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蛇のご馳走  作者: 綾野 悠
本編
23/29

〈23〉

いつもお読み頂きありがとうございます。評価、感想、ブクマ等、本当に嬉しいです。

宴の晩から二日。陽花は大きな湯船の端でぐったりと石の床に体を預けて天井を見上げていた。

 

「疲れた……」


 真っ白な石造りの大浴場。あちこちに花の彫刻が施され、大きくとられた窓には美しい幾何学模様が描かれている。高い天井にもびっしりと絵が描かれ、陽花の知っている銭湯とは比べものにならないくらい豪華なこの浴場は、街から少し外れたところに沸いている天然の温泉を引いて作られている。

 傷や疲れに効くらしく、普段は街の人や別の島や大陸からの旅人が体を癒そうといつも混雑していた。

 けれど、今は陽花一人が、何十人も一度に入れる大きな湯船を独り占めしている。


「肌の調子を整えなさいって押し込まれたけど……ちょっと申し訳ないよなぁ……」


 花嫁だから、とお約束になってきた一言と一緒に、普段は準備中の真昼間に入れてもらったが、こうも広々とした空間にひとりぽつんと置いていかれると、居心地が悪い上になんだか悪いことをしている気分になって仕方ない。

 ため息と一緒に体の中の熱を吐き出すと、陽花は体を反転させて、ぺたんと冷たい石に頬をくっつけて目を閉じた。

 浴槽には薬草と花びらが入れられていて、甘く爽やかな香りが湯気と一緒に立ち上っている。

 その香りを吸い込みながら、陽花はまたひとつため息を漏らした。

 もう少ししたら、陽花より張り切っている温泉のオーナーや従業員の女性達にいい香りのオイルを頭の先からつま先まで塗りこまれ、それが終わったら髪の手入れと化粧の練習、それからまた衣装選びのマネキン役が待っている。

 ここ最近結婚する者がいなかったらしく、街の女性達の張り切りようはすさまじい。けれど、誰もが楽しそうで、真剣にああでもないこうでもないと議論を交わしているのを見ると、止めろと言う訳にもいかなかった。


「そろそろ上がろうかな……」


 浴槽から上がり、体についた花びらを湯で流して、陽花は足取り重くガウンを羽織って浴場を出ようと歩き出す。

 ちょっとばかり陽花より女性達のほうが楽しんでいるような気もしなくはないが、そのことは考えないようにしている陽花だった。




「すいません、お花下さい」

「あいよ! ってハルカちゃんじゃないの。ここんとこ毎日来るわねぇ。なあに? 新しい料理の開発?」

「ああいえ、私が食べようと思って。ここってエディブルフラワーの種類が多いですよね」

「なんだかんだ言って一番食べなれてるからかね。沢山食べると羽の色が良くなるって言われてるんだよ! 肌も色が綺麗になるしね。おまけしてあげるからたんと食べて綺麗な花嫁さんになりなよ」

「ありがとうございます。わかめみたいな効果だな……」

「ハルカちゃんの髪も、綺麗な色に染まったりしてねぇ」


 マネキン役から束の間解放された午後。顔なじみになった八百屋にひょっこりと顔を出した陽花は、店先を鮮やかに飾る花たちを眺めて八百屋の女店主と他愛も無い話を交わす。

 鳥族にとっては野菜と同じ感覚なのか、日本にいた時とは種類も味のバリエーションも桁違いに多いエディブルフラワー、食用花がずらりと八百屋に売られているのは見ていて面白い。

 甘いものから辛いものまで様々な花は、もっぱら生で食べるのが普通らしい。そのどれもが食べることで香水のように体から花の香りがするようになるために、若い女性に人気だ。

 買ったものと同じくらいおまけしてもらった両手いっぱいの花を籠に入れて、陽花はルビーの雄鶏亭へ足を向ける。自分で食べるには多すぎる分で、ティーククと一緒に新しい菓子のメニューを考えるためだ。

 クッキーの上に乗せて焼いたものと、花びらを集めたジャムをアイスクリームの上に添えたものは、雄鶏亭の新しいデザートになることが決まっている。

 

「確か……ラベンダーを粉砂糖とローズペーストで練った砂糖菓子があったっけ……あれ応用できるかな」

 

 ぶつぶつ頭の中のレシピを捲りながら、陽花は籠からはみ出た花びらを一枚、口に運んだ。

 ふわりと甘い香りが口の中を満たし、梅か杏のような甘酸っぱい香りのする薄青色の花弁を飲み込んで、陽花は無意識に口角を上げる。


 あの宴の日以来、陽花の食事はこの花と、ほんの少しの穀類、それとハーブだけだ。


 数日それを続けるだけでも、自分の体から香りがするのが分かる。香水とも違う、どこか菓子にも似た甘い香りだ。

 少しでも自分が美味しそうに見えるように。せめて食べられるというのなら、美味しく食べて欲しいという、どこか狂った料理人の思いだ。

 自分でも気がふれているのではないかと思う。けれど、それ以外に灯への気持ちの伝え方が分からなかった。

 ルルクゥたちも陽花の食事がおかしいことに気付いているようだったが、何も言わずに見守ってくれている。


「つくづく、不器用だね、アンタはさ」

 

 そう言って悲しそうに笑うアディに、陽花は苦笑するしかない。どんなにおかしいと言われても、これが陽花の灯への愛の伝え方だった。



+++++++++++



 街での日々はめまぐるしく巡り、とうとう明日は入り江に帰る日だ。


「やっぱりこっちね。見てちょうだい、神秘的で、色っぽくて。まるでお話に出て来る海の精霊みたいよ」

「綺麗だわぁ。ハルカちゃん、こっち向いて。頭の飾りも選びましょう」

「いやぁ。ハルちゃん化けたなぁ……。お姫様みたいやんなぁ」

「そんな、大げさですよルルクゥさん」


 布屋の奥で今日も繰り広げられていた衣装選びは、ようやっと奥様たちの納得のいくものが見つかり、終わりが見えてきている。

 結局街にあったものでは女性達が気に入らず、二日もかかる隣の島から空路で取り寄せることになってしまった。


 首元までを複雑な模様で覆う薄い青灰色のレースとは対照的に、ざっくりと開けられた肩と背中。胸元から緩く波打ちながら、柔らかで艶々と光を反射する濃い青の布が流れるように足の甲までを隠している。腰の部分には花を象ったリボンが巻かれ、美しい模様が銀色の糸で描かれた膝から下の部分は花の蕾のように細くなり、長く伸びた裾にはたっぷりのフリルと宝石が縫い取られていた。

 大きな姿見の前で自分を確認した陽花は、美しいドレスに頬を染めて照れる。


「大げさやないよ。……ほんま、よう似合ってるんなぁ」


 長さの違うベールを両手に持ったルルクゥが、感極まったようにぽつりと呟いた。まるで娘を嫁に出す母親のような視線を投げてくるルルクゥに、二の腕まで覆うドレスと同じ色の手袋で口元を覆って笑う。 


「ハルカちゃーん! ちょっとそこの椅子に座って待っててくれるかしら」

「あ、はい!」

「次はティアラにするか花だけにするかでもめてるんなぁ。おば様たちもまあ、飽きないなぁ……」

「ほんとに最終日までかかりましたね、ドレス選ぶの……」

「この期に及んでもう一回隣の島まで行って来いとか言い出したら嫌やんなぁ」


 陽花に一声かけた後、また店中をひっくり返し始めた女性達に、二人はため息しか出ない。口を挟むと余計面倒なことになるのはここ数日でよく学んだので、何も言わずにルルクゥと少し離れたところにある椅子に腰掛けた。

 このドレスを運んだのは、街で最速を誇るルルクゥだ。重い布をいくつも抱えて飛ぶのはさぞ大変だっただろう。

 ぐったりと椅子に伸びたルルクゥの肩をぽんぽんと叩いて慰めていた陽花は、ふと目の端に移ったものに首を傾げた。


「あれ、この刺繍……?」

「ん? ハルちゃんどうしたん?」

「いえ、この刺繍ってなんですか?」


 指差した先に転がっているのは、カラフルな刺繍がされた正方形の大きな布だ。陽花が両手を広げたくらいの大きさのそれは、色も様々だったが、施されている刺繍もひとつひとつ柄が違っている。

 一枚つまんでルルクゥの前に広げてみせると、彼女は椅子の手すりに顎を乗せたままああ、と呟いた。


「これ? 新しく子供が生まれる親のやつだねぇ。ほら、さっき新婚さんが来てたやろ。あの二人おめでただったんなぁ」

「子供に贈るんですか?」

「そう。子供が生まれてくるまで、おかあちゃんが手縫いで縫い取るんよ。これはその見本。多分おくるみやねぇ。生まれて最初に触れる布は、母親が刺繍した奴って決まってるん。上手い人はおくるみ以外にも布団とか、カーテンとか縫うみたいやけど、刺繍の苦手なおかあちゃんからしたら大変なんよ」

「へえ……。この刺繍どこで見たんだっけな……」


 膝に布を広げて、指で刺繍をなぞりながら陽花は眉を寄せる。


「これは子供の幸せを願う柄やね。こっちは健康を祈るやつ。隣のは確か……愛情の柄やったかなぁ。他にも愛する人が出来ますようにとか、家族の仲が円満でありますようにとか、そりゃもう凄い量あるんよ」

「子供の、幸せ……」


 指差してルルクゥが説明してくれる数々の美しい柄。そのどれもに見覚えがある気がして、しばらく首をひねっていた陽花は、ぱっと浮かんだ答えに緩く微笑んだ。


「最近は子供の顔を刺繍する変化球も……って急ににこにこして、どうかしたんハルちゃん?」

「いいえ。ちょっと、ほっとしただけです」

「はい?」

「ハルカちゃん! ちょっとこれ合わせてもらえるかしら。ルルクゥも、そのベール貸して頂戴」

「あ、はい!」

「あいあいー。おば様方ようやっと決まりましたー?」


 今度はルルクゥが首を傾げるが、それに被さるように女性達から声がかかる。慌ててドレスの裾を翻して側に行けば、そっと額にいくつも宝石を連ねた飾りが乗せられた。

 差し出された手鏡には、真っ赤なルビーと淡い桃色の石が銀で出来た蔓薔薇に絡まる意匠の豪華な額飾りが映っている。ドレスの色が落ち着いている分、控えめに、けれどしっかりと存在感を持って輝くそれは陽花の肌に良く映えていた。


「冠も花もいいけれど、こっちのほうがいいわね。よく似合ってるわ」

「私達からの贈り物よ。どうぞ受け取って」

「え、そんな……。こんな高価そうなもの、頂けません!」

「いいのよ。このくらいしか、あたしらにしてあげることはできないんだもの。人生で一番晴れやかな日、一番綺麗でいなくてどうするの」

「あ、ありがとうございます……!」


 ばん! と強く背中を叩かれて、陽花はむせながら周りを取り囲む女性達にぺこりと頭を下げる。


「我ながらいい出来だわ。とっても綺麗よ。ハルカちゃんをお嫁にもらうあの方は幸せ者だわ」

「そう……でしょうか」

「ええ。私が保証するわ」


 少し屈んだ陽花の頭に背中まである長いベールをふわりとかぶせて、店の店主が優しく笑った。その言葉と微笑んだ顔に、灯の顔が重なる。

 顔の横に流れるベールを握って、陽花は視線を床へ投げた。一度思い出してしまうと、灯の低いがよく通る声が懐かしくて、少し寂しくなる。


「灯さん……」

「あら、旦那さんが恋しくなっちゃった? 明日には会えるわよ」

「え、あ、ち、違……!」

「あらまぁ熱々ねー。大丈夫よ! きっとハルカちゃんの綺麗さにびっくりするわ」

「旦那さんのこと、愛してるのねぇ、ハルカちゃん。恋する乙女の顔だわー。昔を思い出すわねぇ」

「やっぱり恋は素敵ね」

「おば様ら、あんまりハルちゃんからかわないであげてなぁ。ハルちゃんもそんなしょんぼりしないんなぁ」

「してな、してないですよ!」


 図星をつかれてかっと頬を赤くした陽花に、周りはこぞってにやにやとからかいの言葉をかけてきた。ぶんぶん両手を振って否定しようとする陽花だったが、その姿そのものが肯定にしかなっていない。

 ひとしきりからかわれて陽花がへそを曲げるまで、店内は笑い声で溢れていた。

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