【第22話】 氷解
【前回のあらすじ】
女騎士「……わ、わたしの、ターンだっ!」
ずっと、ずっと疑問だったんだ。
なぜ彼女は、俺にかまう。
なぜ俺のような存在に、あそこまで盲目的に献身できるのか?
考えてもわからない。
だから俺はその答えを、自分で規定した。
罪悪感だ。
贖罪、あるいは懺悔と言い換えてもいい。
とにかく俺はそうして『理解できない少女』を、
俺が『理解できる枠組み』へ強引に嵌め込むことによって、
無理やりに『理解したつもり』になっていたんだ。
そんなこと、不毛だとわかっていても。
それでも、俺は他の選択肢を選べない。
だって、そうじゃないと苦しいだろう?
そうしないとまた期待しちまうだろう?
前世で──俺は、何度も何度も、裏切られたんだ。
そのたびに傷ついて、涙して、浅はかな自分を恨んで嫌いになったんだ。
そして理解した。
俺は、世界に愛されていない。
俺なんかを愛してくれる人なんては、この世界に存在しない。
それはとてもとても、辛いことだった。
でもそう確信することで、救われる自分がいた。
俺は愛されていない。
だからこれは、当然のこと。
褒めてもらえないのも、頭を撫でてもらえないのも、食事を用意してもらえないのも、風呂場から出してもらえないのも、叩かれるのも、髪を引っ張られるのも、下着でベランダに出されるのも、寒くて痛くて苦しいのも、ぜんぶ当たり前のこと。
──だって俺は、愛されていないんだから。
それだけで、全ての問題が解決した。
だからこそ俺は、あのクソッたれな日々に、
耐え続けることができたんだ。
あれから年をとって、生活環境が変わって、
転生して、種族すら変わっても、
その信念だけは変わらない。
油断するな。
己惚れぬな。
勘違いするな。
調子に乗るな。
冷静に自分を客観視しろ。
こんな醜い豚のバケモノだって、誰も好いたりなんかしない。
彼女はその罪悪感から、俺のことを気にしているだけだ。
彼だって彼女との取引があるから、俺に構ってくれているだけなんだ。
俺自身に価値はない。
だって俺自身が俺という存在に、
価値なんて見出せないのだから……。
(それなのになんでアンタは、そこまでするんだ……?)
魔法縛縄で拘束されて身動きできない俺の目の前で、
一方的な暴力を浴びつつも、なお立ち上がろうとする少女。
(浄火軍に捕まったのは、俺の落ち度だ。アンタがそんなことをする必要なんて欠片もないじゃないか!)
そもそもアンタは、もっとずっと、強いだろう?
そんな女騎士なんて、本気を出せば一瞬だろう?
(なのになんで、好き放題やられてんだよ。ほら、反撃しろよ。いつもみたいにスパッとやっちまえよ!)
お願いだ。
俺のことなんてどうでもいいだろ?
もう十分に、罪滅ぼしは済んだだろう?
だからもう、好き勝手にやっていいんだって。
自由になってもいいんだって。
感情がそんなことを声高に訴える半面で、
理性はこうも告げている。
──ああ、そうだよな。
──アンタはそうするよな。
でも俺は、それを認められない。
臆病な俺が必死に否定している。
(いい加減にしてくれ! とっと本気を出せよ! それが無理ならせめて逃げてくれ。俺の前から消えてくれよ!)
でもきっと、少女は自分から俺の前からいなくなることはないだろう。
だから俺は自分から、少女のもとを離れるつもりだったんだ。
そうやって、少女を解放してやるつもりだったんだ。
それなのに……
「……なんで、だよう……?」
ついに、心の防波堤が決壊してしまった。
純粋な想いが言葉となって、涙とともに溢れてしまう。
「……俺のことなんて、もう、いいだろ? ほっとけよ。ほっといてくれよぉ」
こんな、自分の役割すら満足にこなせない豚なんて、
アンタがそこまで身を挺してかばう必要、
これっぽっちもないんだよ。
「……そんなこと、できるわけ、ないじゃないですか」
果たしてそんな俺の叫びは、少女に届いてしまった。
毒に侵され、泥に塗れ、血に染まってもなお美しい少女は、
またしてもこんな俺の惨めで情けない叫び声を、
真摯に正面から受け止めてくれた。
「なん、で……?」
俺は問う。
怯えながら。
期待しながら。
「だって……」
彼女は答える。
嬉しそうに。
誇らしそうに。
「だって貴方は……わたくしの、息子なのですから」
「……っ!」
息が、できなかった。
胸を埋め尽くす苦しいまでのこの感情は、
いったいどこから湧き上がるものなのだろうか?
言葉を発することすらできず、口だけをパクパクさせる俺に向かって、血だらけの少女はどこまでも穏やかに微笑んだ。
「愛する子どもを守ることは、母親として当然のことですよ?」
その瞬間、カチリと何かが嵌った気がした。
──いや、違うな。
気付いたんだよ、俺は。
ようやく気付くことができたんだ。
俺は愛されていない、愛されるはずがないだって?
──いいや、違うだろ?
愛は確かに、そこにあったんだ。
でもいつだって俺がそれから目を逸らして、
必死に気付かないフリをしていただけなんだ。
だって、傷つくのが怖かったら。
──だから傷つかないよう、自分から傷つけんだ。
だって、裏切られるのが怖かったら。
──だから期待しないよう、相手を突き放していたんだ。
だって、見捨てられるのが怖かったから。
──だから言い訳して、自分から逃げ出そうとしていたんだ。
つまり俺は、馬鹿だったんだ。
本当に頭の悪いクソガキだったんだ。
本当は愛してほしいくせに、それを確かめるのが怖くて、信じられなくて、相手を試すようなことばかりして、それでも心の中では叫んでいる、どこまでも愚かで面倒くさくて情けないクソガキ。それが俺の、正体なんだ。
それでも──少女は、俺を待っていてくれた。
それなのに──少女は、俺を受けて入れてくれた。
だって、彼女は……
そうだ、彼女は……
俺の、大切な……
(……おかあ、さんっ!)
その言葉は、驚くほどストンと心の中に落ちてきた。
「マリアぁあああああああンっ!」
そして次の瞬間には、俺は喉が張り裂けんばかりに叫んでいた。
意味はない。
意図もない。
ただ叫びたいから叫ぶ。
まさしくそれは、この世に生を受けたばかりの赤子の産声だ。
「……えっ?」
一方で少女は……いや【マリアン】は、こんな状況だというのに『まるで信じられないものを見た』とでもいうように、目を丸くしてキョトンとしている。
ああ、そうだよ。その顔だよ。やっぱアンタには人形みたいな無表情じゃなくて、そういうちょっと間抜けなぐらいな顔のほうが、似合ってて可愛いよ。
そんでもって、
「テメエッ、いつまでマリアンに汚ねぇ足をのっけてんだ!」
全身を満たしてくれる充足感とは対照的に、
頭の中は凍えるほどに冷たく覚めている。
「……あ゛?」
俺の詰問に女騎士が嫌悪感を露わにするが、
そんなことはどうでもいい。
テメエがいくらキレようが、それ以上に俺はブチキレてんだよォっ!!
「ブギィイイイイイイイイッ!」
「貴様っ!」
雄叫びとともに全魔力を放出。
まだこれだけの力が残っているとは予想外だったのか、
拘束が緩んだ男の隙をついて、全力で走り出す。
両手は魔法縛縄によって拘束。
腹部と左肩には重度の裂傷。
全身は悲鳴を上げている。
とてもじゃないがまともに戦える状態じゃない。
こんな状態であの女騎士のところへ辿り着いたところで、
何が出来るとも思えない。
だとしても。
それでも。
(マリアンを、離しやがれぇえええええええ!)
後先のことなど考えず全力で突進してくる俺に、
女騎士は嫌悪を深めながら右腕を持ち上げる。
「……汚らわしい、豚が!」
「ヒビキくん!」
おいおいそんな顔するなよ、マリアン。
アンタのことは絶対に、助けてみせるから。
(今まで散々と迷惑をかけてきたんだ。せめて最後にこれぐらいは、恩返しをさせてくれよ!)
女騎士との距離が詰まる。
それはそのまま、俺にとっての『死』との距離だ。
だとしても、ただで死んでやるつもりはない。
(心臓をブチ抜かれても、そのまま押し潰してやる。それがダメなら噛みついて、喉笛を喰い千切ってやる!)
とにかく絶対に、マリアンだけは助けてみせる。
そう心に固く誓い、俺が女騎士に死を厭わないカミカゼ作戦を決行する──
「無様!」
──寸前だった。
「されど見事也!」
一迅の、力強く頼もしい男の声が吹き抜けた。
お読みいただき、ありがとうございました。




