〈2〉
不備があったらご指摘お願いします。
「ハルちゃん! お料理ばっかりしてないで、こっちきなよー!」
「あと少しですので……」
来てしまった小旅行当日。色とりどりの水着溢れるきゃあゃあと騒がしいビーチで、陽花はひたすら炭火の前に陣取っていた。
時期が少しずれているおかげで、ほとんど貸切のようなビーチは、昼間だというのに酒まで入った宴会場と化している。
店にあった本格的なバーベキューセットを前に、陽花は無心でつまみを作り、野菜と肉を刻んでいた。
ここにいれば、浜辺の方で繰り広げられる合コンじみたやりとりから距離を置いておける。
けれど、「みんな一緒」が大好きなあの先輩は、そんな陽花の内心など知る由も無い。容赦なくにこやかに手を振ってきた。
「もー! ハルちゃんたら恥ずかしがりなんだから! 水着も着ないしー!」
「あはは……」
下手な愛想笑いでそのふくれっ面を受け流し、一人だけパーカーにハーフパンツで陽花は目の前の食材と格闘を再開する。
すぐそこの港であがったばかりの魚介は新鮮な味そのままが分かるように、軽く塩胡椒を振っただけのものと、バジルソースで絡めたものを用意した。
真っ赤に焼きあがったぷりぷりの海老や蛸にとろりと絡む、摩り下ろしたにんにくがアクセントの緑鮮やかなソースは目にも楽しい。
肉は醤油をベースに蜂蜜と林檎、玉葱と胡麻で作ったタレを揉みこんで炭火の上へ。
最後にさっとふりかけたすだちの、さっぱりとした香りが食欲をそそる。
両面にこんがり焼き色がつき、じゅわじゅわといい音を立てて肉汁が滴れば完成だ。
「おお、流石うちの期待のホープ。美味そうだな。陽、このくらいでいいからお前も少し遊んでこい」
「チーフ……ありがとうございます」
網の上の料理が、焼いた端から誰かに持って行かれるのを少し誇らしく見守っていると、ぽん、と軽く肩を叩かれる。
振り向いた先にいたのは、厨房を仕切るチーフであり、陽花の厨房入りを許してくれた店長その人だった。
トング片手に水着にエプロンというなんとも言いがたい格好を見て、陽花は半笑いで頷く。
照りつける太陽の下で、火の側に延々と立っているのは辛い。
幸い、浜辺の合コンもどき集団はそろそろ酒も回り、大騒ぎするほうに忙しいのかこちらは意識の外にあるようだ。
「ほら、チーフの俺にも見せ場をくれよ。な!」
「はい。それじゃあ、よろしくお願いします」
「任せとけ。おーい! 今から料理ショーしてやるぞー!」
ぐっと親指を立てたチーフが叫べば、歓声を上げた酔っぱらい達がわいわいとこちらにやってくる。
嬉しそうなチーフの視線の先に、あの先輩がいるのを確認して、陽花は静かにその場を離れた。
「あーあ……」
騒がしい浜辺から少し離れた岩場の影で、陽花は岩の隙間から顔を出した小さなヤドカリをつついてため息をつく。
海は随分と穏やかで、ちゃぷちゃぷと岩に当たる水の音が優しく響いていた。澄んだ青空と、明るい日の下で、陽花の周りだけどんよりと暗い気がする。
目の端では、チーフが鉄板の上で、豪快に青い火柱を上げて盛大な拍手を貰っていた。
端正な顔立ちというわけではないけれど、少し垂れた目元と、いつも笑っている口元に愛嬌がある。
気さくで面倒見がよく、料理の腕も確かなチーフに、陽花は新人の頃から、店に入れてもらった恩以上の淡い気持ちを抱いていた。
陽花の作る料理は、チーフや他の料理人たちのように洗練された美しいものではない。
どこか垢抜けない、良く言えば家庭的な、悪く言えば野暮ったい「母親の料理」に近かった。
陽花のいるこのレストランでは、月に一度、新しいメニューを一品考えるのが伝統だ。
その月の初めに料理人たちが一人ずつ新しいメニューを考えて、試作として店に出し、人気があったものだけがメニューに載る。
ようやく試作を許された時、陽花はレストランに勤めてから随分経っていたが、それから随分と長い間、一度もメニューに料理を載せることができなかった。
ただでさえ店の中では最年少、料理をするより雑用の方が多い。
それでも、なんとか自分の腕を認めてもらおうと、陽花はひたすら野暮ったいと笑われた家庭料理を作り続けた。
背伸びをしてみたこともあるが、どうしたってそんな見栄から作り出された料理は納得のいく出来にならず、どんなに腕を磨いても、彼らの芸術のような料理には近付けない。その事に悩んで料理そのものに行き詰っていた時に、優しく諭してくれたのも彼だった。
「陽の料理はさ、イタリアンとして一級品かって言われたら違うんだろうけどな。お前はお前の腕を磨けばいい。他の奴らとは別に、いい所があると思うんだよ。俺はお前のあったかい料理、好きだぞ。お客にだって、分かってくれてる人はいるんだ」
ぽん、と下げた頭を叩かれて、目の前が開けた気がした。その言葉で、ほんの少しだけ前を向くことができた。
その後、人気が出たからと初めて陽花自身が考えたメニューがようやく店に出されたとき、その言葉を思い出して胸がいっぱいになったのを覚えている。
自分を見てくれている人はいるんだと、メニューに載った陽花の料理を自分の事のように喜んで、ぐりぐりと頭を撫でてくる彼に、陽花はようやく胸を張ることが出来た。
けれど、彼からしてみれば、自分は後輩の一人に過ぎなくて。
「すごーい! チーフかっこいーい!」
わざわざ手を引いて一番目の前に座らせた、あの先輩に心を寄せているらしい彼に、その想いを伝える気は無い。
はなから眼中になど入っていないのが、手に取るように分かる。最初のうちは、持ち前の諦めの悪さでアタックしてみようかと思ったり、髪形や化粧を変えてみたりもした。
それでも、自分の魅力を十二分に分かっている先輩に、付け焼刃もはなはだしいの陽花が敵うはずも無い。彼氏でも出来たのか? なんて、本人から言われた時に、ああ、諦めよう、とがっくり肩を落としたのだ。
けれど、それでもああもあからさまに態度が違うと、悲しいものがある。
「みんな、良い人なんだけど……疲れちゃったな」
あの先輩だって、きっと馬が合えば楽しくやれるんだろう。
ちょっとおせっかい過ぎるところもあるけれど、気さくで明るく、ムードメーカーとして客にも人気な人だ。
文句なしに可愛らしい彼女がやれば、少しの媚びも魅力に変わる。
ぽやんとしているが、仕事だって出来る彼女は、他の女性スタッフからもしょうがないなぁ、と微笑ましげに慕われていた。
料理のことしか頭に無くて、若干呆れられている陽花からしてみれば、存在そのものが眩しすぎる。
面倒見が良くて、こんな自分にも良くしてくれるくらいなんだから、いい人だ。
そう思いつつ、もやもやした気持ちを抱えて陽花は立ち上がった。
天気に恵まれて、明るい太陽の下、真っ青に澄んだ海と空は美しい。もう少し一人でここを散歩をしたら、先に家に帰ろう。
手始めに、この岩場の先まで、と足を踏み出した――瞬間。
突然足元の岩がずるりと動いた。
え、と口を開く間もなく、陽花の体は水の中に引きずり込まれる。
ばしゃん! と響いた水音は、一際大きな歓声にかき消されて、誰にも届かなかった。