【第21話】 狂刃②
【前回のあらすじ】
《悲報》豚のターン、瞬殺。
その少女の存在を認識した瞬間、
女騎士【リオナブライト・ミツルギ】は駆け出していた。
「……ま、ま、まっ、マリアァアアアアアアアンッ!」
喉から迸る絶叫。
それは憎悪によって形成された歓喜に塗れており、
呼応するように手にする片手剣からは、
毒々しい魔力が溢れ出す。
「……殺す、殺す、殺す、殺ししししししてやるゥうううううううッ!」
長年、気が狂うほどに追い求めていた存在が、
毎晩毎朝、頭のなかでグチャグチャに潰し続けてきた怨敵が、
目の前に、手の届くところに、刃のすぐ先にいるのだ。
リオナブライトが自制する理由など欠片もない。
「……」
対する少女は、こちらを見てはいなかった。
質量さえ伴う殺意を放出するばかりで、
リオナブライトのことなど一瞥すらしてない。
まるで、あの頃のように……
「……わた、わたしっ、わたしを、無視するなァああああああっ!」
リオナブライトは剣を振るう。
騎士としての技量で、
魔法を用いた筋力で、
女性としての矜持で、
長年積み重ねてきた憎悪を眼前の怨敵に打ち込まんと、
一秒を何分割にもした世界で刃を躍らせる。
「……っ!」
しかし、届かない。
リオナブライトの焦げ付かんばかりの憎悪は、
筋肉と臓腑が悲鳴をあげるほどの剣戟は、
何一つとて少女に届かない。
目前に迫る呪いの刃に対して、少女はそれを最小限の動きでかわし、あるいは魔法で弾き、リオナブライトの命を削る猛攻をただ淡々と消費していく。
まるで駄々をこねる子どもをあやす大人のような、
絶望的なまでの力量差がそこにあった。
「……なんで、なんでっ、なんでお前なんかがぁああああああ!」
「うるさいですね」
パキンッ。
まるで小枝を折るような音とともに、
リオナブライトの振るう片手剣の刃が消失した。
それはヒュンヒュンヒュンと間抜けな風切り音を伴って、
少し離れた地面に突き刺さる。
「……〈次元断刃/ディメンションブレイド〉っ!」
「おや、ご存知でしたか」
手刀のように伸ばした少女の手元。
そこから延長線上に伸びた半透明の刃。
その名前を、リオナブライトは知っている。
ゆえにそれが自身の刃を断ち切り、次いで自らの命を絶とうとすることに、疑いはなかった。
ギリギリと、血の味を覚えるほどに歯を噛みしめる。
「……なんで、お前が、お前なんて、お前ばっかり……っ!」
「先ほどから少々、疑問なのですが……」
そこではじめて、最初から少女だけを見ていた女騎士と、女騎士など見ていなかった少女の視線が交錯する。
「貴方はいったい、誰ですか?」
「……っ!」
「まあ、いいです。覚える価値などありませんし」
「ま、待ってください!」
顔を真っ赤にして激昂する女騎士と、
向かい合う無表情の少女。
割って入った声は女騎士の上官である【ギース】のもの。
「あ、貴方様はもしや、聖人【マリアン・リ・ハネカワ】様ではございませんか!?」
ピクリと、わずかに少女の眉尻が跳ねた。
「あぁやはり、そうでしたか! じつは私、一度だけですが、貴方様のお姿を遠目に拝見させていただいたことがあるのです! 髪の色が違っていたのですぐには気付きませんでしたが、その神々しくも麗しいお姿、間違いありません!」
「……だとしたら、何だというのですか?」
「っ!」
浄火軍においては守護神とされ、
真人においては現人神として奉られる聖人。
そんな神聖なる存在を前にして歓喜するギースに対して、
少女は冷淡に宣言する。
「そんな! 私たちは貴方様をずっと、お探していたのですよ!?」
「わたくしには、関係も関心もありません」
「っ!? そ、そんな……」
「……ギース、『そいつ』を殺せぇええええええ!」
「っ!」
次の瞬間、今度は目に見えてわかるほどに少女が動揺した。
反射的にリオナブライトが叫ぶ『そいつ』に心当たりをつけ、
ギースが動き出すのと、少女が飛び出すのはほぼ同時。
「う、動かないでください!」
結果、ギースのほうが一呼吸ぶんほど早かった。
「……くっ!」
「そ、そうです、お願いしますよハネカワ様、動かないでください」
半信半疑のまま、ギースが喉もとに刃を突き付けたのは、先ほど魔法縄で拘束した豚鬼の少年。しかし効果は絶大で、彼を人質として確保した瞬間に、少女はまるで心臓を握り潰されたように顔を歪めた。
思えば少女はずっと、
女騎士ではなくこのオークを見つめていた。
そう考えれば先ほどの戦いも、
瞬殺できるのをあえて手加減することで、
自分たちの注意をオークから逸らそうとしていたのかもしれない。
だとすれば、
「い、いったい、このオークは一体何者……」
「……そいつはおそらく、勇者様の、『なり損ない』だ」
「……は?」
ギースは即座には、女騎士の言っていることが理解できなかった。
しかし感情に反して頭では、
理性がパズルを組み立てていく。
かつて、秘密裏に行われていたという『勇者転生計画』。
その被験者として登録され、実験の最中に姿を消した聖人の少女。
そんな彼女が我が身より優先して、守ろうとする存在。
「ま、まさか、そんな、いやだって……」
ブツブツと、鳥肌が立っていく。
ギースの身体を揺らす感情は、先ほどまでの畏怖や動揺などではない。
本能から湧き上がる──嫌悪だ。
「ハネカワ様。貴方様はまさか、こんな穢れた亜人を、ご出産なされたのですか……?」
「黙れッ!」
はたしてその感情は、すぐさま恐怖で上書きされることとなる。
「黙れ! 黙れ! お黙りなさい! それ以上、わたくしのヒビキくんを愚弄する発言は許しませんよ!」
「……っ! ……黙るのは、お前だッ!」
片手剣を破壊されたリオナブライトが、少女の横顔を殴りつける。
大人と子どもほどの体格差があるその一撃は、
少女の咥内を裂き、唇から血を滴らせた。
「……訂正、しなさい」
「ひィっ!」
それでも燃え盛る紅玉の瞳は、
ギースの手元から微塵も動かなかった。
「……いい加減に、しろ! この! この! この売女がァ!」
一瞬でも気圧されたことを恥じるように、リオナブライトが無抵抗な少女を殴り続ける。最初の数発は耐えていたようだが、しかし強化魔法を用いていない以上、単純な体格差はどうしようもない。じきに少女の上半身が揺れ、姿勢が崩れて、地に膝をついてしまう。
「……はっ、ひゃはははははっ、いいざまだなァ売女! あの御方からあれほどのご寵愛を頂きながらも、軍の命令ひとつで股を開き、豚を孕む売女には、そうやって地べたに這いつくばるのがお似合いなんだよッ!」
リオナブライトは蹴る、殴る、踏む、掴む、叩く、嗤う。
鬱屈した憎悪を、堆積した悪意を、肥大した欲望を、
ここぞとばかりに放出する。
「……汚い、穢れた、売女風情が! もう二度と、あの御方の前に顔を出すな! 消えろ!記憶から消えろ! 存在そのものを消し去れ! 死ね!」
「……ああ、そういえば」
地面に転がされ、全身を殴打されながら、呟く少女。
土に汚れ、血に塗れながらも、その瞳は驚くほどに無機質だった。
「たしかに、いましたね。あの変態のところに、そんな瞳をした愛玩動物が」
「……っ!」
「どうしました? その様子だとあの変態に、飽きて捨てられましたか? まあ、そうでしょうね。あの変態は、幼い子どもにしか興味がありませんから。そのように育ってしまっては、あの変態の興味を引くことなど不可能──」
「──あァああああああああああアアアアッ!」
冷淡に積み重ねられる推測という名の事実を、
女の絶叫が掻き消した。
「……黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!」
「っ! ちょっ、止めてくださいミツルギ殿!」
「……止めるな黙れ! 殺す! こいつは今ここで殺す!」
叫ぶ女騎士の瞳は本気だった。
部下の暴走に、上官は必至で頭を回転させる。
「……っ! そうだ、勇者様! 貴方の崇めるあの勇者様に、その背信者を献上しなくてもよろしいのですか!?」
勇者様。
その単語を耳にした瞬間、リオナブライトの瞳に僅かだが正気が戻る。
ギースは畳みかけた。
「正直、貴方がたのあいだに昔どのようなことがあったのか、私にはわかりません。しかし今ここでその背信者を殺すことは、貴方の欲望であって、勇者様のご意志ではないのではありませんか?」
「……でも……こいつは、こいつは、こいつはぁ! 勇者様を、カナデ様を、変態って!」
「であれば、なおのこと、その審問と裁きは勇者様の手に委ねるべきでは?」
ギースとしては正直、そのあたりのことはどうでもいい。
だが、この背信者の少女を生かしたまま連れて帰る。
せめてそれだけは、順守しなければならない。
聖人殺しの十字架は重過ぎる。
「貴方のお気持ちは、お察しします。しかし今は、勇者様の意向を優先してください」
そういえばリオナブライトがかつて奉公していた勇者はいまだに、この背信者の捜索に積極的だと聞いている。そして会話から察するに、まだ彼女に未練があるのだろう。そのことを女騎士は知っている。それゆえの憎悪と葛藤。
付け入るならそこだ。
「お願いします。全ては勇者様のためなのです。どうか」
「……勇者、さま……カナデさまの、ため……」
「ええ、その通りです」
「……」
しばし、リオナブライトは沈黙。
「……わかった」
そして了承の意を示したことに、
ギースは内心で安堵する。
「……でも、この売女は、このままだと危険。首輪を、しないと」
そう言って女騎士は右手の甲冑を脱ぎ捨て、
病人のように青白い肌を露わにする。
「……〈五爪呪詛/ファイブカーズ〉」
女騎士が彼女特有の魔法回路を発動させると、先ほどよりも濃密で禍々しい魔力が噴出。滴る毒液のように青白い腕に絡みつき、先端へと収束していく。
「ミツルギ殿、それは……」
「……殺しは、しない。ただ、殺す以上の、苦痛を与える」
リオナブライトは地面に転がる少女の長髪を、
魔法回路を発動させた右手で掴む。
その瞬間から純白は濁った紫へと塗り替えられて、
髪はボロボロと崩れ落ちていった。
「……ちっ」
仕方なく魔法回路を発動させていない左手に持ち替えて、
リオナブライトは少女の瞳を覗き込む。
「……い、今から、この呪禁魔法を、オマエに注ぎ込んでやる。どうだ、怖いか? 怖いなら詫びろ。泣いて媚びろ。今までの恥知らずな自分を悔いて、誠心誠意、あの御方に謝ってみろ!」
「そんな、ことよりも……」
こんなに汚しても、穢しても、少女は美しかった。
無機質な瞳は変わらず、女騎士など映っていない。
「ヒビキくんを、離してください」
「……あァあああああああああああああッ!」
ぐじゅりと、五本の指を少女の腹に突き刺す。
雄叫びとともに魔力を注入。
毒を注ぎ込む。
「……くぅっ、……かはぁ!」
「……ひゃっ、ひゃはははははははははっ!」
少女の苦悶と、女の狂笑が、薄暗い森に木霊する。
ギースはそれを、ただ黙って見つめるしかできない。
そして、
「……なんで、だよう……?」
男の腕の中で、小さな声が零れ落ちた。
お読みいただき、ありがとうございました。




