【幕間】 待ち人
【前回のあらすじ】
豚鬼「ぶわっくしょんっ! ……ずずっ、ん、風邪かな?」
睡眠とは本質的に身体を癒すための行為であり、生物にとっての三大欲求でもある。そのため、人によってはそこに快楽や価値を見出すものも少なくない。しかし彼女にとって睡眠とは本能ではなく作業。安らかなる死を求める本能を、意思の力で無理矢理に抑え込める行為に他ならない。よって彼女――かつては〈光翼〉と呼ばれた聖人・マリアンの目覚めは、苦痛とともに始まる。
(……なんとか今日も、生き延びましたね)
身体の内側から火炙りにされるがごとき激痛を味わいながら、全身にびっしょりと汗で湿らせた白髪紅瞳の少女が目を覚ます。見上げる天井は、もはや見慣れた女蛮鬼集落における簡易天幕のもの。すでに日の高く昇った天幕内には、病人の醸す熱と匂いが籠っていた。
(まずは、汗を拭かないと)
身じろぎひとつ、筋繊維を一本動かすたびに、鋭利な刃物で斬り裂かれるような痛みを覚えるが、それを表情に浮かべることはない。心を殺し、感覚を麻痺させ、感情を消し去る行為は、かつて所属していた神聖教会では毎日行っていたことだ。
チリンチリン。
枕元に置かれていた呼び鈴を鳴らすと、外に控えていたアマゾネスたちが入幕してくる。水桶と手拭いで全身を清められ、食事と並行して傷んだ白髪を櫛で梳いてもらい、不浄壺を用いて排泄を済ませる。一日の大部分を寝て過ごすマリアンにとって、起床していられる時間は貴重だ。淡々と人形のように生命活動を『処理』する彼女の姿に、最初は戸惑っていたアマゾネスたちも、慣れた今となっては黙々と介護を続ける。天幕内に、女たちの息遣いだけが静かに満ちていた。
「それでは、失礼いたします」
「ええ、今日もご苦労様でした」
一時間ほどで肉体の清掃と栄養補給を終えたマリアンは、アマゾネスたちの退幕と入れ替わりに、半身を起こして座禅を組む。生物の身体とは、適度な運動を怠ればすぐに劣化していくもの。それを防ぐためにマリアンはこうして精神を統一させ、体内に流れる魔力を操ることで、意図的に魔力暴走を引き起こし、筋肉に強制的な刺激を与えているのだ。
「くっ……ふくぅっ……うぅっ……」
天幕内に、少女の熱と、苦悶の声が満ちていく。
ただでさえ全身に負荷を与える行為に加えて、現在のマリアンはかつての戦闘で受けた呪禁魔法に侵されている。息を吸うだけで肺が握り潰され、言葉を漏らすだけで喉の奥が焼き尽くされるような苦痛を覚える。魔力を扱う行為などもってのほかで、体内に巣食う毒蛇は鋭敏に反応して、魔力とともに全身を巡り神経をズタズタに喰い散らかす。
遡ること半年以上前。最後は狂戦士と化した聖騎士の置き土産は今なお、聖人の肉体を蝕んで、着実に命の蝋燭を削っていた。
「ふぐっ……かはっ……ふっ……ふっ……」
自然と目尻に涙が浮かび、息遣いは荒くなる。
常人ならとうに生命を諦めてしまうほどの激痛。生きていることが死よりも苦しい亡者の呪縛。健常な精神であれば耐えられない。耐えられるはずがない。そんな彼女の存在をいまだこの世界に留めている理由は、たったひとつの豚鬼だった。
(ひ、ヒビキ、くん……っ)
全身を苛む苦痛は消えない。せっかく清めた身体にはすでに球粒の汗が浮かび、雪花石膏の肌は燃えるように紅潮している。それでもなお、少女の顔には笑みが浮かんでいた。
(ま、ママは、がんばっていますよ……っ)
彼は自分に、生きてくれと言った。
浅ましく穢れた存在である自分に彼は、
それでも生きて欲しいと願ってくれた。
自分勝手な理由で彼を産み落とし、自分本位な愛情を押し付けていた自分を、紆余曲折があったものの彼は最後には許して、受け入れてくれた。そんな彼の想いに応える。やさしく愛おしい息子の願いを、母親である自分が諦めるわけにはいかない。それだけが、マリアンがこの世界に縋るただひとつの理由であった。
「ふぅっ、ふぅっ、はっ、はっ……」
世界で一番愛おしい息子の存在を脳裏に描いて、
先ほどよりも息遣いの荒くなったマリアン。
(な、なんだか今日は疲れますから、少しくらいなら、いいですよね……?)
そのように自分を納得させながら、いったん座禅を解いた少女は……ゴソゴソ。テントの奥をあさって、一体の人形を取り出した。
全体に丸みを帯びたそれは、彼女の息子を簡易模倣したもの。名前は『ヒビキくん七号』。当然、マリアンの自作である。
この『ヒビキくん七号』は実験的に、裁縫時に綿とともに彼の抜毛(……獣人や一部の鬼人などは季節の変わり目に大量に出るので、それを採取した……)を詰め込んだ意欲作であり、こうして顔を埋めると、ここにはいない彼の匂いが感じ取れるような気がしないこともない。グリグリと、夢中で鼻頭を押し付ける。
「……よし。これでまだ、ママは頑張れますよヒビキくん」
瞳に活力を取り戻した聖人は、ふたたび座禅を組んだ。今度は胸元に『ヒビキくん七号』を抱き締めるかたちだ。相変わらず息は荒いものの、先ほどよりも精神統一が捗ったことは言うまでもない。
◆
それから一時間ほどの座禅が終わったころに、新たに天幕を訪れる者がいた。来訪を予想していたマリアンは、彼らを快く迎え入れる。そんな彼らに自身の身体に触れることを許可する理由は、触診のためだ。
「……ハオ。呪禁魔法の進行ハ、想定の範囲内ですネ」
「よかった。それは重畳です」
「ブーハオ。しかし相変わらズ、予断は許さない状態デス。むしろこうして会話をしていることガ、不思議なくらいですネ」
そう言って皺だらけの顔に苦笑を浮かべるのは、このプレト大森林においても屈指の治癒魔法の使い手とされる蟲人の老人・リーである。色の抜け落ちた灰髪を総髪にした老人は、さらに簡単な診察を終えたあと、天幕の隅で待機していた助手である少女を手招きした。
「それではパオ。後のことハ、頼みますヨ」
「は、ハオ!」
「あア、あと本日の飲薬の処方ハ、前回よりモ、陽光草の割合を多めにしてくだサイ」
「か、畏まりましたですね!」
リーのように大陸の東にある蟲華国から移動してきた者たちと比べ、この大森林で生まれ育ったという少女――パオヘイは、前者と比べて発音に違和感が少ない。そんな一族の末裔にひとつ頷いて、リーは天幕を後にした。この危険に満ちた大森林において、彼の仕事は尽きないからだ。よって内部には、外見年齢はさほど変わらないように見える少女たちだけが取り残される。
「それではパオヘイさん。今日もよろしくお願いしますね」
「は、ハオ! こちらこそです、マリアン様! パオのようなネクラでジミなゴミムシには過ぎた大役だとは思いますが、誠心誠意精一杯務めさせていただきますので、どっ、どうぞ、よろしくお願いいたします!」
「あらあら」
前髪を目元まで伸ばしているため、表情を察することは難しい。それでも頭部からピンと伸びる強張った二束の触髪から、彼女の精神状態は容易に見て取れる。
(相変わらず、流れるように自分を卑下する子ですねえ)
この森を統べるアマゾネスの大族長による直々の要請とあって、ほとんど自分の専属とも呼べる扱いであるメカクレ少女であるが、こうして毎日のように顔を合わせていても、彼女から緊張の気配は薄れない。
「そ、それでは、失礼します……うぅ……あいからず今日もお美しいですぅ……それにいい香り……」
実際のところは何度目の当たりにしても損なわれることのない白髪紅瞳の少女の美貌に委縮しているだけなのだが、それを当人が知る由はない。テントに満ちる甘い香りもパオヘイの動悸を加速させるが、本人はやはり自身の体臭には無自覚だ。ただ粛々と、年若い治癒士の治療を受けるのみ。
(まあ、腕は確かなようですけど……)
過剰魔力による成長阻害により、十代前半で外見の成長が止まってしまった聖人。一見するとそんな彼女と同年代に見えるパオヘイであるが、しかしその才覚は、族長であるリーを含めた彼女の一族全員が認めるほど。でなければいかに苗妻の隷妹であるとしても、こうして要人の治療を任されたりはしない。一族において天分の才と讃えられる麒麟児の技量は、現在のマリアン自身が証明している。
「んっ……」
凝り固まった筋肉を解すように、滞っていた血流を循環させるように、パオヘイの掌が触れた部分が、じんわりと暖かな熱を与えてくれる。ほんの一時とはいえ、このわずかな時間だけが、苦痛に満ちた一日のなかでマリアンがそれを忘れることのできる、貴重なものであった。
「あ、あとは薬を煎じますので、しょしょ、少々お待ちを!」
そうした治癒魔法に加えて、薬膳などを用いた滋養治療を行うのは、蟲華国の特色である。
魔力による強制治癒で一時的に肉体を回復させるのではなく、体内の魔力を調整して不調の原因を根本的に取り除くこの治療体系は、一席一朝では身につくものではない。長年に渡って彼女たちの一族が研鑽して練磨してきた、血統と技術の集大成と呼ぶべきもの。ほんの一端とはいえそれをこの若さで身につけている治癒士に、マリアンは内心の評価をさらに引き上げる。
(やはりこの子は、ヒビキくんにとって有用ですね)
すでに餌は撒いている。
そうと気付かない獲物はすでに、狩人の手の内だ。
「そ、それで、マリアン様、よろしければ本日も、薬を処方しているあいだだけでも、主様のお話を……」
「ええ、構いませんよ」
なにせ生まれてこのかた大森林から出たことはなく、しかも生涯のほとんどを一族の秘術を修めるために励んでいたパオヘイだ。そんな彼女にとって、外の世界の話は新鮮で心惹かれるものであることに、疑いはない。
そのため当初は『暇潰し』と称してマリアンが語ってくれた世間話に、世間知らずの少女が夢中になったことはごく自然な流れであり、気付けばその内容の大半を占める豚鬼の活躍に心酔してしまっていたことは、語り手の意図するところであった。そのうえ実際に、窮地を彼に救ってもらった身の上とあっては、効果はさらに跳ね上がる。
「はふぅ……や、やっぱり主様は、パオの皇子様ですね……」
今日もすっかりと(ややマリアン視点で誇張された)豚鬼の冒険譚に聞き惚れてしまった少女は、前髪の奥の瞳を潤ませて恍惚の笑みを浮かべる。そんなパオヘイを、マリアンは慈しむような笑顔で見守っていた。
◆
そうした一時間ほどの治療行為を終えて、
パオヘイが退室しようとする。
通常であれば残されたマリアンは残る時間をギリギリまで使って、新たな『ヒビキくん人形』の作成や、神聖教会に所属していたころの知識を活かした魔道具の作成などに取り組むのであるが、今日は少し赴きが違っていた。
「パオヘイさん。申し訳ありませんが、もう一度身体を清めてくださいませんか?」
「……? は、ハオ、問題ありませんが、ふ、ふだんはマリアン様、あとはもう寝るだけだからとそのままなのに、い、いったい、どうして……?」
何故と問われて、証明すべき根拠はない。
ただ、予感だけがある。
「ん、強いて言えば女の勘……いえ、母の勘ですね」
「……?」
意味を掴めず小首を傾げるものの、ひとまずパオヘイは、マリアンの言葉に従ってくれた。ふたたび拭き布で身を清められ、白髪を櫛で整えられた少女は、凛と姿勢を正してその時を待つ。トクン、トクンと、心臓が高鳴る。
(ああ……感じます……もう、すぐそこまで来ています……っ)
それはまさしく、マリアンにとっての本能。
あたたかな陽光を求める新緑のごとく、
全身の細胞が喜色に打ち震えてしまう。
「……ん? 外が騒がしいですね。いったい何事でしょうか?」
パオヘイも集落の異変に気付いたようだ。簡易天幕の外の喧騒は、徐々に近づいてきている。自然と、マリアンの頬も緩んでいく。すでに心臓は痛いほどに高鳴っていた。
そして――
「……た、ただいま、マリー!」
「おかえりなさいっ、ヒビキくん!」
待ち侘びた息子の帰還に、
母は心からの笑顔を咲かせるのであった。
・久方ぶりとなるロリママの登場。
・これまで語れることのなかったママ視点の生活模様と、ちょっとだけ物語に顔を出していたメカクレ少女の一幕でした。
・母の深過ぎる愛情が、少しでも伝われば幸いです(笑)。
それではお読みいただき、ありがとうございました。
次回の更新をのんびりとお待ちください。
m(__)m




