現状把握 (Alice's Turn)
「知っている天井だ。」
と言ってもワンルームの自宅ではなく、お世話になっているアルムさん宅の自室の天井ですが……。
この世界に来たときも、寝落ちしてからでしたので、もしかしたらと期待したのですが、そんなことはなかったようです。
しかし、それについては、現時点で、手の施しようがありません。
まずは、現状の把握に努めましょう。
服は、寝巻きに着替えさせられていますね。
かなり寝汗をかいたのか、肌に張り付いて、少し気持ち悪いです。
次に、手足を曲げ伸ばししてみますが、骨や関節に、異常は感じません。
でも、あとから、筋肉痛ぐらいにはなるかもしれませんね。
そして、腕は何箇所か切られたはずですが、防刃ローブの上からでしたので、ひっかき傷ぐらいで済んでいます。
切られる所をあらかじめ決めておいて、そこを切らせることで、大事な部分を守る。
セキュリティの基本ですね。
あと、おなかが空きましたね。
お恥ずかしながら、今にも鳴り出しそうです。
「よかった。気がついたのね。」
ドアが開いて、マリアさんが部屋に入ってきました。
マリアさんは、アルムさんの奥さんです。
左手には桶を持っていて、その桶の中では、お湯にタオルが浮かんでいます。
体を拭いてくれるつもりだったのでしょうか。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」
私は、ベッドの上で正座をして、深くおじぎをしました。
「そんな、迷惑なんてとんでもないわ。こちらのほうこそ、ごめんなさいね。うちの軟弱亭主がたった1人しか足止めできずに、2人もアリスちゃんに押し付ける形になったのだもの。」
「えっと、ゾンネ兵は4人いたはずなのですが?」
「その話は、あとでゆっくりとね。とりあえず、熱を測らせてね。」
マリアさんの右手が、私のおでこに当てられます。
寒い冬の日に日光を浴びたときのような暖かさが、おでこから全身に広がっていきます。
「うん、熱は大分下がったみたいね。」
「これが、治療魔法?え、私は熱を出していたのですか。」
「そうよ。あなたは高熱を出して倒れたの。そして、さっきのは探査魔法。治療魔法をかどこが悪いのかわからないと治しようがないでしょう。」
なるほど。
確かに、マリアさんの言う通りですね。
「でも、風邪ではないようなのだけれど。そうね。魔法を覚えたての人が、同じ属性の魔法ばかりを使って、体内の魔力のバランスが傾くと、同じような症状になることがあるわね。症状によっては、体が徐々に石化していく人もいるのよ。その人の場合は、土属性の魔法の使い過ぎで、体内の魔力のバランスが、土属性に傾き過ぎたせいだったからなのだけれど。」
なにそれ、魔法ってこわい。
「魔法を使う上で最も大事なことは、体内の魔力のバランスをニュートラルに保つことなの。何しろ、強力な魔法を使えば、その分だけ、その属性に傾きますからね。といっても、アキツシマの人が魔法を全く使えないというのは、本当なのね。アリスちゃんの身体からは一切の魔力が感じられないもの。だから、そんなことにはならないから、安心してね。」
どうやら、魔法に対する恐怖が顔に出ていたようです。
そして、私には魔法を使うことができないと。
やはり、剣と魔法の世界に来たからには、使ってみたかったのですが……。
「風邪でも、魔力でもないとすると、高熱の原因は一体?」
「多分、過労じゃないかしら。」
「過労……ですか。」
「アキツシマのひとは働き者だって聞いていたけれど、あなたは本当に働きすぎだと思うわ。休むときには、休むことも覚えないと駄目よ。心は疲れていなくても、体の方もそうとは限らないんですからね。」
「……ありがとうございます。」
マリアさんの優しさが身に染みます。
見ず知らずの私のことを、親身になって、心配して下さって……。
いけません。
涙が出そうです。
しかし、そんな暖かな雰囲気を台無しにする音が、私のお腹から鳴り響きました。
「あっ。」
「ふふっ、まずは精をつけないとね。すぐに用意するから、待っててね。」
そう言って、おそらく、顔を赤くして、うつむく私を尻目に、マリアさんは部屋から出ていきました。
食事のあと、先日お会いした天使様が、事情聴取をしたいとのことで訪ねてきました。
「一応、1度お会いしているのですが、改めて自己紹介を。ルイーズです。」
と名乗りながら、手を差し出されたので、握り返しながら私も答えます。
「アリス・アミエと申します。」
そして、お互い着席します。
ルイーズさんの対面に、私とアルムさんが座り、そして、私の膝の上にユニがいます。
マリアさんは、『あとで、ゆっくり、夫に聞きますから。』と言いながら、素敵な笑顔で席を外しました。
「アルムさんからも話は聞いているのですが、それとは別に、アリスさんがアルムさんと、別れてからの経緯を聞かせて下さい。」
私はアルムさんと別れてから、起こったことを、順を追ってルイーズさんに説明しました。
「不意を突いたとはいえ、ゾンネ兵2人をほぼ無傷、かつ短時間で撃破ですか。アリスさんはかなりの腕前をお持ちのようですね。クロ-ドが傭兵として雇いたいといったのもうなずけますね。」
ルイーズさんの視線が何かを探るようなものに変わります。
しかし、クロード様ったら、私のことをほかの人にも、そんな風に語っていたなんて。
なにか、こそばゆいですね
「単なるまぐれですよ。それに、アルムさんにお借りした、武具の性能のおかげです。私の力ではありません。」
ルイーズさんは、そう言った私の目を、じっと数秒ほど見つめると、何かを納得したように腕を組んで、うんうんと、うなずきました。
「まあいいでしょう。私たちはともかく、クロードの敵にはならないみたいだし。」
そう言って、ルイーズさんがにっこりと、私に微笑みました。
な、何ですか。
天使様だから、心を読めるんですか。
「女の勘。だから、同志として、改めて仲良くしましょう。」
笑顔で、再び握手を求められました。
「私の完敗ですね。」
そう言って、私も彼女の手を、固く握り返しました。
「何かよくわからないが、2人が打ち解けてくれたのはなによりだけど、そろそろ話を戻さないかい。」
「そうですね。アリスさんも、アルムさんの話を聞いて、お互い、情報のすり合わせをしましょうか。」
私と別れたあと、アルムさんは、敵の隊長格となかなか決着がつかず、ずっと打ち合っていたそうです。
しかし、ルイーズさんたちが到着したら、その隊長はあっさり投降。
そして、もう1人のゾンネ兵は、早々に逃げ出したとのことです。
「アリスさんは、その逃げ出したゾンネ兵を見かけませんでしたか?」
「いえ、私の方には多分、来ていませんね。」
「やっぱり、そいつがカギね。」
でしょうね。
おそらくいると思われる本隊に、何かを届けるため、離脱したのでしょう。
隊長があっさり投降したのも、自分たちに人員をさかせて、捜査の手を緩めるためではないのでしょうか。
「でも、3人も、捕虜がいるのですから、なにかしら、わかったのではないのですか。」
「2人よ。」
「え、でも、リュンヌには『リザレクション』があるのですから、それで蘇生させれば……。」
「あー、やっぱり、他国人は『リザレクション』をそういうふうに誤解しているのね。確かに、『復活』なんて、大層な名前がついていたらそう思うのもわかるわ。あまり詳しくは教えられないのだけれど、実際には、あそこまで肉体を破壊された者の蘇生は無理なのよ。」
「そんな……。」
実を言うと、あの時、私がおもいっきり戦えたのは、ガブリエルちゃんたち神官が『リザレクション』を使えるからです。
少々、派手にやっても、彼女たちがなんとかしてくれる……。
そう、思っていたのです。
ゲームでは戦闘不能になったキャラも、『リザレクション』やアイテムを使えば、簡単に復活させることができました。
戦闘不能?
そういうことですか。
戦闘不能は、あくまで戦うことができない状態であって、死んでいるわけではないということですか。
魔法の力であっても、人の生死をどうこうすることはできないのですね。
私は、まだどこかで、ゲーム世界だからと思っていたようです。
しかし、そのおかげで、私は生き残ることができたのかもしれません。
確かに、殺人とは最大級の悪徳です。
ただし、ここは平和な日本と違い、戦時中なのです。
となれば、人心は乱れ、治安は悪化します。
そう、私も経験していたではありませんか。
大通りから少し小道に入っただけで、身に危険が迫るような世界です。
あのとき、私が洞窟に行かなかったとしても、いつかは、身を守るために、相手の命を奪うことが必要な事態に陥ることでしょう。
そう考えると、運がよかったのかもしれません。
心構えができていないときに襲われていれば、二の足を踏んで躊躇し、逆に私のほうが命を落としていたかもしれません。
「アリスさん。そんなに気にすることはないわよ。もしあなたが負けていたら、そのあと、偽装のためにされる行為は、相場が決まっているのだから、当然の報いよ。」
ルイーズさんが、黙り込んでいた私を慰めるようにこえをかけてくれました。
「いえ、私なら大丈夫です。ルイーズさんの言うこともわかるのですが、せめて、彼の冥福を祈らせて下さい。」
正しい作法などわかりませんが、両手を合わせて、目を閉じ、黙祷します。
彼の未来を奪った私にできるのは、彼のことをずっと忘れないでいることだけです。
アントンさん、あなたのことは私が覚えています。
それが、私なりの罪滅ぼしです。
ですから、どうぞ、安らかにお眠りください。
「それでは、お2人とも、ありがとうございました。そろそろ、お暇させていただきます。」
私の黙祷を、黙って見守ってくれていたルイーズさんは、そう切り出して、席を立つと、帰っていきました。
「アルムさんにお願いがあります。」
「なんだい。」
「私は、今回のことで己の無力さを痛感致しました。私に剣を教えてくれそうな方に、お心当たりはありませんか。」
「アキツシマの剣となると、イセさんはどうかな。アキツシマ出身で、クロードさんの師匠だし、ちょうどいいんじゃないかな。」
「イセさん?ラファール船長のですか?ぜひ、お願いします!」
ラファールというのは、この世界最速の飛空艇です。
ゲーム中では、クロード様たちと一緒に各地を転戦しました。
これは、思ってもいない僥倖です。
クロード様の剣を学べると。
是が非でも、その人に教わらなくてはなりません。
「わかったよ。少しマイペースな人だけどね。停泊中はゆっくりしているそうだから、会えるように渡りをつけておこう。」
「ありがとうございます!」
私は、深くお辞儀をして、アルムさんにお礼を言いました。
それから次の日の夜には、もう、イセさんに会いにいくことになりました。
マリアさんは剣の修行を始めるのに、難色を示しましたが、自衛のためであることを伝えて、なんとか認めてもらえました。
満月亭というバーにいるそうで、同行者は、私の隣をふよふよと飛んでいるユニと、なぜか案内をしてくれるというリシャールさんです。
出発前に、『隊長によろしく頼まれていますから』と笑顔で言われましたが、私は彼には信用されていないようです。
今も前を向いて歩いている背中から、視線のようなものを感じます。
もちろん、彼の目が後ろについているというわけではなく、彼がずっとこちらを探るような気配を放っているのです。
騎士様のエスコートなんて、乙女の夢の典型でしょうに、これでは落ち着きません。
「ここが、満月亭ですよ。」
「バーというわりには、立派な建物ですね。」
バーというからには、西部劇にでてくるような建物を想像していましたが、外観ではレストランのように見えます。
「どうぞ。」
リシャールさんが立派な木製のドアを開けて、招き入れてくれました。
「ありがとうございます。」
リシャールさんに軽く会釈しながら中に入ると、目に入ったのは木目調のシックな内装でした。
そうですね。
日本で言えば、TVにでてくる高級そうな、純粋にお酒を楽しむための会員制のバーといった雰囲気でしょうか。
現に話し声は聞こえますが、騒いでいるような人はいません。
皆さん静かに、お酒を楽しんでいるようです。
「アリスさん、こちらですよ。」
私が店内の雰囲気に呆けていると、リシャールさんに奥に案内されました。
その先には、カウンター席の右端に座っている銀髪と黒髪の2人の男性がいました。
「お話中、失礼いたします。イセさん、この方が件のアリス嬢です。」
と、黒髪の男性に紹介してくれます。
ということは、黒髪の方がイセさん?
では、こちらの方は?
「おいおい、お前。亡くした妻に操を立てたんじゃなかったのか?」
「茶化すなよ。すまない、お嬢さん。俺がイセだ。そして、こいつが――」
「ヴォルフだ。よろしくな、お嬢さん。」
え、無精ひげを生やしているけれどこの人って……。
まさか、こ・う・て・い。