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ブギーテイル ~異世界豚鬼英雄譚~  作者: 陽海
第一章 豚鬼転生編
15/83

【幕間】 月見酒 

【前回のあらすじ】 


 ブタの全力 <<< 越えられない壁 <<< ママの眼力



 周囲に光源がないため、澄み渡った夜空がどこまでも広がっている。

 散りばめた星を背景として、優雅に佇む満月の下には、

 漆黒の森が延々と横たわっていた。


 その、一角。

 不意に大地を埋め尽くしていた緑が途切れるその場所には、

 空に浮かんだ満月を写す巨大な鏡があった。


 名も無き湖のほとりにて。

 肌を撫でる夜風に心地良さを感じつつ、

 徳利から手酌に濃赤の液体を注ぎ、喉を鳴らすのは、

 無精髭を生やした黒髪のサムライ【ハガネ・テッシン】であった。


「ぬ?」


 しばらく双子月を肴として酒盃を仰いでいたテッシンであったが、

 不意にその視線を、湖から背後の森へと向ける。


「なんだ、其方も今宵の月に誘われたか」


 闇夜の中でも炯々と輝く黒瑪瑙の瞳に映し出されるのは、

 それ自身が月の妖精と称されてもなんら違和感のない、

 見目麗しい白髪紅瞳の少女であった。


「酒精がちと足りぬが、この『わいん』もなかなかに美味。必要なら肴も調達してくるが、如何かな?」


 テッシンの誘いに、少女は無言。

 人形のように整った顔に表情はなく、

 紅玉の瞳には、底冷えのする殺意が渦巻いていた。


「やめておけ」


 少女の内側を支配する感情が爆発する寸前、

 機を絶つようにテッシンが背を向けて、

 月を眺め酒盃をあおる。


「今宵のような夜に死合うも確かに一興。しかし今日は、弟子が無事試練を果たしためでたき日なり。そのような日に我らが血を流すことを、あれは望まぬで御座ろうよ」


 テッシンが口にする存在に、

 はじめて少女の表情が変化する。


 わずかに跳ねた眉尻は、

 抑えきれなかった感情の発露か。


 じきに、少女の視線から殺意が消える。


「……次は、ありませんよ?」


 あまりに短すぎる、しかし確かな最後通告。

 少女が漏らしたその言葉に、男は無精髭を撫でる。


「確約は致しかねるなぁ。なにせ羽兼龍断流は、戦場の刃。なれば稽古とあれど、常に命懸けで挑まねば意味を成さぬで御座るよ」

「だったら──」

「されどそれがしにあれを鍛えて欲しいと乞うたのは、其方で御座ろう?」


 突きつけた言葉は、二年ほど前に、

 出会ったばかりの少女の口から放たれたものだ。


 テッシンはそれを実践してきた。

 そしてそれ以外の方法を、この男は知らない。


「だ、だとしても、せめてもう少し加減というものを……」

「戦場で情けは無用なり。そしてそれは、己の身を賭して刻まねば意味を成さぬ」


 濃赤の酒精を口に運ぶ合間に告げられる言葉は、

 歴戦のサムライが積み上げてきた経験であり、

 紛れもない事実であった。


 そして男と同じ程度には修羅場をくぐってきた少女には、

 否定する言葉など吐ける筈もない。


 結果、沈黙が夜を満たした。


「まあ……此度のように、お主があれを付ききりで守るというのであれば、話は別であろうがな」


 やや間を置いて、テッシンが提示した妥協案。

 しかし少女はゆるゆると首を左右に振った。


「それは……できません」

「やはり覚悟は変わらぬか」

「ええ。わたしがあの子の傍にいるのは、『ここまで』です」


 テッシンが『何故』と理由を問いただすまでもなく、少女という存在は、今後の彼の人生にとってあきらかな重荷にとなる。


 少女の所属する神栄教会が──引いては少女のような真人ヒューマが支配するこの大陸では、そのような問題は表面化しない。


 けれどこの地は、彼が生きるにはあまりにも辛すぎる場所だ。

 今後を真剣に考えるならば、彼はこの大陸を離れて、

 別の大陸へと渡らなければならないだろう。


 そう考えるのが自然だし、現実的だ。

 だとすると今度は、少女の存在が問題となる。


 テッシンのような火ノ國出身のサムライならばともかく、

 少女の外見は、あまりにも出身地が如実に現れている。

 出自を問われればまず、誤魔化しはきくまい。


 そして少女の出自は……身の上は、立場は、

 この大陸以外の人類にとって、あまりに危険過ぎるものだ。


 敵視はされても看過はされないだろう。

 どころか各勢力が動き出して、鹵獲、尋問、実験、利用と、

 悪い想像はいくらでも浮かんでくる。


 そしてそれらの予想は、同伴者にも適用されることだ。


「しかしそれはあくまで、おぬしの素性が露見すれば、の話で御座ろう。変装のための術式は持ち得ずとも、そのための魔法道具などであれば、おぬしなら所有しているのではあるまいか?」

「ええ。たしかにわたしが教会から抜ける際に持ち出した道具の中には、そのようなものもありますね」


 少女としても本音を言えば、それに縋りたいはずだ。

 しかし彼を想う母親としての顔が、それを厳しく律する。


「ですが魔法も、道具も、決して完璧ではありません。そしてわずかでも可能性がある以上、それを頼るわけにはいきません。それに何より……」


 ……あの子は、わたくしが傍にいることを望んでくれないでしょうから……


 そんな消え入りそうな呟きは夜風に流され、

 森へと消える。


 テッシンもそれ以上、話題を続けようとはしなかった。

 酒杯を口に運び、喉を鳴らす。


「……失礼、しました。少々取り乱してしまったようですね。今日のことは馬鹿な女の戯言として、忘れてください」

「うむ」

「それでは」


 背後から少女の気配が消えた。


 きっとまた、極度の肉体疲労と魔力枯渇によって寝込んでいる彼のもとに戻り、献身的な介護を続けるのだろう。甲斐甲斐しく息子の世話を焼く母の姿を想像して、少しだけ、テッシンの頬が緩む。


(ああ、言われずとも、鍛え上げてみせるとも)


 母が子を守るのが本能ならば、

 父は子を鍛えるのが努めだ。


 少女から大切な子を託された以上、それを預かるテッシンは父として、師として、彼を徹底的に鍛え上げることを決意している。一方でその思いが強すぎるあまり、肝心の親子がたびたび悲鳴をあげていることに本人は気づいていない。


「しかし……我が弟子は、中々に有望で御座るなぁ」


 テッシンはふたたび月を眺め、ひとりごちる。


 修行の第一段階である組手稽古。


 じつのところテッシンはその達成までに、どんなに順調でも一年はかかるだろうと予想していた。事実、相応の難易度も課していた。それを僅か半年ほどで達成されてしまったことには、師として喜びしか覚えない。


 それに修行の第二段階である、魔生樹の討伐。


 こちらにしても本来、この段階での魔生樹討伐は、実力の等しい同門生たちと『徒党を組んで』当たることが、流派の慣例となっている。


 場合によっては今回、少女が自発的にそうしたように、手出しをしないという条件付きで実力のある兄弟子や師範などに同伴を願うことも、推奨はされないが、認められているほどだ。


 それをどう解釈したのか……まあ今回の場合、テッシンの説明不足と、共通認識を持つ同門生らが周囲にいなかったことが原因であるわけだが……彼はあくまで己のみ、自分自身の力のみで、それを達成しようと試みた。


 その判断が賢明とは、決して言えないだろう。

 だがそうした無謀は、じつにテッシン好みの荒々しさだった。


(経験の足りなさは、学べば育つ。判断の失敗は次に繋がり、やがて正解へと辿り着く。しかし性根だけは、なかなか矯正できぬもので御座るからなぁ)


 新たに液体を徳利から注ぎ、手酌であおる。

 うむ、じつに美味い。


(それに今回の討伐では、守護獣まで仕留めたと聞いておる)


『少しばかり』少女の力添えがあったとはいえ……

 ほぼ単独での、守護獣の討伐。


 それは火ノ國において成人の儀とされており、

 この段階で命を落とす若人も決して少なくはない。


 それをこの世界に転生して一年と半。


 転生者としていかに成長が早いとはいえ、肉体としては八歳ほどにしか育っていない彼がその偉業を成したことは、師として非常に誇り高く、男としては悔しい。


「某とて守護獣の討伐など、ようやく齢十に達する頃だったというのに……」


 ちなみに一般的な成人の儀は、十二歳前後とされている。

 それを十歳に満たないうちにテッシンが達成した際は、

 国元でちょっとした騒ぎとなった。


「小生意気なわらしめが」


 喜色と嫉妬で、さらに酒が進む。

 そして想像する。


 もし、このまま彼を鍛えれば、どこまで伸びるのだろうか。育つのだろうか。自分の期待に応えてくれるのだろうか。


 そして、願わくば……


「精々某を、楽しませてくれよ」


 酒盃を月に掲げ、一気に飲み干す。


 空に浮かんだ満月は、無邪気な子どもを見守るように微笑んでいた。


          ◇◆◇◆◇◆


 それからさらに、一年の月日が流れた。



 お読みいただき、ありがとうございました。

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