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蛇のご馳走  作者: 綾野 悠
本編
20/29

〈20〉

感想やお気に入りが見るたびにどんどん増えているのが嬉しいです。ありがとうございます。もう少し、陽花の覚悟にお付き合い下さい。

「そうだ、ルルクゥさん、私をもう一度街に連れて行ってもらうことってできますか?」

「え……? 街、に?」


 ぷちぷちと苺のへたを取っていた陽花が、隣で苺を潰すルルクゥに何気なくそう呟いたのは、しばらく経ったある日のことだった。

 さあっと爽やかな風が吹き抜ける木陰で、黙々と作業をしていたルルクゥは、疲れたように小さく首を傾げる。

 ルルクゥは、あの後何日か姿を見せなかった。もう来てくれないかもしれないと、自嘲気味に笑った陽花だったが、それから更に数日後、ルルクゥはいつものように溌剌と洞窟にやってきた。

 ただ、その顔に以前のような底抜けの明るさは見えない。無理をしているような空元気に、いつもどこか影を背負って、陽花を見る瞳はいつだって何かを言いたげだった。


 それを感じながらも、陽花は口を噤んだままでいる。陽花の本気を悟っているのか、ルルクゥも何も言わなかった。

 そんな二人の間の薄い膜のようなものに気付いているのかいないのか、灯の態度と行動は相変わらず。陽花の指にはいつも真新しい包帯が巻かれていた。


「はい。ご迷惑おかけしてしまうんですけど、街でやりたいことがあるんです」


 ちらりと遠くで長い尾を器用に使い、魚を獲っている灯を見た陽花は、にこりと微笑んだ。

 その言葉に、ルルクゥが目を見開く。視線に混じった淡い期待の色に、陽花は穏やかに首を振った。

 

「ハルちゃん……?」

「最近体の調子も良くなりましたし、そろそろかなって。街でお世話になった皆さんにご挨拶したくて」


 告げた言葉の意味に、ルルクゥの顔が真っ青になる。それでも陽花は、ちくちくと痛む胸を見ないふりでわざと朗らかに笑った。

 大食いの灯に付き合って沢山作った料理を一緒に食べている陽花の肉付きは、拾われた最初の頃とは比べ物にならないほど良くなっている。

 太った訳ではないが、健康的で肌の艶もよく、最近は激しく動きさえしなければ、灯と一緒に魚を獲ったり、燻製にした大きな肉を運んだりすることまで出来るようになっていた。

 きっと、今の状態が灯の言っていた「食べ頃」なのだと思う。


 少し前から次にルルクゥが来たら、最後にもう一度、街へ行かせてもらおうと思っていた。

 陽花の言葉に、ルルクゥはしばらく泣きそうな顔で視線を彷徨わせる。しかし、一瞬はっと何かを思いついたような顔をしたかと思うと、意を決したように静かに頷いた。


「分かった。けど、いっこだけ条件があるん。一週間、あたしと街に居て欲しいんなぁ」

「一週間、ですか? なにか行事でもあるんでしょうか」

「花嫁さんの準備にゃあ、短すぎるくらいやんなぁ。最期に着飾って旦那のところに帰るくらい、罰当たらんと思うん」

「花嫁って……。そんな、あの」

「蛇のご馳走は結婚した花嫁だって、言い伝えにもあるん。……そんなこと抜きにしても、ちょっとだけでも幸せな時間があったってええやない……」


 ぐっと唇を噛み締めたルルクゥに、陽花は自分も泣きそうになるのを懸命に堪える。今更逃げ出そうとは思わなかったけれど、姉のように慕っているルルクゥが悲しむのを見るのは辛かった。

 ひとつ大きく息を吸い込んだ陽花は、ルルクゥの目を見て頷く。


「心配してくれて、ありがとうございます。灯さんに聞いてみないと、行けるか分かりませんけど。ドレス一着くらいなら、私の手持ちでもきっと買えると思いますし」

「旦那には絶対うんって言わせるから、行くの! 今から言ってくるからな! 旦那ー! ちょっと相談があるんやけどもー!」


 ばん! と机を叩いて立ち上がったルルクゥは、目の端の涙を振り切るように頭を振って、魚に尾の先を咥えられて慌てふためいている灯の方へ走っていってしまった。

 それを見送って、陽花は一人、また手元の作業に戻る。その顔はほんの少しだけ赤くなっていた。


「花嫁さん、かぁ……」


 ほんのわずかな間でも、灯と結婚できるなんて、どんなに嬉しいだろう。一度も返事ができない、灯からの「大好き」の言葉に、一瞬でも答えることが出来るなら、それは陽花にとって幸せなことだ。

 たとえその先がすぐ終わりだったとしても、少しでもその思い出があれば、自分は満足できる気がする。

 自分のドレス姿とその隣で微笑む灯を想像して、陽花は自分でも気付かないくらい、少しだけ悲しそうに笑った。




 果たして灯から返った言葉は、満面の笑みでの「いいよ!」の一言だった。


「着飾った陽花、俺も見てみたいなぁ。えへへ……なんかちょっと恥ずかしいねぇ」

「浮かれるのはいいけどなぁ。ほんと、ちょっとはハルちゃん遊ばせてやらな、罰当たるよ旦那」

「そうだねぇ。もう最近ずっと、逆に俺がお世話になってたもんね。沢山楽しいことしてきてね!」

「ははは……。はい」


 にこにこと楽しそうな灯は、どこまでも朗らかに陽花の外出を許してくれる。花嫁という単語にうっすらと頬を染めて、陽花を見つめる優しい瞳は、愛しい人を見るときのそれだ。

 穏やかなその視線と、あんまり軽い返事に、陽花は自分の状況も忘れて思わず妙な笑い声を上げる。

 でれでれと顔を緩ませる姿は、どこまでもいつも通りの優しい灯で、これから街で陽花がしようとしている準備とはかけ離れていた。

 それでも、ちらりと視線を下げれば、真新しい包帯の巻かれた指が目に入る。その包帯をそっと撫でて、陽花は何かを振り切るように、笑顔で両袖を捲くった。


「そうとなれば、気合入れて一週間分のご飯作りますからね! 灯さん、なにがいいかメニュー決めて下さいね!」

「えー? どうしよう、迷うなぁ。陽花のご飯、なんでも美味しいんだもん」


 騒がしく洞窟に戻っていく二人は、自然と灯が陽花を気遣うように手を繋いでいる。寄り添ったその仲睦まじい後姿を、翼を閉じて砂浜に立ち尽くしたルルクゥが静かに見つめていた。


++++++++++++


 翌日、着替えの入った大きなバスケットを抱えた陽花は、いつかのように籠の中に納まっていた。


「今回も、よろしくお願いします。ティーククさん、ホゥトさん」

「ハルカさんの頼みなら、いつだってお迎えに来ますよ」

「そうそう! もっと沢山来てもいいのにー」

「ありがとうございます」


 翼の調子を確かめるように軽く羽ばたきながら、以前と同じように、仲良くなった鳥族二人が左右から笑いかける。

 その手には、またも灯の朝食だったはずのコロッケが握られていた。


「おれのあさごはん……」

「帰ってきたら、またいっぱい作りますから。一週間分の食事、今日だけで食べちゃ駄目ですよ!」

「がんばる……!」


 食事を盗られてまたしょげている灯に、陽花は籠から身を乗り出して手を振る。その言葉に彼は即座に顔を上げ、周りから笑いが漏れた。

 ひとしきり笑った後、もう一つのバスケットを足で掴んだルルクゥが頷くと、ティーククとホゥトの羽ばたきによって籠はゆっくりと上昇を始める。

 少しずつ遠くなる灯の姿を見えなくなるまで見つめていた陽花は、その姿が森の緑に消えると、籠のふちに頬杖をついて気持ち良さそうに目を閉じた。


「ハルちゃん、本当にええの……?」

「はい。今日から一週間、よろしくお願いします。ルルクゥさん」

「……全くもう、ハルちゃんは頑固で困るん。こっちこそ、よろしくなぁ」


 籠に近寄って小声で言ったルルクゥに、半分目を開けて穏やかに返した陽花は、呆れたような、どこか寂しそうなルルクゥに苦笑する。

 その凪いだ表情に、ルルクゥは肩を落としてひとつ大きく息を吐くと、ぱっと無理矢理表情を明るくした。

 以前とは違う空気の二人のやり取りを、ティーククとホゥトは何も言わずに聞いている。

 両手で触れられそうなほど近い雲を指でなぞって、陽花も普段通りの笑顔を三人に向けた。


「街へ行ったら、まず酒場でご挨拶して、それから……」

「なに言っとんの! 最初は衣装選び、次は化粧道具の準備、それから肌の調子も整えなきゃあかんし、花嫁道具の準備だってせな。やること山盛りやんなぁ!」

「ええ!? それはその、さらっと決めて終わりにしましょうよ……?」

「ハルカさん、衣装は大切ですよ。これが決まらないと、婚姻の最初の一歩にもなりません」

「そうだよー。おれたち鳥族は綺麗な服や宝石が大好きだからね! 今日一日で服選びだけでも終わるといいねー。多分無理だと思うけど」


 陽花の雰囲気がいつもどおりに戻ったのを感じたのか、怒涛のように話し始めた鳥族達に、陽花は冷や汗をかきながら逃げ場の無い籠の中で縮こまる。

 それを尻目に、三人はわいわいと陽花の頭の上で日程を話し合い始めた。

 とてもじゃないが一週間で終わるような量ではない、分刻みになりそうなスケジュールを右から左へ聞き流しながら、陽花はちらりと後ろを振り返る。

 洞窟どころか海すらもう見えないが、あそこへ帰ったその時が、この暖かな空気の終わりの始まりだ。


「もう少しだけ、待っててください、灯さん」


 小さな声は、後ろに控えたルルクゥにだけ微かに届いていた。

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