〈7〉
少しずつ回復しているといってもベッドの上から余り動けないまま、もう一月経つ。その頃から、陽花は元の世界を思い出して泣くのをやめた。
今では、暇だからと動こうとして心底灯が困った顔をするのを、笑って流せるくらいの余裕もある。
「なんか、最近陽花、顔が明るくなったね」
「そう、ですか? 自分じゃよく分からないんですが」
「うん。なんか、前向きな顔してるよ?」
なにかあったの? と首を傾げる灯に、陽花は眉を下げて笑って見せた。
この一月の間に、ここでなんとか生きてみようと思えるようになった。それは、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる異形二人のおかげだ。
「あの……」
訳を話そうと口を開いた瞬間。入り口の布をむしるような勢いで、ルルクゥが飛び込んできた。
「旦那ー! またそこら辺にあたしの持ってきた野菜放置したんなぁ!? せっかく持って来たんに、萎びて旦那の尻尾みたいになってるやないの!」
「うわ、ルルクゥ!? だ、だってあの、俺野菜好きじゃないし……! あと俺の尻尾萎びてないし」
「だまらっしゃい! 虫が出たような反応するんやないん! ほらもう魔物の狩ったやつも、ぽいぽいその辺に放らんといてって言いましたんなぁ!? ハルちゃんが見て倒れでもしたら、どうするつもりなん!」
「いやあの、ええと……ハイすいません……」
「自覚があるならもうしない! 全く! 次やったら枝に吊るして天日に干して塩かけて干物にするんなぁ!」
「やめていきなりそういう怖いこと言うの!」
ここ一月で分かったことだが、この二人の力関係は、完全にルルクゥの方が上だ。半分蛇のくせに、陽花より背の低い小鳥のルルクゥに灯が言い訳できているところを見たことが無い。
何かと世話焼きらしいルルクゥは、来るたびこうして灯のだらしない生活をびしばし矯正しているようだった。
気心知れた友人らしい二人のかけあいは、放っておいてもぽんぽんと会話が飛び交い、下手な漫才より聞いていて面白い。
いつも押され気味の灯はこうなるといつもの倍感情が顔に出やすくて、ころころ表情が変わる。今も、にこにこと眉を下げて笑っていたかと思えば、しょんぼりと尻尾が垂れている。暗雲を背負ってしくしく泣く姿はいっそ情けなかった。
その姿はどう見ても、下半身にさえ目をやらなければ、ちょっと押しに弱い優しく穏やかな今時の青年にしか見えない。
赤い翼をめいっぱい広げ、ぎらぎら光る黒い鉤爪を鳴らして地面を引っかくルルクゥは、灯にとっては天敵でも、陽花にとってはただの気のいいお姉さんだ。顔立ちが整っているおかげで、逆にその姿は幻想的で、美術品を見ているような気にすらなる。
怒らせると怖いのは、灯を通じてよく知っているが。
間近で二人と接する時間が増えるほど、彼らのいい所が見えてくる。陽花は少しずつ、二人の異形に心を開いていた。
「ルルクゥさん、あんまり怒らないであげてください。私がいるから忙しいんですよね?」
「もー。ハルちゃん甘やかしたらあかんてなぁ。ハルちゃん、そらもう大人しい患者さんで、なーんも難しいことないんやから」
「う……すいません……」
「ほら、本人も認めとうし。って自覚あるんなぁ!? このズボラ! ズボラ旦那! でっかい図体でへこんでも可愛くないんよ!」
しょんぼり頭を下げる姿は、陽花より頭ひとつ大きい体に似合わず、いっそ可愛らしい。
折り畳んだ蛇体の上にちょこんと乗っかっているのは、多分正座のつもりなんだろう。
真っ赤な羽を広げて、頭の後ろのはねた毛を逆立てたルルクゥの怖い顔に怯える彼に、陽花はクッションに埋もれたベッドの上で、きゃっきゃと声を上げて笑った。
笑いすぎて目の端に溜まった涙を拭いながら、陽花は二人の優しさをもう一度噛み締める。
陽花の体には、大小様々な傷があり、治りかけの体はお世辞にも見ていて気持ちのいいものではない。
打ち身で赤黒く染まった腹、治りかけの背中の打撲は紫色をしているし、一番酷かった左目の上から額へ走る大きな切り傷と、ばっくりと裂けてしまった左足首の傷は、未だに塞がりきっていない。
街から慌てて連れて来た腕のいい医者に、意識の無いうちに縫われたのだというその二つの傷。
そのせいで、陽花の顔はまるでゾンビのようだし、自由に動き回ることは難しかった。
そんな陽花を、灯は昼間のうち、ずっと側について嫌な顔ひとつしないで世話を焼いてくれる。
ルルクゥも、なにかと理由をつけては毎日のように顔を出して、灯には頼めない細々したことをこなしてくれた。
恐縮してごめなさい、と謝ると、ぺちんと頭をぶたれて気にするなと笑ってくれる。
「そ、そうだ、今日も狩りに出るけど、怖くないようにしていくから、大丈夫だよ!」
「こらー! 話を逸らすんやないんー!」
「灯さん、分かりました。ルルクゥさんも落ち着いて……」
夜は夜で、陽花に危険が無いように、灯は洞窟の入り口を布ではなく岩で閉じ、山守の仕事へ出かけていくのが日課だ。
遠くのほうで唸り声が聞こえることもあるが、灯は一度も怪我をすることも無く、いつもの微笑みのままで帰ってきては、迎えた陽花の頭を優しく撫でる。
寝室は陽花一人に使わせて、自分は居間か、晴れの日は外で寝ているらしい。世話になりっぱなしの上、寝床まで奪ってしまって申し訳ないのだが、灯は遠慮しないでと笑う。
謝る陽花が争いごとに慣れていないのを感じ取っているのか、どこかで汚れを落としてくる灯からは、いつも水の匂いだけがした。
「穂種はどこやったかな……。ルルクゥ、また取り寄せてくれる?」
「いっくら心配だからって、点しすぎじゃないんなぁ? まあハルちゃんのためやし、いくらでももってくるけど」
「あの、もう少し少なくても」
「駄目だよ! 陽花は俺と違って暗いところは苦手でしょう?」
言った灯の手には、空豆ほどの大きさをした黒い種が握られている。それを洞窟の壁にあけられた窪みに一粒置き、水をかけると、しゅるしゅるとみるみるうちに蔓が伸び、壁に沿ってタンポポの綿毛を一回り大きくしたような花が咲いた。
いくつも咲いたそれは、しばらくすると、ほの暖かい赤色の光を放ち始める。壁に空けられた穴は五箇所。全てから花が伸びれば、室内はほわりと幻想的な光に溢れた。
「やっぱり、綺麗です」
「ふふー。ハルちゃんはこれ好きなぁ。そんじゃ、あたしも暗くなる前に失礼しますよって」
電気が無いこの世界では、このタンポポもどきが明かりらしい。
どんな原理なのかは分からないが、蛍光灯よりずっと暖かい光は柔らかで綺麗だ。
赤みがかった光に照らされたルルクゥがにこにこと笑うが、陽花が好きなのは、この明かりそのものだけではない。
「じゃあ、いい子で待っててね。危ないことしちゃ駄目だよ?」
「灯さん……子供じゃありませんから、大丈夫ですよ」
過保護気味の蛇の鱗が、動くたびに光に照らされてきらきら光る。
陽花は、その美しい光を、彼の尻尾が見えなくなるまで追っていた。
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