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蛇のご馳走  作者: 綾野 悠
本編
22/29

〈22〉

キリがいいところが見つからなかったので今回少し長めになりました。沢山の方に読んで頂けて嬉しいです。

「結局決まらなかったんなぁ。予想通りっていうか、なんていうか……」

「一生分の裸を晒した気がする……」

「まあまあハルちゃんそう落ちこまんと。今からいいとこ連れてってあげるから」


 がっくりと肩を落とし、いっそ色の抜けたうつろな目でふらふら歩く陽花に、ルルクゥが苦笑する。

 時刻はもう夕方。色とりどりの家の壁が、夕日に照らされて色味を増し、はめられた色ガラスがきらきらと七色の光を道に落としていた。

 まるで万華鏡の中に入ったような美しい光景に、荒んだ陽花の心も少しだけ元に戻る。

 店中のドレスをひっくり返し、布という布を広げられたが、どうも女性陣のお眼鏡に適うものが見つからなかったらしく、続きは明日という事になってしまった。


「明日が怖いですルルクゥさん……。いい所ってどこですか?」

「ふふふ。もうちょいやからなぁ」


 女性達の恐怖すら煽る満面の笑みを思い出して身震いした陽花が、それを振り切るようにルルクゥに聞く。

 にこにこと笑って陽花の手を引くルルクゥに大人しく着いていくと、見覚えのある店が見えてきた。黒い布地に燃えるような赤色で染め抜かれた雄鶏。風にはためくその旗を掲げた店の入り口に、陽花は目を丸くする。


「あの、ここって」

「そ! 生まれ変わったルビーの雄鶏亭へようこそ! ハルちゃん」


 以前に来たときよりも、随分と立派になった看板と、いつの間にか増えた旗。よく見れば、あちこちにヒビが入っていた壁は綺麗な青色に塗り直され、扉や窓枠も凝った装飾のされた新しいものに取り替えられている。

 確かにここ最近は灯とのことで頭がいっぱいで街に来ることもとんと無かったが、それでも短い間に随分様変わりした店の様子に、陽花はぱちくりと瞬きを繰り返した。


「すごーい……新築の匂いがする……」

「ほらほら、中も綺麗になったんなぁ! 入って入って!」


 ぐいぐい背中を押され、陽花は可愛らしい花の彫刻がされた階段を登って、「支度中」の札が下がった真新しい扉を開く。ルルクゥの言ったとおり、店内もそこかしこに新しいものが溢れていた。


「お? おお! ハルの嬢ちゃんじゃないか! ようこそ! 待ってたよぉ!」


 新品の椅子や綺麗に磨かれたテーブルの向こう、厨房と店内を繋ぐカウンターから大きな声がかかる。

 前に来た時よりも数倍の量になった酒瓶の間から、大きく手を振っているのはアディだ。もふもふと長い耳を頭の後ろに回して洗濯ばさみで留めている姿も、相変わらず。


「ディさん! お久しぶりです!」

「おう! いやー、久しぶりはいいがなぁ、なんだい嬢ちゃん結婚するなんて聞いてねぇよぉ。言ってくれりゃあ店中飾り付けてご馳走用意して待ってたのに」

「そんな、気にしないで下さい。それにしても、随分店内が様変わりしましたね」


 厨房からのっそりと出てきたその大きくてもふもふの胸毛に飛び込んだ陽花を、アディはしっかり抱きしめて笑った。ぞろりと長い牙が口から覗き、子供が泣きそうな凶悪な顔になる彼女独特の笑顔も久しぶりに見ると懐かしい。

 もふもふ胸の辺りの柔らかい毛を梳きながら興味深げに周りを見る陽花に、アディはその頭を撫でて、得意げにぺろりと自分の黒い鼻の頭を舐めた。


「ぜーんぶ嬢ちゃんの料理のおかげだよぉ。あれ出すようになってから、物珍しがって来た客がそのまま常連に、その紹介で客が勝手に新しい客を呼んでくれてな。売上が前の比じゃなくなったんだよ。おかげで店は綺麗になって、アタシの給料も増えたよ。けど、近所のおばちゃんは作り方教えろって煩いし、最近じゃアタシに弟子入りしたいなんて言ってくる奴まで出るしまつで……もう大わらわさ」

「お店、上手くいってるみたいで良かったです。ディさんなら、いい先生になると思いますよ?」

「ヤだよぉ。アタシが先生って柄かい。ティークク一人ぶん殴るのにも急がしいってのに。あいつ、菓子作っちゃ半分は自分の腹に収めちまうんだ。全く商売になりゃしない」

「あっ、さっきクッキー食べましたよ! 美味しかったです! 知らないナッツが入ってましたけど、ローストしてあって香ばしくて……」

「ああ、あれはホゥの奴が最近取引を始めて……って今日はその話をしに来たんじゃないだろ?」


 大げさに肩を竦めたアディに、二人の会話をカウンターに腰掛けて聞いていたルルクゥが頷く。


「その通りやんなぁ! もー。二人ともあたしのこと忘れて感動の再会しとらんで欲しいんなぁ。それで、準備はできてるん?」

「もちろん! 何のために今日店を閉めてると思ってんだい」


 胸を張ったアディは、鋭い爪で陽花を傷つけないよう、そっと手を握って店の奥へ促した。陽花の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれるアディの気遣いに、ほっこりと胸が温かくなる。

 連れて行かれたのは店の一番奥、一段高くなっている所に置かれた丸いテーブルだ。


「ここは……? 前にはこんな席無かったですよね?」

「ああ。掃除道具突っ込んでた、無駄にでかい棚を取り外して一席増やしたんだよ。ここは特別な席。さ、座った座った」

「え、ええ?」

「いーからいーから! ほらほら席ついてー」


 アディとルルクゥはよいしょ、と肩を押して陽花を椅子に座らせると、二人でにまにまと何かを企んでいるような顔をしながら奥に引っ込んでしまった。

 ひとりぽつんと店内に残された陽花は、外から聞こえる街の喧騒に耳を澄ましながら、頬杖をついて店を見渡す。強引に座らされた席からは、店の中がよく見えた。以前は無かった美しい刺繍がされたクロスの敷かれた大きなテーブル。鮮やかなクッションが置かれた座り心地のいい椅子。テーブルの上には可愛らしい一輪挿しの花瓶に、それぞれ燃えるように赤い花が生けられていた。

 天井のランプも前よりずっと大きい色ガラスのものに取り替えられて、カウンターに置かれた曇りひとつ無いグラスと酒瓶にきらきらと光を落としている。

 本当に、以前のいかにも場末の酒場という空気はなくなって、どこか温かみのある居心地のいい店になった。

 

「ふへへ……」


 この変化が、自分が教えた料理がきっかけだなんて、なんて幸せだろう。緩む口元を隠しもしないで、陽花は妙な笑い声を上げながら一人で照れる。

 ぱたぱたと長い毛の尻尾を揺らして嬉しそうなアディの姿を思い出すと、自分も嬉しい。


 ひとしきりくすくす笑っていた陽花の耳に、細い楽器の音色が飛び込んできたのは、しばらく経ってからだった。

 優しい弦楽器の音色は、店の厨房から段々と近付いてくる。聞いたことのない異国の音楽にきょとんとした陽花の目の前に、濃いものから薄いものまで、柔らかい赤の布を幾重にも重ねた豪華な衣装を身に纏ったホゥトが現れた。

 バイオリンを丸くして一回り小さくしたような楽器を弾きながら、ホゥトは目を丸くした陽花に小さくウインクをする。

 鳥族は誰もが、歌や楽器を手足のように使いこなす天才だ。素人の陽花にも分かる、とんでもなく高い技術だろう美しい演奏に、うっとりと聞き惚れる。

 ホゥトが動くたび鈴でできた頭飾りがしゃらしゃらと涼やかな音をたてて、きらりとランプに反射する様はまるで御伽噺のようだ。


 緩んだ顔をしていると、ホゥトの後ろから同じように着飾ったティーククとルルクゥが、大きな盆を掲げて静々と陽花の前に立つ。

 盆の上に置かれているのは、色とりどりの前菜だった。新鮮な野菜と本物の花で出来たブーケのサラダ、ぷりぷりの海老やまろやかなクリーム色の貝を乗せたカナッペ。トマトとチーズが巻かれた生ハムは薔薇の形で、ちょこんと横に置かれたバゲットは犬の形をしている。


「うわぁ……!」


 一つ一つ、丁寧に作られたそれに、陽花は目を輝かせた。


「本日はルビーの雄鶏亭、ハルカさんのお祝いのために貸切とさせて頂きます。料理はもちろん特上のものを。拙いものですが、私の演奏と、ルルクゥの歌でもって花を添えさえてもらいますね」

「突然だったからあんまり豪華にゃならないけどさ。みんな、嬢ちゃんから習った料理に、アタシなりの手を加えてあるんだ。次にアンタがきた時は、とびきりの料理で持て成すって決めてたからね。アンタに食べて欲しくて、アタシ頑張ったんだよ」

「食後のデザートは俺が作るからね! お菓子に関しては、アディ姉さんより俺のほうが上手いんだよー! 俺もハルカさんのおかげで、一人前の料理人になれたんだ!」

「アンタはつまみ食いの癖を直してから言いな……」

「さ、ハルちゃん、食べて食べて!」


 テーブルを囲んで優しい顔をする四人を見回して、陽花はうっかり緩くなった涙腺を隠すように小さく俯いて鼻をすする。


「私のために、こんな素敵なディナー、本当にありがとうございます……!」

「やだ、ハルちゃん泣かない泣かない」

「泣いてませんよぉ……!」

「おやまぁ。センセイは泣き虫だなぁ」


 ぐしゅぐしゅと鼻声で笑う四人に訴えながら口に運んだ料理は、陽花の食べ慣れた味に、どこか知らない国の風味が加わっていた。けれど、こんなに美味しいものを食べたのは生まれて初めてだと、心の底から思う。

 顔を真っ赤にして口を動かす陽花に、四人はしてやったりと笑顔を交わすと、それぞれの仕事に取り掛かろうと陽花に背を向けようとした。


 その瞬間、どんどん! と入り口の扉がけたたましい音をたてて鳴らされる。


「何ですか……雰囲気が台無しです」


 驚いて涙も引っ込んだ陽花の顔を一瞥して、楽器を構え損ねたホゥトが憤慨気味に扉に近寄った。

 しかし、狼藉者を追い返そうと口を開いたホゥトの喉から、言葉は出ない。


「もう始めちまってるじゃねぇか! おーいお前らこっちだこっち!」

「水臭いじゃねえかよホゥ! 俺達にも祝わせてくれよ!」

「ハルカ嬢ちゃん、おめっとさん! お前さんのおかげでこの街は安泰だ!」

「俺の店も、あんたのおかげで客が増えた! ありがとうなぁ」

「ハルカちゃん、これ、お祝いのお花。特別な加工をしてるから、花嫁衣裳の飾りにしてちょうだい」

「あー! こらお前達! 今日は休みだって言っただろうが!」

「祝いはみんなでするもんだろうがよ! ディ姉さん!」


 両開きの扉を壊すような勢いで全開にして、どっと入り口から押し寄せてきたのは、街の住人達だった。

 口々に祝いの言葉を陽花に投げては、贈り物を机に置いていく。結婚祝いの品なのか、花に囲まれて翼を寄せ合う男女の小さな像や、花嫁衣裳を縫い取った刺繍絵、二つ揃いの食器やグラス。果ては畑から直送らしい紙に包まれた野菜や果物に、申し訳程度にリボンがかけられているものもある。

 積み上げられた品物で前が見えなくなって慌てる陽花を、住人達は嬉しそうに笑って見ていた。

 女性達の手でいつの間にか誰かが持ち込んだ飲み物が配られ、あちこちで乾杯の声が上がる。

 家から担いできたのか、二十人ほどが大小様々な楽器で即席の楽隊をつくり、俄かに店内は楽しげな音楽と祝いの歌、鳥族たちの笑い声でいっばいになった。


「どうしてこう……っ! どうしてこう鳥どもはお祭り騒ぎが好きなんだ……!」

「まあ、性分ですかね……」


 あっという間に騒がしくなった店内に、振り返った姿のままぷるぷる震えるアディ。既に乱入してきた鳥族たちに取り囲まれ、わあわあと踊りの輪に巻き込まれているルルクゥとティークク、諦めたように肩を竦めるホゥトの遠い目を見て、陽花は声をあげて笑った。

 よく通る陽花の心底おかしいという笑い声に、怒りに震えていたアディも脱力するしかない。ぐしゃぐしゃと首の毛をかき回すと、腰に手を当てて大声を上げた。


「もういい分かった! 今日はしこたま飲んで食って騒げ! ただし食い物屋の奴らは酒のつまみでもなんでもいいから持ってこなきゃ入れてやらないよ! 主賓の嬢ちゃんに感謝して、めいっぱい楽しませてやらないとただじゃすまないから覚悟しな!」

「さっすが姉さん話が分かる!」

「無礼講だ! 店主! 酒開けてくれよ! とびっきりのやつ!」

「別に構わないが、支払いはしっかりお前達持ちだぞ」


 アディの言葉にわあっと沸いた店内が、ホゥトの一言で一瞬止まる。けれど、誰からとも無くくすくすと笑い声が上がり、望むところだと拳を突き上げる住人達は心底楽しそうだ。

 

「ハルカのお嬢ちゃん、今日はたんと楽しんでいってな! 俺達財布すっからかんになっても祝うからな!」

「いえあの、程ほどにして下さい……」


 踊りの輪の端、両手に酒瓶の青年の言葉に、そうだそうだと周りから答えが返る。ノリの良すぎる住人達にたじたじの陽花は、ほんのり引き攣った顔で本気でやりかねない怖い宣言を止めた。陽花の声で止まるかどうかは分からないが。


「なんか、最初の予定とは変わっちまったけど、楽しんでいってな。ハルカの嬢ちゃん」

「はい! 鳥族の人達のお祭り好きは、昼間身をもって感じてるので大丈夫です。賑やかでいいじゃないですか」


 店の厨房と、そこらの屋台や食べ物屋から担ぎ込まれた湯気をたてる料理で、店内の全てのテーブルの上はいっぱいになる。そのどれもが、どこかに陽花の見慣れたレシピの面影を残していた。

 かき鳴らされる楽器の音色に合わせて、そこここで鳥族たちが踊っている。既に酔っ払って美しい歌声を披露する女性もいれば、料理を口に詰め込んで目を輝かせる子供も居る。

 騒ぎを聞きつけてどんどん人が増える盛大な宴の席に、陽花は嬉しそうに目を細めた。


「改めて、結婚おめでとう。幸せにな――センセイ」

「やだなディさん、まだ結婚してませんし、その呼び方止めてくださいってば! ……でも、ありがとうございます」


 はにかんだような微笑を浮かべた陽花に、アディはまたあの凶悪な笑顔を見せる。


 宴は店の外にまで広がって、いつしか街中を巻き込んでの盛大なものになっていく。

 暖かで騒がしい夜は、まだまだ終わりそうになかった。

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