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ブギーテイル ~異世界豚鬼英雄譚~  作者: 陽海
第一章 豚鬼転生編
3/83

【第02話】 転生 

【前回のあらすじ】


・ベイビーだからセーフ。



 そうして『こちらの世界』での記憶が始まって、およそ三ヶ月ほどが経過しただろうか。正直そのころの俺は、常に夢の中にいるような、意識はあるもの自我が希薄で、時間の感覚などまるで持ち合わせていなかった。よって後に得た情報などから、だいたいそれくらいの期間だろうと推測する。


 というわけで、俺が赤ん坊として『こちらの世界』に転生してからだいたい三ヶ月後……ようやく俺は、本格的に『目を覚ました』のだった。


「……あぅ」


 ぶふーっと大きな鼻息を吐き出しながら、

 初めての『声』を絞り出す。


 声帯がまだ安定していないため、意図したものとは違う。それでも今までのような自然現象ではなく、俺という自我が発信した『意識』が、外部に向かって放たれたのだ。


「……おや?」


 そのことにすぐ気がついたのは、思い返すことこの三ヶ月間、可能な限り片時とも俺を手放そうとしなかった『ママ』を自称する純白の少女――マリアンである。俺は彼女に向かって手を伸ばし、声を搾り出した。


「……あぃ……あん……あぃあん」


 だが声帯が安定していないためか呂律が回らず、上手く発声ができない。意味不明な喃語のブツ切りになってしまう。クソ、もどかしいな。


「あいぃ……あぃ、あん……」


 だからなんだよ、アイアンって。

 俺が言いたいのは『マリアン』だよ。


「あひぁん……まぁひあん……」

「おや? おやおやおや?」


 そのような、赤子にはありがちな意味不明な行動であるが、それでも少女は違和感を抱いてくれたようだ。きょとんと小首を傾げて、顔を近づけてくる。そうすると自然、今日も少女に『抱かれていた』俺は、むにむに。ふわふわと、少女の柔らかい感触を感じてしまう。甘い香り。心地よい温もり。楽園への誘い。このまま本能に身を任せて、まぶたを閉じてしまいたくなる。


(……っ! だ、ダメだ!)


 誘惑に負けるな。

 意識を強く持て。


「みゃいあん……まはぃあん……」

「……」

「まぁひあん……まはぁひはん……」

「ま、まさか……」


 言葉とも呼べない喃語を繰り返す赤子を、

 少女はじっと見つめている。


 大きな紅玉ルビーの瞳には、関心と興味。

 期待と不安。


 練達の研究者が成果を確認する真摯さを、

 年端もいかない少女の表情から感じ取った。


 なぜこのような幼い少女が、俺にこんな視線を向けるのかは不可解だが……とにかく今は、少女がこちらに興味を持っていることが重要だ。速やかに事を成さなければならない。


「はひはん……ひゃひはん……」


 一体何度、失敗を繰り返しただろうか。けれど諦めず試行錯誤(トライ&エラー)を続けるうちに、徐々にコツが掴めてきた。頑張れ、俺。ビリーブ、マイセルフだ。諦めなければ夢は叶う。そんな努力の甲斐あって、ゆうに百は超えた試みはとうとう……


「まはひはん……まぁりぃ、あん」


 不細工ながらも、いちおうの形を成した。


「みゃぁああああああああ!」


 瞬間、少女は感情を爆発させた。


「そ、そうです! マリアンです! ママの名前はマリアンですよ!」


 そしてスリスリスリ~っと残像が見えるほど高速で、頬を摺り合わせてくる。


(痛い痛い! そして熱いよ!)


 でもちょっとだけ気持ちいいと思ってしまったのは、ここだけの話だ。


「偉い偉い、とっても偉いですね! ママの子は天才さんです!」


 きゃっふーっと嬌声を漏らしながら俺を抱き上げて、少女はその場でクルクルと回り始める。可憐な少女が赤ん坊を抱きあげて舞う光景は、傍から見れば微笑ましさすら覚えるワンシーンだろう。けれど無抵抗なまま振り回される本人としては、ただひたすらに気持ち悪い。


(おぶぇええええええっ!)


 遠心力にシェイクされて吐きそうだ。

 やばいやばい。コレやばい。

 っていうか……


「……あっ」


 そこで浮かれきっていた少女も、俺の異変に気づいたようだ。


 ちょろちょろと両手を伝う生温かい液体に、表情を曇らせる。


「……あぅ」


 きっと俺は死んだ魚のような目をしていたことだろう。


(ああ、そうだよ。漏らたよ。何か文句ある?)


 少女の瞳が『キラーン☆』と輝いた。


「まあ、まあまあまあ大変です粗相ですこれはママのせいですね申し訳ありません! 少々お待ちを! すぐキレイキレイしてあげますからね!」

「ぷぎゃぁあああああああ!(いやぁああああああああ!)」


 そしてこちらの世界で自我を取り戻した俺は、さっそく少女にキレイキレイされた。このときほど、『悶死』という言葉を強く意識したことはない。


        ◇◆◇◆◇◆


 ああ、そうだな。このときの俺の状況を例えるなら……焦点ピントが合ったという表現が、適切だろうか。離れていたふたつのものが、一点で重なり、交じり合って、癒着する感覚。


 それまで自我が希薄だった肉体──『器』に、

 漂っていた精神──『魂』が定着したのだと、

 のちに少女は説明している。


 つまりこのとき俺との『精神』=『存在』は、

 この『肉体』=『世界』に、固定されたのだ。


「ふむ、なるほど。するとこれでようやくこの御仁は、こちらの世界に十全なる『転生』を成されたという訳で御座るな」


 不本意な俺の粗相事件から、

 少し間を置いてからのことである。


 フラリと森から現れたオッサンは、俺のとる不自然な行動に対して、少女から受けた説明をそのように解釈していた。ちなみにオッサンの手には本日の昼飯と思わしき野鳥が握られており、今は焚き火の前に胡座をかいて、慣れた手つきで羽を毟っている最中だ。


 文明の気配が感じられない、鬱蒼とした森の中。


 食事の準備を続けるオッサンの対面に、焚き火を挟んで少女が座っていた。もちろん彼女の腕の中には、赤ん坊となった俺が収まっている。つい先ほど漏らしたばかりの汚物製造機であるが、彼女がそれを気にしている様子はまったく見られない。


「はい。そういえば他の『勇者』様たちも、魂の定着期間はその程度であったと聞き及んでおりましたし」


 周囲に人気はない。というかこれまでの記憶を遡って判断する限りでは、この二人は意図的に『人目を避けて』行動している気がするな。


「ふむ。教会の勇者で御座るか……」


 そして少女が『勇者』なる単語を漏らした瞬間……ざわり。


 獰猛な笑みを浮かべたオッサンから、

 凄まじい重圧が溢れ出した。


 バサバサと周囲の木々から野鳥が飛び出し、

 キリキリと空気が張り詰めていく。


(えっ? なに? いったい何が起こってるんだ!?)


 喉が異様に乾いて、手のひらがじっとりと湿っていく。


(これは……恐怖!?)


 ヤバい。また漏らしそうだ。


「……ハガネさん」

「おっと、これは失礼」


 しかし俺が本日二度目の粗相を実行する前に、少女がオッサンに呼びかける。咎めるような視線は冷徹にして怜悧。無情にして無慈悲。ふだん、俺に向けているそれとはまるで異なる。ここまで温度差のある視線を、同一人物が放っているとは、こうして目の前にしてもにわかには信じられなかった。


(それともこれが……この子の、本性なのか!?)


 ともあれ少女の剣呑な視線に気づいたオッサンは、苦笑を浮かべて肩を竦めると、物騒な気配を霧散させた。


「はは、心配は無用で御座るよマリアン殿。某それがしとて優先順位は弁えてそうろう。『今は』まだ、事を荒立てるような真似を致すつもりは、毛頭御座らん」

「……はぁ」


 イタズラが発覚した子どものように笑うオッサンに、少女は嘆息。


「まあ、いいです。こちらは善意で協力してもらっている身の上。わたくしたちに危険が及ばない限りは、口出しするつもりはありません」

「うむ。某とて火ノ國ヒノクニサムライ。守るべき矜持はしっかりと貫かせてもらうで御座るよ」


 それで話に一段落ついたのか、オッサンは鳥の羽を毟る作業を再開する。少女はやさしい手つきで、俺を撫でてくれた。そこでようやく俺は、自分が想像以上に強張ってたことを自覚する。もしかすると少し漏れているかもしれない。


「よしよし、怖かったですねー。でも大丈夫ですよー。貴方のことは、ママが守りますからねー」


 すっかり委縮してしまった赤子に対して、少女の顔に浮かぶのは慈愛の微笑み。一方でその瞳には、揺ぎのない決意が見て取れた。


「……そう……何があっても……必ず、絶対に……」


 光彩を欠いた瞳からは『凄み』すら感じてしまう。


(これはこれで……なんかちょっと、怖いな)

 

 さっきとは別の意味で。


 そういえば前世でもときどき、妹がこんな目をしていたことを思い出した。


「して御仁。さすれば某のことも、御仁は認識しておられるので?」


 そんな形容しがたい空気を放つ少女を無視して、オッサンはそんなことを言ってきた。鈍感なのか、大物なのか。まあいい。どちらにせよ、この重苦しい空気を換えるには好都合だ。


「あぅ……あ……がねぇ……はが、ねぇ……」


 そして見た目こそ赤子であるが、精神は大人な俺である。こちらに転生する前は二十歳だった疑似ベイビーは、先ほどの経験を応用することで、今度はすぐにまともな発音を搾り出すことに成功する。



「おお、これは重畳。まこと十全に、某らのことを理解しているようで御座るな」

「当たり前です」


 オッサンが俺を褒めると、何故か少女がドヤ顔だった。


「まり、あん……おかあさん?」

「はい、わたしが貴方のママです」


 俺の問いかけに少女は一瞬の迷いもなく答える。


 デレっと頬を蕩けさせたその顔は、

 心の底から幸せそうだ。


(……そうか。やっぱりこの子が、この世界での俺の『母親』なのか)


 彼女の幼過ぎる容姿がネックとなってなかなか容認し難いが、しかしこれだけ状況証拠が揃っているのだ。ひとまずは納得しておこう。そして、だとすると……


「は、がね……が……おとう、さん?」


 続けて放たれた質問に、少女はキョトン。

 オッサンはクックッと喉を鳴らして笑っていた。


「ち、違いますよぉ!」

「然り。残念ながら拙者は貴殿の父君では御座らん」

「そ、そうですよ! ハガネさんは貴方のパパなんかじゃありません!」


 俺の勘違いにオッサンは苦笑し、

 少女は顔を真っ赤にして否定する。


(……なんだ、違うのか)


 これは失礼。


「然り。某は少々縁あって、マリアン殿に同行させてもらっている身の上に過ぎぬ。貴殿の父君は──」

「ハガネさん」


 続く言葉は、少女の硬質な声によって遮られた。


「……ふむ、失敬。身を弁えぬ発言で御座ったな」


 オッサンは少女に軽く頭を下げ、

 ふたたび鳥の羽を毟り始める。


 間を空けて、今度は少女が俺に頭を下げてきた。


「申し訳ありません。そのことはいずれ、折を見てわたしの口から説明させてください」

「……あぃ」


 わかったよ。

 少なくとも、何かしらの事情があることはわかった。

 だったら俺だって、好んで触れようとは思わない。


(……少なくとも今は、な)


 そのまま会話は終了してしまったため、薪がパチパチと爆ぜる音と、鳥の羽がムシムシと毟られる音が、焚き火の周囲を包み込む。静寂なる世界。どこにいても喧噪に溢れていた前世では、考えられないほど淡々とした時間だ。


(……うぅ)


 すると、こちらの世界では初めてとなる『意図を有した会話』に肉体……というか、脳は相当疲労していたのだろう。猛烈な睡魔が襲ってきた。


「よしよし、おねむですか? いいですよ。今はゆっくりと眠ってください」


 察した少女が、やさしく撫でつけてくる。

 心地よい感触に、意識がどんどん転がり落ちていく。


「おやすみなさい、わたしの可愛い赤ちゃん」

「心配は無用。御仁とマリアン殿の安全は、某が保証するで御座るよ」

「……あぅ」


 二人の温かな視線を受けて、

 俺は安らかに夢の世界へと旅立った。


 そしてく意識のなかで、オッサンに一言、謝っておく。


(ごめんな、オッサン……。勝手に少女性愛者ロリコン認定しちゃって……)



 お読みいただき、ありがとうございました。

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