【第07話】 登録試験
【前回のあらすじ】
緊張のあまり部屋と厠を何度も往復し、人見知りのため気軽に他人と会話も交わせず、ストレスのあまりガタガタと机を震わせる可哀想な大男くん。
(くそっ、なんだか今日は、とことん想定外のことが続く日だな)
そんなことを考えながら、俺は街中を移動する。目指すは冒険者ギルド〈帝国の鬼火〉がこの黒壁都市に所有する訓練場のひとつであり、ギルドの登録試験を受けに来た俺たちはこれから、そこで『実技試験』を受ける予定となっている。
(とにかく次こそ、試験に集中しないと!)
とある理由もあって、午前中に行われた『筆記試験』で、俺は満足のいく結果を出せたとは言えなかった。このままではマリーや仲間たちはもちろんのこと、女蛮鬼の集落にいたころから教えを乞うてきた、冒険者の先輩方にも面目が立たない。
(集中だ、俺! 気を引き締めろ!)
だというのに……
「へぇ。ではヒビキさんは、病気のお母さんを治すために、冒険者になりたいんですね」
「まあ、そうです、ね」
「素晴らしいと思います! そのような立派な目標を持つヒビキさんなら、必ず優秀な冒険者になれますよ!」
「はぁ……それは、どうも、です」
だというのに俺は、どうにも集中できない状態が続いていた。原因は先ほどから、俺にずっと話しかけてくる、黒鬼の女性である。
「えっと……ネルト、さん」
「ん? なんですか、ヒビキさん」
戸惑いがちに声をかけると、黒鬼の女性――ネルトは嬉しそうに小首を傾げる。その際にギルド受付嬢の制服から豊かな谷間が晒されて、俺は慌てて目を逸らした。
(ったく、無防備過ぎるだろ)
とはいえそれを直接指摘できるほど、俺と彼女は気の置けない間柄ではない。
それもそのはず。なにせ俺と彼女はつい数時間前に出会ったばかりであり、そのうえ今は冒険者ギルドの受験生と職員。言うなれば試験を受ける側と採点する側の関係だ。普通に考えれば、こうして会話を行うことがむしろ躊躇われる立場である。
「ん? ん? なんですか? あ、もしかして今、わたしに彼氏がいるかどうかですか? それはご心配なく、わたし、絶賛彼氏募集中なので!」
バキィと、何かを背後で噛み砕く音が聴こえた。
「それよりもヒビキさんは、年上のオネーサンってどうですか? わたし、こう見えても尽くす系なのですが! 料理とかお裁縫とか得意です!」
ミシミシミシと、何かを食い縛る音が聴こえる。
「それに……パートナーが望むのであれば、夜のほうだって……」
ギリギリギリィと、確実に人体から鳴ってはいけない音が聴こえてくる。
(もう限界だろ!)
背後の殺意に委縮する豚は、慌ててネルトに顔を寄せて小声で話しかける。
「……ネルトさん、もう、十分です! 煽り過ぎ、です!」
「……いいえ、まだ不十分です!」
そう言ってネルトは「えいやっ」と、
腕に抱き着いてきた。
「うへへへへ~」
何が嬉しいのかだらしなく相好を崩し、体重を預けてくる年上の受付嬢。そんな彼女の体温やら香りやらが五感を直撃するが、それを楽しむ余裕など微塵もない。
「……コロスコロスコロスコロス……」
背後からの突き刺すような、凍てつく殺意が込められた視線と呪詛。
「はぁ……この時間が、ずっと続けばいいのに……」
そんな『彼』を無視して、さらに燃料を投下するネルト。
(いったいなんで、こんなことに……?)
巻き込まれた俺は天を仰ぐが、当然ながら答えは無い。
(これもやっぱり俺の、自業自得ってことになるのかなぁ……)
ことの発端は、今朝がたにまで遡る。
◆
本日の早朝。プレト大森林を出立して数日前にこの黒壁都市に到着した俺たちは、冒険者たちが利用するという宿を拠点として、本日の登録試験に備えていた。しかし当日の朝になって急に不安が込み上げてきたナイーブな豚は、まだ日も昇りきっていない時間帯に、心地よい寝床を抜け出そうとする。
「……ん。婿殿、出かけるのか?」
「ああ、起こし、ましたか。まだ、寝ていて、問題、ないです」
「……いや、オレも行く」
「大丈夫。寝ていて、ください」
「……いやだ、オレも行くぅ」
「大丈夫、ですから。少し、ひとりで、歩きたい、気分、です」
「……いやだやだぁ。オレも行くぅ。婿殿と一緒がいいぃ~」
ちなみに寝床を抜け出す際に、同衾者とそんな遣り取りがあったことは、彼女の尊厳を守るために身内には内緒である。寝ぼけていたのか少し幼児退行していた女蛮鬼にすぐ戻ってくることと、土産を買って帰ることを約束することで、ようやく俺はこの黒壁都市に到着してから久々となる一人きりの時間を確保することができた。
(というか、皆が過保護すぎるんだよな。俺が何をしようとしても率先して手伝おうとしてくるし、どこにでもついてきたがるし)
正直なところ、こんな豚野郎である俺に対して、向けられる彼らの好意そのものは純粋に嬉しい。
(でも俺だって、ひとりの人間。ひとりになりたいときもあるんだよなぁ……)
とくに試験前になってくると、神経質な気持ちが強くなる。そのための、こうしたひとりきりの外出であった。
(ああ、いいねいいね。気持ちが洗われるようだ)
チュンチュンと、朝日を浴びて囀る小鳥たちの声を聴きながら、気に向くまま、興味を惹かれるままに、プラプラと街を散策する。
肌に感じる、遠ざかっていく夜の冷気。
反比例して、徐々に高まる陽の温もり。
数日間を過ごしたとはいえ、まだまだ見慣れない街。見慣れない人々の姿である。その光景は俺の心をリフレッシュするのに、大いに役立ってくれた。自然と俺の足は活気のある方向へと向き、気が付けば、近隣の住人達に『朝市』と呼ばれている広場に辿り着いていた。
(……ん?)
そこで――ふと、目撃してしまったのだ。
何やら手提げ籠の中身を確認しながら歩く、黒鬼らしき女性と、その上空。空を舞う小鳥たちが大地に零した、生命の証である茶褐色の涙滴を。
(ヤバい、直撃コースじゃないか!)
いくら詩的な表現をしても、ウ〇コはウ〇コ。
朝から浴びるシャワーにしては、少々ハード過ぎるだろう。
(クッ、仕方ないか!)
俺は身体強化魔法を発動して、駆け出していた。目標までの距離は数メートル。幸いにして、彼我の距離を遮る人混みはない。俺ならば早急に目標を確保して、頭上からの脅威から救出することが可能なはずだ。
「……危ない!」
事実俺は、頭上からの落下物が被弾する前に、背後から危険を促しつつ、彼女の身体を引っ張ることでそれの回避に成功した。
「ブギッ!?」
だから想定外だったのは――その後。
対象の身体を引っ張り寄せた直後に、
マヌケな豚は盛大に短足を滑らせた。
原因は、路上に放置された何かの『残飯』である。
(なんでこんなところに生ゴミ捨ててんだよぉおおおおおっ!)
そういえばたしかにマナーの悪い住人が買い食いしたゴミを路上に捨てる光景を見たな、などと刹那のうちに思い出すが、だからといって豚が足を滑らせた事実は変わらない。
せめてズッコケたのが俺ひとりであるならば、ここからでも姿勢を制御して、受け身をとることは可能だったろう。だがこのときの俺の片手は名も知らぬ女性の肩を掴んでおり、彼女もまた引っ張られるようにして態勢を崩していた。この状況に反応する様子が一切ないことから、彼女はおそらく一般人。このままだと間違いなく、地面に不用意な体勢で激突してしまう。俺の所為で。
(させるかぁああああああっ!)
ほとんど意地で、俺は彼女を空中で抱き寄せた。
結果、なんとか彼女を庇う姿勢の受け身をとるに成功する。
(……ふぅ。さすが俺、やればできる子じゃないか)
ちなみに首の裏側に感じる空からの贈り物は、
もう仕方のないものとして諦めた。
ほんのりと温かい。
(……ん?)
そこで俺は、ようやく下からの視線に気づく。発生源は、ぼんやりと輝く黄金の瞳。こちらを見上げる女性の顔は、いまだに自分の身に何が起きたのか理解していない。
(うぅ……これって、かなりマズい状況じゃないのか……?)
ムクムクと、不安が湧き上がってくる。
なにせこちらにも言い分があるとはいえ、結果だけを見れば、俺は突如として彼女を背後から地面に押し倒した不審者。しかも相手は異性。そのうえこうして見れば、顔だちは整っていて、抱き締める身体は柔らかく、胸元に感じる膨らみの感触はかなり大きい。年齢は少し年上だろうか。なんにせよ、非常に魅力的な若い女性である。
(だからこそ、この状況はマズい! はやく、何か声をかけないと!)
なにせ俺は、性欲の権化と名高い豚鬼。いかにその有り余る性欲が献身的な妻によって解消されているとはいえ、他人がそれを信じてくれるとは限らない。
「ダ、大丈夫、ですか?」
「え? あ、はい」
怪しさ爆発な豚野郎の問いかけに、彼女は混乱しつつも答えてくれた。
悲鳴が第一声でなかったことが素直に喜ばしい。
そして、きっと賢い女性なのだろう。黄金の瞳には、じわじわと理解の色が広がっていた。そこに今のところ、俺に対する嫌悪や敵意のようなものは見受けられない。
(よかった。この人なら、誤解なく俺の話を聞いてくれそうだ)
豚の胸に希望の灯が宿る。
「いやぁああああ!」「痴漢よぉおおおおお!」「誰かぁあああああ!」
「ブギッ!?」
直後にそれは、絶望に塗り潰された。
(しまった! 周りの目を忘れていた!)
なにせここは、人で賑わう朝市のド真ん中である。
この光景を目にしているのは当事者だけでなく、そして彼らが一般人であるなら、それはごく普通の反応だ。
「いや、違いま――」
「なんだって!?」「おいおい、こんな朝っぱら豚野郎が女を押し倒しているぞ!」「なに、強姦魔だって!?」「女の敵だなっ!」「ユルセナイッ!」「離れろ、この性欲鬼っ!」「これだから豚鬼ってヤツは!」「死ねクズっ!」
「……ぷぎぃ」
当たり前のように豚の飛沫のごとき弁明は、押し寄せる圧倒的な波頭に呑み込まれてしまった。こうなってしまえばもう、スムーズな事態の解決は不可能。そして最悪なのは不審な豚がこのまま彼らに捕まり、時間を無駄に浪費して、このあとの『登録試験』に間に合わなくなってしまうことだ。
(……ならば、とるべき道はひとつ)
俺は何か言葉を発しようとした女性に対して首を横に振り、小さく頭を下げた。
「……迷惑、かけて、ごめん、なさい」
言葉足らずな謝罪に困惑しているのだろう。身構えるようにギュッと胸元に手を持っていく女性をその場に残して、俺は立ち上がり、そのまま駆け出した。
「おい、豚野郎が逃げたぞ!」「追え追え!」「絶対逃がすな!」
義憤に燃える、善良な市民たちが追いかけてくる。
「ブギぃいいいいいいっ!」
そんな彼らに決して危害を与えぬよう、目元を涙で滲ませた豚鬼は、朝市の人混みをすり抜けていくのであった。
◆
とまあそんな朝の出来事が、ひとつめの『想定外』。
ちなみにあのあと、宿に戻った俺は土産を忘れていたことを妻に「……嘘つき」と罵られ、さらに事情を説明したところ隷妹たちに「なんて見事なラッキースケベですピョン!」「これだから旦那様は、ひとりにさせられないのであります!」とさらに激しく説教された。普段は数少ない俺の擁護者である弟分が、試験に対する緊張のあまり厠の住人になっていたことも豚にとっては逆風だ。
そしてふたつの『想定外』は……
試験を受けるため、冒険者ギルドに到着してからのこと。
「……はい。そのような理由のため、登録番号五十一番の方からは、別室で試験を受けていただくことになります」
ギルドに到着し、事前に受験登録をしていた俺たちは、受付嬢に試験部屋へと案内される(ちなみにこのときの受付嬢はネルトではなかった)。その道中に受付嬢から説明されたのは、今回の試験は希望者が多かったため試験場所を分割するというもの。
「おいタウロ、お前は何番だ?」
「よ、四十七番です、オビィ様」
「そして姉さまが四十八番、シュレイが四十九で、ミミルが五十でありますね」
「と、いうことはですピョン……」
みんなの憐憫の視線が突き刺さる。
「まあ、仕方ない、ですね」
そのような経緯で、俺だけ別組で試験を受けることとなった。
これが二つ目の『想定外』。
さらに三つ目は……
「……えっ?」
「……フゴッ!?」
それから数時間後。
筆記試験が始まる直前。
案内された部屋で果たされた、
思わぬ再会である。
主人公サイドでの回想。
すれ違う思惑と、深まる誤解。
はたして主人公は、無事試験を終えることができるのか……?
あと補足ですが、たびたび物語に出てくる『イケメン』や『ラッキースケベ』という世界観に相応しくない単語はだいたい過去の転生者たちが広めた文化となっております。
ではお読みいただき、ありがとうございました。
m(__)m




