【第05話】 師弟
【前回のあらすじ】
ブタ、反抗期に突入
現世の俺が豚鬼であることが発覚してから、
さらに半年ほどが経過した。
今更だがこの世界での一年は前世と同じ三百六十五日で、一日も二十四時間となっている。これは都合のいい偶然ではなく、なんでもこの世界には昔から『英雄』や『勇者』などと称される『転生者』の存在が確認されており、彼らがこの世界に与えた影響の一端が、そうした前世基準の生活単位というわけらしい。
ともあれ、こちらの世界に転生してまだ十ヶ月に満たない俺だが、なんと現時点ですでに一般的な真人五~六歳程度の肉体を持ち、さらにオークはヒューマに比べて肉体面で頑健であるため、己の豚足で駆け回ったりできる。
この不自然なまでの成長速度は、俺が神栄教会の『勇者召喚』計画で生み出された人造生命体であることが理由だという。
俺の産みの親である少女曰く……
「種族がオークだと述べましたが、より正確に説明するなら、現在の貴方の肉体は〈神魂宝珠/ピースクラフト〉という教会でも極めて希少な魔法道具を核として精製された、特別製の〈人造生命体/ホムンクルス〉です」
「本来であればヒューマ型として生まれるはずだった貴方がなぜオーク型として誕生してしまったのか理由は定かでありませんが、ともあれ外見はともかく内面的には、教会の計画通り『勇者としての性能』の一部を有しているようですね」
つまり俺の成長が異常なのは、教会が俺を『そういうふうに設計』したから。本来であればそうしたホムンクルス素体は〈神魂宝珠/ピースクラフト〉に封入された『転生者の魂』から魔力的な波長を読み取り、数年ほどで召喚者の前世とほぼ同じ形状の肉体を形成していくらしい。
だが通常の勇者召喚とは異なる方法で召喚された俺は、そうした肉体形成の過程で何らかの誤情報が生じてしまい、結果このような姿で転生してしまったのだというのが研究者たちの推測とのこと。
そして一度そのように『魂』が定着した『器』を作り変えることは、魂の変質や崩壊を招いてしまう危険性が非常に高いため、現実的ではない。わかりやすく例えるなら真人を精人に、猫を獅子に造り変えるようなものだ。そりゃ無理ですわ。
まあ、そのような理由でちょっとばかり特別製な肉体を持つ豚野郎であるわけだが、正直この話に限っては、俺にとって都合のいい展開だった。
なにせ俺は、前世から続く大人としての自我があるのだ。それが四六時中、少女に抱かれての生活とか御免こうむる。しかも少女に対して俺が悪感情を抱いているのなら尚更だ。
というわけで数ヶ月前に自立歩行ができるようになって以降、俺は少女の手から離れ、自らの豚足(と尻尾?)を使って旅を続けている。もちろん、下顎から上天を突く鬼歯を始めとする乳歯が生え揃った今では、食事は自らの歯で咀嚼していただいている。
肉うまー。
野草にがー。
「あ、あの、ヒビキくん? 疲れていませんか? よろしければママが背負いましょうか?」
「ヒビキくん。そのお肉はまだ硬いでしょう? こちらのお肉をどうぞ。ママのと取り替えてあげます」
だがそんな俺に、何かと少女は構いたがる。非常に鬱陶しい。ウザい。
「いや、いい」
「いらない」
だから俺は、そうした少女の申し出を尽く断ってきた。
「そう……ですか」
俺が少女のことを拒絶したあの日から……少女が俺に向ける笑顔には、媚びへつらう感情が目に見えて大きくなっている。
俺に嫌われたくない。
なんとか関係を修復したい。
そんな少女の気持ちは馬鹿にでもわかる。
でも……それはあくまで少女側の勝手な主張であって、すでに少女の勝手でこの世界にこんな形で産み落とされたブタとしては、これ以上彼女のワガママに付き合ってやるつもりは毛頭ない。
母親ごっこはひとりでやってくれ。
お願いだから俺を巻き込むな。
それに今はまだ未練がましく執着しているようだが、このまま俺が冷たい態度を取り続ければ、少女もいずれ愛想が尽きるだろう。できることならそのまま俺から離れて、少女には別の道を歩んで欲しい。亜人というお荷物がいなければヒューマである彼女は可能だろうし、それが少女のためだ。
「ぬ、また集中が乱れたで御座るな」
「っ!」
と、そんなことをつらつらと考えていると、背中に特大の悪寒。慌ててその場から跳躍すると……ドゴォ!
次の瞬間、俺が座禅を組んでいた大岩の上に、朱塗りの鞘が振り下ろされた。大岩が真っ二つに断砕される。
「あ、危ねぇ! 師匠、殺す気ですか!?」
片手で容易く大岩を砕いた無精髭のオッサン──もとい俺の『師匠』でもある【ハガネ】は、大岩から引き抜いた朱染めの鞘を肩に担いで、悪戯小僧の笑みを浮かべる。
「ヒビキよ。痛みを伴わねば、人は成長せぬのだ」
「いやこれ、痛みとかそういうレベルじゃありませんから。普通に殺人未遂ですからね?」
もう嫌な冷や汗が止まらない。
「それに瞑想中、雑念を抱いたお主が悪い」
「ぐぅ」
それを言われると言い返せない。
「で、でも師匠。それを指摘するんなら『あれ』を……」
なおも抗議を続ける豚野郎は、
少し離れた木陰に視線を向ける。
「……」(じー)
そこには大樹から半身を覗かせて、じっとまばたき一つせずにこちらを見つめる少女の姿があった。
「あれを、なんとかしてくださいよ! あんなの嫌でも気になるじゃないですか!」
座禅を組んだところで、集中できるはずがない。
「ひ、ヒビキくん! 大丈夫ですか!?」
ほら、俺に呼ばれたと勘違いしたのか、少女が木陰から飛び出してきた。鬱陶しいことこの上ない。
「怪我はありませんか? 頭など打ってはいませんか!?」
「いい、大丈夫だ。心配いらない」
場所は森の中にある小川のほとり。川砂利に尻餅をついている豚野郎に、少女がベタベタと触れてくる。俺はそれを煩わしげに振り払った。
「で、ですが万が一ということも……」
「いいから」
強い口調で遮ると、少女はグッと顔を歪めさせたのちに、いつもの媚びた笑みを浮かべて「……そうですか」と引き下がった。
「ハガネさん」
代わりに『……ギンッ!』と、先ほどまで俺に向けていたものとはまるで異なる鋭い視線を、背後でやり取りを眺めていたハガネに向ける。
「いったい、どういうつもりですか? ヒビキくんに手を出すのならわたしがお相手になりますよ?」
バサバサバサッ……
ギィキィキィキィ……
周囲の梢から一斉に鳥たちが飛び立った。
少女から溢れるのは、
周囲の景色が歪んでみるほど濃密な敵意。
「ほう、マリアン殿との手合わせで御座るか。それは大層興味深い」
それでもバトルジャンキーの毛がある師匠は全く怯まない。むしろ笑みを深めている。
「教会でも十に満たない『聖人』相手なら、某とて不足ない」
「ええ、ええ。よろしいでしょう。争いは望むところではありませんが、ヒビキくんを守るためなら容赦はしません。全力で往かせていただきます」
朱塗りの鞘を握る反対側の手で、蒼染めの鞘に収まる刃の柄に手をかけるハガネ。呼応して少女は掌を刃のように垂直に伸ばし、格闘術じみた構えをとった。まさしく一触即発の剣呑な空気。そこに割っているのは、空気を読まないブタの声だ。
「おい。何やってんだよ」
その声にビクッと少女が反応する。
「ひ、ヒビキくん?」
瞬く間に獅子の如き気配を霧散。少女は怯えた子猫のような表情でそろりそろりと、俺の顔色を伺ってくる。
「アンタ、本当にもう、勝手な真似はやめれくれよ。いい加減にしてくれ」
「……っ! あっ、うっ、でも……」
「いいから。黙れよ」
敵意を剥き出しにした醜い豚野郎の発言によって、見る間に少女の瞳が潤んでいくが、止まらない。止めるつもりもない。
「何度も言うけど迷惑なんだよ。俺はあくまで自分から望んで、師匠に『稽古』をつけてもらっているんだ。だからその邪魔を、しないでくれ」
そうなのだ。
こうした稽古は俺が望んで、
師匠に付き合ってもらっているのである。
ことの経緯は、現世の俺がオークであることが判明して間もなくのことである。少女と不仲となった俺に、師匠こと【ハガネ・テッシン】は、このように申し出てくれた。
『ヒビキ殿。まずは強くなれ』
『マリアン殿の決断については色々と思うところもあるであろうが、某は口出しする気は御座らん』
『ただこの世に生まれ落ちてしまった以上、己の生を真っ当に貫くには、最低限の『力』が不可欠』
『マリアン殿を師と仰ぐことが難しいのであれば、僭越ながら拙者が稽古をつけてやろうと考えるのであるが、如何で御座ろうか?』
それは俺にとって願ってもない話であった。
すでにこの世界には、魔法や魔獣が存在することが確定している。ならばそれに対抗する術を身につけておきたいというのは、当然の心理だ。
それに俺は亜人である種族の関係上、真人が支配しているこの大陸では社会に所属して身を守ってもらうことが難しい。重ねて醜い豚野郎には、自らを守るための『力』が必要不可欠なのだ。
『ぜひともおねがいします、はがねさん。……いや、ししょう!』
『うむ、任されよヒビキ殿……否、ヒビキ』
こうして俺とハガネのあいだに、
師弟関係が成立したわけなのだが……
「それをいちいち横から口出しされるのは、はっきり言って不愉快なんだよ」
それはまあ、さっきみたい荒っぽいやり方には、俺とて委縮してしまう。だが事あるごとにこうして出られてこられると、全然鍛練が進まない。迷惑だ。
「あ、あのでもっ、あくまでママは、ヒビキくんのことを想って……」
「必要ない。それにだったら尚更、邪魔をするな」
「……ひぐっ」
「泣くなよ。いいからとっとと消えてくれ」
「……も、申し訳、ありません」
ペコリと頭を下げてから、サラサラと流れる銀髪で表情を隠したまま少女は駆け去っていく。
(あーもう、後味悪いなぁ)
これだからあの子に関わられるのは嫌なんだよ。
「それに……師匠も」
胸に残る汚泥のような感情を吐き捨てるように、
無精髭の侍に鋭い視線を向ける。
「ああいう『気遣い』は、本当に無用ですんで」
「はて。一体何のことで御座ろうか?」
「とぼけないでください。あんな風に露骨にあの子を挑発して、わざわざ俺と関わる口実を作ったりして、気付かないと思っているんですか?」
まあわりと戦闘狂なお師匠様なら、
あのまま少女と戦うのも本望だったのかもしれないけれど。
「はてさて。なんのことで御座ろうなぁ」
俺の詰問を、ハガネはのらりくらりと躱す。
ちなみにあの少女、あんなちっこいナリをしているが、どうやら所属していた組織──『神栄教会』においては、勇者を除けば上位十指に入る実力者──『聖人』と呼ばれる、特別な人間らしい。年齢だって、あの幼い見た目よりもずっと上なのだという。
なんでもこの世界には魔力というものがあり、それを大量に保有する者の中には、ある段階で外見的な成長が止まってしまう『魔力阻害』なる現象が、確認されているらしいからな。逆説的にそれくらいの大物でなければ、所属する組織の極秘プロジェクトに、被験体とはいえ選ばれたりはしないわけだ。
「ともあれヒビキよ、いつまで休んでおるつもりだ。修行を再開するぞ、座禅を組めい」
「……はあ。はいはい、わかりましたよ」
これ以上この話題を続ける気がないハガネに嘆息しながら、重い腰をあげたブタはふたたび小川のほとりにある適当な岩を探すと、腰を降ろし座禅を組む。
「……」(じー)
また少し離れた林から少女の視線を感じるが……今度こそ無視だ。無視。集中しろ、俺。
「身の内を廻る氣の流れを感じるとることこそ、式を扱う第一歩。そのためにはまず、自身の内側を深く覗き込め」
師匠の言う『氣』とか『式』とかは、
少女の言う『魔力』とか『魔法』と、
同じものを指している。
このあたりは生まれた地域や種族によって表現が異なるようなのだが、俺としては魔力や魔法って表現がしっくりくるので後者を使っている。
(とにかく、魔力だ。集中して魔力の流れを掴み取れ……)
この世界において、魔力はいたるところに満ちている。大気にも、水にも、岩にも、もちろん生物にだって宿っている。そして生物とは先天的にそうした魔力を扱うための『魔法回路』というものを有しているため、それが作用する範囲内……たいていは自身の肉体の内側……にある魔力ならば、己の意思である程度は制御することが可能だという。
(……おっ)
そうした事前の説明を踏まえたうえで、瞑想を続けることはや数ヶ月。先程は集中を乱されたが、今度こそようやく体の中を廻る『何か』を、捉えられた気がする。
(よしよし。あとはこの『何か』を──)
一箇所に……
身体の奥に……
腹の底に、掻き集める。
できるだけゆっくりと。着実に。
焦るな。集中しろ。徐々にでいいんだ。
とにかく『何か』から気を逸らすな。手を離すな。
「うむ、それでいい。あとはそれに、なんでもよいから自身の想像を付与せよ」
魔力に想像を付与。その言葉を聞いた瞬間、何故か真っ先に脳裏に浮かんだのは、轟々と燃え盛る真っ黒な『炎』だった。
全てを呑み込む破滅の炎。
全てを消し去る浄化の炎。
そんな相反する──しかし同一の存在が、俺の奥で産声をあげる。
「良し、あとはそれを外に押し出せ。放出する先は掌でなくとも構わぬ。とにかく魔力の流れを妨げるな。それがお主だけの『術式』だ」
流れを妨げず、流れるがままに、イメージを付与した魔力を外に押し出す。
(──今だ!)
カッと目を見開いて、俺は『それ』を外に押し出した。
すると『ゴオォォォ!』とイメージ通りに、
黒い炎が顕現する。
「おお、黒炎で御座るか、これは珍しい。やはりヒビキは特殊な術式持ちであったか」
おお、黒炎。
これって希少なのか。
まあ生まれた姿はこんなナリだが、素材そのものは教会が召喚した勇者たちと同じものを使用しているブタである。もしかすると通常のものではない、特殊な魔法回路が先天的に備わっている可能性があることは、前もって少女から聞いていたからな。そういう可能性は期待していたし、そのことは素直に嬉しい。
だけどね。
「ん、どうしたヒビキ。嬉しくないのか?」
ハガネが怪訝そうに問いかけてくる。
(いや、嬉しい。嬉しいっちゃ嬉しいですよ、ハガネさん? でもね?)
前々から興味津々だった魔法をようやく成功させたこと。そして自分には、特殊な魔法が使えるらしいこと。このふたつは純粋に喜ぶべきことだと思う。だけどそれを差し引いても……
「ああ、そうか。それだとお主は『喋れない』ので御座るなあ」
そう。今の俺は喋れない。
なにせ俺が放つ黒い炎は……『豚鼻』から、噴き出していた。よって腹話術士ではないのだから、豚鼻から黒炎を吐き出しつつ喋るなんて器用な真似はできない。
「よし、止め。今度は氣の流れを堰き止めよ」
蛇口の元栓を捻る感覚で、外部へと放出していた魔力の流れを断ち切る。黒炎は無事に消滅して、俺は豚鼻からちょっと焦げ臭い空気を吸い込んだ。
「しかし初手でこれほど流暢に式を操るとは、ヒビキはよほどその術式と相性がいいか、式そのものの才能に秀でているのであろうな。いや、重畳重畳」
「ふん! ふん! 出ろ! ふん!」
「……ヒビキよ、何をしておるのだ?」
今の感覚を忘れないうちに今度は掌からカッチョよく炎を生じさせようと様々なポージングを試してみるが、どうにも体内魔力の流れが安定せず、ついにそれを成功させることは叶わなかった。
ちなみにもう一度鼻から炎を噴き出してみると、あっさり成功した。
「これが……俺だけの、『魔法』なのか……」
がっくりと項垂れる俺の頬を伝った『何か』はとてもしょっぱかった。
「……ヒビキくん……立派になって……」
風に乗って届いた少女の呟きが、
深々と胸を抉った。
お読みいただきありがとうございました。