〈12〉
いつもより少し涼しい風が吹き抜ける居間で、陽花は一人、かりかりとペンを走らせていた。
ルルクゥの羽から作られた羽ペンと、どこか不思議な光沢のある甘い香りの紙を片手に、陽花は時々空中を見つめては難しい顔をする。
「陽花ー、そろそろ休憩にしない? あんまりやってるとまた体調崩すよ」
「……え、あ! ごめんなさい灯さん! なんですか?」
「もう。熱心なのはいいけど、あんまり根を詰めちゃ駄目だってば。それで、順調なの? 料理本作り」
灯に暖かいお茶を差し出されて、陽花は固まってしまった肩を回して頷いた。
最初のうちは羽ペンの扱いに困ったり、インクを零して大騒ぎしたりもしたが、慣れてきた今では、字を間違うことも少なくなってページを埋める速度も早くなってきている。
本当に初歩の初歩、プレーンのオムレツやグリーンサラダとドレッシング程度の「お料理入門」のレシピをいくつか書いたそれは、薄いがそれなりに手が込んでいた。
「あと一冊書けば、今日のノルマは終わりです。でも、もう目と手が限界で……。息抜きにおやつ作ります! 何にしましょう」
「それ、息抜きになるの? 根っからの料理人さんだねぇ。今日はそうだなー……、あの薄い生地の……そうくれーぷ! くれーぷがいい!」
「分かりました。それじゃあ、生クリームと果物の用意、お願いしても?」
「もちろん!」
筆記用具と紙を脇に避けて、陽花は伸びをしてキッチンに向かう。書き上げた紙をルルクゥに渡せば、街にある製本屋のような所で本にしてくれるらしく、陽花は文字を書くだけだ。
「あ、灯さん、つまみ食いは程々にして下さいね」
「う、そ、そんなに食べてないよー……?」
「言ってるそばからもう食べてるじゃないですか」
「い、いやぁ……。そういえば、絵の方は上達したの?」
いつの間にかキッチン横に新しく増設された野菜倉から、果物の山を抱えて灯が戻ってくる。その中の濃いオレンジ色の苺を齧りつつ、灯が言った言葉に陽花はびしりと固まった。ここへ来て改めて思い知ったが、陽花には悲しいくらい絵心というものが無い。
ちらりと横目に見えたのは、下書き用にとルルクゥから貰った安い紙に描かれた謎の物体。何を描いても得体の知れない棒と丸の集合体にしか見えない紙の上の惨状に、陽花はがっくりと項垂れる。
学生時代の美術の授業も、そりゃあ悲惨なものだった。教師と友人に「いっそ現代アートに見える」と変な方向に評判だった事まで思い出して、余計傷つく。
流石に料理本に芸術品を描くわけにはいかないので、もっぱら挿絵は手先の器用なルルクゥの役目だ。
料理の盛り付けは出来るのに、どうしてこっちに反映してくれないんだろう。ぐしゃぐしゃ目の前の紙を丸めてため息をつく。
そして、八つ当たり気味に変な方向に話題を振った灯を睨んだ。
「お願いですから聞かないで下さい」
「あ……ごめん」
「やっほー! ルルクゥさんが来ましたよー! あれ、二人ともどうしたん? 遠い目ぇして」
無駄に元気よく飛び込んできたルルクゥに、陽花はかくんと首を下げて乾いた笑いを漏らす。
項垂れた陽花とルルクゥを見比べて灯がおろおろするのを、ルルクゥは不思議そうに見つめた。その視線に気を取り直した陽花は、脇によけた紙の束を指差す。
「ルルクゥさん、今日の分の原稿もうすぐ出来上がりますんで、また持っていってもらえますか? あと一冊分だけ終わってないので、おやつ食べながら待ってて下さい」
「あいあい! おやつの準備、あたしも手伝うよー。しっかし、ハルちゃんは律儀やんなぁ。きっちりその日の分ちゃあんと作ってくれるし。頼んでも数が違ったり変なもの入れてくるような仕入先とは全然違うわぁ。あと約束そのものを忘れるどこぞのつまみ食い旦那とはもっと大違い」
「ふグっ」
「灯さん……。あんまり食べるとクレープに包む果物が無くなりますよ」
喉になにかを詰まらせたらしい灯にひんやりした声を掛けて、陽花はやれやれと首を振るルルクゥに生クリームの入ったボウルを差し出した。
もう扱いにも慣れた鳴き石をかまどに放り込み、手早く作ったクリーム色の生地をフライパンに流し込む。
甘い物好きの陽花は、本場式の生地の上に少しの果物とシロップがかかっているシンプルなクレープより、日本式の生クリームや果物がふんだんに使われているクレープのほうが好きだ。大食漢の二人組にもこちらの方がうけがいいので、気合を入れてせっせと絶妙な焼き具合と厚みの生地を作っていく。
香ばしい焼き色がついた、向こうが透けそうなほど薄いのにもちもちと歯ごたえのいい生地は、どんな具材とも相性がいい。
ふんわりと砂糖とミルクの香りが洞窟内にたちこめ、その優しい香りに陽花は目を細めた。
「ハルちゃんー。クリームこのくらい固まったらええ?」
「あ、はい! 相変わらず早いですね……」
「ふふん。鳥族の腕力舐めてもらったら困るんなぁ」
「鉤爪の方が強いくせに……」
「旦那なんか言ったん?」
「陽花、果物切れた痛い痛い! ルルクゥ尻尾踏んでる! 爪食い込んでる! ごめんなさい!」
後ろで挨拶代わりのように低レベルな言い争いをしている二人を放っておいて、陽花は生クリームを絞り袋に入れて大皿にうず高く積まれた生地に絞りだしていく。
クリームを囲むように苺やオレンジ、名前も知らない鮮やかな実を並べて半分に折り、くるくると端から巻いていけば、よく見るクレープの出来上がりだ。
くるりと丸まった生地の上に、たっぷりと隙間なく苺を並べる。
その上からとろりとかけるのは、有り合わせで作ったカラメルソースと自家製のジャムだ。何時間もかけて丁寧に煮込んだ大粒の実が入ったジャムは、つやつやと宝石のように白いクリームと苺を飾る。
「いただきまーす」
「あっズルイ陽花! 俺のも! もう喧嘩しないから!」
「ハルちゃんごめんなさい! お願いやからあたしの分も作ってー!」
あー、と口を開けて一人で先におやつにしようとした陽花に、慌てて二人が駆け寄ってきた。食事のことになると仲がいいのは相変わらずだ。
しょうがない、と陽花はいたずらっぽく笑うと、食べようとしたクレープをコップに立てて、二人のために大量のクレープ作りに取り掛かる。
出来たそばから二人の腹に消えるので、しばらく休んでいる暇はない。
まるでひな鳥に餌を運ぶ親鳥の気分だ、と昔家の軒先に巣を作ったツバメを思い出しながら、陽花は腕まくりをして腹ペコの相手をしにかかった。
「そういや、ハルちゃんの料理って、もうちょい詳しく教えられる?」
「へ?」
「いやね、最初はあんまり食いつきが無かったんやけど。ものは試しと思って幼馴染のやってる酒場に持ってってみたら、なんかしばらくして酒場の料理人が飛んできてなぁ」
両手の数ほどクレープを腹に収めてようやく落ち着いたのか、いつの間にか串に刺した苺をカラメルソースにつけて食べているルルクゥが言う。
まだ食べたりないらしい灯の分のクレープを巻きながら、陽花はぱちぱちと瞬きをした。
「もっと料理の種類を増やせって事ですかね? 調理に手間のかかるものは説明も長くなりますし、少し時間を貰わないと……」
「やあ、違うんなぁ」
自分の料理に興味を持ってもらえたのは嬉しいが、これから新しく書くとなるとそれだけ手間がかかる。
困ったように絞り袋を抱えた陽花に、ルルクゥが首を振った。
「この料理人を連れて来いってことみたいなんよ。「こんな斬新な調理法を教える料理人に、同じ職人として会ってみたい」って」
「会ってみたいって……私とですか!?」
「うん。えらい鼻息荒かったよー。良かったなぁハルちゃん。ハルちゃんの料理、興味持ってもらえたみたいよ。それでなあ旦那ー、これも街の料理の発展のためと思って、ハルちゃんちょっと貸してくれん?」
「んー……。んん!」
口いっぱいに生クリームを頬張った気の抜ける顔のまま、灯は少し首を傾げた後こくこくと頷く。
「ん、陽花の怪我も良くなったし、街に行くのもいい気晴らしになるんじゃないかな」
「行っていいんですか……?」
「もー、最近は旦那の世話になってんだか旦那の世話してんだか分からんかったんやし、たまにはええやんなぁ」
「ありがとうございます!」
ぱあっと顔を明るくした陽花を、ルルクゥと灯が微笑ましげな顔で見ていたが、はしゃぐ彼女は気付いていなかった。
この世界で陽花が知っているのは、灯とルルクゥの二人とこの入り江の景色だけだ。
異世界の街なんて、どんな所か想像もつかない。
「そいじゃ明日の朝、迎えに来るんなぁ。こういうんはもったいぶってもしょうがないしな」
「そんな急に!? うわ、うわ、どうしよう灯さん! 私このまま行っても大丈夫でしょうか」
「大丈夫大丈夫。落ち着いて陽花」
くすくすと笑う灯に肩を叩かれ、陽花は年甲斐もなく大喜びした自分に頬を赤くした。あわあわしながら灯に頭を撫でられている、二人の仲のいい様子をおかしそうに眺めていたルルクゥが、ぽふんと自分もその頭を叩く。
「ここいらじゃあそれなりに大きい街やから、気合入れて案内するな。楽しみにしててなぁ」
「はい!」
元気よく返事をした陽花は、えへへと顔を綻ばせてその手に目を細めた。しばらくそうして二人がかりで頭を撫でられていた陽花だったが、途中で恥ずかしくなったのか、いそいそと赤い顔でクレープ作りに戻る。
けれど、隠し切れない好奇心に緩んだ顔と、子供のように跳ねる後姿に、ルルクゥと灯は顔を見合わせて笑った。
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