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蛇のご馳走  作者: 綾野 悠
番外編
28/29

そんな季節

とんでもなく久々の更新、しかもこんなアホ話になってしまい、申し訳ありませんでした…。

ここのところ、ルルクゥに元気が無い。


「うーん……? そういえば、昨日はおかわりが少なかったような……?」

「どんぶり二杯しか食べてませんでしたし、ここ何日かずっとなんておかしいです。体調でも崩したんでしょうか……。灯さん、なにか心当たりあります?」

「んんー……? ここのところちょっと寒くなったからかなぁ? 寒いのは俺も嫌いー」

「ああ、蛇ですもんね」


 陽花が洗った食器を、灯がきゅこきゅこと布で拭く。並んで仲良く朝食の片付けをする二人は、今日はまだ顔を見せていない友人の変化に首を傾げた。

 季節は少しずつ流れ、いつも薄着でちょうどいいくらいのこの入り江も、最近朝晩ほんの少し涼しい風が吹く。


 この島自体は常春の島だが、ゆるやかな四季はあるらしく、今は砂浜の赤い花の葉が淡い黄色に染まりはじめる秋の入り口だ。

 雪が降ることは無いらしいが、蛇らしく寒さに極端に弱い灯は、今から既に服を陽花がおっかなびっくり縫った長袖に変えている。

 ただ、食欲の秋はこの世界でも変わらないのか、灯もルルクゥも、何時にも増して食欲旺盛になっていた矢先、このルルクゥの体調不良だ。


「あ、でもそういえば、毎年このくらいになると何日かこっちに来ない日があったよ。鳥族のなんかこう……習性とかじゃないの?」

「普通、動物ってこの時期こそ活発に動くんじゃ……。少ししたら元に戻るんですか?」


 最後の皿を手渡された灯は、陽花の疑問にこくりと頷いてみせる。


「うん。なんかいつもより元気になって戻ってきてたよ」

「なら、いいんですけど……」


 鼻歌を歌う灯を横目に、陽花は小さくため息をついた。



************



「おはよぉハルちゃん。今日は果物と、お花持ってきたんなぁ」

「……ルルクゥさん、なにか悩み事でもあるんですか……?」

「えー……? ああ、なんでもないんよぉ。はぁ……」


 お茶の時間すら通り越した、いつもより大分遅い時間になって姿を現したルルクゥは、どんよりと暗雲でも背負っているかのように声にも雰囲気にも覇気が無い。

 どこかぼんやりと遠くを見つめて、重苦しいため息をついてばかりだ。

 ほんのり洋酒をきかせた、たっぷりのドライフルーツが入った大振りなパウンドケーキのほろ苦く甘い香りにも、皮ごと少し厚めにからりと揚げられた黄金色のポテトチップスから立ち上る香ばしい湯気にも、ルルクゥはほとんど反応しない。


「今回、何時にも増してなんか、やばいね、ルルクゥ」

「灯さんから見てもそう見えます? やっぱりなにかあったんでしょうか……」

「この時期のルルクゥ、長居しなかったからよく分かんないけどね」


 巨大な皿にケーキとポテトチップスを山盛りにして、ひたすら交互に口に入れている灯の頬についたかすを拭ってやりつつ、陽花はテーブルにぐったりと伸びるルルクゥに眉を寄せた。

 そこでふと、彼女の頭に違和感を覚えて、テーブルにめり込むように突っ伏したルルクゥに近寄る。

 見れば、彼女の、というより鳥族の特徴でもある頭の後ろの跳ねた毛がどこにも見当たらなかった。


「ルルクゥさん、ぴょこんどこに落として来たんです……?」

「んんー……。ハルちゃん、今日はあたしこれで帰るんなぁ。あー……明日街行く日やったんなぁ? 朝のー……なんかいい時間には迎えに来るんなぁ……」

「え、あ、ハイ……気をつけて……?」


 ゆらゆらと上半身を幽霊のように揺らしながら、ルルクゥは億劫そうに体を起こすと、半眼のままいつもより随分覚束ない動きで砂浜から空へと舞い上がる。

 心配で洞窟の外まで見送っていた陽花の目に映ったのは――自慢の真っ赤な尾が無いルルクゥの後姿だった。




 次の日、いつもなら洞窟まで笑顔で迎えに来るホゥトとティーククも、薄ぼんやりと視線が虚空をさ迷うばかりなのに、荷物を持った陽花はいよいよ顔を歪める。

 二人ともルルクゥと同じく尾が無く、後頭部の跳ね毛も消えていた。朝食を取られずにほっとしているのと、心配なのが入り混じって微妙な顔をした灯に見送られて辿り着いた街も、普段からは考えられないほどしん、と静まり返っている。


 男二人に尾羽が無いせいか、普段より揺れた籠から地面に降り立ってみると、その静けさが一層よく分かる。

 通りのあちこちから流れる音楽も無く、美しい羽を広げて空を行く鳥族もいない。表通りに連なる店はほとんどが扉に布をかけ、いつもなら元気よく駆け回る子供たちも、顔色が悪く大人に抱えられるようにして家へと引っ込んでいった。


「申し訳ありません、ハルカさん……。私たちはこれで……」

「どこ行っても多分開いてないと思うけど……ごめん、今日は早めに送っていくから、それまでどこかで時間潰してて……?」


 ぐったりしたホゥトとティーククはそれだけぼそぼそと呟くように言うと、そそくさと雄鶏亭の方へ向かっていく。様子からして、雄鶏亭の二階にある自分たちの居住区へ行ったのだろう。

 

「ハルちゃんごめんなぁ……。今日帰ったら一週間くらいは街には送って行けないん。その間の食材はまとめて雄鶏亭に置いてあるから、確認だけしてなぁ……」


 沈んだ声色でそう言ったルルクゥは、ため息ひとつ、自分の家へと歩き出した。はあ、とぽかんとした顔の陽花の方は、もう見向きもしない。

 あまりに普段とはかけ離れた愛想の無さと静かな街の様子に、驚きや怒りよりも気味の悪さが勝つ。

 

「どうなってるの……?」


 不安になった陽花は、誰もいない通りを足を引きずるようにして雄鶏亭へと急いだ。






 息を切らせて辿り着いた雄鶏亭の扉も、やはりしっかりと閉ざされている。風に揺れる美しい緋の旗も、今日は柱に括り付けられていた。

 恐る恐る扉を開くと、カウンターに座ってうつらうつらしているアディの姿か目に入る。


「アディさん!」

「ん? ああ、嬢ちゃん今日来る日だったかい? 悪いね、出迎えもしないで」

「やっとまともな人に会えた……! アディさん、皆さんどうしちゃったんですか!?」

「あー……? ああ、そうか、アンタ「これ」初めてか」

「び、病気とか、事故とかですか……!?」


 普段しないような力強さでもふもふの胸元を掴んだ陽花に、アディはどこか歯切れ悪く視線を逸らした。言い辛そうなその様子に、まさかとんでもないことでも起こったのかと陽花は顔を真っ青にする。

 様子の変わった陽花に、しかしアディは慌ててかぶりを振った。


「違う違う! あの、アレだ、ほれ。換羽期ってやつだよ」

「かん、う?」


 きょと、と聞きなれない言葉に目を丸くした陽花に、小さくため息を吐いたアディは安心させるようにその頭を撫でる。


「嬢ちゃん、そういや鳥族見たことも無いような所から来たんだっけねぇ。いいかい、あいつら年に一度、この位の時期になると羽が抜け変わるんだよ。鳥族ってやつはほれ、見ての通り派手好きだろ? 自慢の尾羽も頭の飾り毛も、綺麗な色の翼も無くなって、しかも体力使うのかだるいし眠いしでもう機嫌死ぬほど悪くなるんだ」

「は、はあ……?」

「おまけに生きる気力が沸かないとか言って食欲がた落ちさせて体壊すやつが後立たなくてなぁ……。この時期毎度毎度アタシは薬師に逆戻り。もー一昨日辺りからばたばたっと街全域で換羽期になったせいでろくに眠れやしない! もううんざりだよ……」


 途中まで鼻に皺を寄せて機嫌悪そうにまくし立てていたアディだったが、言っている最中に嫌になったのか、最後にはぐったりとカウンターに突っ伏してしまう。

 よく見れば、カウンターの奥には薬草らしき草や花が籠いっぱいに置かれ、横には秤と袋が無造作に置かれていた。


「な、おるんですよね?」

「ああ? あと一週間もすりゃあみんな生え変わるから心配しなさんな」


 おろおろする陽花の頭を撫でながら、アディは疲れのせいかいつもより威力の増した笑顔を作る。その言葉にほっとすると同時に、妙に陽花の体から力が抜けた。

 どんな大事件が起きているのかと思っていれば、蓋を開ければただの生理現象。脱力した陽花の困ったような顔に、アディもふすん、と鼻から息を抜いた。


「病気とかじゃなくて良かったです……。今日はお邪魔にならないように、早く帰って一週間後に来ますね。今日帰るまでは、アディさんのお手伝いしましょうか」

「いいのかい? 正直助かるよ。なんせ今この街でまともに動けるの、アタシと嬢ちゃんだけだからねぇ……ありがとさん」

「いえいえ。それにしても、年に一回とはいえ、こんなに雰囲気変わっちゃうとは……獣人さんって奥が深いですねぇ」


 陽花の言葉にいくらか元気を取り戻したアディは、頬を掻きながら笑う。にこにこと手始め大盛りになった薬草を仕分ける所から始めようと腕まくりをした。気合を入れる陽花に、アディは独り言のように呟く。


「どっちかってーと、面倒なのは一週間後が本番だから、覚悟してなよ」


その言葉に、陽花は首を傾げるばかりだった。




***************





「おーはようさーん!! ハルちゃーん! 旦那ー!  朝やんなぁぁぁぁぁ!!」


 一週間後。まだ夜も明けきらない早朝、洞窟にルルクゥの大声が響き渡った。

 あまりの声量にまだベッドの中で寝ぼけていた灯は自分の尾に躓いて床に転げ落ち、朝食の準備に勤しんでいた陽花は皿を落としかける。

 ばっさあ! と入り口の布を颯爽と跳ね上げて飛び込んできたルルクゥは一週間前の落ち込みようが嘘のように普段どおり、むしろ普段以上に元気そうだ。

 

「お、おはようございますルルクゥさん。換羽期終わったんですね」

「いやー、説明しとらんでごめんなぁ。びっくりさせたんなぁ? お詫びじゃないけど、手伝うよー」


 ことんと小首を傾げて苦笑するルルクゥは、いそいそと陽花の手伝いをし始める。その姿は、普段から着飾っていたが今日は一段と派手派手しかった。

 着ている服はあちこちにきらきらと光を反射する石が織り込まれ、黒い足には幾重にも柔らかいリボンが結ばれている。

 人形のような可愛らしい顔と調和する美しい装いに思わず見とれた陽花は、彼女の尾羽が以前より長く伸び、宝石のように煌いている事に気付く。

 頭の飾り毛も大きく立派になったその姿に、陽花はほう、と感嘆のため息を漏らした。


「換羽って凄いんですね……。わ、羽もいつもよりカラフルになってる! ルルクゥさんいつも美人ですけど、一段と素敵ですね!」

「うふふふふー。そう? そう? ハルちゃんに言われると嬉しいんなぁ」


 褒め言葉にまんざらでもなさそうな顔をしたルルクゥと、おでこの辺りを摩りながら起きてきた灯の前に出来立て熱々の朝食を並べる。


「今日はなんちゃってアフタヌーンティ風にしてみました。アフタヌーンじゃないですけど」

「よく分かんないけど美味しそうだねぇ」


 沢山食べる灯のためにどうにか飽きの来ない食事を、といつも心を砕いている陽花は、にこにことスコーンにサンドイッチ、ケーキというアフタヌーンティセットを指差す。

 初めて見るその取り合わせに、灯は嬉しそうにきらきらと目を輝かせて胃の辺りを撫でた。 


 お上品な三段トレーに収まるわけが無い、とんでもない量の焼きたてのスコーンが、巨大な籠いっぱいにこぼれんばかりに盛られている。

 食欲を刺激する小麦の香ばしさとミルクの優しい香りが漂うプレーン、花の香りのする茶葉を練りこんだティーフレーバーと、酒のほろ苦さがアクセントのドライフルーツを練りこんだもの、そして、こっそり陽花が仕込んだにんじん味の四種だ。

 どれもこれもほかほかとまだ湯気を上げて、朝の空っぽの胃を思い切り刺激する。

 お供はほのかに酸味のある花から作られた色鮮やかなジャムや、ごろごろと大きく切られた果肉が目立つ果物のコンポート、ボウルに白い山をつくる甘く濃厚なクロテッドクリームだ。

 サンドイッチは昨日焼いたばかりの食パン三斤をこれでもかと分厚く切ってトーストにしたものに、これまたはみ出るほど大きな、甘い脂と燻製の香ばしさを滴らせるベーコンと、しゃきしゃきの野菜、完璧な半熟に焼かれた双子の目玉焼きを挟んでいる。

 以前一度作ってから、頻繁にリクエストされる灯のお気に入りだが、それだけではどうせ足りない。

 少し胡椒で辛味を効かせた、まろやかで口当たりのいいたまごサラダを挟んだものと、目の前の海で獲れた巨大なエビのぶつ切りだけで作った、口の中に海老の身と旨みが弾けるような海老カツに特製タルタルソースをたっぷり乗せたものも用意した。

 ケーキは一週間前に出来立てを食い尽くされて仕込み直したドライフルーツとナッツのケーキに、果肉の舌触りも楽しいさっぱりとした果物のタルト、黄色いイチゴの乗ったショートケーキ。出来る限り大きく作ってもらった金型から生まれたそれは、我が物顔で机の半分を占拠している。


 他にも街で売れそうな新しいレシピを試した可愛らしいクッキーや、花びらの乗った焼き菓子を大皿に綺麗に並べて差し出せば、灯の腹の虫が我慢出来ないとばかりに騒ぎ出した。


「ルルクゥさんもどうぞ。新しいレシピのやつもあるんで、感想聞かせて下さいね」

「……毎度思うけど、この洞窟ほんと、ハルちゃんが来てから天国やんなぁ……」

「いただきまーす!!」


 何故か涙を拭うふりをしながら、ルルクゥも腹を押さえて嬉しそうに席につく。同時にまるきりフードファイトのように始まった食事に、陽花はようやくいつもの風景が戻ってきたと呆れ半分、嬉しさ半分で苦笑した。

 陽花自身は、三人分のお茶とミルクを用意した後、みるみる消えていく料理を横目に、その半分以下の大きさのサンドイッチを齧りながらおかわりは何を作ろうかと思案する。


「ちょい海老って苦手やったんけど、揚げてあるのは好きやんなぁ。さくっさくのぷりぷり、海老の味とこのソースがまた憎らしいくらい合うし……。あっ! 旦那あたしのスコーン取るんやないん!」

「ルルクゥのじゃないし! というよりルルクゥ、俺の分まで取ってかないでよー」

「なんかルルクゥさん、食欲戻りました、ね?」

「あーもうこのジャムも美味しいんなぁ……。え? ああ、換羽期終わるとお腹減るんよねぇ」

「お、おれのごはん……」


 多少戻り過ぎのルルクゥの食欲と涙目でこちらを窺う灯の顔に、なんとか一週間持たせてきた侘しい食料庫事情を思い出して、食材足りるかな、と陽花は遠い目をした。

 



 わあわあと騒がしさの戻ってきた朝食を終えて、のんびりと食後のお茶を楽しんでいる三人の耳に、一週間ぶりの大きな羽音が飛び込む。

 どうやらホゥトとティーククの到着のようだ。


「そういえば、今日は一緒に来られなかったんですね」

「いやー。あたし今日早く起きすぎちゃって。おかげでごはんにありつけたけど」

「あれ俺のごはんだってば!」


 ぷんすかと怒る灯を宥めて、陽花は入り口の布をめくって顔を出す。いつも通り挨拶をしようと開けた口は、しかし声を発することが出来なかった。


「ああ、ハルカさん。おはようございます。いい朝ですね」

「おはよー! 今日はいい天気で良かったよー」


 朝日に照らされて普段と同じように籠の前に立つ二人は、朗らかにこちらに手を振っている。けれど、その姿は一週間前に見たときとは大きく違っていた。

 倍ほどに伸びた尾羽の左右に、孔雀の羽のような美しい模様の長い尾が増えている。頭にはルルクゥのものよりはるかに立派で派手になった飾り毛が、誇らしげに潮風に揺れていた。

 半分広げられた翼は段違いに色鮮やかになり、光を反射して虹色に煌く。心なしか表情まできりりと引き締まった二人は、驚きに固まった陽花に近寄ると、にこにこと満面の笑みを浮かべた。


「あ、おは、おはようございます……?」

「はい。遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。ハルカさんの可愛らしいお顔が見られて良かったですよ」

「……はい?」

「ハルカさん! なんか甘い匂いがするね。ハルカさんってちゅってしたら甘そうだなぁっていつも思ってたんだー」

「は、え?」


 突然謎の言葉が二人から飛び出し、陽花は二人の顔を交互に見つめて声にならない声を上げる。

 

 なんだこのどこぞのイタリア男みたいな人達。


 一瞬そんな言葉が脳裏を掠め、どうしたのかと口を開こうとした陽花だったが、後ろから出てきたルルクゥに腕を引かれたことでその声は声にならなかった。

 嫌にテンションの高い三人は、困惑気味の灯も陽花も置いてけぼりでさくさくと街へ行く準備を整えてしまう。

 結局、疑問を口にする間もないまま、陽花は入り江を後にすることになった。




**************




「あの、皆さんどこか、具合でも悪いんです……?」


 活気というより熱気に包まれた街の真ん中で、陽花はぽつりとそんな失礼な言葉を漏らす。

 一週間ぶりの花束の街は、前に来たときとは打って変わって賑やかな様子を取り戻していた。祭の最中のように街中が浮かれた空気に溢れ、あちこちを行き交う鳥族たちは、一様に前より派手になった姿で陽花に挨拶をしてくれる。


「ハルカさんに会えるとは、今日はなんていい日だ!」

「あ、ルルクゥにハルカさん。今日は一段と二人とも輝いて見えるね」

「今日は雄鶏亭へ食事に行くからね。ハルカさんの素晴らしい料理が食べたくて仕方ないんだ。もちろん、貴女に会えるのも楽しみだよ」

「ルルクゥちゃん、今度また歌ってくれないか。君の美しい歌が聞きたいんだ」


 主に口説き文句で、だったが。

 きらきらしいオーラ溢れる若い男達が、行く先々でこぞって陽花とルルクゥを褒め称える。いっそ気味が悪いくらいかけられる声に、陽花は完全に怯えてルルクゥの後ろに引っ込んでしまっていた。

 辺りではもう少し年かさの男達が、伴侶らしき女性に熱心に愛を囁いている。女性も女性で、少女や妙齢の女性は美しく着飾り、男からの愛の言葉を目を細めて聴いていた。普段は商店の女将さんといった様子の女性たちも、年相応の上品な出で立ちで店に立っている。

 盾にしているルルクゥも、普段はしないようなほんのり小悪魔じみた表情で次々とかかる誘いの声に答えていた。なまじ整った顔立ちのために、ルルクゥの周りからは人だかりが途切れない。


「私、今どこの国にいるんだっけ? 愛? 愛の国なの……?」


 荷物で顔を隠し、陽花は目の前で繰り広げられる謎の口説き合戦から逃げるように雄鶏亭へと足早に逃げ出した。





「な、面倒だって言ったろ」

「ええ……よく分かりました……」


 厨房に引き込んだ椅子の上で、げっそりした陽花は鼻に皺を寄せたアディに頷く。今日の雄鶏亭は満員御礼、お客でごったがえしているが、陽花もアディも喜びより疲労感の方が勝っていた。

 店にいる客は全て恋人同士。店の中は甘くてピンクな空気が充満している。いくら自分も既婚とはいえ、こうも目の前でいちゃこらされるのはなんとなく見ていて恥ずかしかった。


 情けない顔で店に飛び込んできた陽花に、アディが苦笑しながら教えてくれた事によると、鳥族は換羽期が終わると、「恋の月」と呼ばれる一種の恋愛期間に突入するらしい。

 これが始まると、普段からノリと勢いで生きている鳥族が余計ノリノリになったうえ、所構わず愛を叫ぶはた迷惑な生き物になるようだ。

 最初の二週間が一番熱気に溢れ、後は緩やかに普通の生活へ戻っていく。その間に未婚の若者達は恋人を探し、元々恋人同士の者や既婚の夫婦は熱烈に愛を確かめ合うようだ。

 

「今日は月の始まり、つまり一番頭のタガが外れてるからね。正直既婚だろうが未婚だろうが、女なら誰にでも称賛が飛ぶ日なんだよ。ま、流しつつ軽い褒め言葉として受け取っとくのが一番さね」

「強烈すぎて流しようが無いんですが」

「まあねぇ。もう、甘ったるくてやってらんないよ気色悪い」


 ぐるるる、と低く唸るアディの顔は、もはや客商売にあるまじきすさまじいものになっている。止めたほうがいいのだろうが、朝からこの空気の中に放り込まれていることを思うと、むしろこの程度で済むアディの精神力に感心するばかりだ。

 普段は手伝いに回るホゥトもティーククも、外にナンパ、もとい客寄せに行ったきり帰ってこない。


「今日は、全力でアディさんの味方をします」

「ありがとさん……」


 荒んだ目つきで力なく礼を言うアディを慰めようと顔を上げたところで、店の扉がまた開く。反射的に向いたそこには、漆黒の翼に銀の飾り毛を揺らした若長が立っていた。

 心なしいつもより眉間の皺が少ない彼は、ぐるりと店内を見回した後、静かにカウンターの端に座る。


「ハルカ殿、元気そうで何よりだ。山守殿も変わりないだろうか?」

「はい。お蔭様で」


 珍しくほんのりと微笑む辺り彼もまた常より浮かれているようだったが、他の男達のように頭のネジをどこかへやってはいないようだ。まさかこの堅物まで、と身構えていた陽花は、ほっと肩の力を抜く。

 陽花の返事に満足そうに頷いた若長は、いつもの、と短く注文を伝えた後、目の前にいる機嫌の悪いアディに顔を向けた。


「……何時見ても、素晴らしい毛並みをしているな、貴女は」

「ああ?」

「貴女と、ハルカ殿の料理のおかげで街も潤っている。ありがとう」

「そりゃどうも。それにしたって、この時期は駄目だね。客の回転は悪いし、売り上げもそんなに良くないんだよ」

「それだけこの店で長く過ごしたいということだ」

「ありがたいこったけど、アタシとしちゃ、なるたけ早く終わって欲しいねぇ」


 静かな、けれど熱心な言葉に、陽花はなんとなく若長の意図を察したが、対するアディは相変わらず不機嫌そうに甘ったるい空気の店内を睨んでふん、と鼻を鳴らした。

 確かに、いちゃいちゃする方に忙しい客達は、なかなか普段のように席を空けてくれない。そうなれば売り上げは落ち、雄鶏亭としては有難くなかった。


「あ、じゃあむしろ、利用しちゃいましょうか、これ」

「嬢ちゃん、またなんか考え付いたのかい?」


 しばらく店内を見渡していた陽花の悪戯っぽい言葉に、アディはようやっと少しだけ、機嫌よく笑う。


「あのですね……」


 こしょこしょと作戦を練る二人を、どこか微笑ましげに若長が眺めていた。






「嬢ちゃん! お弁当三つだ!」

「はい! あ、クッキー上がりました!」

「そこの綺麗なお二人さん、美味しいお菓子はいかがー? 恋人とはんぶんこもできるよ。俺としてくれてもいいんだけどなぁ」

「はい、ありがとうございます。特別ランチお一つですね」


 陽花の考えたアイデアは、ただただ単純なもの。

 いつもより量を少しだけ増やした食事を店で出し、外をうろついていたホゥトとティーククを引っ張ってきて持ち帰り用の菓子と弁当を売らせる。

 メニューは普段と同じで、量だけ増やしたオムライスやオムレツは、女性には多く、男性には少し少ない。

 案の定、店のあちこちでもう食べられないわ、とかわいく困る彼女に、あーん、とスプーンを差し出してもらってやに下がる彼氏、という図式が出来上がった。

 持ち帰り用の菓子は全て一口大で、大きさを小さくする代わりに沢山入れてある。弁当はハート型のコロッケにからあげ、サラダに小さな卵焼きとパフィン八つのシンプルなものだ。けれど、おかずそれぞれにカラフルなピックが刺してある。

 どれもこれも、いちゃいちゃしながら二人で食べられるようにという、陽花の計らいだ。

 相変わらず流れるようにオムライスを片付けていく若長からの助言で、一生を一人に捧げる鳥族の中、伴侶を亡くした人が彼らを偲べるようにと、花の形をした飴細工を花束にしたものも置いてみると、これも飛ぶように売れていく。

 優しい表情で飴の花を買っていく人々も、一様に嬉しそうで陽花はほっとした。


 簡単なものしか詰めていない弁当と、女の子相手だと言ったら嬉々としてティーククが調理を担当してくれた菓子のおかげで、店自体の回転が悪くても、このままいけば普段よりいい売り上げが見込めるだろう。

 大繁盛の店を見て一安心したアディと陽花だったが、それとは別のところで大失敗があったことに気付いたのは、もう後戻りできないところにきてからだった。

 


「どうしよう、もうお腹いっぱいになっちゃった……」

「僕が食べてあげるよ。ほら、悲しそうな顔しないで?」

「あるがとう。優しいのね。うふふ、はい、あーん!」


 お互いに料理を食べさせあって、ピンクのお花を飛ばしている新婚さん。


「どこに食べに行く?」

「君の行きたい所ならどこへでも」


 ランチボックス片手に彼女の手にキスをする若いカップル。


「あ、それあたしのクッキー!」

「早い者勝ちだもん! ……嘘だよ、ほら、早くあっちではんぶんこしよ?」


 きゃあきゃあと可愛らしくじゃれあう小さな恋人二人。




「とても、居心地が、悪いです」

「安心しな、アタシもだよ」


 持ち出せるうえにおおっぴらに恋人と愛を確かめ合える雄鶏亭の商品の登場で、店の中だけで済んでいた甘い空気が、街中に広がってしまった。

 菓子や弁当は、手を加えれば他の店でも似たようなものが出来る。それが余計にいちゃいちゃに拍車をかけ、中心地の雄鶏亭はもはや、砂糖でも吐きそうな愛の巣に成り果てていた。


 陽花は入り江に帰ればいいかもしれないが、アディを一人こんなところに置いていけるほど薄情ではない。自分の根っからな日本人気質に悲しくなりつつ、陽花は気を紛らわせるように仕事に没頭した。元々、帰るなんて言い出せるほどの暇ができるのは、随分先だろう。


 


 結局、お腹を空かせた灯が泣きべそかきながら山を降りてくるまで、体中がかゆくなる様な愛の囁きの中、若長に見守られつつ仕事をする羽目になったアディと陽花だった。

今回は鳥族側に寄ったお話をと思って書いたらこんなことに…。なにより困ったのは口説き文句ですはい。遅くなった言い訳等々は活動報告にこっそり置いておきます。遅くなった上に申し訳ありませんが、年内更新はこれが最後になるかと思います。鈍亀ですがよければこれからもよろしくお願い致します。

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