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蛇のご馳走  作者: 綾野 悠
番外編
26/29

若長のご馳走

ブクマ1800件越えありがとうございます。番外編第一弾です。時系列は本編よりも少し後になります。これからはのんびり不定期で番外編を上げていければと思いますので、引き続き応援頂ければ嬉しいです。

「若長様、そろそろご休憩になさってはどうです? 根を詰めすぎるのは体に毒です」

「ん、ああ。そうだな」


 街の中心にそびえ立つ鐘楼、その中ほどにある執務室で、街の若長――ルルディノックは部下の役人にこくりとひとつ頷いていた。

 陽はちょうど中天にあり、恐らくもうしばらくすれば昼を告げる鐘の音が響く頃だろう。


 半日座りっぱなしで片付けていた書類の山もほぼ無くなり、彼はその大きな翼をぐうっと広げて凝り固まった体をほぐした。

 大きく取られた窓から、舞い散る花びらと共に屋台や各家々から流れてくる料理のいい香りが鼻をくすぐる。


「俺も食事にしますし、若長様もどうぞごゆっくりしてらして下さい」

「ああ。しばらく戻らないから、後は自由にしていてくれ」

「はい! いってらっしゃいませー」


 元々楽しいことが好きであっけらかんとした性格の鳥族は、明確に仕事の時間が決まっていない。その日やれるだけの仕事を、のんびり終わらせれば後は好きなように時間を使っている。

 これから予定でもあるのか、元気のいい部下の返事を聞き流しつつ、若長は忘れていた空腹を思い出し、いそいそと最近子供が手作りしてくれるという弁当を広げた部下に見送られて窓から空へと飛び立った。


 空から見る街は、いつも通り賑やかで色彩に溢れている。そんな中、一際よく目立つ黒地に赤色の旗を目指して、彼は大きな翼を羽ばたかせた。



「邪魔をするぞ」

「あ! 若長様! いらっしゃいませー!」

「若長様、今日も雄鶏亭でランチかい?」

「お仕事一段落したのねぇ。お疲れ様。後でうちのお店にも寄って下さいな。新しいお花を仕入れたんですよ」


 ころころと可愛らしい音をたてる犬の形をしたベルを鳴らして入ったのは、ルビーの雄鶏亭。

 昼には少し早い時間にも関わらず、ほとんどの席は埋まり、目を輝かせた鳥族達が華やかな料理にそれぞれ舌鼓を打っていた。

 ティーククの元気のいい声に迎えられ、若長に気付いた常連客から次々に挨拶が飛ぶ。若長はそれに少しだけ額の皺を無くして頷いて見せた。


 奥から出てきたホゥトにカウンター席へと案内されて、爽やかな香りのするハーブが入れられた水を一口飲む。

 ひんやりとしたそれに目を細めたところで、ひょっこりとカウンターの向こうから顔を出したのは、アディの鼻面ではなく、にこやかな黒髪の女性、陽花だった。


「若長様、いらっしゃいませ!」

「ああ、陽花殿。今日はこちらにいらしていたのだな。その後山守殿は息災でいらっしゃるだろうか」

「はい! いつも気にかけて頂いて。ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げる姿は、以前見たときよりもずっと幸せそうだ。結局、ほとんどたった一人で山守とのごたごたを解決してしまったこの小柄な女性のことを、若長は心から尊敬している。

 しばらく前の結婚式以来、本格的に彼女のレシピを本にする為に仕事が増えたが、彼女の楽しそうな顔と街の活気を見ると、その苦労も気にならない。

 そして何より、その手から生み出される絶品の料理の数々は、彼の心を捉えてやまなかった。


「嬢ちゃん、若長様が来たならちょうどいい。あれ出してやんなよ」

「あっ! そうですね。そうしましょう」

「ん、私に何か用が?」


 厨房の方から聞こえたアディの威勢のいい声に、陽花は一人頷く。首を傾げた若長に、陽花はいたずらを考える子供のような無邪気な顔をして見せた。


「実は、若長様に召し上がって頂きたい新しいメニューがあるんです」

「新しいメニュー?」

「はい! オムレツもお付けしますので、是非!」

「それは一向に構わないが……」

「ありがとうございます! それでは、早速お作りしてお持ちしますね!」


 若長が雄鶏亭で頼む食事は、中身が違ったりもう一品付けたりはするが、基本的に卵料理だ。それを覚えていてか、オムレツも付けると言われてしまえば、特に断る理由も無い。

 戸惑い気味に頷いた若長に、陽花はひとつお辞儀をすると、厨房に引っ込んだ。




 常連客の会話に耳を傾けたり、厨房で忙しなく動くアディたちを眺めたりしてつかの間のんびりとした時間を過ごしていた若長の前に、でんと巨大な皿が置かれたのは、しばらくしてからだった。


「お待たせ致しました!」

「熱いですので、お気をつけ下さいね」

「ああ、ありがとう」


 ホゥトとティーククが二人がかりで抱えてきた大皿には、こんもりとした金色の塊が二つ、ほこほこと湯気を立てている。

 周りには花びらのように盛り付けられた野菜が彩りを添え、両方とも見慣れた赤いソースが上を飾っているが、片方は羽の形ではなく、中にごろごろと野菜が見える具沢山のソースが、卵の山の真ん中から皿まで綺麗な湖を描いていた。


 それ以外は特に違いの見えない二つの大きな山に、コンソメスープを持ってきた陽花を見つめて若長は不思議そうに眉を寄せる。


「具入りのソースがかかっている方を、真ん中から割ってお召し上がりください」


 にこにこと微笑むばかりの陽花に、若長は怪訝な顔のままスプーンで山を切り崩しにかかった。


 ふわりと金色の部分にほとんど抵抗も無く入ったスプーンは、その下で何かに当たる。そのまま軽い手応えを感じつつ皿まで辿り着いたスプーンの横から、赤色の粒があふれ出した。


「これは、米、か?」


 酸味のあるトマトの香りを纏った粒――白米に、若長は陽花の方を振り返る。その視線に答えて、陽花は赤い山を指差した。


「はい。今日たまたま作れた、オムライスです。オムレツの中にトマトソースで味付けしたお米が入ってるんですが、若長様、いつもパフィンを沢山おかわりされるので、もっと手軽におなかいっぱいになれる料理を考えてみたんです」


 ルビーの雄鶏亭は、料理を注文するとパフィンがおかわり自由になる。大食漢が多い鳥族は、手のひら大のパフィンでも、二、三個では到底腹が膨れないらしい。

 そしてなにより、鳥族よりも良く食べる灯の食事にレパートリーを増やすため、陽花はなんとかパフィンの他にも主食を用意できないかと頭を悩ませていたのだ。


「オムライス、というのか」


 なんでもよく食べる鳥族だが、この街に米はそれほど流通していない。あったとしても、病気の時に買ってきたものをふやかして食べる程度だ。

 小さな頃に朦朧とした意識の中無理やり流し込まれる思い出の多い鳥族は、米を率先して食べようとはしない。そのあまり美味しくもないはずの米が、つやつやふっくらと金色のたまごの中から顔を出している。


 漂ういい香りに誘惑されて、若長はこんもりとスプーンにオムライスを乗せて口へ運んだ。


「パフィンはいつも通りここに置いておきますが、足りないようでしたら仰って下さい。それから――」


 陽花が隣で何か言っているが、若長の耳にはもう届いていない。

 炒めてあるのか、それ自体から香ばしい香りのするトマト風味の米。皮付きのままぱりぱりに焼かれた肉汁溢れるエグーの肉がその中にごろごろといくつも入っている。

 そこにシャキシャキと心地良いアクセントを加える玉ねぎの甘みと、ほろ苦い甘唐辛子の癖のある味がエグーの肉の濃い味を中和させ、いくらでも食べられそうだ。

 付け合せのように入れられたきのこも、噛み締めるとじんわりと出汁が溢れてくる。そして、オムレツより薄く焼かれた甘いたまごの味が、ふんわりと全体を纏めていた。

 

 ぴりりと舌に走る辛さは、上に散らされた黒胡椒とハーブの葉だろうか。食欲を刺激された若長は、脇目も振らずに大皿を綺麗に空にしていく。


 途中、いつも通りのふっくらまるまると焼かれた半熟のチーズ入りオムレツのとろりと濃厚な味を楽しみ、シンプルな塩と酸味のある果汁のドレッシングがかかったサラダで舌を休める。

 そこから更に陽花と職人の努力でもっちりと噛み応えがあるのに見違えるほど食べやすくなったパフィンを二回もおかわりして、ようやく若長は満足そうに大きなため息を吐いた。



「これは……米はこんなに美味い食べ物だったのだな……」

「相変わらず清々しい食べっぷり、ありがとうございます……」


 綺麗になにも無くなった大皿を名残惜しげに見つめた若長は、食後のお茶を持ってきた陽花の方へ体を向ける。眉間の皺はほとんど無くなって、随分と穏やかな顔をしているのがおかしくて、陽花は噴出さないようにするのに必死だ。


「しかし、急にどうしてこのような料理を私に?」

「アディさんが昔の伝を使ってお米を沢山買い付けてきて下さったので、どうしても試してみたくて。どうも私が作ると地味なんですけど……。味はご覧のとおり保障しますし、中身やソースで沢山種類を作れるんですよ。新しくメニューに加えたらいいかと思いまして。……ただ、お米は流通がほとんど無いみたいなので、頻繁には作れないんですが」

「ふむ……。米、だな。分かった」

「なので限定メニューにして、って、あ、え? 若長様?」

「済まない。用事を思い出したので、今日はこれで失礼するが……。本当にとても美味しかった。ありがとう」

「あ、はい……。お粗末さまでした……?」


 つやっつやになった皿を前に、きりりと陽花に挨拶をした若長は、随分多い料金を置いて席を立つ。


「ああ、もしまだ米の残りがあるようなら、夜にもう一度、作って貰えるだろうか」

「は、はい! 次はソースを変えてお出ししま、す?」


 どこか陶然とした表情の中、爛々と光る視線に若干気後れした陽花の声に見送られ、彼は颯爽と大空へ飛び立った。






 突然戻ってきたかと思うと、猛然とどこかへ手紙を書き始めた若長が、気味が悪いほどとろけた顔をしているのを思わず部下が二度見している中。


 自分が食べたメニューが、そう遠くないうちにそっくりそのまま常連客によって「若長スペシャル」というなんとも言いがたいあだ名で呼ばれ、自分が風のような速さで米の取引に許可を出したおかげで、瞬く間に店の看板メニューにのし上がっていったのを彼が知ることは、幸か不幸か、終ぞ無かったらしい。

こわもてのくせしてたまごに目が無い若長様。メニューに載ってからは恐らくこれしか頼まなくなります。

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