【第23話】 背中
【前回のあらすじ】
《朗報》ブタ、とうとう(マザコンに)覚醒。
「されど見事也!」
颯爽と響き渡る男の声。
「ぎゃああああああ!」
遅れて響く女の絶叫。
宙には流血で円を描く右腕が舞っており、
所有者であった女騎士のそれは消失している。
「ヒビキよ、よくぞこやつらの隙を作りだしてくれた」
右手には血に染まった深紅のカタナ。
左手には烏の濡羽のような漆黒のカタナ。
左右に二振りの精霊鳴刀を構え、
黒地金に緋色と金箔をあしらった戦鎧をまとう背中は、
大きくて力強い。
そして俺の名前を呼んでくれる人なんて、
マリアンを除けばこの世界には、
たった一人しか存在しない。
「師匠!」
「応! 遅ればせながらハガネ・テッシン、只今戦場に推参也!」
俺に背中を向けたまま語りかけてくる師匠は、
正面の女騎士にカタナの切っ先を向ける。
「して、お主。そちらにも色々と因縁がありそうで御座るが、もう十分で御座ろう。ここで退け。さすれば某も、無闇には追わぬ故」
「……ふ、ふざけるな!」
師匠の通告を、女騎士は拒絶。
ボタボタと血の滴る右手を振りかぶり、
血飛沫を目晦ましとして突進してきた。
「──〈神聖なる浄化の炎/バーストボム〉!」
同時に師匠の背中に向かって、背後から無数の火球が射出される。
「南無!」
だが師匠はそれらをまるで背中に目がついているかの如く回避、あるいは左手の黒いカタナで斬り払い、右手の紅いカタナは目前の女騎士に対して振られた。
「……そんなっ!」
予備の短剣の刀身を斬り飛ばされた女騎士は目を見開く。
「観念せい!」
すかさず師匠は前蹴りで、
襲撃者を物理的に突き飛ばした。
「ぐふぅ!」
「動くな!」
響く声は、地面に這い蹲って呻く女騎士だけでなく、
遠巻きにこちらの様子を窺っている男にも向けられたものだ。
「これでわかったで御座ろう? これ以上の戦闘は無用と知れぃ! それにそこな女人は、見たところ呪禁術式の使い手。ならば相応の負荷を背負っているのでは御座らぬか!?」
そう言えば師匠はかつて、
呪禁魔法を『双方にとって猛毒』と言い表していた。
何故なら呪禁魔法とは凶悪な効力を保証する一方で、
使用者にも同等の対価を求める残忍な魔法回路。
つまり女騎士の『魔法の阻害』という効果は、
そのまま自身へも適応されることを意味している。
魔法という治療が行えない以上、
女騎士の右腕欠損は間違いなく致命傷だ。
加えて女騎士という戦力は間違いなくあちらの命綱。
交渉の余地は十分にある。
「……わ、私はまだ、戦える……っ!」
「お、落ち着いてくださいミツルギ殿!」
女騎士はまだやる気のようだが、
男のほうは冷静に状況を分析しているようだ。
呻く女騎士に駆け寄り、止血をしながら懸命に説得を試みている。
「今のうちにこちらも手当てをしておこう」
そう言って師匠は俺に小さな巾着袋を投げ渡す。中には塗り薬を内包した貝殻がいくつか入っており、裂傷や打ち身に効き、血止め効果もあるこれには、治癒魔法を習得するまでのあいだ修行中に何度もお世話になったものだ。
「マリアン殿。すまぬ、駆け付けるのが遅れた」
「い、いいえ。それは、そちらの共鳴水晶に細工をしたこちらにも非があること。貴方だけの責任ではありません」
「忝い。そして忝いついでにもうひとつ、ご婦人の肌を、診せていただいてもよろしいか?」
「ま、まあ、こんな日の高いうちに、子どもの見ている前ですよ?」
「御免」
そう言って師匠はマリアンの血に染まった白衣をはだけさせ、
簡単な触診をする。
「む、これは……」
「師匠! マリアンは、大丈夫なんですか!?」
俺の悲鳴じみた問いかけに、師匠は首を横に振った。
「そ、そんな……」
絶望が、俺の心を塗り潰す。
「だが、まだ諦めるには早い。たしかにマリアン殿は『ここ』では手の施しようのない重篤で御座るが、しかし設備や人材の整った『どこか』であれば、まだ──」
「──いけません!」
マリアンの叫びが、師匠の言葉を遮る。
「ヒビキくんは、ここを出るんです。ようやくわたくしのもとを、離れられるんです。それなのに……」
その言葉はまるで、自分自身に言い聞かせるように震えていた。
それに俺だって、彼女や師匠の真意は理解している。
『ここ』ではない『どこか』。
つまり今すぐ速やかに転移魔法でこの大陸を離れ、
治療環境が整った場所へ彼女を送り届けることができれば、
まだ希望の芽はあるということだ。
だったら、
「行きましょう、師匠」
俺の答えなんて決まっている。
「いやお願いします、師匠。マリアンを助けてください。そのために俺にできることならなんでもします」
できる限り俺は誠意が伝わるように、深々と頭を下げた。
「ひ、ヒビキくん……」
「うむ、よくぞ申したぞヒビキ」
そうだ。
俺は今まで散々と、マリアンに守られてきたんだ。
だったらこれからは、俺がマリアンを守らないと。
「いや、でもほら、あれですよ? それだとまだ、ヒビキくんはまだママと一緒に──」
「望むところだ!」
「……あぅっ、あぅっ!」
堪らず俺が駆け寄ってその小さな手を握りしめると、
マリアンは顔を真っ赤にして奇妙なうめき声を漏らし始めた。
目の中がグルグルと渦を巻いている。
熱い。体温も上がったようだ。
(くっ! 平気なふうを装っているけど、やっぱり毒がキツいんだな!)
もはや猶予は一刻もない。
「師匠、行きましょう!」
俺はマリアンを両手で抱え、立ち上がった。
「ぴやぁああああああっ!」
傷口に触ったのか、マリアンが甲高い悲鳴をあげる。
ああ、ごめんよマリアン。
でも少しだけ、ガマンしてくれ。
「……」
「……師匠?」
だが、師匠は動かない。
木々の隙間から見える空を見据え、
その口端に、獰猛な笑みを刻んだ。
「すまぬヒビキよ、そうも申しておられなくなった」
直後に轟音と膨大な光が、視界を埋め尽くした。
◇◆◇◆◇◆
「ふわはははははぁっ! 大正義、光臨っ!」
突如として降り注いだ、攻撃に等しい閃光と轟音の暴力。
それらからようやく回復して仰ぎ見た上空には、
奇妙な高笑いをする人影があった。
魔法回路で形成しているのか、背中には三対六枚の光翼。
身に纏うのは純白の全身鎧。
豪奢にして華美なそれには深紅の十字が刻まれており、
手にする大剣は全長一・五メートル以上あるだろう。
兜によって覆われている顔を直視することはできないが、
声や体格から四十~五十代の成人男性だと推察できる。
そんな得体のしれない人物が、
空中でビシッと謎のポーズをとっていた。
「おお、勇者様! 私たちの声を聞き届けてくださいましたか!」
そして歓喜とともに片膝をつき涙を流す男の叫びで、
あの全身鎧男の正体が確定する。
(マジか。よりによってこのタイミングで、勇者の登場かよ!)
勇者。
それは俺と同様に、
この世界にあちらの世界から召喚されたもの。
ただし『不良品』の俺とは違い、あちらは『成功例』だ。
しかも男に崇められている様子から、こちらに召喚されてそれなりに年月が経っている感じだ。となるとそれだけ、勇者としての力が成熟しているとみて間違いない。
「うむ、キミたちの叫びは大正義の化身であるこの【セイギ・シン・シンドウ】の耳に、確かに届いたぞ! そして吾輩が光臨した以上、すでに悪は滅されたも同然! 安心したまえ!」
「おぉ、おぉ、勇者様、聖神様、我らにご加護を……」
どうやらあの男が、いつからかは知らないが味方に救援信号のようなものを発していたらしいな。俺たちが共鳴水晶を持っているんだから、あちらがそれを所有していたとしてもおかしくない。そして近場から友軍に先んじて、いかにも機動力が高そうなあの勇者が文字通り『飛んできた』ってところか。
(クソッ、迂闊だった!)
派手に動いていた女騎士ばかりに気を取られて、
男のほうに注意を向けてなかった。
(いったい俺は、何度ミスを繰り返せば気が済むんだ……っ!)
後悔がふたたび津波となって押し寄せるなか……
「……ふふっ」
俺の豚耳が拾ったのは、喜色を含む男の笑い声だった。
「し、師匠……?」
「でかしたぞ、ヒビキ」
ぶわっと、全身から汗が噴き出る。
悪寒の正体は『上空』ではなく『正面』。
大量の魔力を放出する、ヒノクニのサムライによるものだ。
「ダメ、ですハガネさん。いけません……」
「そう申されてもマリアン殿。あちらはもう、戦る気のようで御座るよ」
狩人の眼光は、俺たちではなく空に向けられている。
「ふむ。どうやら地上には未だ、立場を弁えぬ悪が蔓延っているようだな。どれ、少しばかり大正義の威光を見せてしんぜよう。──〈降り注ぐ信仰の光/ホーリーレイン〉!」
勇者が詠唱とともに左手を掲げると、
空に数十にも及ぶ大量の光球が生まれた。
わざわざ魔力量を感知せずとも、
見ただけで理解できる。
あのひとつひとつが、俺にとっては即死級の威力。
つまりは圧倒的な絶望。
それが具現化して、空を覆っているのだ
(これが、勇者……っ!)
あまりに隔絶した存在を前にして、俺は足が竦んでしまった。
(嫌だ嫌だ嫌だ! 勝てるわけない! あんなバケモノに!)
動けない。声がでない。呼吸すらできない。
「猛ろ景鷹ぁあああああああっ!」
そうした俺の恐慌を、師匠の雄叫びが一喝する。
振るわれるのは漆黒のカタナ。
名を『雷轟景鷹』。
師匠の所有するもうひとつの精霊鳴刀が、
空に向かって猛威を放った。
「ぬう!」
ほとんど同時に勇者もまた、迫る脅威を感じ取ったのだろう。
振り下ろされる左手とともに、降り注ぐ大量の光球。
迎え撃つは地上から放たれる、極太の一閃。
バヂチチッと唸り声をあげる三日月の正体は濃密な魔力によって具象化した雷であり、光と光が、空中で衝突。空気が張り裂け、悲鳴をあげて、先ほどよりもさらに大きな衝撃が森に轟く。
「正義光臨!」
そんな光の奔流を突き破って現れたのは、全身鎧の勇者。
上空からの急下降ぶんを乗せた大剣の衝撃は、
二振りのカタナで受けた師匠の足元を、
蜘蛛の巣上に陥没させた。
「ぬぅうううう! 猪口才な悪めぇええええ!」
「ふははははははははっ!」
口惜しそうな勇者とは対照的に、師匠は笑う。哂う。嗤う。
そうだ。
本来『笑う』ってのは、生物にとって威嚇行為だったな。
「滾る、滾るぞぉ勇者とやら! この出会い、戦神に感謝せねば!」
「ぬぅぅ貴様、さては狂人の類だな!? なんたる巨悪! 許せん!」
それからの数合は、まさしく別世界の戦いだった。
勇者が大剣を振るう。
それだけで地面が抉れ、大穴ができる。
師匠がカタナを振るう。
そのたびに森が裂け、あるいは燃えて、
空が広がる。
実際に刃を交えた時間はほんの数秒だっただろうが、
それだけのあいだに周囲の木々は伐採されて、
無残な荒地へと様変わりした。
「ひぃ! お、お助けを! 勇者様! 聖神様!」
あまりに激しい戦闘に、勇者の庇護対象であるはずの男が悲鳴をあげる。
無理もない。
(すげぇ。これが勇者と、サムライの戦い……)
ガタガタと震えながら立ちすくむ俺だって、
頭のてっぺんからつまさきまで恐怖と畏怖で埋め尽くされている。
もし腕の中の存在がいなければ、
ビビってションベンを漏らしていただろう。
でも、彼女がいるから。
彼女がいてくれるから。
俺はまだ、二本の足で立っていられた。
そして彼女を守ろうと思うからこそ、圧倒的な闇の中でも、微かな光を保つことができた。
(……強く、ならないと)
強く。今もよりもっと強く。
彼女を守るために。誰よりも強くならなくては。
「っ、ちィ!」
そのときだった。
勇者と激しい剣戟を交わしていた師匠が、突如として消失。
次の瞬間には俺のすぐ傍で左手を突き出し、その腕の中ほどには、鎧を貫通して短剣が刺さっていた。
「……く、そっ……!」
見ればその直線上には、出血多量で息も絶え絶えな、
それでも憎悪に瞳を燃やす女騎士の姿がある。
「っ! いけない師匠、そのダガーには呪禁魔法の魔力が──」
「案ずるな!」
ザンッ!
師匠は即座に躊躇うことなく左腕を、
中ほどからカタナで『斬り落とし』た。
「っ!? 師匠、何をしてるんですか!?」
「使えぬ腕など無用!」
師匠は右手の精霊鳴刀『炎蹄紅風』に炎を宿し、
ジュウウと強引に傷口を止血する。
空の勇者はその光景を、不服そうに見下ろしていた。
「で、でも、だけど……」
「それに、丁度よかった」
止血を終えると、師匠は紅風を地面に突き立てる。
「目覚めよ、紅風」
師匠が魔力を注ぎ込んだ精霊鳴刀は、
瞬時に大量の炎に包まれた。
突如として空き地に発生した炎柱はじきに収束し、
一頭の獣を顕現させる。
躍動感のある、スラリと伸びた四肢。
尻尾から頭部にかけて伸びる鬣は炎となって燃え上がり、
その終点では、理性を宿した瞳が俺たちを見つめている。
全身を薄紅色で染めた、炎の雌馬。
それこそが炎蹄紅風に宿る精霊が、
具象化した姿であった。
「紅風よ、ヒビキらを頼む」
『ヒヒンッ!』
契約者の命令に、炎馬が鳴いて了承する。
納得できないのは俺だ。
「そんな師匠! 俺に、師匠を見殺しにしろって言うんですか!?」
「見殺しではない。合理的な判断で御座る」
師匠の瞳に嘘はない。
「お主だって理解っておるだろう? これ以上この場に踏み止まったところで、お主にできることはなにもない。むしろこのように、足手まといにすら成り得る。そしてあの勇者は荷物を抱えて相対できるほど、甘くない」
「……っ!」
その言葉に、現実に、俺は何一つ言い返せなかった。
「例の場所には、紅風が案内してくれる。術式も紅風の魔力があれば、問題なく起動できるで御座ろう。ただ時間がなかったため、転移場所だけがやや不確実かもしれぬが……まあ、そのときはそのときだ。それくらい、お主がなんとかせい」
「でも……でも……」
「母を守ると決めたのだろう? ならば甘ったれるな。覚悟を決めろ」
それ以上の言葉は不要とばかりに、師匠は地面に落ちている左手から漆黒のカタナを拾い上げる。俺だって師匠にここまで言わせておいて、まだ駄々をこねるような馬鹿ではないつもりだ。豚だけど。
「……」
『ヒヒーンッ』
俺が黙って師匠に背を向けると、炎馬が嘶いて迎えてくれた。
自らの体温や炎を操作できる紅風さんは、
炎の一部を変化させて鞍と鐙、手綱などを生成。
俺はそんな彼女に跨って手綱を掴み、
反対側の手でマリアンを支える。
「師匠、今まで本当に、ありがとうございました」
「うむ」
「ハガネさん、ご武運を」
「忝い」
そして炎馬が駆け出す。
でも、これが最後じゃない。
きっとまた、どこかで会える。
そう信じて俺は、溢れる涙と嗚咽を、必死で呑み込んだ。
◇◆◇◆◇◆
「待たせたで御座るな。申し訳ない」
弟子たちを背中で見送ったあと、テッシンは空の人影を見上げる。
「弟子たちを見送らせていただいたこと、感謝する」
「ふん、気にするな。先に決闘を穢したのは、こちらであるからな」
「そんな! 彼女はずっと探し続けていた聖人様で、そして子どもは汚らわしい亜人なのですよ! このまま見逃していいはずが──」
「黙れぃ!」
訴える浄火軍の男を、勇者はばっさり切り捨てる。
「そもそも戦場に女子どもを巻き込むこと自体、吾輩の正義の美学に反するのである! それに助けを求める者とはいえ、貴様らのような小悪党どもに手を貸すこともな!」
「そ、そんな! 私たちはただ、貴方様のために……」
「そのような気遣いなど無用! そして邪魔者も不要! わかったら貴様らも吾輩の大正義に裁かれる前に、さっさとこの場を離れるのである!」
「……っ」
下唇を噛み締めた男は、片腕となった女騎士を馬車の荷台に乗せて、戦場から退いていく。
「……良いのか、数の理を捨てて?」
「ふん。それはこちらのセリフである。そもそも貴様、片腕の分際で、本気で吾輩に勝負を挑もうというのであるか?」
「問題ない」
ギリリと、テッシンはカタナの柄を握り締める。
申し分のない窮地。逆境。それらを前にして、
サムライの頬に刻まれるのは笑みばかり。
「火乃圀の侍大将、ハガネ・テッシン、推して参る!」
「ぬぅぅ不遜! だがそれでこそ、吾輩が滅するに相応しい巨悪よ!」
そしてサムライと勇者の、
余人が立ち入ること適わぬ死闘が幕を開けた。
お読みいただき、ありがとうございました。




