先に進み、念のため魔物の気配を探っている。
そのあとに大きな盾を持った、重戦士のスタンリーと、魔法使いのルドウィンが続いて、治癒師のエミリ、しんがりに軽戦士のポーラが付いている。
ナーニャはエミリの横くらいを、つかずはなれずに付いて行く。
〈ムルムルの迷宮〉の五十階にいくのは、そう難しくも無い、安全な休憩場所も決まった所があるし、地図も作られている。四十階までは大して広くもない、熟練の冒険者の部隊ならば一日半もあれば、たどり着くだろう。
スタンリーの部隊は、まだそこまで早く行けることはない、通り道から外れた場所も探索しているためだ。誰がおいているかわからないが、行き止まりなどには、さまざまな物が落ちていることがある。浅い場所で見つけたものでも、珍しい物は高く売れるため、大切な収入源になるのだった。
スタンリーたちが、分かれ道にさしかかった時、ナーニャは行き止まりの方の、脇道の奥から、なにか金属が地面に落ちて鳴いた音を聞いた。
スタンリー一行は、ここの脇道をこれまでに何度も行って、何も見つけることが出来なかったため、探索しないことにしていたが、ナーニャが脇道の方を見て鳴くものだから、試しに探索してみることにした。脇道の奥に行くと、そこには綺麗に装飾された、短剣が落ちていた。
「こりゃ、すごい、こんな浅いとこに落ちている物じゃないぞ」
マルセルはランタンの光で、短剣をよく見た。
「鉄や銀の短剣ってわけでもなさそうだ、これだけで一月は食っていけそうだな」
スタンリーも思わぬ幸運にほくそえんだ、もっと早くに猫をつれていくべきだったと、後悔した。だが残念ながらナーニャには、宝物を探す力はなかった、たまたま誰かが落とした短剣の小さな音を聞いただけだった。エミリはナーニャを、わしゃわしゃと撫で回しほめた。
スタンリー一行は二十階の休憩場所につくと、食事の用意を始めた、用意といっても携帯食だから時間はかからない。ナーニャは、ご褒美にと、ベーコンを挟んだ少し固めのパンをもらった。ちぎってはくれなかったので、すこしたべるのに苦労したが、満足して顔を洗うと、横になって毛づくろいをした。