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蛇のご馳走  作者: 綾野 悠
本編
15/29

〈15〉

「ここ、ですか?」


 辿り着いたのは商店が立ち並ぶ通りから一本奥まった路地にある、寂れた酒場だった。

 隣にあるやたら店先に物が置かれた小さな雑貨屋とは対照的に、どことなく薄汚れて閑散としている。


「じゃ、あたしいい加減店番しないと不味いから、ここで一旦お別れやんなぁ」

「えっ!? ルルクゥさん!?」

「別にさっき置いてったの根に持ったりしとらんからなぁー」


 ぶんぶん手を振って鼻歌混じりにルルクゥが入っていくのは、その物が多い雑貨屋だ。どうやらここがルルクゥの店らしい。

 突然置いてけぼりをくらった陽花は、中途半端に伸ばした手の行き場所をなくしてふらふらと空中で彷徨わせる。


「ばっちり根に持ってるじゃないですか……」

「ふられちゃったねー、ハルカさん。まあなんかあったらどうせすぐ飛んでくるから、こっち来てくれる?」

「えええー……」


 肩をすくめたティーククに彷徨わせていた手を取られ、陽花は酒場の方へ体を向けられた。

 嘴から長い尾の先まで真っ赤に塗られた雄鶏が描かれた、所々色の剥げた看板が寂しげに風に揺られている。元は鮮やかな青色だったのだろう壁は、薄汚れてあちこちにヒビが入っていた。

 くすんだ屋根や壁の日陰に這う蔦がまた哀愁を誘う店の外観に、陽花は思わず開いていた口も閉じる。


「ようこそ「ルビーの雄鶏亭」へ。寂れているでしょう」

「もうさ、なんか物悲しいよねー。俺がせっかく描いた看板も、もうはげはげだし」

「はは、ははは……」


 いっそ朗らかな二人の言葉に、はいそうですねと返すわけにもいかず、乾いた笑いだけが喉を通っていった。

 

「今はこんなことになっていますが、ハルカさんの料理があれば、変えられるかもしれないと思うんです」

「大事な俺の職場だもん! ハルカさん、期待してます!」


 きらきらした二人の熱い眼差しに、引き攣った笑顔を返すしかない陽花はごくりと生唾を飲み込んでささくれた木の階段に足をかける。

 足の悪い自分を気遣うように左右から手を取ってくれるのは嬉しかったが、今だけはその手を振り切って逃げ出したいと、ほんのり思ってしまう陽花だった。

 招き入れられた店内も、外とそう変わらない寂れぶりだ。

 いつからあるのか分からない古びた椅子とテーブルが五脚、壁と同じようにヒビの入った床は所々ぎしぎしと不穏な音をたてる。元の美しさを刺繍の部分にだけ残したカーテンがかかった窓から、昼の明るい光が入り込んでいるというのに、どことなく店内は薄暗かった。

 艶を失ったカウンターには曇ったグラスが無造作に置かれ、その後ろに山積みの酒瓶がずらりと並んでいる。


「わー……」

「はい、ここ座って座って。足大丈夫? お水持ってくるからちょっと待っててね」


 室内を見回してなんとも言えない声を出す陽花に、ティーククがカウンターの椅子を勧めてくれた。左足を庇っているために少し疲れてきていた陽花はありがたくそこに腰掛けるが、視線はうろうろと宙を彷徨っている。


「私は少し上で仕事がありますので、後はティーに任せます。すみません」

「あ、いえ、お構いなく!」


 申し訳なさそうに一つお辞儀をして、店の端にある古びた階段を上がっていくホゥトを見送った。

 ホゥトの顔も、心なし店の中に入ってから暗くなっているような気がする。

 とても繁盛しているとは言えない店内に渋い顔をした陽花の目の前に、突然ぬうっとカウンターの向こうから長いものが差し出された。

 肩を揺らしてそちらに視線をやると、それはどうやら獣の鼻先のようだった。


「うわっ!?」


 半開きになった口元から、ぞろりと生えそろう鋭い牙が覗いている。やけに赤い舌がはっはっと荒い息遣いと一緒に動き、ぐるぐると低い唸り声が鳴り始めたところで、驚きから脱した陽花が悲鳴を上げて思い切り椅子から転げ落ちた。

 打ち付けた腰の痛みに呻く陽花の前に、その獣はのっそりと姿を現す。

 二本足で立つその服装は、ちょうどお話の中の魔法使いがするような、長いローブの上に白衣という不思議なものだ。

 その服に沿って視線を上げていくと、肩まである長い毛に覆われた垂れ耳に、全身を覆うつやつやと絹のような光沢の長い毛足。切れ長の鋭い瞳が精悍な犬の顔がそのてっぺんに乗っかってこちらを睨みつけている。

 胸の膨らみからして恐らく女性だろう。ローブから出た手は人間のものに似ているが、ふさふさした毛と鋭い爪が人間でないことを陽花に伝えていた。

 その面長の優雅な姿にどことなく見覚えがあって、陽花はぽかんと口を開ける。


「よう。随分遅かったな」

「……アフガンハウンドだ……?」

「おい、人が挨拶してるのになに呆けてやがんだ、あぁ?」

「ひゃい!? あ、いや、すいません!?」

「ちょっとハルカさん今の何の音ー!?」


 仁王立ちで腕を組み、陽花を見下ろすアフガンハウンド似の獣人は、呆れたようにため息を吐いて慌てる陽花に首を振る。

 暫く品定めするようにじろじろ陽花を見ていた彼女は、大きな音に驚いてそこら中にグラスの水を零しながら駆け寄ってきたティーククに、思い切り鼻づらを皺だらけにした。


「おい、ティー。本当にこんなちんちくりんな変な奴がそうなのかぁ?」

「ちょっと、アディ姉さんすんごい失礼だよ! というよりハルカさん床に座り込んでどうしたのー! 怪我してない?」

「煩いこの馬鹿が。アタシに突っかかってないでその濡れた床どうにかしろ! ……で、どうなんだ? お嬢ちゃん? アンタがあのレシピ本作った奴で間違いねぇか?」

「はい。私が書きました。貴女が、このお店のシェフですか? 陽花と申します。私に会いたいと仰っていたのは貴女でしょうか」

「……ふぅん。ちっさい癖に気は強いんだな」


 胡乱な視線にむっとした陽花がきりりとその顔を睨み上げると、険しい顔をしていた彼女の鼻の皺がふっと和らぐ。

 長く裂けた口元を歪め、生えそろった牙を見せ付けるようににたあ、と笑った彼女は、陽花の二の腕の辺りを持って勢いよく体を立たせてくれた。

 ぱんぱんと汚れてしまった服を叩かれ、突然のことに目を白黒させている陽花に喉の奥で満足そうな唸り声を上げる。


「ええと……?」

「なかなか度胸のある子じゃねぇか。アタシ、はねっかえりは嫌いじゃねぇよ」

「あ、ありがとうございます?」

「アタシはアディ。よろしくな。ハルカお嬢ちゃん。そうとなりゃ早速、アタシの料理食べてもらわねぇとな」


 にた、とまた人一人食い殺しそうな凶悪な顔をして奥に引っ込んだアフガンハウンド――アディに、陽花は呆けたままぎこちなく首を傾げた。


「あれ、笑ってる……のか、な?」

「一応、あれとっておきのスマイルだから、言わないであげてねー、ハルカさん。あれでも本人としてはものすごーくいい笑顔なんだよー」

「そ、そうですか」

 濡らしてしまった床をモップがけしながら、ティーククがこそりと耳打ちしてくる。

 妙に音の外れた鼻歌が聞こえる厨房の方を向いて、陽花は個性的過ぎる料理人に頬を引き攣らせた。


 陽花の座るカウンターからは、奥に続く厨房が棚の酒瓶越しに見えている。

 大きなかまどがひとつ、小さめのものが四つほど並び、広い調理台と大きな洗い場、大小様々な鍋や刃物類と設備はそれなりに整っているようだ。

 しかし、陽花はその設備に感心する前に、ぐったりとカウンターに伸びて頭を抱えている。


「ティー! いつまで掃除してんだ! こっち来て人参刻め」

「はいはーい! 今行きますよう。俺青臭いの嫌いなのにー……」

「やかましい鳥頭」

「うわあ……」


 思わず陽花の口からうめき声が上がったのも無理はない。一言で言えば、アディの調理は豪快すぎた。

 袋の中を見もしないで放り込まれた大量の鳴き石によって、かまどの火力は常に最大。魚を三枚に下ろすところまでは陽花ですら見とれるほど手際が良かったのに、その美しい魚は既に鍋の中で焦げ付いて無残な姿を晒していた。

 付け合せらしい野菜は、なぜかティーククの手によってサイコロ状にされた上でくたくたになるまで煮込まれ、最早原型を留めているのがやっとのような状態だ。 

 こちらからはなぜか洗濯ばさみで長い耳と毛を後頭部に纏めているアディの背になって見えないが、時々ぼうっと巨大な火柱が上がるのも物凄く気になる。


「ザ・男前クッキング……」 


 一体今から自分は何を食べさせられるのか、引き攣り笑いのままぽつりと呟いた陽花は、冷や汗をかきながら料理が出来上がるのを待つしかなかった。


「お待ちどうさん。悪い、ちょっと焦がしたが、生焼けよりいいだろ?」

「あ、りがとうございます。ええと……なんだろうこれ……?」


 心なしか明るい顔のアディの手によって差し出されたのは、なんとも言いがたい「料理のような何か」だった。

 断じて「ちょっと」では済まない真っ黒こげの魚の上に黄緑色のソースが嫌に映えるそれは、元が赤身だったのか白身だったのかすら判別がつかず、使いすぎて吸い切れなかった油でてかてかと輝いている。付け合せは半分角が溶けかかったサイコロ状の人参と一口サイズのパフィンだ。

 フライなのか、焼き魚なのか、それすら判別がつかない。けれど、きらきらした案外黒目がちのアディの瞳に見守られて、食べない訳にもいかなかった。

 やたらぺたぺたする魚にナイフを入れ、ソースに絡めて口へ運ぶ。


「どうだ?」

「……甘苦い、です」


 なんとか口に含んだ分を飲み込んで、陽花はぽつりと一言呟いてからグラスの水をがぶ飲みした。これ以上、食べる勇気が湧かない。

 薄く衣がついているのはいいが、なぜかその衣がほんのり甘く味付けられている。焦げた身の苦さと口の中で大戦争が繰り広げられ、その上、魚にかかったソースはどうやら果物を大量に使っているらしく、甘酸っぱくて後味にミントに似た匂いが鼻についた。

 頭を突き抜けて戻ってくるそのきつい香りも相まってくらくらめまいがするし、パフィンはルルクゥがいつか持ってきたものより格段に硬くて歯が立たず、もはや味どころではない。

 サイコロ人参には塩しか振っていないが、むしろこちらの方が、軟体動物を口に入れたような食感にどうにか目を瞑れば食べられないこともなかった。

 

「うちで良く出るやつなんだが、おい、その顔どうした嬢ちゃん」

「よく、出るんですね、これ」

「比較的な」


 胸を張るアディが言うように、実に不本意ながら確かに食べられないことはない。ルルクゥも味が濃いもののほうが好みだった。ティーククもこの匂いにきょとんとしているところを見ると、恐らく鳥族はあまり鼻が良くないようだ。酒に酔ってしまっていれば、このくらい味のきついものでも食べられるだろう。

 ただ、陽花の味覚で美味いかと聞かれると返事ができない。


「ええと、率直に……言いますと……。ちょっとこれはその、改良の余地ありじゃないかなと」

「ああ?」

「っ魚に火を通しすぎていますし、そもそも油が多すぎます! それから衣に砂糖は必要ないと思いますし、ソースの果物が多いです! あと野菜は煮込み過ぎ、てます、よ……」


 地を這うようなアディの声に一瞬怯んだ陽花だったが、彼女にも料理人としてのプライドがある。意を決したように皿を指差して問題点を挙げた。

 アディの鼻面にみるみる寄っていく皺が怖くて、最後の方は知りすぼみになってしまったが、言いたいことはなんとか伝えきる。

 

「そんな顔するくらい酷ぇか……?」

「あー、と……わりと」

「はぁ……。分かった。なら、嬢ちゃんもなにか作って見せてくれねぇか? な?」


 年下で、体も小さい陽花に言われたのが癪に障ったのか、アディの声は低い。けれど、不安げに揺れる瞳と、その手がもじもじと服の裾を掴んでいる辺り、自分でも自分の料理に納得していない葛藤が見て取れた。

 しおしおと垂れた尻尾からも、彼女の落ち込みようが伝わってくる。その瞳を見つめて、陽花は力強く頷いた。


 材料はアディが使ったものの残りを貰うことにする。サイコロ状の野菜と、レモンに似た形の赤い果物、白身だったらしい魚を前に、陽花は腕を組んで頭の中のレシピをひっくり返した。

 

「ハルカさん、お手伝いすることあるー?」

「大丈夫ですよ、ティーククさん。あ、でも調理器具の場所だけ教えてもらえますか?」

「うん! 何が欲しい?」

「おろし金と、ボウルと、なるべく底の浅い鍋をお願いします」

 

 ティーククに借りたエプロンを腰に巻いて、陽花は手渡されたおろし金とパフィンを手に取る。硬くて歯が立たないが、一応元はパンと同じものだ。衣に使うパン粉にすることもできるだろう。

 

「ハルカさん、代わろうか……?」

「んー! はぁ……お願いします」


 ただ、陽花の力ではどうやっても削れなかったために、結局ティーククに手伝ってもらう羽目になった。事も無げにしょりしょりと手を動かすティーククを見て、改めて鳥族の怪力にはため息が出る。

 気を取り直して魚に塩と胡椒、香り付けのハーブを擦り込み、ティーククが削ってくれた衣を薄くつけて、少し大目の油を熱した底の浅い鍋に重ならないように二枚並べた。

 かまどの鳴き石を中火になるように調節した陽花は、付けあわせ作りに移る。


「あれ、鍋そのままでいいの? 焦げちゃうよ!」

「火力を調整してあるんで大丈夫ですよ。ティーククさん、バターをそのスプーンに一杯、出してもらってもいいですか?」

「いいんだ……アディ姉さんはずっと火のそばについてるのに」

「もちろんそれも大事です。でも、アディさんは火力の方に目が行ってなかったみたいですね」

「お腹壊しちゃいけないからっていつもよく焼いてたよー」

「逆にお腹壊しそうですけどね、あの焦げ焦げ……」


 他愛もない会話をしながら、陽花は小さく切られた人参をさっと湯通しすると、甘酸っぱい果実の絞り汁と砂糖、塩コショウを合わせた簡単なドレッシングと和え、上に削った皮を散らした。

 本当は柚子かレモンでやるところだが、酸味が強めのこの果実なら代用できるだろう。


「野菜に果物混ぜるって不思議な感じー。ハルカさん、はいバター」

「ありがとうございます。ここの人参は甘みが強いですから、果肉を混ぜても美味しいと思いますよ」


 花の形をした小鉢に人参を入れていると、横からひょいと手が伸び、鮮やかなオレンジ色の上に小さな葉が乗せられた。隣を見れば、にこにこしたティーククが何かのハーブらしい枝を持って立っている。


「こっちのほうがかわいいよー」

「ハート型の葉っぱですか。いいですね」

「ちょっとぴりっとするけど、美味しいんだよ、これ」


 濃い緑色が人参に良く映える可愛らしい葉に、陽花もくすりと笑った。しかし、そんな事をしている間も、動くたびに背後から射殺されそうな視線が飛んできている。

 ばしばし当たる視線の攻撃を、なんとか見ないふりをして陽花はこんがりと狐色に揚がった魚をひっくり返した。

 ぷちぷちと油がはじける音と、香ばしい香りが厨房の中に満ちていく。手際よく果実を絞り、酒と合わせた爽やかなソースをひと煮立ちさせている間に、こんがりといい色がついたフライが焼きあがった。

 フライを皿に盛り、幾分かどぎつい色を抑えた果実のソースを模様を描く様に垂らす。

 小鉢を添え、仕上げにティーククが持っていたハーブと目に付いた赤い花を刻んで入れたバターを添えれば出来上がりだ。


「お待ちどうさまでした。白身魚のフライ、フルーツソースがけです。ティーククさんもどうぞ」

「俺も食べていいの!? やったー!」

「こりゃ……おんなじ魚か……?」


 カウンターで頬杖をついていたアディに皿を差し出すと、彼女は目を丸くしてまじまじとフライを見つめたまま固まってしまう。まるきり別物になった魚が信じられないのか、ぽかんと口が開いている様子はどこか間が抜けて可愛らしくもある。


「いただきまーす!」

「あっこら先に食うなティー!」


 呆然とするアディに構うことなく、ティーククが先にフライに齧りついた。ふっくら焼きあがった淡白な魚の身に、さっぱりとした甘酸っぱいソースが良く合う。油の多いフライも、これならいくらでも食べられそうだった。


「幸せ……。魚ってこんなに美味しかったっけ」

「う……うまっ……」

「俺人参あんまり好きじゃなかったけど、こんな甘いのなら食べられるよー」


 付け合せの人参は、さっと茹でられただけでしゃきしゃきとした食感が残り、酸味のあるドレッシングと合わさって口の中の油っぽさを洗い流してくれる。少し刺激のあるハーブの葉も、いいアクセントになっていた。

 一口食べてしばらく皿と陽花を交互に見ていたアディも、途中から隣に座るティーククと一緒になって目の前の料理を堪能することに夢中になる。

「お口に合ったようで、良かったです」


 片方は頬を染めて、もう片方は真剣そのものの顔でがっつく二人に、陽花もほっと胸を撫で下ろした。

 しばらく食器の擦れあう小さな音だけがしていたカウンターは、二つの皿が空になった所でアディのため息によって動きを取り戻す。

 ぺろりと鼻の頭を舐めたアディは、うろうろと視線を彷徨わせたかと思うと、テーブルにぶつかりそうなほど、勢いよく頭を下げた。


「アタシの負け、いや、これじゃあ勝負にもなっちゃいないなぁ……。生意気なこと言って悪かったよ。センセイ」

「わわ、頭上げて下さい! アディさんの料理だって、調理法は間違ってませんでしたし、この料理もアディさんの下ごしらえが良かったから美味しくなったんですよ。あと、その呼び方も止めてください。そんな高尚なもんじゃないですよ、私」

「アタシにもチャンスはあるってことかい? なら、色々教えてくれるか……?」

「もちろんです! 私、そのために来たんですから!」


 上目遣いにこちらを見るアディに、陽花は力強く頷く。にたあ、と凶悪な顔で微笑むアディの顔も、もう怖くなかった。



「で、蒸し焼きなら焦げ付くこともないですし、ふっくら柔らかく仕上がりますよ」

「はー……。アタシの知らない調理法なんで、いっくらでもあったんだなぁ」

「アディさん、いままでどこかで調理法を習ったことって、あるんですか?」


 二人で調理台に並び、肉や魚、色とりどりの野菜に囲まれて細々とした調理法を実際に料理しながら伝えていく。

 慌しく厨房を行き来しているティーククの爪がかちゃかちゃと床に擦れるのを聞きながら、陽花はアディの顔を見上げた。

 下ごしらえの腕からしても、アディの手先は器用で、むしろ逆に料理の仕方を知らないほうが違和感がある。陽花の視線に気付いたのか、アグーの卵を片手に彼女は困ったように視線を空へ向けた。


「ディでいいよ。……アタシさ、本当は料理人なんかじゃなかったんだ。元はここからずうっと東に行った、犬族の国で薬師をしてたんだよ」

「薬師?」

「薬の研究をしたり、調合して客に渡したり。それなりに腕も良かったと思うよ。貴族の客も多かったからなぁ」


 それで白衣か。

 アディの言葉に、陽花は場違いなその格好に納得して頷く。 


「薬剤師さん、みたいなものですよね? でも、どうしてそんな畑違いのところから料理人に? しかも鳥族の街で」

「なに、簡単なことだよ。毎日毎日見るのは青臭い薬草と秤の目盛りだけ。仕事が忙しくて食べるものなんてそこら辺にある果物か、良くてパフィンくらいのもんだ。なんか、むなしくなっちまってさ。店畳んでふらふら旅に出てみたんだよ。最初は薬の研究とかしてたんだけど、それよりいろんなところで食べる料理のほうに興味が沸いてね。今まで手の込んだもんなんか食った覚えがなくて、新しいものを口に入れるのが楽しくて……気付いたらこんな異種族の街まで来ちまったけど、ここの色彩が気に入ってなぁ。薬と同じで混ぜればできるもんと、解剖のおかげか下ごしらえは出来たから、見よう見まねで料理人さ。こんな中途半端なやつ雇ってくれたホゥトにゃ感謝してるよ」

「そうだったですか……それでやたらと生焼けを気にしてたんですね。薬屋さんがお腹壊させちゃいけないから」

「アディ姉さん、色々ぶち込んで煮たスープとかは美味いんだよー。今日もそれ出してあげればよかったのに」

「煩い鳥頭。……アタシだって、緊張してたんだよ」

「あらやだ、姉さんたら見栄はっちゃってー」

「ぶん殴るぞ! ったくもう……」


 ボウル片手ににこにこしているティーククに、アディは右手を振り上げて殴るふりをした。毛の下で分からないが、小さくなる声からして照れているのだろう。

 照れ隠しに怒るアディと、きゃーっとやたら可愛らしい悲鳴を上げて逃げ回るティーククを見て、陽花はくすくすと笑い声を上げた。

 ひとしきり二人を見ていた陽花は、調理台の端に残ったサイコロ状の人参を見つけて顔を上げた。

「そういえば、ティーククさんって几帳面ですよね」

「え? 俺?」

「はい。この人参、ほとんど大きさ一緒じゃないですか。それに、私にバターをくれたときも、スプーンの縁ぴったりに擦り切ってありましたよね?」

「あー……。確かにこいつ、妙に量を気にするな」

「だって気持ち悪いじゃないー。ハルカさんのレシピ本も、適量ってどのくらい? って凄く聞きたかったんだよー」


 ハーブをむしって皿に盛りつけながら、ティーククは眉間に皺を寄せる。それを聞いて、陽花は自分が思いついたことが正しいのではないかと一人で頷いた。


「それと、可愛いものと甘いもの、お好きじゃないですか?」

「えへー……男としてちょっと恥ずかしいんだけど、そうなんだー」

「やっぱり。ディさん、ティーククさんは料理人というより、もしかしたらパティシエに向いてるかもしれません」

「へ?」

「ぱてぃ……? なんだそりゃ」


 きょとんとした二人に調理の手を止める。言葉の意味が分からなかったらしいアディの渋い顔に、陽花は目の前にあった苺を指差した。

 ヘタを取られ、綺麗に洗われたそれは、先を外側に向けて円錐形に盛り付けられている。このまま上に砂糖でもかければ、立派なデザートとして出せそうな美しい盛り付けだ。


「菓子を専門に作る料理人のことです。ティーククさん、看板も自分で描いたって言ってましたし、この苺もそうですけど、美的センスは素晴らしいと思うんです。あと、分量をきっちり守る真面目さと、なにより甘いものが好きで味覚も悪くない。下手にメインを作るより、デザートを専門にした方がいいんじゃないかと思って」

「俺が、お菓子!?」

「そりゃ、考えもしなかったな……。そもそもここの街、菓子なんてそんなに売ってねぇぞ。パフィン細長くしたやつに砂糖かけたのとか」

「だからこそですよ! 女の人は甘いものが好きなものです。食事の後にお茶と一緒に出したら、人気が出るんじゃないかなって」

「お菓子……ハルカさん、お菓子のレシピも知ってるの?」

「もちろんです! 本職ではないので基礎しかお伝えできませんけど、そこから新しいものを作るのはティーククさんのセンスにお任せします」

「うん……! おれやる! やってみたい! 自分で美味しい甘いもの、作ってみたい!」


 陽花の言葉にきらきらと瞳を輝かせたティーククは、勢いよく陽花の手を取ってぶんぶんと振り回す。片付けの手際のよさから見ても、今まで雑用の方が多かったのだろう。自分がきちんとした職人になれるかもしれないと、彼の顔は興奮と喜びでか、真っ赤に染まっていた。

 肩をすくめて微笑ましげに飛び跳ねるティーククを見ているアディも、基礎さえ教えてしまえば持ち前の器用さと有り余る才能がある。既に彼女の前にはいくつかまともな料理が並んでいた。


「じゃあ次はお菓子のレシピも教えなきゃですね。……私もうかうかしれらんないや、こりゃ」


 自分の出る幕なんてなかったんじゃないかとすら思う二人の力量に、陽花も拳を握る。陽花の気合の入った顔に、ティーククとアディは顔を見合わせて笑った。


「あのー……、三人とも、ちょっといいですか?」

「あれっ? ホゥ、上で仕事してたんじゃなかったの?」


 カウンターの方からおずおずとした声がかかったのは、そんな時だった。ひょこひょこ近付いていったティーククが酒瓶を押しのけると、情けない顔をしたホゥトが所在無さげに立っている。

 顔を見合わせた三人を見て、ホゥトの眉間に徐々に皺が寄り、わならなと震えだしたかと思うと、かっと目を見開いて姿に似合わないすねたような大声を上げた。


「いい加減にして下さい! 美味しそうな匂いが上まで来て仕事どころじゃありませんよ! もう! 私にだけ陽花さんの料理を食べさせてくれないなんて酷すぎますー!」

「なんだ、お前腹減ったのかぁ? はいはい落ち着け落ち着け。今試しにって作ったやつ食わせてやるから」

「ちょうどいいや、ハルカさん、ホゥ実験台にするからお菓子のレシピ教えて!」

「実験台ってティーククさん……」

「なんでもいいから私にもごはんを下さい!」


 スマートでクールな印象だったホゥトの子供のような叫びに、こみ上げる笑いを堪えていた陽花はティーククに手を引かれて厨房の奥へ戻される。

 カウンターの前では陽花の料理と、アディが作った謎の料理を交互に口に入れられてホゥトがうめき声を上げていた。

 その時、扉の向こうが俄かに騒がしくなる。


「ハルちゃーん! なんかいい匂いしてるんなぁ!」

「ルルクゥさん!?」

「お腹すいたから来ちゃったやんなぁ。お客さんも連れて来たんよ!」


 突然開いた入り口のドアから、ルルクゥを先頭にどっと人が溢れてきた。新しいもの好きの街の住人達は、好奇心に満ちた目でこちらを見ている。

 何人かは陽花のレシピ本を持っていることから、どうやらルルクゥが店番ついでに宣伝してきた成果らしい。

 いきなり増えてしまった客に、陽花とアディは顔を見合わせて思わず噴出した。


「ちょいと早いが、雄鶏亭、開店とするかね! ハルカお嬢ちゃん、手伝ってくれるかい?」

「はい!」


 先程とは打って変わって活気溢れる店の雰囲気に、陽花は満面の笑みで元気欲返事をする。

 なんだなんだと見る間に人が増えていく店内は、夕日に照らされて、昼間よりもずっと明るくなっていた。

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