【第18話】 豚鬼
【前回のあらすじ】
豚鬼「ようやく俺のターン!」
その日、浄火軍に所属する戦闘修道女である【リズベット】が、
森に潜む『それ』を発見したのはほとんど偶然出会った。
(あれは……亜人。豚鬼の子ども?)
今朝がた唐突に与えられた、とある森の探索任務。
その開始からずっと話しかけてくる同僚の青年【アンク】を無視するため、
彼の操る馬車の荷台で哨戒用天使の操作を行っていたことは、
はたして彼女にとって幸運だったのか否か。
(まあいい。とりあえず隊長に報告しよう)
考えるのは自分の仕事ではない。
判断をこの臨時小隊の隊長である男【ギース】に委ねるため、
リズベットは数時間ほどずっと無視し続けてきた青年に、
初めて自分から声をかける。
「……ねえ」
「おっ? ん、なになにリズちゃん? もしかして俺に興味が湧いた? 湧いちゃった?いいよいいよ、なんでも教えちゃう! 手取り足取りナニ取りなんちゃって!」
「……それより、今晩の『兎』はいったいどこで食べるべきかな?」
「……ん。そりゃあまぁ、俺の一存じゃ決められないな」
予め決めておいた『符丁』に、アンクも気付いたようだ。
相変わらず軽い口調で軽薄な笑みを浮かべたまま、
軍の符丁を用いた会話で状況を確認。
のちに、ギースに伝達する。
「ギースタイチョー。リズちゃんが、今晩の打ち上げ、『兎』料理の美味しい店を知ってるって言ってますよー?」
「ほほう、それは興味深いですね」
あれが今回の任務の目的であるかどうかは不明だが、
せっかくの獲物に逃げられると面倒だ。
ギースたちが符丁やハンドサインなどを用いて情報の遣り取りを行っているあいだに、リズベットは哨戒天使を用いて上空から周囲一帯を探索する。
(仲間は……いないみたいだね。でも単独っていのは、ちょっと考えにくいし……)
年齢こそ幼く見えるものの、しかしその身のこなしや気配の殺し方などから、あれが『小屋』や『施設』から脱走した亜人の子どもである可能性は低い。
軍で訓練を積んだ自分たちですら、天使で目視するまで気付かなかったほどの隠形。追跡術。それらは一朝一夕で身につくものではない。必ず、彼にそれを手ほどきした人物がいるはずだ。
(となると、獲物は複数? あれは偵察?)
そうやって推測を巡らせているうちに、
部隊のほうでも方針が決まったようだ。
「それでリズベットくん。そのお店は、いったいどこにあるですか?」
どうやらギースはやる気らしい。
(まあ、そうだよね)
あれが脱走者にしても、潜伏者にしても、
ここで自分たちが亜人を野放しにする理由はない。
家畜は檻の中に。
敵には刃の制裁を。
ギースの判断は真人としてじつに正常なものだ。
ゆえにリズベットは彼に、情報を伝達した。
「なるほど」
シュランッと、ギースが腰元から剣を引き抜く。
「……ところでなぜこんな森の中に、亜人が潜んでいるのですかねぇ?」
そして状況が開始した。
「──〈神聖なる浄化の炎/バーストボム〉」
轟く爆音。
森の一部が紅に染まり、一匹の豚鬼が飛び出してくる。
(隊長が外した? わざと?)
まあ確かに、ここであの豚鬼を処分してしまうメリットは少ない。
それよりも生け捕りにして、情報を吐き出させるほうが効率的だ。
この時点でリズベットは現状をそのように認識していた。
それが間違いだと気付くのに、あと数分もかからない。
(っ!? なんで……っ!?)
尾行が露見し、爆裂魔法を見舞われた追跡者は、
すぐに逃走を始めると思っていた。
それなのにあの豚鬼は反撃に転じて、あろうことか哨戒用天使を破壊してしまう。
(あのオーク、天使の構造に精通している?)
でなければあれほど的確な対応は不可能なはずだ。
となるといよいよ背後に、何者かが潜んでいるのは間違いない。
急速にリズベットのなかで危機感が高まっていく。
それでもまだ、彼女の認識は甘かった。
「あッ、あのガキ、天使を! ウザいっすね! 殺っちゃいましょうよ!」
「……」
「あぁ、亜人に天使を破壊されるだなんて始末書ものじゃないですか……」
「ギースタイチョー! 落ち込むのはあとにして欲しいっス!」
豚鬼の思いもよらぬ反撃に、怒りや動揺を見せる仲間たち。
しかし反応には余裕があり、そこには自分たちの有利を信じて疑わない基盤がある。
当然だ。
こちらは少人数とはいえ、浄化軍の一個小隊。
対するあちらは豚鬼ただ一匹。
哨戒用天使を失ったとはいえ、四人一組一体の自分たちが、亜人ごときに後れを取る理由がない。
「まあ、仕方ないですね。リズベットくん、次を起動してください」
「……了解」
「さあゴミクズデミ野郎。観念──ッ!?」
だからこそこちらが追撃の準備を整え始めた途端に、
あちらから向かってくるとは思ってもいなかった。
「っ!? くっ、〈神聖なる浄化の炎/バーストボム〉!」
足元を爆発させる移動魔法といくつかの身体強化魔法を用いて、
見る間に距離を詰めてくる豚鬼。
一拍遅れてギースが爆裂魔法による威嚇射撃を行うが、
軌道を先読みする豚鬼を捉えることができない。
「舐めやがって!」
たまらず、アンクが馬車の荷台から飛び降りた。
とはいえ彼は、自らの役割を放棄したわけではない。
むしろそれを遂行するために、地面に降り立ったのだ。
浄火軍における小隊活動の最小単位である『四人一組一体』においては、個々の隊員に明確な役割が与えられている。
指揮官、攻勢隊員、守勢隊員、そして天使とその使役者だ。
そしてこの小隊においては、守勢隊員に該当するのがアンクであり、その軽薄な態度や言動に反して彼が軍隊学校で常に上位の成績を維持していたことを、同期生であるリズベットは知っている。
「〈主よ大地の加護を/アースシールド〉!」
ゆえに彼が地面に剣を突き刺し、障壁魔法を展開したことで、
リズベットの中には安堵が芽生えつつあった。
「ブッギィイイイイイイッ!」
そんな幻想は、豚鬼の雄叫びと無情な破砕音によって、
土壁とともに木っ端微塵に砕かれる。
「はっ!?」
「んなっ!?」
ギースとアンクも驚きを隠せない。
なにせ土壁を迂回してくると予想して構えていたのに、
その中央をぶち抜いてこられたのだから。
結果として数秒ほど、行動に遅れが出てしまう。
その間に豚鬼は盾役との接近に成功していた。
「くっ、〈主の加護を/シールド〉!」
「〈波撃/インパクト〉!」
リズベットの記憶の中で何度となく、対峙者の攻撃を防いできた障壁魔法。
それがまるで紙のように砕かれて、衝撃が術者を吹き飛ばす。
「げはぁ!」
視界から消えたアンクを追わず、豚鬼はこちらを睨んでいた。
「……っ!」
「いけない、リズベットくん!」
ギースの声は聴こえるが、身体が動かない。
蛇に睨まれた蛙のように、本能が屈服しかかっている。
(なに……なんなの、コイツ……)
半ば現実逃避ともいえる、思考の空白。
それを見逃してくれるほど、目の前の豚鬼は優しくない。
「ブフゥゥゥ……〈波撃/インパクト〉!」
ドンッ! と、馬車の荷台を揺らす衝撃。
リズベットが正気を取り戻すと同時に、今まさに起動しようとしていた戦闘天使がボロボロと崩れ始めた。天使の暴走に対して備え付けられた、宝玉破壊による自滅回路の作動が、彼女にとって最後の盾を奪ってゆく。
「あ、貴方! 卑怯ですよ!」
ギースの叫びも虚しく、豚鬼の凶悪な相貌が再度、リズベットを捉える。
「フゴォォォォ……」
「……ひっ!」
ゆっくりと長い息を吐き出す豚鬼の視線は、
まごうことなき狩人のそれだ。
完全にリズベットを、獲物として認識している。
(だ、ダメ……犯られる……っ!)
豚鬼とは種族的に、闘争本能と性欲が高い種族だと知られている。
その証拠に彼らは人類の中でも頑健な肉体を生まれ持ち、
さらに他種族でも自らの種を孕ませる、
特殊な魔法回路を備えている。
基本的に他種族の人類が交わって子をなした場合、それが男でも女でも、子どもは母親側の種族として生まれてくるのが通常である。しかし豚鬼はその法則を侵して、子が男である場合、特殊な魔法回路を用いることで、ほぼ百パーセントの確率で種族を豚鬼へと限定させることが可能なのだ。
つまり男性しかいない豚鬼は、他種族の女性を孕ませることで、
その血脈を保っていく。
真人である自分が豚鬼の子を孕む。
それは浄化軍の戦闘修道女であるリズベットにとって、
死よりも残酷な末路である。
(ならいっそ、相討ちでも──)
リズベットが女性としての決死の覚悟を固めようとしたそのとき、
豚鬼の背後で、動く人影がひとつ。
「こ、ごろずぅ! ごろびでやじゅぅっ!!!!」
先ほどの負傷で内臓を痛めたのか、
鬼気迫る表情で血反吐を漏らしながら剣を振るうアンク。
「──〈大波撃/フルインパクト〉!」
しかし『ズドンッ!』と先ほどのそれを上回る、
強烈な衝撃が馬車を揺らした。
「あぎゃぱはっ!」
アンクは口だけでなく目や耳や鼻、全身の穴から血を噴出させ、ふたたびリズベットの視界から消えてしまう。
ただしもう二度と、彼が戻ってくることはないだろう。
そう疑う余地がないほどの、即死の一撃。
圧倒的な実力者。
強者と弱者。
搾取する者とされる者。
アンクの命をいとも容易く散らしたあと、残心の姿勢のままリズベットに見せつけてくる豚鬼の力強い背中は、彼女の中にあった最後の芯をへし折るのに十分過ぎる光景だった。
(……あっ、無理だ。私じゃ、勝てない……)
肉体が抵抗を諦めた途端に、生温かい感触が股を伝っていく。
そうした敗北者の屈服に、豚鬼も気付いたようだ。
豚鼻を鳴らして、視線をリズベットに向けてくる。
「……い、いや、助けて……」
喉から溢れたのは、自分でも驚くほどに情けない懇願だった。
しかし豚鬼はそれを無視して、リズベットに手を伸ばしてくる。
「動くな、お前たち!」
そして瞬く間にリズベットは豚鬼の虜囚にされてしまった。
その見事な拘束術に、逃げ出す隙はない。
(……この豚鬼、手慣れているっ!)
リズベットは震えた。
「……あっ……うっ……やだっ……離してっ!」
「えぇい抵抗するな! 大人しくしろ!」
「……たすけっ……たすけてぇ!」
「うるさい黙れ!」
体格では勝っているはずなのに、
力強い豚鬼の拘束から逃れることができない。
耳元に浴びせられる吐息が、身体を締め付ける力強い腕が、背中に感じる熱い筋肉の塊が、リズベットからどんどんと抵抗の意思を削ぎ落していく。
もうリズベットには、祈ることしかできない。
(……誰か、誰でもいいから、私を助けて──)
──── ズンッ ────
腹部に違和感。
「……えっ?」
間の抜けた、声が漏れた。
一瞬の思考の空白。
遅れて広がる熱。
激痛。
(……えっ? いったい、何が……)
リズベットは恐る恐る視線を下げ、
自らの腹部を確認する。
そこには禍々しい魔力をまとう、刃が突き刺さっていた。
お読みいただき、ありがとうございました。




