【第07話】 〈知恵捨団〉③
【前回のあらすじ】
炎馬『ブルルゥ(まったく、手間のかかる子ですこと)……』
「――紅風殿を、拙者たちに預けてはくださらないだろうか?」
冒険者クラン〈知恵捨団〉を率いる金等級冒険者――ワビスケがそのような提案を口にした瞬間、彼が手にしていた精霊鳴刀〈炎蹄紅風〉から『ゴオォッ!』と、真っ赤な炎が噴き出した。
「ぬぅ、いかん! 皆のもの、荒魂を鎮魂せよ!」
「は、はい!」
「にゃっ、サクさま!」
「うちらも手伝いますなぁーご!」
燃え盛る炎に身を焦がしつつも、歴戦の初老武士は熱波の発生源である精霊鳴刀を手放すことはなかった。それが気に入らないのか、さらに舞い散る火の粉を増やさんとする精霊の意思に、巫女とその従者である獣人姉妹が反応する。
「荒ぶる御霊よ、鎮まり給うにゃ!」
「オンキリキリバサラ、なぁーご!」
先んじて動き出したのは、虎毛と墨毛の猫人姉妹。
露出の多い忍び装束に身を包んだ姉――カトラが取り出した鎖状の暗器を投擲。息を合わせてワビスケが手放した精霊鳴刀を空中で絡め取り、阿吽の呼吸で妹――タルマが拘束魔法〈影縛りの術〉を発動。術者の影から伸びた触手が鎖型暗器を覆うかたちで、炎を撒き散らす捕縛対象を宙に縫い付ける。
「今だサクヤ、この機を逃すな! 時は拙者が稼ぐ! 臨! 兵! 闘! 者! 皆! 陣! 裂! 在! 前!」
「オン、キリキリ、ハラハラ、フタラン、パソツソワカ!」
すかさず手の空いた金等級冒険者が、手刀で四縦五横を刻みながら破邪魔法〈九字真言〉を唱え、自分たちの正面に魔力障壁を展開。その後方では魔力増強効果があるとされる真言を唱える黒髪巫女――サクヤが、両手で印を結んだのちに、服裾から取り出した符札を投擲した。
宙を滑った複数の紙片は、今まさに拘束魔法を破らんとしていた精霊鳴刀に貼り付いて、魔力生命体に特化した拘束魔法を発動させる。
「紅風様、どうかわたくしたちの声を、聞き届けてくださいませ!」
そうしたサムライたちの奮闘と、巫女の祈りが通じたのかは定かでないが、鎖に影に符札と、三重の拘束によって発火を封じられた精霊鳴刀は、徐々にその熱量を減じていった。
「……ふぅ。流石テッシン御大の愛馬、とんだじゃじゃ馬よのぅ」
「まったく、尾が縮んだにゃー」
「心臓に悪いにもほどがあるなぁーご」
「……というかお義兄様、いつまで頭を下げているのですか? 少しは空気を読んでください」
「……」
一息ついた金等級冒険者の呟きに、獣人姉妹が額に浮かんだ汗を拭う。一方で、この状況下でも地面に頭をつけたまま微動だにせず沈黙を貫く若武者――クロガネに、義妹である巫女が注ぐ視線は冷たい。
「紅風さん……」
ともあれ、息もつかせぬ急展開によって、完全に蚊帳の外に置かれていた豚野郎は、その段になってようやく大恩ある精霊のもとに馳せ参じることができたのであった。
「とりあえず、皆さんの話を聞いてみましょう? ね?」
若干の覚悟を抱いて手を伸ばした鞘は、つい先ほどまで高温を放っていたにも関わらず、豚皮に覆われた掌を炙ることはなかった。それが彼女の承諾だと判断して、巫女たちによる拘束魔法を解除してもらう。
「ご協力感謝致しますぞ、ヒビキ殿」
「いえ、それよりも説明の続きを、お願いします」
いちおうは鎮静化しているものの、ワビスケに向けて威嚇するように『ボッ! ボッ!』と火の粉を飛ばす精霊鳴刀は、いまだ予断を許さない状態といえよう。彼女の機嫌がこれ以上悪化しないうちに、状況の把握に努めたい。
「んん、では提案の詳細でござるが……つまるところこれは、完全に拙者たち火乃國側の、お家問題でござるな」
「ストップ! 紅風さん、もう少しだけ話を聞いてみましょうって!」
ふたたび高温に発熱し始めた緋色の鞘を、慌てて胸元に抱き締める。我が身を盾とした卑怯な拘束に、心優しき精霊は、渋々ながら火の粉を収めてくれるのであった。
「それで……その、お家問題とは?」
「いえ、お恥ずかしい話なのですが、じつはテッシン御大の御実家では、御大の安否を巡った跡継ぎに関する問題が生じておりましてな。つまるところのクロガネら家臣団の捜索隊派遣も、それが根幹にあるのだとご理解していただきたい」
なるほど。お家問題か。なにぶんこの世界の武家というものにあまり通じていない豚野郎ではあるが、それでも前世で観た時代劇ドラマの知識などから察しても、俺の師匠――ハガネ・テッシンの実家が抱える問題を、想像することは難くなかった。
(師匠の実家って、火乃國ではそこそこの名家っぽいし、そんな重要人物が長期間に渡って生死不明とか、そりゃ荒れるよな)
少なくとも家元から、捜索隊が派遣されるほどの大事になっているのだ。彼の後釜を巡る争いは、想像以上に深刻なもので、下手をすると家元の破滅すら呼ぶのかもしれない。
「あのぉ……つかぬことを確認させていただきたいのですが、やはり師匠の消息が定かでないと、ご実家のほうが拙いんですかね?」
「家だけで済めば恩の字。下手をすれば、藩そのものが滅びますな」
「ブホッ!?」
想定以上に深刻だった事態に、思わず変な声が漏れてしまう。
(え!? たしか藩って、火乃國における都道府県みたいなもんだろ? それが乱れるを通り越して滅びるとか、めっちゃヤバくない!?)
ともすれば交渉でこちらを委縮させるためのブラフなのかとも考えてしまうが、残念ながらこちらを見つめる初老武士の眼光に、偽りの気配は感じられない。澄んだ湖面の瞳は、淡々と真実だけを告げている。
「……それは、その、マズい、ですね」
「然り。だからこそ、一刻も早くテッシン御大の生存を確たるものとせねばなりません。そのためには、誰かが証拠を家元に持ち帰らねばならぬのです」
ここでようやく、話が繋がってきた。精霊との対話を通じて、師匠の最後を確認したワビスケ。彼もまたその光景から、俺と同じ結論に達したようだ。
「あの、だとしたら師匠は……」
「テッシン御大はご存命であられる。あの程度の死地を超えられぬようであれば、火乃國のサムライ大将など務まりませぬ」
「……ですよね」
期待ではない。
慢心でもない。
ただそれが当然の事実であるように告げる火乃國出身のサムライに、俺は同意しつつも、湧き上がる安堵の感情に身を震わせた。
(そうだよな。あの師匠が、あんなところでくたばるわけがない)
師匠の生存を、ずっと信じてはいた。しかしそれに誰かが同意してくれることが、これほど心強いとは思っていなかった。そんな同胞とこうして言葉を交わせただけでも、今回のクエストに参加した意義は、十分にある。
「……泣いておられるのか、ヒビキ殿?」
「あ、いえ、失礼しました! それよりも、俺が紅風さんを貴方がたに預けることが……つまり師匠の、生存報告になるわけですね!」
「然り。家宝である精霊鳴刀の返還。さらに紅風殿の証言も加われば、少なくともあと数年のあいだは、テッシン御大の生存を疑うサムライはおりますまい」
そこまでの話を聞いて、すでに豚野郎の心持ちは、大きくワビスケ側に傾いていた。となると問題は、当事者である精霊の意思だけだ。
「紅風さん……」
胸元に抱える精霊鳴刀は、なおも『ボッ! ボッ!』と火の粉を散らしている。しかしその勢いが弱まっていることから、彼女との付き合いが短くない豚野郎は、胸中を察することができた。
(紅風さんも……迷っているんだ)
であれば不肖弟分は、彼女の背中を押すのみ。
「俺だって……正直、紅風さんとは、離れたくないです。でも、それと同じくらいに、お世話になった師匠に、これ以上の迷惑をかけたくないんです。だから、とっても嫌ですけど、でも紅風さんが赴くことで、師匠の実家が安泰を取り戻せるんなら……俺は、ワビスケさんたちに、協力したいです」
そんな豚野郎の言葉が届いたのかは定かでないが、断続的に噴き出していた火の粉は、徐々に減少。とうとう完全に沈黙するに至るまで、数分もかからなかった。
「……ありがとう、ございます」
照れるように、最後に『ボッ』と噴き出した精霊の吐息に苦笑しつつ、どこまでも弟分に甘い精霊の宿るカタナを、ずっとこちらを見守っていた初老武士に手渡す。
「紅風さんを、よろしくお願いします」
「心得た。ご理解のほど、感謝いたします、紅風殿。それにヒビキ殿もこのたびのご恩、このダンジョウ・ワビスケ、決して忘れは致しませぬぞ」
恭しく精霊鳴刀を掲げ、深々と頭を下げる金等級冒険者。本日何度目かになる身の程を超えた扱いに、所詮は最下級冒険者に過ぎない豚野郎は、情けなくも狼狽えてしまう。
「だ、だからそんな、貴方ほどのお人が簡単に頭を下げないでくださいって! たまたま師匠の弟子だったっていうだけで、俺なんて全然、大した人間じゃないんですから!」
「否、それは違いますぞ、ヒビキ殿。たしかにテッシン御大の愛弟子という立場は、火乃國のサムライであれば、誰でも一目置くところ。しかしそれに慢心せず、さらには気難しい精霊の信頼を得られるだけの性根は、おぬしが誇るべき素晴らしき人間性でござる。それに敬意を払うことは、人としてあまりに道理ゆえ」
「そ、そんな……買い被りですって……」
「まあ、そのような性根も含めて、テッシン御大はヒビキ殿を、弟子にしたのでございましょうなぁ。いやはやそのご慧眼、感服いたしますわい。かっかっか」
なんだか結局は師匠の評価が一段上がってしまうというところに話は落ち着いてしまったが、それ以上、この話題を蒸し返すことはしなかった。それくらい、空気を読めないことに定評がある豚野郎にも、察することができる。
「とはいえ……我々を信じて紅風殿を預けてくださる以上、拙者らも、サムライとしてそれに応えねばなりますまいな。――おい、クロガネ!」
「はっ!」
俺と話していた好々爺の笑みから一転、こちらもまた彼の本質なのであろう、耳にするだけでブルリと背筋が震える怜悧な声を、歴戦のサムライが口から放つ。届いた声音に反応するのは、先ほどから一貫して頭を下げ続けている、横一文字創のサムライであった。
「では、沙汰を言い渡す。かように心優しくも賢きテッシン御大の愛弟子に、浅慮を以て刃を向けた罪、これすなわち死罪に値する。武士の情けだ、腹を斬れぃ!」
「……しょ、承知仕った! ご温情、感謝しますばい!」
告げられた判決に上告を訴えることもなく、すぐさま顔を上げた若武者は鎧を剥ぎ取り、上着をはだけて傷跡だらけの肉体、引き締まった腹筋を衆目に晒していく。
「えっ!? ちょっ、何をしているんですかクロガネさん!? 正気ですか!?」
「えぇい、止めてくれるな、ヒビキどん! サムライに切腹という最期を選ばせてくれたワビスケどんの温情に、おいはこれ以上、恥を重ねたくはなか!」
「……介錯は、僭越ながらわたくしが務めさせていただきます。お義兄さま、お姉さまの代わりに、せめてサクヤが冥途のお供をいたしますからね?」
「にゃにゃにゃ、たいへんだにゃ~。クロさまもサクさまも、本気だにゃ~っ!」
「まったく、訃報を家に持ち帰る、ウチらの身にもなってほしいなぁーご」
覚悟を決めた面持ちで、手渡された短刀を横腹に添えるクロガネ。どこからか取り出したタスキで両袖を縛り上げ、義兄から預かったカタナを上段に掲げるサクヤ。そんな主人たちの遣り取りに、姉猫であるカトラは顔色を青ざめさせて右往左往し、妹猫であるタルマはどこか達観した面持ちでそれを眺めている。地獄絵図、ここに極まれりだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいって! ワビスケさん!?」
一向に思い止まってくれる気配のないクロガネたちの説得を諦め、無力な豚野郎は彼らの上司にあたる金等級冒険者に縋った。
「……むう。つまりヒビキ殿は、武士の情けが不服だと?」
「違いますよ! もうその物騒な発想から離れてくださいって! 俺はべつに、あの人たちに、そんな償いは求めていません!」
「しかし、信賞必罰は治世の常。それを乱すことはすわ秩序の崩壊に繋がりますがゆえ、あの者たちには、なんらかの罰を与えねばなりませぬ」
「だったら! こんなふうに命を粗末に扱うんじゃなくて、もっと有意義に活かしてあげてくださいよ!」
「……委細承知」
すると『待っていました』といわんばかりに、初老武士の口端が歪んだ。
「聴けぃ、クロガネ! ヒビキ殿の沙汰が下ったぞ!」
ビリビリと肌を叩く金等級冒険者の一喝に、今まさに自身の腹部にも横一文字創を刻もうとしていた若武者が、ようやく停止して顔を上げる。
「慈悲深きヒビキ殿は、おぬしの命など不要と申された! そして無用に命を奉じるぐらいなら、生きてその罪を償うべしと! ゆえに貴様に残された道はただひとつ、我らに託された紅風殿がふたたびヒビキ殿と逢い見えるその日まで、その身命を賭して忠義を捧げ、ヒビキ殿を守り通すことを知れぃ!」
俺の口上が、謎のサムライ理論で超解釈されていた。
「はぁあああああ!?」
驚きのあまり口をあんぐりと開いた豚野郎が絶句していると、若武者が勢いよく顔を上げる。
「しょ、承知……ヒビキどんのお情け、このハガネ・クロガネ、しかと受け取りましたっ!」
顔を真横に過る一文字創をつぅ……と、
透明な雫が縦断していく。
「お義兄さま……」
そんな義兄の姿に、義妹はカタナを取り落として、ブルブル震えながら己の身体を抱き締める。猫人姉妹も「……命拾いしたにゃ」「一件落着なぁ~ご」と、それぞれ安堵の表情を浮かべていた。
(あ、もうこれ、否定できないやつだ)
もしここで空気の読めない豚野郎がゴネれば、地獄絵図がアゲインだ。それを見越したうえで謀に長けた初老武士は、あえて先ほどの光景を見せつけたうえで、結論を誘導したのだろう。
「……謀りましたね」
「ははっ、いやはて、なんのことですかな?」
こうしてまんまと、護衛を兼ねた体のいい監視役を押し付けられた豚野郎は、何枚も上手な金等級冒険者の手管に、世の中における酸いの味を、存分に噛み締めさせられたのだった。
●
そんなやり取りが、今から一時間ほど前。
「……で、要するに婿殿は、大事な精霊鳴刀を担保にすることで、都合のいいヒノクニ産の女郎たちを手に入れた、と」
「だから違うって!」
冒険者クラン〈大地の大槌〉からの報告を受けて集合した俺たち遺跡探索隊は、周囲を警戒しつつ、森に残されている足跡を追跡するかたちで、探索活動を続行していた。
とはいえおもにその役割を担っているのは、〈大槌〉の土精人たちであり、その他の冒険者は先導する彼らに追随しているだけなので、こうして与太話を行う余裕がある。
「にゃ、にゃー。う、ウチらは、ヒビキ様が望まれるのであれば……っ!」
「ヤー様の純潔は巫女なので譲れませんが、下女のうちらの身体であれば、如何様にもなぁーご」
「……と、この者たちは言っているが?」
「ちょっとキミたち、黙っていてくれないかな!?」
話をややこしくする猫人姉妹に釘を刺して、まるで浮気を咎められているかのように狼狽する豚野郎は、先ほどからジト目の鬼嫁に説得を続ける。
「だから、この子たちを一時的にうちで預かるのは、クロガネさんの命を救うためであって、それ以上の邪な感情なんて持ち合わせてはいないって!」
「しかしわざわざ、オレたちの〈豚鬼の尻尾〉で面倒を見る必要はないんじゃないか?」
「それももう、説明しただろう? 彼女たちは遠い祖国から、同郷の〈知恵捨団〉を頼って渡ってきた、異邦人なんだ。その身元引受先から追い出されたら、ぶっちゃけ明日の衣食住すら怪しいんだって!」
このへんの説明は、すでに彼らの『元』身元引受人であるワビスケから言い含められていることである。次々とこちらの反対意見を潰してきたあたり、是が非でもクロガネ一行を俺たちのパーティーに食い込ませようという、金等級冒険者の本気ぶりが伺えた。
おそらく彼は、やると言えば本気でやるだろう。
たとえこの場で生き永らえたとしても、俺たちがクロガネ一行の身元引受を拒めば、いずれ何らかのかたちで彼らが衆目に無様な姿を晒す羽目になることは、想像に難くない。それだけの凄みが、あの初老武士にはあった。
(ここはなんとしても、オビィの言質をとらないと……っ!)
俺の迂闊な対応が原因で、同郷のサムライたちが不憫な目に遭ったとなれば、師匠に申し訳が立たなない。かつての恩義に報いるため、俺は何としても、この難易度の高いミッションに挑まねばならないのだ。
「なあ、頼むよオビィ。ここはひとつ、俺を助けると思って。な?」
「……っ、そ、そんな可愛らしい顔をしても、ダメなものはダメだぞ、婿殿! さっさと〈知恵捨団〉に返してくてくれ!」
だが女蛮鬼の苗嫁――オビィは、頑なだった。そもそも彼女は同胞の女蛮鬼たちや自分の隷妹たち以外の異性がこの豚野郎に近づくことを、快く思っていない。ちょっと俺自身もどうかと思ってしまうほど無用に嫉妬する。あとこの俺の情けない顔が可愛く見えるのなら、いよいよこの世界の眼科的な場所へ連れて行かねばなるまい。
「おーおー、相変わらず盛ってんなぁ、ボケカス」
と、そこへ、ミッションの難易度を困難から最悪に跳ね上げる、新たな障害が現れた。
「ら、ラックさん!?」
「なんだなんだ、パシリからなかなか帰ってこないと思ったら、なんだかおもしれぇハナシになってるじゃねえか、オイ」
畏まった口調を捨てて、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて近づいてくる、赤鬼の冒険者――ラック。
酒場で喧嘩を見つければ喜々として混じり、路地裏でガンを飛ばされなければ自ら飛ばしていくスタイルの金等級冒険者が、この状況に加わればどんな悲惨な展開になるのか、火を見るよりも明らかだった。
ただでさえ最近は王族直属の鬼士団を相手にするため、猫を被っている鬼であるからして、そのストレスの蓄積ぶりは身近にいるパシリ豚としても、身の危険を感じるほどであった。その捌け口を自ら用意してしまった先輩想いの後輩としては、もう泣きたい気持ちでいっぱいだ。
(神よ、なぜ俺にばかりこうも試練を与えるのですか!? マリー助けてっ!)
数分前の決意から一転。相変わらず不運な豚野郎を甚振ることが大好きらしい性悪神様どもを嘆き、この世界における俺にとっての唯一神に奇跡を乞う、もはや他力本願の情けない豚野郎の姿が、そこにあった。
「話は聞かせてもらった。たしかにオビィの嬢ちゃんがキレるのももっともだ。全面的にボケカスが悪い。百パーセント豚が悪い。性懲りもなくあちこちで女とみれば愛想を振りまく、性欲野郎がすべての原因だ。
「……おい、ラック殿。何もそこまで、婿殿を悪しく罵らなくとも――」
「だがなぁ嬢ちゃん。そんな旦那の女癖にもときには目を瞑ってやるのが、『正妻』の甲斐性っつーモンじゃねえのか?」
「――っ!?」
日頃の鬱憤をぶちまけるべく、流れるように俺を罵倒していた赤鬼に対して、相手の立場を敬いつつも、不満の声を上げようとしていた女蛮鬼。その機先を制すような発言に、褐色肌の少女は二の句を告げなくなってしまう。
「なんつったってそこのボケカスは、なんだかんだで嬢ちゃんにゾッコンだからよぉ。そりゃ男だから、気になる女がいればちょっかいもかけるさ。火遊びもするさ。でもけっきょくのところ、最後には嬢ちゃんのところに戻ってくる。それを黙って迎えてやるのが、イイ女の条件だと、オレ様は思うがねぇ~」
「そ、そうか……」
あからさまなヨイショだが、わりと初心なところがある豚野郎の奥さんは、赤鬼の発言を受けてその頬を満更ではなさそうに染めていた。チョロい。
(なんだなんだ、変な雲行きになってきたぞ……?)
想像とは異なる話の流れに、迷いつつも、賢明なる豚は『見』の姿勢を選択した。
決して修羅場に尻込みしているわけではない。
合理的な判断なのである。
「ああ、それは間違いないね。オレ様が保証してやるよ。じっさいにあのボケカス、何度オレ様が奢りで娼館に誘ってやっても、俺には嫁がいますからとか言って、空気を読まずに逃げちまうんだぜぇ? ったく、そんな空気が読めないようじゃ、この先冒険者として大成しねぇっつーの」
「おいおい、それはダメじゃないか婿殿。先輩方のご厚意は、あまり無碍にするものではないぞ? そういう事情なら、あとでちゃんと説明してくれれば、そ、そんなには、怒ったりはしないからな?」
口ではそのように言っているものの、普段は凛々しい女蛮鬼様の形の良い小鼻は、何かを自慢する子どものようにヒクヒクと膨れていた。口元もにやけるのを堪えているのか、奇妙なかたちに歪んでいる。
「……にゃーるほど、ああやって奥方様は扱うのですかにゃー」
「……勉強になるなぁーご」
その光景を傍らで眺める猫人姉妹たちがなにやら不穏なことを囁いているが、あとでしっかりと釘を刺しておこう。
「ま、そんなワケだから嬢ちゃん、あのボケカスの言葉に嘘はねぇんだと思うぜ。なにせボケカスは嬢ちゃんにゾッコンだからな。他の雌猫どもに手を出すような甲斐性はないっつーの。だからヘンな勘繰りは無用だぜ?」
「む、むぅ……しかし……」
「ま、そういうわけだからさ。今回の件、すこしぐらいボケカスの意向を汲んでやれよ。それもイイ女の、度量ってヤツだぜ?」
「そ、そうだな……。たしかに、頭ごなしに否定するのは、婿殿を支える苗嫁として、あまり相応しい態度ではないかもしれないな……」
「ああ、そうだ。何だったら、正式な入団の前に、今回のクエストを通じてテストしてやればいい。それで気に入らなければアウト、使えるようならそのときに再考って感じて、とりあえず、一時的に、ものは試しに仮入団ってのが、妥当な落としどころなんじゃねぇかなぁ」
「むぅ……。たしかに、仮入団というのであれば……」
そのようにオビィが妥協の姿勢を見せ始めた時点で、この話題の趨勢は決したとみていいだろう。
「よかったなぁボケカス、物分かりのいい奥さんで!」
けっきょくその一部始終を傍観者に徹していた豚野郎に、笑いながら肩を組んできた金等級冒険者が、ブツブツと思案に沈む女蛮鬼には聴こえないよう、小声で耳打ちしてくる。
「……ボケカスぅ、貸しひとつだからな」
「……正直、助かりましたけど、でも何で?」
断言できるがこの赤鬼が、この状況下において、義侠心から助け舟を出してくれるはずがない。その真意を測りかねる豚野郎のジト目に、ラックはどこか恥ずかしそうに、小さく吐き捨てた。
「……まぁ、あのオッサンには、オレ様もむかし世話になったからなァ」
そう言えば出会った当初に、この赤鬼と師匠はかつて、友誼を結んでいたという話を聞いた気がする。となるとこの一件は、浮気豚への援護射撃というようも、かつて世話になった師匠への恩返しというわけか。
(まったく……ラックさんは、顔に見合わず義理堅いよなぁ)
普段は粗野で粗暴で乱暴な金等級者の、まぎれもないもうひとつの一面に、奥さんに負けずチョロい自覚のある豚野郎は、胸中に温かい感情が込み上げてしまう。不覚にも、彼のような恩義に報いられる男になりたいとさえ、思ってしまった。
「……それよりもどうよ、ボケカス。夜の店で磨いたオレ様のサービストークは。てめえもオンナを囲うんなら、これくらいの芸当は身につけろよな」
訂正。俺は絶対、こんなダメ人間にはならないぞ。
・荒ぶる精霊と、それを鎮めるサムライたち。
・そのような経緯で、クロガネ一行はブタチームに仮加入することと相成りました。
・また巫女たちが真言などを用いておりますが、これらはこの世界に勇者たちが持ち込んだものを後世の者たちが引き継ぎ発展させたものなので、ブタの前世における仏教とは別物であると、解釈していただければ幸いです。
それではお読みいただき、ありがとうございました。
次回の更新は七月二十二日(月)の予定です。
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