【第19話】 敗北
【前回のあらすじ】
主人「人が寝ているあいだにそういうのって、どうかと思う……」
隷妹「ななな、なんのことでありますか!?」
「あははははっ! あはっ、あぅあぁ!」
「……クッ!」
断続的に鳴り響く地鳴りが、いよいよ大きくなってきた。いったいあとどれほどこの地下空洞が保つのかはわからないが、ひとつ確かなことは、それよりも早く『この戦い』には決着がつくということだ。
(アブラヒム……っ!)
当初は血剣士【アブラヒム】が優位を保ったうえで始まった魔人との戦闘。しかし時間を重ねるごとに彼我の戦力差は覆り、今では完全に逆転。宙を舞っていた片手剣はすでに砕かれ、両手に握る片手剣も悲鳴を上げている。
深紅の鎧を破壊され、剥ぎ取られて、全身から血を流すアブラヒムが、魔人の猛攻を凌ぐという一方的な展開だ。
(まだか、まだなのか……!?)
ここで俺が加勢すれば、戦況は一時的にでも持ち直すだろう。だが、今はその時ではない。何故なら俺の信じた戦鬼の瞳は、まだ輝きを失っていないからだ。
(それに俺がこの場にいるだけでも、ヤツの牽制にはなっているはずだ)
一見して手負いの獲物を甚振ることを愉しんでいる様子の魔人だが、けれどその注意は俺にも向けられている。取るに足らない援護かもしれないが、無いよりはマシだ。そしてアブラヒムならば、そこから逆転の目を引き寄せてくれるはず。
「……ッ!」
だがそうした俺の期待を、またしても性悪な運命様は裏切りやがった。防戦の最中、不運にもアブラヒムは足元に転がる魔獣の死骸に躓いて、態勢を崩してしまう。
「あはぁ!」
その隙を見逃してくれる魔人ではない。甲殻魔法によって鋭利なナイフとかした指の五爪と、重力魔法による常軌を逸した剛力が、無防備なアブラヒムの胸部を襲う。
──ブシュゥウウウウッ!
鮮血が、舞った。
斬り裂かれた胴体から大量の血液が噴出して、
魔人を濡らしていく。
「アブラヒム!」
だが直後に違和感。そして閃き。理解する。
(そうかこれが、お前の『奥の手』なんだな!?)
魔人も遅れてそれに気が付いたようだ。
「……あぁ? あぅあーぁ?」
「か、かかったなァ!」
アブラヒムの身体から噴き出し、魔人に降り注ぐ鮮血の量があきらかに『多過ぎ』る。となるとそれは通常のものではなく、吸血鬼である血剣士が体内で造血したものを『あえて』浴びせているということ。
つまり……
「……〈操血束縛/ブラッドバインド〉!」
魔人はもう、逃れられない。
血液を支配するヴァンパイアの操血魔法によって、魔人を彩る紅が凝固。硬化。ほんの数秒とはいえ、重力魔法を用いた怪力でも脱出不可能な血鎖となる。
「今だァ!」
ゆっくりと傾斜していくアブラヒムが叫ぶよりも先に、俺は動き始めている。戦友が文字通り『命懸け』で作り出してくれた好機だ。これを逃すことなど許されない。
(俺もこの一瞬に、全力を賭ける!)
体内で練り上げていた魔力を解放。
魔法回路に注ぎ込む。
「〈戦鬼闘氣/オーガンオーラ〉……」
発現するのは鬼人種特有の種族魔法。
とはいえ肉体強化に特化した種族である豚鬼の俺にとってそれは『習得可能ではあるものの適正は低い』魔法であり、正直使い勝手はあまり良くない。発動時間や効果に対して、魔力消費がすこぶる悪いのだ。ゆえに鬼教官から伝授してもらったものの、ここまで出し渋っていた。
例えるなら一割の身体能力を向上させるのに百の魔力がいる。
しかし〈破撃/インパクト〉なら瞬間的に十の魔力で三割増しの威力を叩き出せる、といった具合だ。
ならば通常時の戦闘において、燃費の悪い前者よりも、使い勝手のいい後者に比重を置くことは仕方のないことだろう。
だがそこは、前世から『モッタイナイ』を伝承している俺である。せっかく苦労して習得した魔法なのだから、なんとか上手く利用できないものかと考えた。
そうした試行錯誤のなかで発見したのが、
ひとつの可能性。
当初の『消費魔力を抑える』という目論見とは真逆であるのだが、実験中に俺は、この魔法は『消費魔力を増やす』ことで一時的に『肉体の限界を突破する』ことがこと可能だと気付いたのだ。
先ほどの例を用いるなら、
千の魔力を用いて百割の身体能力向上を図るという計算だ。
非常に頭の悪い計算であり、
事実これは自爆に等しい行為である。
仮に一時的に能力の上限突破に成功しても、今の俺の魔力量ではもって三秒程度。それを過ぎれば反動で全身筋肉痛、どころか自分自身の力で骨を折ったり内臓を痛めたりと、もう散々な有様だ。
(だけど今回は一点突破、この瞬間だけでいい!)
後のことは考えない。
今に全てを費やす。
「……〈煌星/バースト〉ォおおおおおおっ!」
そして発動した〈戦鬼闘氣・煌星/オーガンオーラ・バースト〉は俺の肉体を光り輝く橙色の魔力で包み込み、重力という楔から解放した。知覚神経も強化されているためスローモーションと化した視界の中で、魔人の驚愕の表情が迫る。
「ブギィイイイイイイイイ──」
咆哮。
一撃、二撃、三撃、四撃……
身動き取れない魔人に、
渾身の打撃を打ち込み続ける。
「──イイイイイイイイイ──」
十撃、二十撃、三十撃……
「──イイイイイイイイイイ──」
四十撃、五十撃、六十撃……
「──イイイイイイイイイイ──」
七十撃、八十撃、九十撃……
「──イイイイイイイイイイッ!」
……百撃ッ!
「ぶばぁッ!」
およそ三秒にも満たないあいだに百の拳を叩き込まれた魔人は、血の拘束鎖が砕けると同時に後方に大きく吹き飛んでいった。魔人はそのまま岩壁に激突。半ば壁に埋まり、動き出す気配はない。
(……やったか!?)
確信するには十分な手応え。なにせ一撃一撃が余さず全力。そのうえ〈破撃/インパクト〉の衝撃まで加算した、必殺の連撃だ。あえて名をつけるとすれば〈暴嵐破撃/ゲイルインパクト〉といったところだろうか。
「ブハー、ブハー、ブハー……」
当然、そのような無茶な挙動を強いた肉体への反動は酷い。息は乱れ、血は滾り、全身が燃えるように熱い。大量の汗が噴出。立ちくらみを覚えて崩れかかるが、それを横から支えてくれる腕があった。
「おっとォ、フラフラじゃねェかァヒビキィ。無茶しすぎだァ」
「スイマ、セン……」
「ひゃははっ! それいしてもスッゲェ威力だなァオィ! 惚れ直しちまうぜェコンチクショウ!」
「……ソレハ、コチラ、台詞、デス」
「ひゃはぁ! だったら俺様たちは両想いだなァ! いっそ式でも挙げちまうかァ!? そしたらあのビッチとデコ助が悔しがるぜェ!? ひゃははははっ!」
「……?」
戦闘のためハイテンションになっているのか、よくわからないことを言って爆笑するアブラヒム。いちおう止血している様子とはいえ、胸元からはまだジワジワと血が滲んでいるのだが、本人は痛くないのだろうか。
「あー、ンじゃまァ俺様たちもとっととトンズラこくかァ。魔人を回収できないのは残念だが、命には代えらンねェ」
「ハイ」
俺もアブラヒムも、互いに肩を支え合ってようやく立っている有様だ。とうとう本格的な崩落の始まった地下空洞から、余計な荷物を担いで脱出する体力など残されてはいない。
(もしかするとあとで、発掘隊が掘り出してくれるかもしれないしな)
気持ちを切り替え、俺たちは地下空洞の出口へと向かい……
…… キィイイイイイインッ ……
そして性悪で意地悪な運命様は、
最後の最後まで俺を見逃してはくれないらしい。
「……ッ!?」
大量の魔力が収斂していく気配。
発生源を探ればそれは今まさに朽ちようとしている魔生樹であり、その幹に埋まる魔晶核が、最期の灯とばかりに激しく煌めいているのだ。
結晶体より生じる膨大な魔力によって、
周囲には魔法陣が展開されている。
(あれは……転移座標!? まさかここに、誰かが『転移してくる』っていうのか!?)
数秒と経たずに、光は収束。
魔法陣から現れたのは暗黒の鎧を纏いし人型であり、その背中には漆黒の翼が、側頭部には曲角が、瞳には魔力が、額には水晶体とそれを囲う不思議な紋様が宿っていた。
(あれは、魔人!?)
ここにきて『第二の魔人』の出現である。
しかも新たな魔人は見た目も最初のそれより成熟しており、人族で例えるなら二十代後半から三十代前半といったところ。つまり……
(……強い!)
それも桁外れに。
「……」
瞠目する俺の視線の先で、魔人は無言。静謐とも呼べる佇まいでただそこに立っているだけだ。否、本当に周囲には静寂。気が付けば地下空洞の崩壊が止まっていた。これもアイツの仕業なのだろうか。
(だとしたら、なんていうバケモノだよ)
存在そのものが規格外。それを証明するかのように、魔人から滲み出る圧力はかつて目にした本気の師匠や、絶望そのものに感じられた勇者のそれに等しかった。本能が、大音量で警鐘を鳴らしている。鳥肌が止まらない。バクバクと心臓が痛いほどに高鳴っている。
「おィおィ、ジョーダンキツいぜェ、マジで……」
あのアブラヒムでさえ、
表情には今度こそ悲壮が浮かんでいた。
なまじ実力があるだけに、わかってしまうのだ。
彼我の実力差が。
あの魔人は、たとえ俺たちが万全の状態であっても太刀打ちできる相手ではないと。
「……先に行けェ」
それでも血剣士は、片手剣を握る。
「アブラヒム!」
「ヒビキィ、俺様は傭兵屋だァ、戦場で死ぬ覚悟はできてるゥ。でも、テメエは違うだろォ? 待ってるオフクロさんと、待たせてるヤツらがいるだろォ? だったらテメエは、生きなきゃダメだァ」
「だけど……ッ!?」
だが魔人にとって、そうした傭兵屋の決死の気概などなんの関心もない。
「……」
ふと気づけば、アブラヒムの背後にその姿があった。
魔人は無感情な瞳のまま、腕を掲げている。
「──クッ!」
俺の表情から察して、アブラヒムは咄嗟に片手剣を掲げて防御態勢をとったが……バキバキッ、メシィッ!
魔人の裏拳は刃の防御を容易に粉砕。
肉を潰し骨を砕いて、血剣士を十数メートルほど吹き飛ばす。
「アブラヒム……ッ!?」
堪らず駆け寄ろうとした俺だが、
魔人の視線がそれを許さない。
「……」
底なし沼のような暗く深い闇墨色の瞳。
そこに同情はなく、共感はない。
ただ失望と嫌悪がある。
「……『こんなもの』か」
「っ!?」
「いかに未成熟とはいえ、『こんなもの』に不覚をとるとは情けない」
幸か不幸か、両耳の翻訳魔道具は魔人に対しても有効らしい。薄氷と錯覚するほどに冷たい言葉を脳に刺し込まれて、俺が覚えたのは怒り。
「なん、だと……!?」
一瞬で思考が沸騰し、拳を強く握りしめる。
「貴様、訂正しろ──」
直後に視界が急加速。
魔人の姿が消失した。
(──ッ!!?)
目まぐるしく変化する視界。全身を包む浮遊感。吐き気。それらの理由は俺が『宙高くを舞っていた』からであり、原因が魔人から『何らかの攻撃を受けたため』だと気付くのは、俺が地上に墜落して盛大に胃の中のものを吐き出したあとだった。
「おぉえぇぇ……ぜはぁ、ぜはぁ……ッ!?」
今度は意識が途切れた。
気付いた時には俺の身体はまたしても宙を舞っており、着地と同時に激痛。全身が思い出した痛みによって、情けない声を漏らしてしまう。
(な、なんだ……俺はいま、何をされているんだ……!?)
まったく見えなかった。
予兆さえ感じ取れなかった。
気が付いたら始まって、終わっていた。
(なんなんだ……なんだんだアレは!?)
想定外すぎる存在に理解が追い付かない。
ただそこにある現実が、格差が、絶望が、
ジワジワと心を締め付ける。
(勝てない……っ!)
数秒前まで湧いていた怒りも、勇気も、気概さえも、あまりに容易く塗り潰してしまう魔人の力量。恐怖。人類にとっての厄災の意味。それが骨の髄まで理解させられてしまった。
「ぶひーっ、ぶひーっ」
もはや呼吸を取り繕うこともできず、恐怖から、立ち上がることさえできない。ガタガタと身体は情けなく震え、生温かい体液が地面を濡らしている。
「惨めなものだな」
そして気が付けば……死が、目の前にいた。
「死ね、虫ケラ」
無関心な瞳のまま、無感情に呟いて、魔人は天井を仰ぎ見る俺の頭上に足を掲げる。
迫る靴裏。
逃れられない結末。
最期に脳裏に浮かんだのは、いったい誰の顔だったのか……
……ズドンッ!
そして俺の意識は、暗転した。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回の更新は短いため、本日19時の予定です。
m(__)m




