【第08話】 筆記試験
【前回のあらすじ】
主人公にぼっち属性が付与。
受付時に割り振られた受験番号に習って、
俺は部屋でも最前列の机に着席していた。
だからこそ部屋に入ってきた彼女と……
バッチリと、目が合ってしまった。
「……えっ?」
「……フゴッ!?」
見覚えのある彼女の姿を目にして、まずは我が目を疑った。
しかし何度瞼を瞬かせても、その姿が消えはしない。
「……ん? え? え? ど、どうしたのですか、ネルト嬢?」
驚きのあまり硬直する彼女の背後では、見知らぬ賢鬼の青年が、困惑の表情を浮かべている。
(えーっと、この人って、たぶん今朝の黒鬼だよな……?)
あまりの偶然にこの時点では半信半疑であったが、もしそうであった場合、無視をすることは失礼なので俺は思い切ってこちらから声をかけることにする。
「……あの、えっと、今朝、から、ぶり、ですね」
たどたどしい俺の公共語に、彼女は微笑んでくれた。
「……うん、また逢えたね」
この時点で、やはり彼女が今朝の黒鬼と同一人物であることが確定する。
「え? え? うぇ? な、なんなんですかこの空気はいったい……?」
黒鬼の背後では俺たちの事情を知らないのであろう賢鬼が困惑を露わにしていたが、それを説明する前に、試験の開始時刻となってしまう。
「はい、それでは受験生の皆さんは席に着いてくださーい」
年配のギルド職員の仕切りによって、定刻通りに『筆記試験』は開始。
この世界ではいちおう植物繊維の紙は存在しているものの、高価な代物であり、このような場では基本的に羊皮紙などが用いられる。とはいえ羊皮紙も安くはないため、今回の試験では問題が記された羊皮紙と、回答用の木板が配られた。〇×方式の回答を木札に刻み、採点後は表面を削って再利用するのだろう。
試験の内容は、冒険者にとっての簡単な基礎知識や常識といったもの。
ちゃんと勉強しておけば、それほど難しいものではない。むしろ公共語に馴染み切っていない俺などは、問題の内容よりも、問題そのものを間違わないように読み取ることに神経を使わされるほどだ。修行の合間、森で教えを請うた冒険者たちの面目にかけても、ここでの失点は回避したい。
だというのに……
(……くぅ! 集中だ! 集中するんだ、俺!)
少しでも試験に集中したい俺を邪魔してくる、
二組の視線。
片方はギルド職員。
先ほどの、受付嬢姿の黒鬼である。
ギルド職員は他にも数名いて、彼らは試験に挑んでいる受験生たちのあいだを、不正や不備がないかどうか確認しながら巡回している。
「……」(じー)
だというのにこの黒鬼の女性ときたら、なぜか俺の傍から離れない。申し訳程度に移動しても、すぐに戻ってきてしまう。ほとんどマンツーマン状態だ。視線が辛い。
(……俺って、そんなに要注意人物に見えるのかなぁ)
たしかに豚鬼は、ただでさえ見た目がアレなのに、彼女にはまだ今朝の誤解も解いていないときている。となれば、彼女にとって俺は十分に要注意人物たり得る、か。では仕方がない。彼女のことは諦めようと、こちらはまだ納得できるのだが……
「……ッ(ギリギリギリギリ)」
部屋の後方。
壁際に、無言で並ぶ冒険者たち。
そのうちのひとりから発せられる、この憎しみすら混じった視線はいったいどういう理由によるものなのだろうか。
(たしかあの人は、さっき彼女と一緒にいた賢鬼……ッ!?)
そこでふと閃く。
もしかすると彼女と彼は『そういった関係』なのではないだろうか。
(だとすると、今の状況にも納得がいく)
基本的にこの試験に関わる冒険者たちは、戦闘力を持たない職員たちを、不測の事態から守ための保険、あるいは抑止力だと聞いている。
となれば当然、要注意人物を監視する職員はその警護対象であり、それが自分にとって大事な人物であるならば、感情的になってしまうのが人情というものだ。
(違うんですよー。俺はあなたの彼女に、危害を加えたりはしませんよー)
よって恐縮することしきりな豚は、至近距離から感じる彼女の視線を努めて無視する。無駄に鋭利な嗅覚が拾う、甘い香りも意識的に遮断。彼女が動くたびにゆさゆさと揺れる質量の存在だって、わずかたりとも視界に入れたりはしない。
(集中だ、俺。集中しろ……ッ!)
こうして俺は筆記試験に、想定以上の体力と神経を消耗させられたのであった。
◆
以上が、この日に起きた三つ目の『想定外』。
しかし悪戯の女神さまは、どこまでも俺に容赦がなくて……
「……え? いま、何と、言いましたか?」
「だからヒビキさんに、私のアプローチを受けていただきたいのですよ」
四つ目の『想定外』は、昼食後に彼女のほうからやってきた。
「あの、えっと、あなたは……」
「ネルト、と申します。御覧の通り、新米ですがこの〈帝国の鬼火〉の受付嬢をしております。どうぞ気軽にネルトとお呼びください」
そんなことを言って黒鬼の女性――ネルトは、俺に身を寄せてくる。場所はギルド内の廊下だが、周囲に人はいない。ちょうど昼食を終えた俺が、午後の実技試験を受けるため、仲間たちと別行動をとった瞬間を狙ったかのような邂逅であった。否、事実狙っていたのであろう。それを証明するかのように、ギルドの内部を勝手知ったる彼女は、混乱する俺を、無人の空き部屋へと誘導した。
「……あーっと、ネルト、さん」
「はい」
図らずも二人きりとなった、ギルド内の一室。
対面する彼女に、まずは俺が口火を切った。
「申し訳ありません、が、俺、すでに、妻、います」
「存じております。ヒビキさんは、今回の試験に参加している女蛮鬼の種婿なのですよね」
「どうして、それを?」
「えへ。申し訳ありません、職権を乱用してしまいました」
そう言って彼女は、その豊満な胸元を隠すように抱いていた書類を掲げて見せた。なるほど。たしかにギルドの受験を受ける際、個人情報を記した書類には、そういった事柄も記載されている。
「では、なぜ……?」
「……? なぜ、とはいったい?」
「いえ、その、わたし、妻がいて……」
「べつに、問題なくないですか? 大事なのは順番よりも、愛情と産んだ子供の数ですよね?」
ネルトの答えに、俺は自分とこの世界の価値観の相違を強く思い知る。
(……ああ、アレか。この人も、一夫多妻に抵抗がない人か)
ある程度は文明化が進んでいるとはいえ、魔人や魔獣という不確定な脅威が日常に存在し、それを受け入れて生活をする必要がある以上、多産多死がやむを得ないという風潮は、いまだ根強くこの世界には根付いている。
それゆえに、優秀な雄に牝は群がる。地位や身分、資産や血統などの、一定の条件が整うのであれば、いわゆるハーレムに自分が組み込まれることに、この世界の住人たちはあまり抵抗がないのである。
だとしても……
「……申し訳、ありません、が――」
俺には俺の、矜持がある。
少なくとも自分に好意を持ってくれる女性に、手当たり次第に手を出すような無責任種撒き野郎にはなりたくないのだ。
「――あ、待ってください待ってください! 少し、私の話を聞いてください!」
そのことを伝えるより先に、
慌てたネルトが提案を切り出してきた。
「少し、話を急かし過ぎましたね。申し訳ありません。正確にはヒビキさんには、私のアプローチを受ける『フリ』をしていただきたいのです」
「……はぁ?」
それはまたいったい、どういう了見なのだろうか。
ひとまず話を聞く姿勢になった豚に、ネルトは続ける。
「じつはオネーサン、少々、異性関係に困っておりまして……」
その後の彼女の話を要約すると、ネルトは今、交際を望まぬ男性からのアプローチに迷惑している。ならばさっさとお断りを入れればいいのではないかといえば、話はそう簡単なものでもない。
「……その相手が、将来有望な、冒険者?」
「はい。そしてどのギルドも優秀な人材は、手放したくないものなのです」
ネルトとしても、その冒険者の自分に対するアプローチはともかくとして、実績や才能などは高く評価している。そんな人材を、ともすれば自分が原因でギルドが手放してしまう状況になってしまうと考えると、職場ではまだ新参者である彼女としては、思い切った対応ができないのだという。
「……すいません。話していて、なんだか恥ずかしくなってきました。そうですよ、ね。こんなの、自己保身以外の何物でもないですよね。私って、とっても図々しくて厚かましい女ですよね?」
実際、その通りなのだろう。
自分のエゴで他人を利用しようとする姿勢は、決して褒められたものではない。
「……でも、俺、協力、します」
だけど、それの何が悪い。
彼女だって彼女の立場や想いがあるのだ。
手に馴染んだ職を惜しむのは、人として当たり前の感情だ。
(魚は、清いだけの水の中では生きていけない)
人間だって同じだ。こう言ってはなんだが、正論だけで生きていける人間など、俺にはそちらのほうが信じられない。
(そもそも俺だって、今の奥さんとはあんまり胸を張れた馴れ初めじゃないわけだしな)
だからまぁ――このくらいの手助けは、いいだろう。
「それに、俺、あなた、借り、あります。断ること、できない、違います、か?」
「えへへ。先に、言われてしまいましたね」
彼女には、今朝の一件で迷惑をかけてしまったという『借り』がある。それを返すための一芝居ということであれば、俺の中での天秤は釣り合うのだ。
「それで、俺は、いったい、どうすれば……」
◆
とまあそのような経緯が合って、
現在の『想定外』その四という状況に陥っているわけである。
(神様はいったい、俺にどれだけの試練を課せば気が済むんだ……)
まあ仮にこの世に『神様』がいたとして、そいつが性悪であることは、俺の今世が十分過ぎるほどに証明している。ゆえに賢い豚は意地悪な神様に助けなど求めず、前向きに現実に対処するのみ。
「……コロスコロスコロスコロスクソ豚野爆ゼロ……」
……なんて、格好つけている時期が愚かな豚にもありました。
(いや、ムリムリ。これはもう演技とかいう段階じゃないだろ!)
本能が警鐘を鳴らすレベルの背後からの殺意に、
冷や汗を禁じ得ない。
「……いや、ネルト、さん。これはやはり、煽り、過ぎ、では?」
「……いいんですよ。これぐらいやらないと、効果はありません!」
だというのに、小声で返答するネルトは少しも俺から距離を置こうとしない。むしろグイグイと、見せつけるように柔らかな身体を押し付けてくる。予め演技だとわかっていなければ、たいていの男性がコロリと陥落してしまうレベルの積極的なアプローチだ。
「あ~、オホン。ね、ネルトくん? さすがにちょっと、そういう態度は、試験官としてどうかと思わないかね……?」
そんな部下の態度を見かねて、
とうとう上司らしい中年の緑鬼が注意を促す。
「いえ、まったく思いませんねローグ主任。私はあくまで、街に不慣れな受験生を、確実に目的地まで案内しているだけです」
「いや、だとしてもねぇ、ほら、あんまり距離が近すぎると、あらぬ誤解を招くというか……お互い適切な距離を、保ったほうがいいというか……」
「なるほど、『適切な距離』ですか。ごもっともな意見ですね。是非参考にさせていただきたいと思います」
何かを非難するようなネルトの言葉に、ローグと呼ばれた禿頭の緑鬼は困り顔で黙り込んでしまう。なんだろう、自身にも思い当たる節があるのだろうか。彼の視線がチラチラと、俺の背後に注がれている気がする。
「ふんっ。行きましょう、ヒビキさん」
とにかくこの場でもっとも発言力がある上司が黙認したことで、同僚も表立って彼女の行動を咎められる者はいなくなった。
「お、見ろよモリィの野郎、顔色がまた変わったぞ」「ありゃいったい何色なんだ?」「無茶しやがって……」
「ネルト、グイグイ行くわね」「鬼人女子の鏡だわ」「愛は戦いよ! 頑張って!」
「俺、受付嬢のお姉さんって、ちょっと憧れてたんだけどな……」「めえぇぇ……退屈ですよぉ……」「ねえねえ、あれって絶対痴情のもつれだよね!」「拒絶。我ニハ関係ナイ」
同行する他のギルド職員や冒険者、受験生たちも、この奇妙な関係を察しているのか、誰も触れてこようとはしない。皆それぞれ好奇、興味、無関心の態度で、俺たちから距離をとっている。
孤立無援。
四面楚歌。
(ああ、はやく森に帰りたい……)
想定外続きの豚の心労は、まだまだ終わりそうにない。
ようやく時系列が進みました。
次回、ようやく実技試験。様々な鬼たちの思惑が絡む試験を、果たして主人公は無事クリアできるのか!?
そして今回の一番の被害者は、間違いなく管理職の緑鬼さんです(合掌)。
それではお読みいただき、ありがとうございました。
m(__)m




