黒猫のナーニャ
動物の会話は『――』 人の会話は「――」
猫のナーニャは春の陽気に誘われ、日の当たる木箱の上でごろりと横になる。まだ風が少し冷たいが、陽の光はとでも暖かい。ナーニャの黒い毛は光を吸ってすぐに暖かくなった。
ナーニャは〈赤い狐亭〉という名前の宿に住んでいる。飼猫というわけでもないが、野良とも言えない。宿の娘のがいつも餌をくれるので、ご飯どきはいつも宿の近くにいるだけだ。
ナーニャがいつものように、日向ぼっこをしていると、宿を利用している冒険者達が帰ってきた。その中の一人の女性冒険者が、ナーニャを見つけなではじめた。ニャけて撫でる女性に、冒険者達は早く行くぞと声をかけ、女性は名残惜しそうにナーニャから離れた。
十年前にこの街〈シャルミラーノ〉の近くに、迷宮が出来たため、多くの名声を求む若い冒険者達が集まってきている。そのおかげで農村だった村が、大きくなり、街となった。
ナーニャもこの街に来たのは、一年と少し前のことだ。
冒険者が人より耳の良い猫を、危険を察知出来るのではないかと考え、猫のナーニャを他の街からさらって迷宮に来たのだ。意外とその方法は良かった、人よりも多くの音を聞く猫は遠くの魔物を、早く感知できていた。
しかし猫の習性に詳しくないと、意味がなかった。その冒険者も猫好きで詳しかったが、すでに迷宮で亡くなった。ナーニャも危うく魔物の餌になりかけたが、本能の赴くまま戦い、なんとか外に出ることが出来た。
街のあちこちでかまどに火が入れられ、食べ物の匂いがただよってきた。ナーニャはお腹がすいたので、宿の方に向かった。いつものように裏口から入ると、ご飯ちょうだいと甘えた声でなくのだ。
「おかえり。ナーニャ、少し待っててね」
〈赤い狐亭〉の店主の娘のコルネは鳴き声を聞くと、ナーニャに話しかける。ナーニャは短く鳴いて答えると、ぎょうぎよく座って待った。
コルネは今年十五歳になる、肩にかかるくらいの明るい茶色の髪で、同い年の子の中では背が高い方だ、母親を早くになくしたため、父親とともに二人でがんばっている。ナーニャが迷宮から息も絶え絶えに帰ってきた時、助けてくれたのがコルネだった。それ以来〈赤い狐亭〉でナーニャは世話になっている。
しばらくしてコルネがお皿に、鳥の胸肉を蒸して軽く味付けした物を持ってきた。ナーニャは早くちょうだいと言わんばかりに、コルネの足にまとわりついた。
「まてまて、ナーニャってば、くすぐったいよ」
床にお皿が置かれると、ナーニャはすぐに食べ始めた。薄味で辛くなく鳥の味がしっかりしていた。
「ナーニャおいしい?」
『にゃぁ』
ナーニャは美味しいと答えると、コルネは背中を撫でて仕事へと戻った。昼時は〈赤い狐亭〉もいそがしくコルネはナーニャにかまってやることが出来なかった。食べ終えたナーニャは満足した様子で、前足を舐め顔をふいた。
ひと声鳴いて宿を後にし、ナーニャはよく遊んでいる猫のポル爺の、いつもいる場所に向かって歩き始めた。
〈赤い狐亭〉は南の大通りにあって、北に向かうと広場と、それを囲むように様々な店が軒を連ねる。この街の中央市場で、一番騒がしいところだ。
ポル爺は、そこの〈魔法屋クロエ〉に住んでいる。
魔法屋は、魔道書、魔道具、杖やローブなど魔法使い向けの商品を扱っている。店主のクロエは灰色の長い髪をした三十歳の女性で、昔は冒険者として七人の仲間とポル爺と一緒に迷宮にもぐっていた。
八人は部隊という一つの集まりを組んでいて、協力しながら迷宮にもぐっていた。クロエは、迷宮で手に入れた魔道書やら魔道具を売らずにコツコツ貯めていて、部隊が崩壊したことをきっかけに店を構えた。それが二年前のことだ。
ナーニャは扉についている猫用の入り口から入ると、ポル爺を探して奥へと進んだ。怪しげな物がところせましと並び、少しごちゃっとした棚が並んでいる。奥に行くと、椅子の上にポル爺が箱座りしていた。
『ポル爺、きたよ』
『おお、ナーニャか、よく来たのぅ』
つむっていた目を開けポル爺は答えた、ポル爺は十七歳になる白猫だ、最近はあまり外にも出なくなっていた。ナーニャは椅子に上がり顔をすり寄せ、横に箱座りした。
『ポル爺、今日もお話きかせてよ』
『ああ、いいとも、何の話が良いかのぅ』
ポル爺はナーニャに、自分の冒険の話を良くしていた。海辺の町の新鮮な魚が美味しい事や、魔物との戦い方、動物の狩りの仕方、迷宮の歩き方。ナーニャにとって初めて聞くことが多く、とても楽しく思えた。
『うーん、魔法の話が聴いてみたいかな?』
『ほう、ナーニャは魔法がすきかの?』
『んー迷宮で何度か見ただけだからよくわかんないよ』
二匹があれこれ話していると、店主のクロエが奥から出てきた。
「にゃーにゃーにゃーにゃー、ポルポルうるさいよ」
クロエは濃い紫のフード付きローブに、魔法使いらしい”こぶ付きの長い杖”を持っていた。魔法使い定番の格好で、ここが魔法屋である事を体現している。
「おや、〈赤い狐亭〉のナーニャか、ポルポルと話してくれてたのかい?」
『にゃーん』
「よく来たね、ゆっくりしていきな」
クロエは食べやすいように、細かく切った豚肉を焼いたものを、おやつだよと言って二匹の前においた。二匹は仲良くおやつを食べ、また話しだした。クロエはカウンターの椅子に座ると、本を開いて小声でなにかの魔法を唱えた。
『魔法って私達も使えるの?』
『そうじゃのう、魔物が使っておるのは、見たことがあるのぅ』
『魔物が? 呪文を唱えられる魔物いるの?』
『その魔物は大きな狼じゃった、呪文もとなえてはおらんかったな』
ナーニャは不思議に思った、冒険者達は呪文と呼ばれる決まった言葉で、火を出したり、風を起こしたりしている。呪文も唱えずに魔法が使えるのは、魔物だからなのかとも考えた。
『どうしたら魔法って使えるんだろね?』
『そうじゃのぅ、わしらは人の言葉はある程度理解できるのじゃが、喋れはせんからの』
『魔道書を読んだら使えるのかな?』
『ナーニャは文字がわからんじゃろ?』
『うーんわかんないね、じゃあ近くの迷宮の話の続きを聞きたいな』
『〈ムルムルの迷宮〉じゃな、さてどこまで話したかの』
『七十八階までは聴いたと思う』
クロエは猫達の話に、耳を傾けていた、さっき唱えた魔法は、動物の言葉を人の言葉に聞こえるようにする、珍しい魔法だった。
街の近くの〈ムルムルの迷宮〉の、地下七十九階で見つけた〔バルバトスの魔道書〕に示された魔法の一つだ。この迷宮は、地下に行けば行くほど、何者かが囁きかけてくる。最初は遠くから聞こえるが、徐々(じょじょ)に近づいて囁いてくるのだ。七十階を越えた辺りから、耳元で囁かれるため、耐えるだけの精神を持たないものは気が狂ってしまう。
もちろん耳栓なんて意味もない、クロエが潜った時も、長く連れ添った仲間が一人一人脱落していった。八人いた仲間も、七十九階についた時には四人になっていた。だが宝物は、どれもそれまで見たことのないような、特別なものだった。
欲に目がくらんで、部隊の部隊長が、八十階に行こうとした時、ポルポルは牙をむき出し唸りながら立ちふさがった。ポルポルの変わりように、クロエはこの先になにか得体のしれないものが居ると思った。必死に部隊長を止めたが、それでも三人は、階段を降りていった。
クロエは普段おとなしく、何度も危機を救ってくれたポル爺を信じていた。付いて行きたいとも思ったがポル爺を置いていくわけにも行かず、離れ離れとなった。
そして部隊長達をその後、見ることはなかった。
猫達の話を聞き、クロエはあの時、仲間を止めることができていればと考え、少し悲しくなって涙が滲んだ。
(歳のせいかね……しかしポルポルは、階段の手前で何を聴いたんだろうね)
夕暮れ時、猫達の話は八十階へと進んでいた。
(いったいどうゆうこと……ポルポルは八十階にいっていたというのかい?)
クロエは驚いて猫たちの話に耳を傾けるのだった。