〈17〉
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三日に一度、時々灯が拗ねて一週間に一回になったりもした陽花の外出のおかげで、彼女は今では街で知らない者はいないほどの有名人だ。
元々人見知りをする性質ではなかった陽花は、街の人々ともすぐに打ち解けた。特に、ちょっとした軽食を屋台で売り歩いている者や、既婚の女性にはすこぶる評判がいい。
ルビーの雄鶏亭の料理を食べた者達がこぞって陽花に料理のアドバイスを求めるようになったからだ。
「ハルカちゃん! ちょっと味見していかないかい? 新しい味を考えてみたんだよ」
「あらあらおはようハル嬢ちゃん。これ、少ないけど持って行ってちょうだいな。アンタに言われたとおりに味を直したら、お客が増えてねぇ」
「ハルお姉ちゃん! またかーちゃんと料理してよー!」
「うわわ、ありがとうございます、皆さん!」
楽しいことがあればそれだけで生きていけると豪語する鳥族たちは、その素を作ってくれる陽花に恩返しのようによくしてくれる。
仕込みの合間に街へ出ると、当たり前のようにあちこちからかけられる声が嬉しかった。
街の中は相変わらず色彩と音楽に溢れ、最近はそこに美味しそうな料理の香りが混ざるようになっている。
そんな賑やかな通りを抜けるまでに、今日も両手いっぱいの料理や野菜を持たされた陽花は、その重さと彼らの笑顔に嬉しい悲鳴を上げた。
「山守様も元気? あの方、また新鮮な肉を置いていってくれたの。ありがとうって伝えてちょうだいな」
「山守殿にもほれ、エグーの卵のいいやつ持って行ってやってくれよ!」
陽花にかかる声と同じくらい、灯に対する礼も多い。彼の命がけの仕事が報われているのが嬉しくて、陽花はその言葉を聞くたびに緩む顔を抑えられない。
抱えきれないほどの食材を持って、鼻歌を歌いながら雄鶏亭へ戻った陽花だったが、入り口の階段を血相を変えて駆け下りてくるティーククを見つけて首を傾げる。
「ティーククさん? そんなに慌ててどうかしましたか?」
「あ! ハルカさんいいところに帰ってきてくれましたー! 大急ぎで調理に取り掛かって欲しいんです!」
「え? え? うわ、ティーククさん、押さないで」
困惑しきった陽花の背中をぐいぐい押すティーククに流されるまま、雄鶏亭の扉を開けた陽花は、そこにいた人影に思わず顔を引き攣らせた。
尻尾の垂れたアディと、緊張しているのかしきりと眼鏡の位置を直しているホゥトも目に入らない。
真っ黒な翼に、真紅の髪。カウンターの前に仁王立ちで、鋭い視線をこちらに向けているのは、初日に会った危ない人、もとい若長だった。
荷物いっぱいの陽花の姿にすっと目を細めた彼は、鋭い爪の音を鳴らしながらこちらに近付いてくる。
「ハルカ殿。お変わりないようで何よりだ」
「ひゃっ、ひゃい! おはようございます! 若長様!」
「そう硬くならなくていい。なにせ貴女は山守殿の庇護の下にある方だ。今日は貴女の料理を食べてみたくて来店させて頂いた」
「は、え? 私の料理、ですか……?」
上から見下ろされてかちこちに固まった陽花に、若長は静かに腕を組んで頷いた。
どっしりと重石をかけられているような威圧感が陽花にのしかかる。けれど、陽花は料理人。どんなお客も喜ばせるために料理を作るのが仕事だ。
しばらく冷や汗をかいていた陽花だったが、意を決したようにひとつ大きく頷くと、店にあったエプロンに手をかける。
「嬢ちゃん、アタシも手伝うよ。なに作る?」
「お願いします、ディさん」
「お、俺も!」
動き出した陽花に慌ててついてきたアディとティーククを連れて、陽花は厨房に立った。静かにカウンターへ腰を下ろした若長の目を真正面から受け止めて、彼女はフライパンを握る。
「ご注文は、何にしましょうか」
「……そうだな。卵料理を頼みたい」
「かしこまりました」
頷いた陽花に、俄かに厨房が騒がしくなった。アディが自分の鼻で確かめた新鮮なエグーの卵に、ティーククの手によって美しく切りそろえられていく野菜と肉。
初めて会った頃からは想像もつかない二人の手際のよさに嬉しくなりながら、陽花は調理に取り掛かった。
卵料理、と言われて、陽花が真っ先に思いついたのは、唯一つ。
色鮮やかな人参に、しゃきしゃきと歯ごたえのいい玉葱。肉汁たっぷりの大振りな肉と、中心には濃厚なチーズを加える。酸味と味のアクセントにトマトの角切りを散らした、フライパンいっぱいの黄金色の塊。
「ハルカ嬢ちゃん、これなんだい?」
「いい匂いー。ふわっふわだね!」
「ふふ、後で作り方お伝えしますよ。私の得意料理なんです」
とろりと中心が半熟な絶妙のタイミングで大皿に盛り付け、周りにハーブと花を散らす。
胸を張って若長の前に差し出したのは、仕上げにかけられたトマトのソースも美しい、特大のスパニッシュオムレツだ。
卵の甘い香りと、赤い羽根の模様に描かれたトマトソースの甘酸っぱさが食欲をそそる。店中いい香りに包まれる中、陽花は若長の前に皿を差し出した。
「お待たせいたしました。トマトとチーズ入りのオムレツです。熱いのでお気をつけて」
「ほう……。見たこともないものだな」
「中心からナイフで切って、ソースを絡めてお召し上がり下さい」
ほんの少し微笑んで、堂々と立つ陽花に、先程までの可愛らしい少女の面影がないことに、若長は少しだけ驚く。そこに立っているのは、女だてらにその腕一本で生きてきた職人だった。
しばらく陽花を見つめていた若長は、ふっと視線を皿に向け、おもむろに湯気を立てる卵にナイフを入れる。
中から溶けたチーズと半熟のとろけるような卵があふれ出し、思わず周りで見ていたアディたちもその様子にごくりと喉を鳴らした。
小さく切られた卵が若長の口に消えると、彼は一瞬はっとしたような顔をした後は、何も言わずに黙々と皿の上を綺麗にしていく。
(若長様、なにも言わないよ! どうしよう、味付け、変だったかな!?)
悠々とその様子を見守っているようで、内心悲鳴を上げたいのを必死で堪えている小心者の陽花は、はらはらと体の前で握った両手を手汗でべしょべしょにしながら若長が食べ終わるのを黙って待っていた。
店に出す新作料理を試食してもらう時くらい緊張する。
落ち着いた様子をティーククが憧れの眼差しで見ていることも、何故か陽花より緊張してぴすぴす鼻を鳴らすアディの姿にも気がつきもしないで、彼女はじっと若長の言葉を待っていた。
他の鳥族たち同様、健啖家らしい若長は、事も無げに大きなオムレツを綺麗にその腹に収めると、しばらく何かを考え込むように目を閉じる。
そろそろ演技も限界の陽花の口から情けない声が漏れそうになった時、若長がゆっくりと口を開いた。
「本当に、素晴らしい食事だった。こんなに食べるということが良いものだと思ったのは初めてだ……。やはりこれは、計画を進めるべきだろう」
「あ、ありがとう、ございます……! あの、なにをでしょう……?」
「ハルカ殿。貴女の書いた本を、手書きでなく我が街の正式な印刷所で印刷できるように手配しようと思う。もはや貴女の料理は、この街の名物といってもいい。沢山の料理人に貴女の知識を広めてもらえれば、この街はもっと発展するだろう」
「ほ、本当ですか? もう手書きで書かなくてもいいんですね!」
「……そこに食いつく辺り、貴女は本当に面白いな。これからも、この街のため、諸々よろしく頼みたい」
「はい! ありがとうございます!」
「嬢ちゃん! 良かったなぁ!」
「新しいレシピも載せて頂けますか?」
「俺! お菓子の本作って欲しい! 手伝うから!」
わあっと沸いた雄鶏亭の面々にもみくちゃにされながら、陽花は頬を染めて心から嬉しそうに笑う。
それを満足そうに眺めていた若長は、ソースの一さじまで綺麗になった皿を見つめて表情を緩めた。異形の中に一人、小さな体で紛れ込んだ陽花を見る視線は、どこか幼子を見守るような優しい色を帯びている。
喜びに沸く陽花は気付かなかったが、彼女を見る若長の視線が、ほんの少しだけなにかを迷うように揺れていた。




