〈13〉
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「ルルクゥさーん! おはようございますー!」
「おー! ハルちゃんおはようさーん!」
次の日の朝、そわそわと洞窟の入り口で空を見上げていた陽花は、見慣れた赤い羽根が朝日にきらめくのを眩しそうに見つめて大きく手を振った。
後ろでは、朝から上の空だった陽花のはしゃぎぶりを、相変わらず大量の朝食に囲まれた灯が苦笑しながら見ている。
「いやー、待たせちゃってごめんなぁ。なかなか籠が借りられんくて。あっ旦那なんかまた美味しそうなもん食べて!」
「きゃー! ちょっとルルクゥ人の朝ごはん盗らないでよー!」
どっ、と砂浜に着地したルルクゥは、早速灯の目の前に置かれた食事をつまみ食いに走った。今日のメニューは外の石釜で焼いたとろとろのチーズたっぷりのピザと、丁寧に裏ごしして光沢すらあるなめらかなコーンスープ、大皿山盛りの手のひらサイズのコロッケに、抱えられるほど大きな木のボウルいっぱいに作られた、白いドレッシングがつやつや光る彩り美しい野菜のサラダ。
三種類ほどあったチーズを全て惜しみなく使って、黒胡椒で味を引き締めたピザは、シンプルながら食べ応えがある。とろけるように甘いコーンスープと、わざわざ石釜で焼いたパンを使った生パン粉で揚げたさくさくほくほくのコロッケの相性に、二人の表情も溶けそうだ。
ついでに陽花が自分で食べたくなって作った大量の肉じゃがも、二人の喧嘩の声を背景に瞬く間に消えていく。
「……おかず、足りなかったかな」
「あのー、貴女がハルカ、さん?」
「ひゃっ!? あっ、はい! おはようございます!?」
乾いた笑いを漏らしていた陽花に、背後から困惑したような声がかかった。変な悲鳴を上げて振り向けば、そこには灯とルルクゥの喧嘩にぽかんと口を開けた男性が二人立っている。
どちらも陽花より頭二つほど大きい。二人ともすらりと手足が長く、モデルのような体型だ。
黒髪に一房赤い髪が混じる、細い緑の釣り目に眼鏡の青年と、明るい金の髪に垂れ気味の大きな青い瞳の青年。足がルルクゥと同じ黒い鱗に覆われた鉤爪なのも気にならないくらい、どちらもそんじょそこらの芸能人など太刀打できなさそうな華やかな顔立ちだ。
鳥族というのはそういうものなのかと、興味深げに陽花を見つめている二人を眺めて思う。
ばさりと広げられた翼は、眼鏡の彼が濃い紫色、もう片方は空に同化しそうな明るい青色だ。
「ええと、おはよう。俺、ティークク。今日はよろしくね」
「あ、はい!」
「ホゥトです。足が不自由だと聞いています。なるべく負担はかけないようにしますが、不便があったら言って下さいね」
「陽花です。ありがとうございます。ええと……。と、とりあえずルルクゥさんを呼んできますね!」
大きな二人の視線に少したじろいだ陽花は、未だに食事の取り合いをしているルルクゥに助けを求めてふらふらと手を振る。コロッケ片手に灯と睨み合っていたルルクゥは、陽花の困った顔で最初の目的を思い出したのか、ちょっとばつが悪そうに戻ってきた。
意地でも離さなかったコロッケに、黒髪のほう、ホゥトが目を細める。
「ルルクゥ、それがこの、ハルカさんが作ったものですか?」
「そうなん。ハルちゃん相変わらずいい腕やんなぁ。このさくっふわっな衣と中のほくほくで甘い芋がたまらん。……もいっこ持ってきてもええ?」
「はー……これ揚げてるの? こんなもの見たことないよー。いい匂いだねぇ」
「ハルちゃん、こっちの黒いでっかい方がその料理人の勤めてる酒場の店主な。あたしの幼馴染なん。愛想はちょっと悪いけど人は悪くないから仲良くしたってなぁ。金色のでっかい方はその酒場の雑用さん」
「雑用じゃない! 料理人!」
「見習いやろー?」
わいわいと騒ぎ出したルルクゥとティーククをちらりと横目で見たホゥトは、特に動じるでもなく呆れたようにため息をひとつつくと、眼鏡を押し上げて陽花を見た。止める気がないあたり、どうやら二人の口げんかはいつものことらしい。
じいっと見つめられてどうしていいか分からなくなった陽花は、しばらくうろうろと視線を彷徨わせてから、とりあえず愛想笑いを浮かべて食卓からコロッケをひとつ、紙に包んで戻ってくる。
「あ、あの、よろしければお一つ味見してみて下さい」
「私に? いいのですか?」
「はい。店主さんならその、酒場以外のお料理も沢山食べたことあるでしょうし、感想を聞かせて頂ければと思いまして……」
「ふむ」
こくりと頷いたホゥトは、まだ温かいコロッケを手に取ると、上品に小さく一口噛んだ。
「どう、でしょう……?」
自分の料理にはそれなりに自信を持っている陽花だが、ここでのお客は灯とルルクゥの二人だけだ。丸のまま蒸かした芋を丁寧に一つずつ裏ごしして、肉汁たっぷりのひき肉や新鮮な野菜と一緒に混ぜたシンプルなコロッケは、簡単な分味の誤魔化しが利かない。
ソースが見つからず、一から作る時間も無かったために、そのまま食べられるように少し濃い目の味付けがしてあるが、果たしてそれが気に入られるのかどうか。
固唾を呑んで見守る陽花のか細い声に、ホゥトは反応しなかった。
代わりに、細めていた目を見開き、先程までの上品な様子を一変させて猛然とコロッケにかじりつく。
あっという間に一つ完食したホゥトの頬がほんのりと赤くなっているのを見て、陽花は緩みそうになる口元を慌てて引き締めた。
「これは、凄い……! 油を使っているのに、どうしてこんなに口当たりが軽いんです?」
「そうやんなぁ! なぁ! これがホゥの店でも食べれるようになったら、お客さんわんさかになること間違いなしやんなぁ! ほれティーも食べてみ」
「ちょっと、ルルクゥ! だから俺の朝ごはんとさくさに紛れて食べないでってば!」
「うわ、うわ、なんだこれ美味い!」
きらきらと目を輝かせるホゥトの横で、自分もちゃっかりコロッケを齧りつつ、ルルクゥはティーククの口に肉じゃがを詰め込む。
突然口の中に入れられた大きな芋に涙目になったティーククも、そのほくほく食感と甘辛いタレの絡んだ柔らかい肉の旨味にぱあっと顔を綻ばせた。
「お口にあったようで、良かったです」
「こんな素晴らしい料理が、世の中にあったのですね……。これは是非ともご指導をお願いしたいものです」
「すげー……。俺、料理人とか胸張って言えない気がしてきた……。なあハルカさん、これどうやって味付けしてるんだ?」
興奮気味に詰め寄る二人に苦笑いを浮かべつつ、陽花はほっと胸を撫で下ろす。この世界のものではない料理を気に入ってもらえるか不安だったが、その心配は無かったようだ。少し顔の強張りが取れた彼女を見て、ルルクゥがぱんぱんと手を叩く。
朝ごはんを減らされて涙目の灯が恨めしげにその後ろ姿を睨んでいるが、お構いなしに大きなバスケットを抱えて胸を張った。
「残りは街に行ってから! 早くせんと調理場がしっちゃかめっちゃかになってまうよ」
「いけね、そうだった」
「そうとなれば早く戻らなければいけませんね。さ、ハルカさんはこちらです」
ダンスに誘うようにそっと右手を取ったホゥトに続き、陽花は砂浜に置かれた陽花の肩辺りまである大きな籠の側に連れて行かれる。
気球の下に付いている籠を少し小さくしたようなそれは、ぎっちりと編みこまれた蔓でできた網のようなもので綺麗に包まれていた。その網は左右の部分だけが長く伸び、一本に纏まった先に両手で丸を作ったくらいの分厚い革の輪がついている。どこにも動力がついていない、本当にただの籠のそれに、陽花は首を傾げた。
「これ、どうやって街まで行くんですか? うひゃあっ!」
「はいはい乗った乗った! これ? もちろんホゥとティーが連れてくに決まっとるやんなぁ。なんのためにこのでっかい図体二人も連れてきたと思ってるん」
「でかい図体は余計です」
「ルルは俺らに対して遠慮が無さすぎだよー……」
後ろから追いついてきたルルクゥがひょい、と陽花を抱えて籠の中に放り込む。その後ろで、ぶつくさ文句を言いながらティーククとホゥトがその革の輪に片足を通すと、残った部分を鉤爪で掴んだ。
巨大な二対の翼が視界いっぱいに広がり、陽花は考えついた答えにさあっと青くなる。思わず籠のふちを掴んだ手は、バスケットを片足で持ち上げたルルクゥによって籠の中に戻されてしまった。
「あの、ルルクゥさんもしかしてこれって……!」
「ほらほらちゃんと中に掴まってなぁ。大丈夫。底抜けたりせんからな」
「そういう事じゃなくて!」
「出発しますよ」
「旦那ー! そいじゃあ行ってくるなぁ! ほらハルちゃんもご挨拶して」
「そそ、それどころじゃないです……!」
二人の羽ばたきによって、籠の両脇の蔓がぴんと張る。ぎしりと鈍い音をたてた蔓の先、陽花の乗ったバスケットはゆっくりと浮き上がり、徐々に砂浜が遠くなっていった。
ゆらゆらと不安定な籠の中で縮こまる陽花に、ルルクゥが洞窟の入り口で手を振る灯を指差すが、揺れる籠に悲鳴を上げる陽花はそれに答える余裕なんてどこにも無い。
頭上で羽ばたきの音が大きくなるほどみるみる地上は遠のいて、眼下には青い海と鬱蒼とした森の緑が広がった。
「ハルちゃーん、落ちたりせんから目ぇ開けてなぁ? ほら見てみ、今日は晴れてて綺麗やんなぁ」
「下は見ない下は見ない下は見ない……」
ぶつぶつ呪文のように唱えながら、陽花は恐る恐る蹲っていた体を起こし、籠の外を見る。青い海から跳ねる光と、森の緑に透けるティーククとホゥトの巨大な翼は確かに美しい。
風に乗ったのか、浮き上がる時ほど足もとがふらつく事も無く、陽花は後ろから付いて来ているルルクゥに少しだけ血色の良くなった顔を向けた。
「風も穏やかやし、街まで少しかかるから、ゆっくり空の散歩、楽しんでなぁ」
「鳥族は力持ちだから、女の子一人くらいなんともないよ! というよりちゃんと食べてる? 鳥族のちっちゃい女の子と同じくらい軽いよー」
「安全飛行で参りますから、安心して下さいね」
「あ、ありがとうございます! 凄い……ルルクゥさん達は、いつもこんな景色を見てるんですね」
少しずつ山の頂上が近付き、籠は高度を上げていく。羽ばたく翼の音が大きくなると、ぐんと速度が上がり、あたり一面は空の青色一色になっていた。
たなびく雲の間を抜け、楽しそうに話す鳥族達の声を聞きながら、陽花は澄んだ空気をめいっぱい吸い込んで目を輝かせる。
いつの間にか恐怖はどこかに飛んでいた。あるのはこの景色への感動と、これから行く街への好奇心だけ。
籠のふちを掴んだ陽花の子供のような表情に、周りを飛ぶ鳥族たちは風に乗って優雅に翼をはためかせながら、顔を見合わせて笑うのだった。




