〈14〉
「ほら、ハルちゃん、見えたんなぁ!」
「うわぁ……! 大きな街ですね!」
唐突に開けた視界に、真っ先に飛び込んできたのは巨大な鐘のついた塔だった。
赤いレンガで組まれた鐘楼を中心に、沢山の家々が立ち並んでいる。家の屋根や壁は様々な極彩色に塗られ、丸く円を描くように並んでいた。遠くに見える青い海のきらめきと、山すその緑が合わさって、街全体がまるで巨大な花束のようにも見える。
「さ、街の中案内するから、付いて来てなぁ」
「はい!」
「街は広いですから、迷子にならないようにして下さいね」
「俺達の街へようこそ! ハルカさん!」
家々から少し離れた街外れの空き地に降り立った一行は、きょろきょろと飛び出したいのを我慢している陽花に笑うと、ゆっくりと活気溢れる街中へ歩きだした。
空き地から一歩街中へ入ってしまえば、そこは色と人で溢れている。あちこちに気ままに絵が描かれた石畳の左右に、所狭しと店が軒を連ね、呼び込みの威勢のいい声が飛び交っていた。
いい香りをあたり一面に広げている屋台や、籠にいっぱい商品や花を詰めて道を走り回る物売りの子供達もいる。
そこかしこから知らない楽器の演奏や耳慣れない歌声が響き、上を見上げれば鮮やかな翼を広げた鳥族達が青い空を背景に飛び交っていた。
「い……異世界だぁ……」
「ハルちゃん、ハルちゃん、口開いてるんなぁ」
からかい混じりのルルクゥの声も耳に入らない。見たこともない異国の街に、陽花の目は釘付けだった。
「飛び出したくてうずうずしてる小さい子みたいな顔してるねー」
「可愛らしい方ですね」
「あらぁ! ホゥトさんどうしたの? こんなところで」
「ルルクゥねえちゃんお花買ってー!」
「ティー! あんたこんな時間にうろついて、店の仕事はいいのかい!」
微笑ましげな顔をしていた鳥族たちに、突然あちこちから声がかかる。極彩色でエネルギーに溢れた街並みに圧倒されていた陽花も、急にかかった知らない声に驚いて後ろを振り返った。
視線の先では、ルルクゥたちがあちこちから出てきた街の住人に囲まれてわいわいと一方的に話しかけられている。
どうやら顔見知りのようで、ルルクゥたちのほうも、慣れた様子で受け答えをしていた。一人輪から外れた陽花がぽかんとその様子を眺めていると、それに気付いた住人の一人が、くるりとこちらを向いて目を見開く。
「アラやだ! ちょっと、この可愛い子だあれ? 見ない顔っていうか、あらまぁ貴女鳥族じゃないのね! やだ、まさかホゥトさんのお嫁さん!?」
「なに、ホゥトの嫁?」
「え、あ、違いま」
「いやいや年恰好からしてティーククの好い子だろうよ! なぁ嬢ちゃん!」
「とうとうティーにもそんな子が? こりゃ大ニュースじゃないか!」
「おねえちゃんお羽も尾っぽもないのね? お耳もないよー?」
「ヒトって種族じゃないの? あたし初めて見たわ! ちびっちゃくてカワイイわねー」
「いえあのだからちょっと、待ってください……!」
見つかってしまえば後は早かった。どっと陽花を取り囲んだ鳥族達は、怒涛のようにわあわあと陽花を取り囲んで話し始める。女性ですら陽花より頭一つ大きい体の威圧感と、口を挟む隙なんてどこにもないマシンガントークの波に、陽花はあたふた焦るばかりだ。
「ちょいとー! おっちゃんおばちゃんら違うんなぁ! その子はハルカ! 山守の旦那のとこの子なの! ちっこくて可愛いのは認めるけど、街に来るの初めてで慣れてないんやから囲んでわーきゃーしない! はい離れる!」
「まあまあ! 山守さんのところにいるの! あの方は元気にしてらっしゃる?」
「そりゃあうんと持て成してやらにゃいかんじゃねぇか! あのお人には世話になってるからなぁ。ほれ嬢ちゃん、串焼き持ってきな!」
「ようこそこの街にいらしてくれたわ。うちのお花もお土産にして頂戴な」
「だーかーらー! 囲まない! お土産は後!」
がるるる、と鳥族にあるまじき声を上げながら威嚇するルルクゥもなんのその。住人達は口々に陽花に話し掛け、あれもこれもと両手に溢れるほど土産を手渡してくる。
ホゥトとティーククに手を引かれて、陽花がなんとか輪から抜け出した後も、ざわざわと波紋のように住人の口から口へ話が伝わっているのか、集まってくる人々は増えるばかりだ。
「ぱ……パワフルですねぇ……」
「目新しいことがあるとすぐこれだ……。大丈夫ですか? ハルカさん」
「歌と踊りと音楽、あと楽しいことと酒で出来てるからなー、俺達鳥族って」
「そりゃあ……、人生楽しそうですね……」
来て早々ぐったりと力尽きた陽花は、彼女が逃げたことに気付かず、未だ一人で取り囲まれているルルクゥにほんのり申し訳なさそうな視線を投げる。
どんどん増える住人に若干引き攣った顔をしたところで、一際辺りの喧騒が大きくなった。
「若長様だ!」
誰かが言った聞き覚えのない言葉に、陽花はその声の方向を何気なく振り返る。巨大な黒い翼が視界を覆い尽くしたのは、その瞬間だ。
羽の先だけが白い大きな翼を折り畳んで、陽花の目の前に現れたのは、彼女より頭二つほど大きながっしりとした男だった。
燃えるような赤い髪を丁寧に後ろに撫でつけ、真っ直ぐと陽花を睨みつけているいかつい顔は、まさしく猛禽のそれ。
危ない職業の人にしか見えないその剣呑な視線に、ぶわっと陽花の背中に冷や汗が伝った。
「山守殿の所におられるヒトが来ていると聞いて来たが、貴女のことだろうか」
「は、ハイ! 陽花と申します!」
「そうか。私はこの街の若長だ。我が街には、山守殿に返しきれない程の恩がある。その方のお連れならば、大いに歓迎しよう。街での滞在、楽しんでいってくれ」
「あ、ありがとうございます……!」
「ああ。皆、程ほどにな。では」
一方的に言うだけ言ったヤクザ面の男は、しばらく固まった陽花を観察するように見つめてから、颯爽と巨大な翼をはためかせて去っていく。
風に煽られた髪を掴んだ陽花は、ぽかんと口を開けたままその姿を見送るしかなかった。
隣で一礼しているホゥトの方を間抜けな顔のまま見やると、ホゥトは苦笑して眼鏡の位置を直す。
「街の長老の息子、次期長様だよ。多分誰かがあの方の仕事場の鐘楼まですっ飛んで行って伝えたんじゃないかな……。山守さんはこの街の恩人だけど、本人はほとんど街まで来ないしね」
「そう、なんですか」
「単にヒトが珍しいっていうのもあるかもだけどねー」
「獲って食われるかと思いましたよ……」
大げさにため息を吐いた陽花に、ホゥトとティーククは思わずといった風に噴出した。
「若長様とのご対面も済んだし、そろそろ店に行こうか。本当にこれ以上待たせると後が怖い」
「えっ?」
「うわ! そうだった! 包丁飛んでこないか心配だよおれ……」
「包丁!?」
「うちの料理人、ちょっと気が荒いんだ。でも、陽花さんみたいな女性には手を上げたりしない、と、思うから……」
「早く行こうよホゥ! 俺が縊られる!」
「どんな人なんですか、それ……」
気を取り直したように呟かれた不穏な言葉に、陽花は一旦引いた冷や汗をもう一度かく羽目になる。青い顔で急かすティーククの様子に引き攣った声を上げて、陽花は二人の後を追って歩き出した。
背後で住人に囲まれたままのルルクゥを忘れていた事を思い出すのは、泣きながら逃げてきた彼女に飛びつかれる、もう少し後のこと。
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