〈16〉
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大騒ぎの夜もふけて、煌々と花の明かりが照らす道をルルクゥに手を引かれて歩く。
「いやー。あんなに人がいっぱいいる店、初めて見たやんなぁ。お疲れ、ハルちゃん。今日はあたしの家、泊まっていくとええよ」
「すみません……ありがとうございます。久しぶりに疲れちゃって、もう動けないです」
「ハルちゃん、大活躍やったもんなぁ」
ほろ酔いのルルクゥは、赤い顔でむにゅむにゅと嬉しそうに笑って陽花を隣の雑貨屋へ案内してくれた。雄鶏亭はまだまだ騒がしいようだったが、元の気の強さに加えて、やたらと張り切っている今日のアディなら、酔っ払いの相手も何のそのだろう。
先に店から出てきた陽花は、心地よい疲れにひとつあくびをして空を見上げた。
ルルクゥに引っ張られて入った店の中は、所狭しとよく分からない雑貨が山のように置いてある。オブジェのようなものから食料品まで、その種類は多種多様だ。
一番目に付くところに自分のレシピ本を見つけてほんのり照れた陽花は、天井に吊るされた花とランプを手で避けながら、ルルクゥに手を引かれるまま、二階へ上がる小さな階段を上る。
階段にもぬいぐるみやトマトの鉢植えが置いてあるのがちょっとズボラなルルクゥらしい。
「ハルちゃんは、こっちのお布団な! あたしの毛布貸してあげるんよ」
「え、悪いですよ」
「ええんええん。今日はそんなに寒くないし、いざとなったらあたし羽があるからなぁ」
屋根のすぐ下なのか、天井が斜めになったロフトのような二階。丸い窓辺に敷かれた布団をぽんぽんと叩かれ、陽花は有難く毛布を受け取って頭を下げた。
家主は奥にある丸い鳥の巣のような籠にもぐりこんで、大きな羽で体を包んでいる。
そうしているとまるきり鳥にしか見えない姿に、改めて陽花は世界が違うことを実感していた。
「明かり、消すよー。明日も早いんやから、たんと寝なね。おやすみハルちゃん」
「はい。おやすみなさい」
壁に伝う花の根元を水から上げると、ゆっくりと花弁が閉じ、徐々に光がなくなっていく。月明かりだけになった部屋の中、早々と寝に入ってしまったルルクゥの寝言を聞きながら、陽花も目を閉じた。
遠いところで、夜の街の喧騒が聞こえる。怒涛のような一日は、忙しかったが楽しかった。
「早く灯さんに話したいな……」
ぽつりと呟いた声は、静かな部屋の中に妙に響く。たった一日だけなのに、潮騒の音が恋しくなって、陽花は静かに体を丸めた。
「ハルカ嬢ちゃんもう帰っちまうのかい?」
「はい。灯さんのごはんも作らないといけませんしね」
「そうか……。山守って魔物を狩ってくれてるお人だよな? そりゃ腹を空かせたままにしとく訳にもいかねぇなぁ。また来てくれるか?」
「はい! もちろんです。新しいメニューも考えなきゃいけませんしね」
次の日の早朝、街外れの広場でしょんぼりと尻尾をたらしたアディに、陽花は困ったような顔をした。
厨房という戦場で共に戦ったのが良かったのか、アディの目にはもう最初の剣呑さはどこにもない。
獣人でも犬は犬ってことかなぁ。
そんなちょっと失礼なことを考えつつ、陽花の言葉に嬉しそうにはたはた揺れるアディの尻尾を視界に入れて、彼女のふさふさした手を握った。
温かくて、ふにっとした肉球の感触が手のひらに伝わる。
「絶対だぞ。出来ればすぐにでも来て欲しいくらいだ」
「うーん……。確かに、まだティーククさんにお菓子のレシピもお伝えしてないですし、アディさんの火力調整の特訓もありますし……。灯さんに聞いてみないと分かりませんが、また来ますよ」
「ハルカさーん! 籠の用意が出来たよー!」
捨てられた子犬のようなアディの視線にたじたじと苦笑を返していると、朝から元気のいいティーククがひょこんと顔を出した。
彼もどこかそわそわと落ち着かない様子で、陽花の手を引くのも上の空に見える。
昨日の夜、物は試しと苺に切り込みを入れて花のようにするデザートを彼に作ってもらったが、持ち前の器用さで陽花が思っていたより恐ろしく緻密な薔薇の花が出来上がってしまい、かわいいかわいいと女性達に引っ張りだこになっていた。
時々嬉しそうに笑うのは、客の喜んだ顔を思い出しているからだろうか。
「本当に、名残惜しいですね……。ハルカさんさえよければ、しばらくこちらに通って頂きたいくらいです。あんなに盛況な店、久々に見ました」
「ウエイターしてたホゥトさんも、てんやわんやでしたもんね。私としては皆さんともっとお話してみたいですし、街も周ってみたいので願ってもないんですが、灯さんがなんて言うか」
「……やはり直談判するしかなさそうですね」
籠に乗り込む陽花を支えるホゥトは、陽花の言葉を聞いてぶつぶつと独り言を言い始める。
「ホゥトもそう思う? 俺もそうしたほうがいいと思うんだー」
「入り江に着いたら話してみましょうか」
「準備ええかー? 出発するんなぁ」
ルルクゥの声で、ぶわりと風が舞い、籠が浮き上がっていく。下で手を振るアディに、陽花は籠のふちから顔を出して手を振り返した。
革の輪を握り、力強く羽ばたくホゥトとティーククは、そんな彼女の頭の上でこくりと頷きあう。
しばらく後、辿り着いた入り江でホゥトとティーククが到着するなり灯に土下座する勢いで陽花の街通いの許可を貰うのを、空の散歩に夢中な陽花は知らなかった。
結局、三日に一度の頻度で陽花は街へ出かけることになった。あまりにも熱心すぎたホゥトとティーククに、灯がたじたじになった結果だ。
いいよ、と灯が告げたときの彼らの喜びようはいっそ清々しいくらいだった。
「灯さん? 灯さーん! 朝ごはんですよー。何処行っちゃったんだろ……」
明日のアディとティーククへのお土産と、灯の朝食を作り終えた陽花は、洞窟から顔を出して灯を呼ぶ。
普段なら陽花が食事を作り始めたときには既に食卓について上機嫌でいる灯が、今日に限って姿を見せない。
首を傾げて洞窟を出た陽花は、入り江の木下でとぐろを巻いて海を眺める彼を見つけて、ぱっと笑顔を作った。けれど、陽花の足音が聞こえているはずの灯は、こちらを向こうとしない。
「灯さん、朝ごはんですよ」
「……うん……」
「どうかしましたか? どこか具合でも悪いですか?」
「ううん……元気だけど」
そっぽを向いたままの歯切れの悪い灯の言葉に、陽花の眉間の皺は増えるばかりだ。心なししょんぼりと垂れた尻尾と猫背な彼の肩を、陽花は優しく叩く。
ちらりとこちらに視線をよこした灯の目は、すっかり拗ねた子供のような色をしていた。
「でも、元気ないですよ」
「なんでもないよ。陽花、街のお店のお手伝い用の料理で忙しいでしょ? 俺は後で適当に食べるから……」
ぼそぼそと聞き取り辛い灯の声に、陽花は一瞬目を見張ると、小さく噴出す。口をとんがらせている灯は、どうやら陽花が街に出かけてしまうのに拗ねているようだ。
堪えきれない笑いで口元が歪むのをなんとか堪えて、陽花は癇癪を起こした大きな子供をなだめにかかる。
「ルルクゥさんに言って、明日の街へ行くのは中止にしてもらいます。最近、灯さんほったらかしにしてて、すみませんでした」
「へっ!? ちが、ほったらかしとか、思ってないし……!」
「口が蛸みたいになってますよ。全くもう、灯さんってたまに急に子供っぽくなりますねぇ。今日はなにしましょうか? 魚とりに行きますか? それとも家でのんびりします? 私に出来ることならなんでもしますよ」
「子供っぽくなんかないよ!」
むっとしたようにこちらを向いて怒る灯だったが、尻尾の先は嬉しそうにぱたぱたと地面を叩いていた。隠しきれていない可愛らしい反応に、陽花は笑いの波を必死で堪えている。
少し赤くなった頬を隠すように視線を外す灯の手を取って、陽花は洞窟のほうへ足を歩き出した。入り口からは、灯のためにと今日も山のように作った料理の数々が、いい香りを運んできている。
「お腹が空いてるから暗くなっちゃうんです。たくさん食べて下さい。まだまだ作りますよ」
「……オムレツも?」
「もちろんです。フライパンいっぱいのでっかいやつにしましょうか?」
「チーズ入れてくれる……?」
かわいいなぁ、この人。
頭二つ小さい陽花に手を繋がれて、大きな体を縮こませた灯がとんがった口のまま言った言葉に、陽花は堪え切れなかった笑いで声を震わせながら応じた。
大きな図体をしているのに、灯は時々年端も行かない子供のような仕草をする時がある。大の大人が、しかも下半身は蛇などという異形がやってもひとつも可愛くないはずなのだが、彼のそれにはなんでも答えたくなってしまうのは、惚れた弱みか母性本能か。
「さびしんぼですねぇ、灯さんたら」
「っそんなんじゃないからね! 違うからね!」
「はいはい。ごはんにしますよー」
「もー! 陽花ぁ!」
じたじたと暴れる灯の横に並び、陽花は高い位置にある頭をからかうように撫でる。文句を言いながらもその手を振り払わない辺り、灯も無意識に甘えてくれているのだろうか。
陽花だけがほのぼのとした顔の痴話げんかのようなやりとりは、呆れ顔のルルクゥが入り江にやってくるまで、飽きもせず続けられていた。




