妄想する街
夏休みの真っ只中、太陽からの直接攻撃もピークに達する八月の始めに、外を出歩くのは大変辛いものがある。特に男である俺は日傘を挿す度胸も、そこまでする欲もないので、太陽からの攻撃を満遍なく浴び、体に備蓄された水分をバーゲンセールのように大放出していた。体感温度はうなぎ登り、最早暑いでなく熱いだ。
そうして頭上で輝く太陽に愚痴を溢しながら、片手を団扇に見立ててパタパタと扇ぎ、俺、双技秋名は誰もいない田んぼ道を、体の至るところから流れる汗を拭いもせずに歩いていた。
「暑い」
声に出したところで暑さが引いてくれるわけでもない、誰もいないのをいいことに、ウヒィとか訳の分からない悲鳴をあげたい衝動に駆られるが、ペットボトルの水と一緒に喉元まできたそれを胃袋に押し流す。
最早ぬるま湯と変わらない水だがないよりかはマシだ。汗の分を補充して住宅のちらほらある場所まで懸命に歩く、後少しだ。
そして住宅のあるところに着く頃には俺の持つペットボトルは空になっていた。
残念無念と嘆きながら後ろを振り返る。
「未完、水くんない?」
「シューメ、ペース配分考えなよ」
やれやれと呆れ気味に一度こちらを見下すと、絹のように柔らかそうな黒く長い髪を靡かせて、我が可愛い妹の双枝未完は手に持つペットボトルを差し出してくれた。
俺よりも背の高い未完は贔屓目を抜きにしても美人だ、身長165ほどの俺よりさらに高い170の長身に、細くてしなやかな体に無駄にでかい胸と尻。ここまでならモデル顔負けなこいつだが、年頃の少女にしては珍しく、服にはあまり関心がないらしい。今日の服装は、というか夏はほとんど無地の白いティーシャツに俺がはいていたジーパンと色気のいの字もない、初対面の人はその名前を読むとよくそのまま未完と読むが、実際は食べる蜜柑と発音が一緒だったりする。今更言うのもあれだけどややこしい名前だよねこいつ。
「サンキュっと」
早速俺は差し出されたペットボトルを貰い、まだ半分以上残っていた水を更に半分まで飲む。
「……遠慮ないな、一応それ私のお金で買った私のペットボトルなんですけど?」
「ガタガタ言うなよ、折角の欲なんだからさ」
ペットボトルを未完に返と俺らは住宅街を歩く。
かれこれ歩くこと約十五分、次からは自転車で行こうと思いながら、目的地に向かっていくのだった、ウヒィ。
—
目的地である建物は、三階建ての何処にでもありそうな普通の事務所である。
一階は丸々駐車場になっていて車が一台停まっているだけだ、コンクリートで出来た影に入ると熱のこもった体から熱気が引いていく。
その奥のドアを開け俺と未完は上への階段を歩く、二階にある部屋のドアを一度ノックしてその中に入った。
「ぬぁ」
口から思わずそんな声が漏れる程に、クーラーという文明の利器により冷やされた部屋の中は涼しかった。
建てられてから一度も手入れのされていない、剥き出しのコンクリートの部屋の中央、適当に二つデスクを置いた部屋の奥。そこだけどっかの社長が座るような豪勢な机に頬杖をつき、我らが雇い主の巫円さんは、手に持つ冷たそうなオレンジジュースを自慢気に飲みながら俺らを出迎えた。
「ご苦労様、疲れた?」
「とりあえず自慢気にジュース飲む位なら私達にも分けてほしいわね円」
汗で濡れたシャツを掴んで扇ぎながら未完が不満げに言う。
円さんはこちらに見えるようにクスリと笑うと、側に合った小さい冷蔵庫からグラスとオレンジジュースを取り出した。
黒いスーツに身を包み日の光りを反射する短い銀色の髪が惚れ惚れするほど美しい、こちらに笑いかける切れ長の目から覗く銀色の瞳と微笑みを象る小さな唇は思わずドキリとする。やはりいつも通りそっち方面の女の子からもラブレターを大量に貰えそうな程に、円さんは凛々しくて美しかった。
ちらりと未完を見る、こちらもかっこよさなら負けないが、如何せんジーパンと無地の白いシャツだけなので減点です。もう少し頑張りましょう。
「何よシューメ、私に何か付いてる?」
「いや別に、つか毎度ながらせめてシュウメイってしっかり発音しろよな」
「いいじゃない楽だし」
それ以上は話さず、円さんが入れたオレンジジュースを未完は一気に飲み干すと新たに注ぐ。
俺はあいつみたいに豪快な一気飲みはせず、上品にオレンジジュースをチビチビ飲みながらデスクに腰掛けた、いつ座っても固い椅子だなぁとか思ってると、定位置の社長机に戻った円さんが一枚の紙を取り出した。
「依頼よ、詳しくはそれ読んでみてね」
まさに一言、たったその一言の為だけに呼ばれたのかと思うとげんなりする、いくら欲の少ない俺であろうとやっぱし楽はしたいのだ。
「はいはい、わかりました円さん、せーしんせーいしごとにはげみたいとおもいまーす」
「シューメ、あんた誠心誠意という言葉に謝りなさい、土下座で」
未完のツッコミを無視し、俺は円さんから紙を受け取ると、オレンジジュースを飲みながら目を通す。俺の頭に顎を乗せて、上から未完が紙を覗いてきたので、それがなんとなく癪に触った俺は頭を左右に動かした。
突然のことにムスッとしている未完だが無視、お前がいけないんじゃボケ。
「……不良の討伐か、円ぁ、この程度なら私達に依頼する必要ないでしょ?」
「俺も同感、それに城院組っていったら地元のヤクザじゃないですか、俺怖いのパスですよ?」
溜め息をつきながら紙で体を扇ぐ、後ろで未完が気持ちよさげにその風を享受していた、畜生、何楽にしてるのさ。
「そう言わないでよね、私にだって地域との連携とかが必要なんだから、人間一人で出来ることなんてたかが知れてるわ、繋がりは大切よお二方」
まさかそんな綺麗事が円さんから出るとは思ってなかったので、俺と未完は子尾を見合わせ硬直した。推理小説を読んでいて、実は語り部の主人公が犯人だったってくらい予想外の発言だ、いやまぁ実際そんなことはありえないんだけど。
「ムッ、そんなに驚かれるなんて私傷つくわよ」
「あんたがその程度で傷つくなら今頃地球上の半数は自殺してるわね」
サラリとキツい一言をぶちかます未完は放っておき、まぁ円さんの言い分は確かに理解出来る。
いくら世界中に支部を置くウチの会社でも、やはり世間、特に裏の世界との繋がりは大切だ。独り善がりじゃ何も出来ない、周りの信頼なくして戦争には勝てないのと一緒だ。
「私としても正直受けたくない依頼なんだけどね、実際ウチは妄想具現者専門だし……でも未完、あっちからの援助であなたたちの給料も賄ったりしてるのよ、その代わり妄想具現者は進んで対処するけどやっぱほら、そんなほいほいイカれた奴なんて出ないでしょ、ねっ?」
ねっ、とかそんなに可愛く言われても困るよカマドちゃん。
「でも、まぁ……言い分はわかりました、だろ? 未完」
「……うん、そりゃまぁ最初からそうだけどね」
いい子ですね、お兄さんは感激ですよ。
─
いきなりではあるが、俺こと双枝秋名は妄想具現者と呼ばれる精神障害者だ。
そんな俺が勤めているこの会社は、世間一般では何でも屋として通っているけれど、実際は依頼なんててんで無い。その本来の仕事は俺たちが住む奈木市や、世界中の色んなとこに現れる妄想具現者と呼ばれる異常者に対処することである。
自分で言ってても胡散臭いと思う組織に籍を置く俺と未完だが、やっぱし胡散臭い組織の胡散臭い人間だったりする。
俺は人に比べて全てに対する欲が少ない、というより欠落していると言ったほうがいいかもしれない。
それが妄想具現者と呼ばれる者の共通の事柄だったりする。妄想としか思えない力を具現させる者、だが俺たちはこの能力に目覚める代わりに必ず何かを『欠落』する。例えば痛覚や味覚の喪失、他には腕や足を失ったり、中には感情を無くす者もいたりする、それが俺の場合hとんど全ての欲だったわけだ。
そんな人として致命的な欠落をした俺は、例えば食欲だってあんまりないし、性欲だってまるでない。
だがこうなって困ったというわけでもないのだ。むしろ妄想具現者の全てが特にそのことを気にしてはいない。欠落した代わりに能力があるのだ、つまりその能力が代わりに補ってくれるからプラマイ0、だけどやっぱし一般人とはどこか違う。というか、初めからその機能がなかった状態になるので、それを不便だとか思わないのだ。
でも欠落したせいでやはり俺たちは狂ってる。
まぁそれでも生きていけるから人間って凄いよね。
—
あの後オレンジジュースを一本空にしてから事務所を出ていった。
俺と未完は並んで奈木の町を歩く、目指すのは極道まっしぐらの城院組事務所、なんとか系列とか長ったらしい名称があったりしたが流石に覚えるのもダルいので仕事の詳細はいつも未完に任せている。
因みに道のりも未完に任せっぱなしだ。欲がないってのはやっかいで仕事に対する関心、というより物事に関心が持てないから困る、嘘、困ってないけど。
「にしても平和そのものよね奈木市ってさ、シューメもそう思わない?」
道行く人々を眺めながら未完が不意に呟いた、俺はそれに頷きながら歩を進める。
奈木市は表だけを見ればいたって平和だ、道端で安心して寝れる位の平和がある。
だがそれ以上に俺らはこの街に蔓延る闇の深さを知っている、光が明るければ闇が深くなるのと同じ道理だ。
妄想具現者は欠落から生まれる、奈木市は裏では平然と薬が蔓延し公にされない殺人などが起きている。人の欲という暗黒は欠落を生む、そんな負の感情が妄想に逃げる人々を生むのだ。
まぁそんなことを言ったところで、所詮俺は高校に入りたてのガキで、未完も大人びてる割には同い年だったりするから、そんなに詳しいわけでもない。
俺らがどんなに世の中の憂いを嘆いても所詮はガキの戯言、ただ俺と未完は人より少しイカれてるだけでしかないわけだ。
「そろそろ着くわよ、相手ヤクザだからってビビったりしないでよ?」
そう言って未完は路地裏に入っていく、俺もそれに習い路地裏に入ると、たちまち空気が変わった。
影にまみれたそこは、先程までの暑さがほとんど感じられず、まるで別世界に迷い込んだような、とありきたりな感慨に耽ってしまう。
「わかってる、まぁ出来る限り仕事は未完に任せるよ」
「……シューメ、あんた女に任せるなんて酷いと思わないの?」
呆れる未完を鼻で笑うと、(さらに呆れられた)俺は目の前にある円さんの事務所よりもう一段大きいビルを見上げた。如何にもヤクザいますよーって感じのビルに多少ビビるのはやはり仕方ない。だって男の子だもん。
「行くぞ」
俺は入り口のドアに手を掛けると、まるで泥棒になったかのように音を起てずに静かに開けた。
抜き足差し足で忍び込む、じゃなく上がり込むとその後ろからずかずかと遠慮なく未完がついてくるって待て待て、心の準備が終わってない。
「何ビビってるのよ、もういいわ、あんたは後ろから付いてきなさいねシューメ」
男らしく腰に手を当ててこちらを手招きする未完。
了解です未完様、お兄さんは強気な妹をもって大変うれしく思いますよこんちきしょう。
—
ヤクザの事務所と聞いて俺が真っ先に思い浮かべるのは、怖い面した下っぱとそれを従えるダンディーな兄貴、そしてその両方を備えた親分、それら全員が常時チャカとドスを携帯していて、いつでも俺みたいな善良な市民にイチャモンつけて金をたかる奴らの巣窟だ。
「初めまして、私が城院組の組長、城院才牙だ、君達のことは巫さんから聞いてるよ、双技秋名君と双技未完さん」
そんな俺の常識をこの組長は完全に砕いて散らしてしまった。偏見はよくないね。
灰色の地味なスーツに人の良さそうなサラリーマンみたいな男、凡そ組長なんぞやるみたいな人には見えない。てかエリートサラリーマンとしか思えないですよ、ねぇ?
「あ、あぁ、どうも……」
それは未完にも言えた話で、多少困惑しながら才牙さんが差し出した手を握り返す。
なんてことだ、今時のヤクザははったりじゃなく中身で勝負ですか?
「ハハッ、やっぱしヤクザの組長には見えないかな?」
「い、いえそんなことは……」
「気にしないでいいよ、自覚はしてるし、それに君らも見た目通りじゃないんだろ?」
才牙さんが笑う、人は見かけによらずというけど確かにそうだ、この人が笑った瞬間身の毛も総立ちするくらいの戦慄が背筋を走る、こっちのことを探るようなぎらついた瞳、流石は組長といったところか。
「まぁそりゃそうですね、では挨拶はここまでにして仕事の話にしません?」
息を飲む未完に代わって俺が話を進める、入り口から次々と怖い兄貴が入ってきて逃げられなくなってきたのは無視だ無視。
「……そうだね、じゃあ早速仕事の話に入ろうか、まぁ君達には巫さんから聞いたかもしれないけどある不良グループを潰してほしい」
「潰す、とは穏やかな話じゃないですね」
「それほど危険というわけさ秋名君、そしてその不良グループだがね、今回何故君達に協力を頼んだのかというと、まず情報が先読みされてることで尻尾が掴めないことなんだ」
「情報が先読み?」
「何故か知らないけどそのグループのメンバーを確保しようとするといつもそこはもぬけの殻なんだ、それどころか最近は送った先で奇襲にあったりして迂濶に行動出来ない」
「そこで俺たちの出番ってわけですか」
ご名答、と才牙は頷いた、つまりこれ以上被害を被りたくないから、不可思議な力を持つ俺らに全てを任すってことね、オッケー、素晴らしい仲間意識に乾杯だ。
「それはわかりましたが、でも何故不良グループなんかを?」
それが依頼を受けた時からの疑問だった、何故たかだか一不良グループを、それほどまでにして潰そうとするのか。
その質問に才牙さんは少し唸った後、重い口を開いた。
「その情報の先読みの延長かは知らないが、その不良グループが情報を使って様々な悪事を働いてるんだ、これでは裏の秩序が滅茶苦茶になる、悪事を働いちゃいけないとは言わない、だが彼らは『やりすぎた』んだよ、わかるだろ?」
つまり悪の秩序すら乱す程の悪事を働いてしまったわけか。
「悪事とはいえ裏ではそれを使って人が沢山生きている、つまりは一種の法律だ、だがその法律が乱れれば今まで干渉しなかったとこまで手を出すだろう、表と裏がごちゃ混ぜだ」
「秩序に法律、ですか」
表の世界とは違う裏の世界の秩序、法律、互いに干渉出来ないそれはまさにコインの裏表だ。
なんだか思ったよりもマトモな依頼に、俺の中にある少ない欲が疼きだす、意欲ってやつだ、平和を守る正義の味方ってのには憧れてたからな。
手前の机に置いてあるコーヒーを飲む、夏場にホットとは中々イカれた趣味だ。
俺はその味に舌鼓を打つと、コーヒーカップを机に置いて才牙さんを見る。
「了解です、この依頼、確かに受けました」
燻る意欲に誘われるがままに、俺は自覚出来る程歪に笑った。
─
承諾後、今持つ情報を才牙さんから詳しく教えてもらった。なんでもグループの人数は百を越えていて、その親玉は雷王なんてイカした名前らしい。
そしてその溜まり場が奈木市郊外の既に廃れた倉庫らしい、この情報はついさっき仕入れたからまだあちらにも知られてないと、才牙さんは言っていたので、俺と未完は早速その倉庫に急行した。
「なんか如何にも不良さんこんにちはって感じよね、シューメ、あんた次ビビったらその引きまくったケツに鉄仕込んだ靴履いて蹴りぶちこむから」
「そりゃ怖い、てかそれはせめて倉庫にいる不良にやってほしいね」
軽口を言い合うが、会話はそこまでだ、俺と未完の中で緊張が高まっていく。
嗅ぎ馴れた殺意の香り、この瞬間俺の感情が全て殺意に促され高揚する。
感情は欲を誘発させる、何でもいい、悲しみによる欲でも怒りによる欲でも喜びによる欲でもなんでもいい。
今この時だけ、俺は自分が人だと認識出来る。
「行くぞ未完」
返事を聞く前に俺は倉庫の扉を豪快に開けた。明るい表から冷たく暗い裏に暗転する世界、広がる倉庫は静かで人っこ一人いやしない。
「……で、奇襲ねぇ」
直後、俺は前方に飛んだ、着地して振り返るとついさっきまで俺のいた場所に、どこからかバットを持った男が二人飛び降りていた。
後一秒呆けていたら頭はミンチになっていただろう、だが息を飲む暇すらない、さらに二人暗がりから左右同時に迫る。
「未完……!」
「右ヨロシク!」
俺は右側から来る男に向かい合った、瞬時にその後ろを未完が補い背中合わせで不良を迎え撃つ。
「「せぃっ!」」
バットを振り被った相手の顎に運動エネルギーを存分に注いだ蹴りを二人同時に放つ、相手のチームワークも中々だが、こっちはそれ以上のチームワークでそれを凌駕する。
蹴り足が不良の顎を貫く、足から頭まで響く相手の骨が.砕けた感触に俺は不適に笑った。
「未完、次だ」
「わかってる!」
今度は先程奇襲してきた二人と暗がりからまたもや現れた二人の不良がこちらに迫る、全員がバットで武装してるのを見ると、やはり事前にこっちの行動が読まれていたとしか考えられない。
暗がりのを未完に任せて俺は最初に奇襲を仕掛けてきた不良、呼称A、Bに向き直る。
普通ならバットで武装した不良二人に一介の高校生でしかない俺が勝つのは絶望的だろう。
しかし相手にとって残念なことに、俺はイカれた組織のイカれた一員、そんな俺がたかがバットで武装しただけの不良に、遅れをとるなどありえない!
「ッ!」
不良がバットを振り上げた、次の瞬間頭蓋を粉砕にくるだろうバットを見据えながら不良Aの懐に滑り込む。
あまりに密着しすぎた状態の為に二人はバットを振るのを躊躇った。
その隙、時間にして一秒にも満たない間に、俺はこちらを呆然と見る不良Aの顎を掌底で打ち上げる。
首がもげたとしか思えない程体を逸らして不良Aが宙を舞った。格闘家ですら人を片手で上に吹き飛ばすなど難しいだろう、その離れ業を俺は事も無げに行う、当然、イカれた俺にはこれくらい造作ない。
さらに横にいた不良Bを振り向く勢いを乗せて蹴り飛ばす、漫画のようにごろごろと吹き飛ぶそいつが止まる頃には、未完のほうも不良E、Fを倒した後だった。
暫く周りを警戒するが、もう奇襲はないとわかると警戒を解く。
「何時もながらよくやるよな未完、ほらこのE君なんて泡吹いてるじゃん」
「Eって何よEって」
「えっ? そりゃ不良の名称に決まってるだろうが、ザコキャラは記号で分類されんだぜ? スライムも沢山出たらABCとかでわかれんじゃん、まぁロープレと違うのはこいつらがどんなに集まっても合体しないことなんだけど」
「……あー、聞いた私がバカだったわ、それよりこいつら」
気絶してるFを小突く未完、勝ったというのに不快に目を細める。
「まるで私達が来るのをわかってたみたい……薄気味悪いわね」
俺は小さく頷くと辺りを見渡した、先程の高ぶりはすでにない、あるのはまるで誰かに見られてるような不快感だけ。
「まぁ、ネタは掴んだんだから我慢しろよ」
倒れている不良Aを見て言う。
暗がりの倉庫の中は言い様のない冷たさと不気味さに包まれていた。
—
俺の名前は河頭流、職業は情報屋だ。
奈木という街で殆ど知らないことはなく、ほぼ全てを見通してるといっても過言じゃない。
そんな寝る子も見てる俺なんだが最近ヘマをしてしまった。
今俺がいるのは安いビジネスホテルの一室、質素な作りでベッドが一つと机があるだけで俺が泊まるにはあまりにも安すぎる。
しかし何故ここに俺がいるのかというと、それは俺がヘマをしたせいで不良に拉致されてしまったからだ。
なんたる失態、事前に察知することも叶わなかった、てか人間じゃない奴に拉致られるだなんて聞いてないぞ糞!
「畜生、マジヤベエぞこれ……」
外には見張りが二人、ここでジェームスボンドなら窓から飛び降りるなり見張りを倒すなりするだろうが、生憎俺はジェームスボンドどころか近所の中学生にも劣る戦闘能力しかないんでパソコン一台では脱出なんて不可能だ。
「糞、糞、糞、糞!」
苛立ちを声に出すが虚しく部屋に響くだけだ。
沈黙、静まり返った室内にカリカリとパソコンからの音だけがする。
「入るぞ」
来た、ノックもせず入ってから了承をとるなんてマナーのなってない男、ニヤニヤと笑うそいつは如何にも不良といったような出で立ちの汚いボサボサの金髪で笑うと口に付けたピアスが揺れる。
名前は雷王、普通に偽名。もうなんというか、名前のセンスや見た目からして溢れ出る雑魚臭が堪らないのだが、何とも残念なことに、こんな奴に俺は逆らうことも出来ないのである。アーメン。
「どうだ? 奴らの動きは」
奴らとは城院組のことで、俺は今自身の情報能力を無理に使わされている。(しかもタダでだ!)
まず誘拐されたのがいけなかった、何故こいつが俺の居場所を知ったのかはわからないがあの力はあり得ないと思う、まさに雷王、ハァ……誰でもいいから助けてくれないかね。
「今二人組のガキが倉庫に来て迎撃したけど返り討ちだ」
「何? 一体どんな武器を使いやがった」
「素手だよ素手、まさか君に次いであんな化け物みたいな動きをする奴がいるとは思わなかった。調べてみたら外れにある事務所の従業員みたいだけど」
「外れの事務所? あぁ……あの女のいる所か」
雷王が獲物を見付けた獣のように冷めた笑みを浮かべた。
何か知ってるようだが、しかし本当にこんな組織があるのか眉唾である。
調べてみてわかったのは。
曰く、病により欠落した者を介護する組織。
曰く、キチガイを討伐するエリート部隊。
まぁあの二人が人間としてあり得ない強さを持ってるのは確かだが多分銃を持つヤクザ二人分ってところだろ。
所詮噂は噂、噂に尾ひれがついただけで、本当の化け物はもっと身近にいたりする。
ちらりと雷王の顔を見る、見た感じはそこらの不良と変わらないこいつ、だがその実力は、まるで漫画やアニメでしかありえないような力を行使する、最悪のキチガイだ。
「なんだ? 君こいつらとやりたいわけ?」
興味本意で聞いてみる、雷王は口のピアスを弄りながら頷いた。
「あぁ、だからな、早速こいつらの次の動きを俺に教えろ」
命令には逆らえない、萎縮する体を無理矢理抑えこみ、俺はなんとか返事した。
「わかった、五分だけ待っててくれ」
—
「監視されるのって気味が悪い」
「唐突ねシューメ、せめて前置きくらい先に話しなさいよ、だからあんた彼女できないんだって」
そのツッコミは辛いよ、つか彼女できるできない関係ないよね? お兄さん傷ついちゃうわ。
まぁ正直唐突過ぎだよなとかは思ったけど。
「気持ちはわかるけどね……それより今はこっちよ、まさか捕獲した不良達が私らの目が離れた僅かな時間にいなくなるなんて」
「わ、悪い」
ジロリと未完に睨まれて城院組の下っぱらしい男が腫れた頬を押さえながら頭を下げる、怖い顔して腰低いなぁ、ちょっとヤクザの今後が心配だぜ。
現状を言うと、あの後倉庫近くにあった城院組の下っぱがいる家に不良を置きコンビニまで飯買いに行った僅かな時間に全員拉致り返されたってわけ。
時間にして約二十分、俺が立ち読みなんて真似をしなけりゃこんなことにはならなかったかもしれない。
「反省しなさい」
「だったら一緒に少年サタデー読んでたお前はどうなんだよ、ったく同罪だ同罪」
「ふんっ、あー言えばこー言って、グジグジした男ねシューメ、彼女できないわよ?」
しつこく彼女できない発言を続ける未完を一回睨むと、痛みに唸りながら畳に座る下っぱの前に座った。
「……俺に彼女が出来るか出来ないかの議案は置いといて、えと……下っぱさん?」
「ヒロトだ」
下っぱと言われてイラついたのか、どこかぶっきらぼうに名前を言う、俺はそれを気にせずに続けた。
「ヒロトさん、俺らがいない間の出来事を教えてくれませんか?」
「あんたらが出て十分後位なんだけどよ、覆面したガキ達が五人いきなり押し掛けてきてあっという間にボコられてあんたらに起こされたんだ、それ以上はわからねぇ」
「そうですか……なぁ未完、これかなり異常だぞ?」
「えぇ」
後ろにいる未完を見上げた、ゆっくりと頷く未完、時間にして大体二十分前、今から探しても奴らは見つからないだろう、いやそもそもこちらの動きを完璧に先読みしてる連中だ、逃げた直後だとしてもすぐ撒かれたに違いない。
さてどうしようか……陽はまだ高い、後二時間程は人の水分を吸い上げる光を太陽は放ち続けるだろう、なので俺は。
「ダルい、萎えた」
そう言って仰向けに倒れた。
鬼ごっこの鬼なんぞ、しかも敵に位置バレバレの状態でそんなことをするほど意欲が沸いてるわけではなかった。
天井を仰いでぼーっとする。
「こら! まだ陽は高いんだからとっとと探しに行くわよ!」
未完が俺の頭上で怒鳴っているが残念、ただでさえない欲がこれでナノサイズ程もなくなっちまった。仕事だからやらなくちゃいけないってのはわかる、しかし悪いとは思うが意欲も何も沸かないのだから仕方ないだろう。
「ハァ……オーケー、やる気がないならそれでもいいわ、でもシューメ、明日は必ず動くわよ? だからせめて家に帰らない?」
後ろ手にドアを指差す未完、ちらりと横を見ると如何にも邪魔だと目で訴えるヒロトさん。
思考、約二秒。
「わかった、それじゃ帰るとするか」
思考のすえに帰ることにした俺は、緩慢な動きで体を起こすと、未完を連れ立って玄関に向かう。
「何かわかったら連絡して、それじゃお邪魔したわね」
律儀に未完が挨拶してる間に、俺はそそくさと部屋を後にする。
出迎える紫外線付属水分蒸発光線に目を細めながら視界に広がる街を眺める、所々建つ高層ビル、それを眺められる場所にあるこのアパートから見る景色は平和そのもの。
見える世界は何よりも綺麗で、広がる空も何よりも綺麗で、そこに蔓延る俺達の醜さはだが醜悪な以上に―――
─
―――赤い点が道標のように続いていた。
少年は走っていた、学校を飛び出て家族の待つ家へと、真新しい制服を纏い、汗で濡れるワイシャツなど気にせずに。
―――気付かず、気付こうとせずにただ走る。
今日は中学の入学式だった、着なれないブレザーに身を通す少年を両親と兄は穏やかに見て、入学式では後ろの席でしっかりとこちらを見ていた。
―――周りの塀に赤い斑点があるけれど、気にせずに走っている。
今日は入学祝いに寿司を食べに行くことになっている、普段は食べない物をお腹一杯に食べて家族で楽しもう、少年は最後の角を曲がって家まで走る。
―――多分、その光景を認めたくなかっただけなのかもしれない。
何もかもが楽しかった、何もかもが上手くいっていた、笑って笑って笑い続け、それでも飽きずに笑える生活。
―――認めたら、恐怖で膝を屈してしまう。
「ハッ! ハッ!」
―――認めたら、その赤い赤い真っ赤な斑点が○○○に続いていることの意味に気付いてしまう。
口で荒々しく呼吸しながら玄関に辿り着く、両親も兄も先に帰っているはずだ。
「ただいまっ!」
元気よく叫んでドアを開ける。
―――だから胸を擽る恐怖を振り払うため、あらんかぎりの力で叫んだ。
今思えば、それが全ての終わりで始まりだったのかもしれない。
「アヒャ、アヒャヒャヒャヒャ」
知らない世界がそこにはあった、まるで異界に迷い込んだような感覚、綺麗で少年のお気に入りだった玄関は赤い赤い何かで塗りたくられていた。
その中心で、○○だったものを踏みつけ、全身を赤々と濡らした異常が嗤っている。
―――認めろ。
何もかもが楽しそうだった、何もかもが上手くいっている様子だった、嗤って嗤って嗤い続け、それでも飽きずに嗤うその姿がまず少年の目に映る。
―――その先の風景を。
「ウヒ、血が血血血血血血が血らばってるよ、アハハ、アハハハハっ!」
「えっ?」
異形がそこにいた、赤色に塗りたくられた隻腕の人形が赤い腕で顔を覆い天を仰いで嗤っている。
―――その姿は朝も見た。
玄関には鮮やかな赤色と、その赤色よりも尚赤い何かの断片がそこら中に付着していた。
―――その断片に見覚えがある。
我が家自慢の花の香りはもうしない、変わりに鼻を擽るのは今まで嗅いだことのない濃厚な死の匂い。
―――だから、その時点で全てを認めたのだ。
あまりにも匂いが濃くて喉が詰まりそうだ、世界の香りが全てその匂いになってしまったような感覚、吐き気のする異界の中心で人形はただ嗤う。
「う、げっ、えっ……ゴホ」
「あー?」
その場で嘔吐した少年に異形が気付いた、異界に相応しい異形の瞳で少年を見つめ異形の体を振り向かせる。
あれは死の塊だと理解した瞬間、異形は咆哮をあげた。
「シュゥゥゥゥゥメェェェェェェェっっっ!!」
―――初めの色は赤、俺が見た世界は何もかもが壊れているが故に、その完璧でない風景は今でも鮮明に心に刻み込まれている。
─
―――初めの色は青と白、私が見上げた世界は青さに散らばる白のせいで未完であるが故に、その完璧でない風景は今でも鮮明に心に刻み込まれている。
静かな世界、静かな部屋、世界の音は今私の服の擦れる音と隣で眠るシューメだけ。
目が覚めるとそれを祝うように雀の鳴き声が音を増す、静かな世界は音を取り戻し、静かな部屋は私によって音を鳴らす。
まるで世界が私を待っていたかのようだ、悪い気はしないが、流石に世界が待っているってのは。
「大袈裟よねー」
自分の発言を鼻で笑い体を起こす、シャツの下にある胸が重くて堪らない、ったくなんで女ってのはこうも意味ないのがあるのかしら。
「ン」
シューメが横で寝返りをうった、顔がこちらに向く、寝てれば可愛いその顔につい可笑しくて笑ってしまう。
「幸せそうに寝ちゃって」
男のくせに私と同じ柔らかい黒髪を撫でてベッドから出る。
寝室は二階にある、部屋から出て螺旋上の階段を降りていく、ぎしりぎしりと悲鳴をあげる階段、シューメを起こさないように出来るだけ静かに下に降りた。
上とは違い静かな廊下、家族なんていない、私とシューメだけの家。早速私はキッチンで朝食を作るべく冷蔵庫から卵を引っ張り出した。
両親がいなくなったのにはそれなりの理由がある、シューメが妄想具現者になったこと、私がここにいることもその理由に含まれていたりする。だがそのことは今考えることではない。フライパンの上で卵を割り目玉焼き作成に取り掛かる。
明かりはない、朝日の照らすキッチンを卵を焼く音だけが支配する。
動く手はまるで機械のようだ、無言無表情でそれをただ眺める私。
「ふんふふーん」
気付けば鼻歌。今日も私はのんびりとご機嫌だ。
「よし、出来た」
目玉焼きを二つ作りレンジに突っ込んだパンを取り出すと二人で使うには大きいテーブルに皿に盛りつけてから置く、後はシューメが起きるのを待つだけだ。
「……おはよう未完」
「おはようシューメ」
廊下から歩くのもめんどくさそうなシューメが現れた、ただ彼の場合眠いからだるいということはない、睡眠欲すら希薄な彼は普段二時間寝れば上等だ。
まぁ昨日は疲れてたから時間的に五時間位ぐっすり寝たのは確かね……いや決して一緒に寝てるからってそっちの疲れる行為ってのはやってないけど。
ちなみに私たちが一緒に寝てるのはその人間として最も重要な性欲を促す為だったりするんだけど、やっぱシューメも自分の半身と同じ私に欲情するってことはないんだわこれが。
正直無茶苦茶悔しい、こういう時に役に立たないでなんの胸の脂肪だ!
……非常食?
「あー、何考えてんのよ私」
「ん? どうした?」
片手でこめかみを押さえる私をいぶかしげに見るシューメ、あんたのせいだよおバカ。
「それより今日からしっかりと働いてもらうからね」
「んー、わかってるけどよ、意欲出ねぇ」
そう言って、パンをかじったまま椅子に背を預けて天井を見上げるシューメに、私は呆れて溜め息しか出ない。
「ったくそんなんだからダメダメなのよあんたは、夏休みだからって余計に腑抜けちゃってさ」
「しゃあねぇだろが、欲がないのにハキハキ動ける奴なんてこの世にいねぇよ」
悟ったようなシューメの呟き、その意味を知ってるから私はそれ以上何も言わずにただ黙った。
欲とは生と等価だ、生きる為に食欲や睡眠欲や性欲や意欲があり……ともかくどんな人間でも欲の伴わないことはしない、自身を省みず人を助ける人だってその助ける相手が助かって欲しいと欲が働くから助けるのだから。
それが殆んど欠落しているシューメがどんな世界を生きてるのか、考えるだけでもゾッとする。そんなの死んでるのと同じだ、無欲な人間なんてこの世にはいない。
世の中にいる妄想具現者は確かに化け物である、例えば何もない空間から火を放ったり、体が伸びたりする奴もいたが、それは所詮肉体での異常だ。
双技秋名、彼の生きてる世界に比べてなんとくだらないことか……無欲故に欲を誰よりも欲する矛盾を抱えたシューメ。
だから彼の為に、私は今日も頑張ろうと思う。
プルル―――
そんな献身的な覚悟を決めた直後、誰も番号を知らないはずの電話が音を鳴らして静寂を壊すのだった。
—
一人が好きだとはいえ、流石にどこにも動けずにホテルで暮らすのは辛いものがある、あぁはっきり言おう、マジでストレス溜まってんだよ畜生!
「ハァ」
溜め息が漏れた、あまりにも暇すぎるこの状況に嫌気がさすのは仕方ない。
雷王に言われて部下の奪還を手伝った後、俺はあの二人の住居を捉えて雷王に教えた、明日襲撃すると言ってたので多分今日の夜にでも襲いにいくのだろう。
でもあんな住宅街でドンパチ起こして大丈夫なのかねぇ、警察が来そうだけど―――いや、余計な心配だったか。
ともかく現在の最重要課題はここからの脱出だ、いい加減悪事に手を貸すのには苛ついていた。
まぁ悪事にそれなりに手を染めてるのは自覚している、情報屋なんて職業柄、人のプライベートなことも調べあげてるから、起訴されりゃ簡単に刑務所にぶちこまれるだろう。
だけど流石に恐喝やらなんやらに手を貸すのは辛い、やりたくないことは嫌だ。
でも逆らったらあのいけすかないサイコ野郎に殺されちまうし……ってそのサイコ野郎がいなくなりゃいい話じゃないか。
早速俺はパソコンを使いあの不良を倒した二人組の電話番号を調べる。
先程サイコ、いや雷王に住所を教えたからすぐに調べることが出来た、指示用に携帯があるのが幸いした、俺は直ぐ様電話番号を入力して電話を掛ける。
頼むぜ、愛しの007。
—
『助けてくれ』
第一声はまるでホラーに出てくる幽霊に呪い殺される人が切羽詰まって助けを求めてるのと同じくらい切実な声だった。
「あのー、ここ警察じゃないんですけど」
というか掛け間違えるバカなんているのかしら?
『と、すまんすまん……いきなりじゃわからないよな、いやでも間違えたわけじゃないんだ。あの事務所の人だろ君』
「……誰よあんた」
あの事務所、その名前が出た瞬間私は口調を変える。会社の人間だと知っている風な奴が直接電話するとは、こいつ何者かしら?
『まずは自己紹介だ、俺は河頭流、情報屋と言えば知ってるだろうから端的に言うが、俺は雷王に無理矢理拉致られて情報を回している』
成程ね、合点したわ、まさか仕事で一番厄介な相手から連絡貰えるなんて、ってシューメ、あんたもこっちの様子に気付いてるならご飯食べるの止めなさいよ。
『早速だが、頼む、俺を助けてくれないか? この電話も長くは持たないしそっちにも時間がない』
「? あんたが仮に囚われてて時間がないのはわかるけど私たちに時間がないってのはどういうことかしら?」
暫く電話口からの声が途切れる、そして先程の焦った口調から一転申し訳なさそうにゆっくりと語りだした。
『そっちの居場所教えちまった』
その一言、私はこめかみを押さえて盛大に溜め息を吐いた、最悪、じゃあ今すぐに襲われるかもしれないじゃないの。
「それでよくもまぁ助けてなんて言えるわね、とことん腐ってるよあんた、保身の為に私達を売った癖にその私達に助けを求めるとは呆れを越えて驚嘆だわ。そんなあんたにここで一言……くたばれクソヤロウ、そのボケた爺のケツ穴より緩い口を今すぐ接着剤で溶接してから出直しなさい」
我ながら女なのにこんなことを言うのは言った後に後悔した、ちょっとシューメ、後ろで笑わない。
と、まぁそれで少し間を置いて、河頭流、めんどい、命名カッパは一言『スマン』と謝ると真剣な口調で続けた。
『言い訳はしない……だからこっからはビジネスだ、俺を助けてくれたら君たちに俺の持つ情報を可能な限り安く、尚且つ最優先で渡すことを約束する、悪くない話のはずだ』
情報屋の情報はそこそこ値がはる、それに有名なとこほど順番待ちがあるから確かに美味しい話ではあるけど。
「あのさ、いきなり電話でそんなこと言われて信じると思う?」
つまりはそういうことだ、これが相手の罠かもしれないのに頷くほどバカじゃない、第一助ける場所を指定してそこでリンチもあるわけだし。
『……そりゃそうだけどよ、なぁ頼むよ、俺にはもう君らしか頼る相手がいないんだ』
「生憎、私たちはあんたを頼る必要もないし必要ともしてない、マンガやアニメじゃないのよ? そう都合よく頼めば助けるなんてご都合主義はなし、ということで却下却下却下よ、じゃあね」
『ま、待てよお――――』
最後まで聞かずに電話を切り苛立ちで鼻を鳴らす、そこ、うひぃとかワザとらしく驚かないの。
「でよ、話はわからないけど、切ってよかったのか?」
「いいのよ別に、タチワルイ嫌がらせだから」
「だけど」
まだ何か言おうとしたシューメの言葉を遮るように鳴り響くチャイムの音。
「っと誰だ? こんな朝から、おい未完」
「あんたが行って」
「……はい」
睨みつけてホントに怯んだシューメが渋々チャイムの鳴った玄関に向かう、あぁもう、朝からイラつく。
いや、それはともかくカッパの言うことが事実なら由々しき事態だ、家の位置がバレたなら直ぐ様ここに不良たちが一斉に来るかもしれない。
ふと、そこで気付いた、怒りで熱くなった思考が途端に冷えていく、そうだ、居場所が知れているこの家、新聞もとってないし近所は家が建ってはいるけれどあの事件以来誰も住んでないので近所からの来訪はない。
なのに誰かが『来た』
「ガァッ!?」
思い至ったと同時に、今考えていたことが全て吹き飛ぶようなシューメの声が響く、私は考えのいたらなかった自分に舌打ちすると全速で玄関に向けて駆け出した。
—
発光した、何もかもが発光していき、気付けば秋名は何をされたのかわからないまま体を駆け巡る耐えがたい痛みに悲鳴をあげていた。
そしてゆっくりと廊下にひれ伏す、痛くて痛くてたまらない、堪えることも出来ない痛みに呻く秋名を見下すのはゲスな笑みを称え口に開けたピアスを揺らす男。
「おうおう、いい声で鳴くじゃあねぇか」
「かっ、はっ……がっ」
「ん? まだ生きてるのか、結構力入れたんだが、流石だな」
「テ、メェ……」
笑う男の相手をする余裕などない、体が痺れてまともに動かないし、第一何をされたのかすらわからないのに敵であろう相手に無防備な姿を晒しているのは致命的な隙だ。
嫌な予感がする、突然の襲撃で倒れた秋名には抗う術がない、肌に感じる濃厚な死の感覚から逃れようとするが、その動きを秋名の背を足で踏みつけて男は止める。
「そんじゃ次を」
「お前ぇっ!」
死ぬ、そう覚悟した秋名の真上を未完が飛んだ、高速で迫り男を蹴り飛ばさんとする。
「ぬっ!?」
それを脅威と感じた男は、未完の特攻を避ける為に後方に下がった。
秋名は痺れの残る体を無理矢理立ち上がらせ男を睨む、気持ち悪い笑みはそのままに、男は道路まで走っていった。
「逃がすかよ!」
臆せず、秋名は靴を履かずに飛び出した。男の動きなど足下にも及ばない、猛禽類かなにかを思わせる疾走で家の前に出ると男は逃げもせずに待ち構えていた。
「回復が速いな、強化の魔術でも咄嗟にかけたのか? ……いや、そうか! この感じ……ハハッ! まさかこんなところで同類に出会えるなんて……つくづくラッキーだな俺は! あいつ以外にも患者を使うなんてよ、テメェらんとこも人手不足か? それともあいつだからこそ患者を雇って仕事をさせてるのか?」
「お前……一体誰だ?」
朝の静かさが秋名の殺気でさらに静まっていく、鳥がそれに気付きどんどん遠くに離れていった。
殺気が、秋名の中に燻る僅かな欲が世界を満たしていく。
「そんなこと、お前もわかるだろ?」
その吸い込む空気すら殺気で満たされたのではと錯覚する場で、男は聞くに耐えない低い声で言った。
「俺は雷王、あんたらの敵だよ執行者」
異変は、突如として現れた。
雷王の周囲が音を起てている、燃えた薪が弾ける音は徐々に鳥の鳴き声のようになり、遂には世界を染め上げた。
雷、電気を放ち雷王は秋名と対峙する、人間ならば本来持つはずのないその力、これはそう―――
「妄想具現者!?」
「ハァッ!」
雷王が秋名に向けた手から電撃が走る、一瞬、音速すら超える速さの雷撃を秋名は手が向けられたと同時に飛び上がり避けていた。
行き場を失った電撃がコンクリートを穿つ、電撃はコンクリートを容易に砕いた。
「ッ……!?」
「次行くぞ!」
反撃に転じる余裕がない、雷王が翳した手から逃れて秋名は躍る、まるで出来の悪いダンスのような動きで必死に電撃から逃れ続けた。
不器用なダンスは暫く続いた、秋名にとって幸いだったのは、方向を指定してから電撃に移るまで、僅かなタイムラグがあること、おかげで辛うじて当たらずにすんでいる。
だがいつまでもそれが続くわけではない、持てる最高速で動く秋名はすぐに息が切れていく。
「はっ! もう終わりか!」
その場から動かずに電撃を撃ち続ける雷王にはまだまだ余裕があった、いずれ詰め将棋のように秋名は電撃の餌食になるだろう。
しかし戦うのは秋名だけではない。
「ツァ!」
秋名が囮になってる間に後方へ回り込んだ未完が飛び出した、雷王は戦闘により高まった感覚器官によってその動きに感付き手を未完に向ける。
未完と雷王の距離は遠い、このままでは未完は電撃の直撃を受けるだろう、その先に待つのは電撃によるショック死だ。
だが愚直に未完は雷王に向けて疾走していく。
「甘いわぁ!」
「それはお前だよ!」
電撃が放たれる、そのタイムラグの間に雷王の意識から外れた秋名が目の前まで迫っていた。
秋名は驚く暇すら雷王に与えずに渾身の力で拳を突く、人間の骨を容易に粉砕する秋名の力、顔面に解き放たれた拳は雷王に吸い込まれていき。
異変は、後数センチというところで起きた。
秋名の拳が輝く光に犯されていく、痛みよりも早く、拳を伝って疾走する電撃に気付いた時には秋名の体は雷王の体からの放電により致命的なダメージを受けていた。
「ァァァァァァァァッッッ!!」
常人なら間違いなく即死の一撃、脳天を突き破り身体中を滅茶苦茶に掻き乱していく痛みに、秋名は先程の焼き増しのようにゆっくりと膝をつく。
狭まる視界、最後に見たのはやはり生ゴミよりも汚ならしい顔を歪めて笑う雷王の顔だった。
─
「シューメ!?」
眩い光がシューメを包んだと同時に轟いた絶叫、数秒の後雷王の電撃がシューメを解放した時、シューメは光を灯さない目で天を仰いだまま仰向けに倒れた。
「なんだ……二人がかりでこれかよ」
興味を失ったのか、雷王は一度肩をすくませるとシューメの体を蹴り転がす。
その挙動に私の中で理性の糸が完全にぶちギレた。
「シューメに……何すんのよ!」
「あぁん?」
怒りの捌け口に向かって私は走る、一撃だ、一撃だけでいい、この気持ち悪いエセ不良モドキに打ち噛まさなくちゃ気がすまない!
「……なんだ、姉ちゃんも死にたいのか?」
雷王が不気味に笑い右手を私に向けた、距離が離れすぎてる為に一瞬後私の体を電撃が貫くのは確かだ。
「じゃあな」
怒りを吐き出すことも出来ず、一直線に疾走する電撃を見た時には私の体はすでに激痛を伴い地面に伏していた。
悔しい、能力に自惚れた不良なんかに負けるなんて、せめてシューメが起きてたらよかったのに。
「シュー、メ……」
「へぇ、まだ生きてるのか」
ゲスな笑みを浮かべ地面に倒れる私に金髪が近寄ってくる。
トドメ? 違う、全身を舐め回すような視線に私の体が震えた。
「よく見ると中々にいい顔じゃねぇか、殺すのも惜しいしな」
金髪の腕が伸びる、なんとか逃れようとするけど痺れた体はまだ言うことを聞かない。
「ほら」
「あぅっ!?」
さらに、金髪は新たな電撃を放った、死なない程度に加減はされているがもう私には動く気力はない。
痛みに悲鳴をあげる私を見て金髪は愉快気に笑う、最低、女の子いたぶって笑うなんてどんだけドSよ!
「っ……」
でも悪態をつく余裕すらない今の私にはない、感情を全て込め私は金髪を睨む、それすら笑い、金髪の腕が私の顔を掴んだ、気持ち悪すぎて吐き気がする、嫌だ、助けてシューメ……
「くく、まぁそんなに怖がるなよ、どうせ今から」
「―――そこです! 速くしてください!」
「ちっ、ギャラリーが集まって来やがったか」
後少しで私の唇に触れかけた顔を道路の奥に反らして金髪は舌打ちした、だが別段焦った感じはしない、興醒めしたと呟くとふいに私の体を新たな衝撃が走った。
「まっ、ちょうどいい、あの腐れ女に対する人質になっ―――」
意識が吹き飛んでいく、電撃によりもう何もかもわからなくなった視界の中、それでも私は倒れ伏すシューメから視線をはずさなかった。
—
暗く暗く、世界は闇しかない。
断絶する声を聞きながら、あぁ倒されたのだなと理解したのと同時に自分に駆け寄る未完の姿を思いだし瞬時に意識を覚醒させた。
「未完?」
「残念ね、私よ」
目覚めたらそこは焼けたアスファルトの上ではなく冷えた室内のベッドの上だった、視線の先には未完はいない、いるのは呆れた表情の円さんだけだ。
暗転、敗北を理解し未完を喪失した俺は項垂れる。
「こらこら、私を見た瞬間に落ち込むな」
「悪いけど今は円さんの顔より未完の顔が見たくてね」
「その様子だと、来たようね」
円さんは笑う、敗北し、未完を奪われたやるせなさに苛まれている俺を見て、だが確かに笑える、自身の不甲斐なさにではなく『溢れ出る怒りと憎しみの欲』が心地よくて。
「組のほうに連絡がきたらしいわ、あの倉庫にいるって……いかにもラスボスって感じよね、罠なのは確かだけど、まっ、今のあなたならたかが人間なんて相手じゃないでしょ」
円さんはそう言い残して部屋を後にした、扉が閉まり、室内には俺だけになる。
―――欠落した欲が再燃する、火種は弾け炎となり失われた欲の代わりになって身を焦がす。
妄想は加速する、欲があったらという欲が妄想となり欲はさらなる欲を欲して欲となす。
―――飢えは牙を研ぎ人をケモノと成す、失った感情を妄想で補い、生まれた欲で妄想を作り出す、限り無く加速していく狂乱の妄想具現。
久しぶりに俺は嗤う、戦いの中で生まれた欲はまだ胸で燻っている。燃える欲に押されるままに俺は部屋を飛び出した。
さぁ、溢れ零れる欲を解き放とうか。
—
雷王が戻ってくると、戦利品とばかりに担いでいた長髪の美少女を俺の目の前に放り出した。
「な、なんだよこいつ」
「餌だよ、もしかしたら幻影が食いつくかもしれねぇからな、それまでは手厚く保護だ、着いてこい」
状況が理解出来ない、言われるがままに俺は雷王とともに部屋を出た、出迎える多数の部下、その全てがバットなり鉄パイプなりの凶器で武装していた。
「一体何するつもりだよ」
思わず少女を肩に抱えた雷王にぼやいた、雷王は吐き気がするような気味の悪い笑みを浮かべて答える。
「なに、ただのケンカだよ、ケンカ」
玄関に待たされていた黒いバンに乗り俺達は郊外へと向かう、パソコンのない俺にはもう何もすることは出来ない、ただ祈る、せめて自衛隊でも連れてきてくれればもしかしたらなんとかなるのに、と。
—
未完が目を覚ますと、そこは暗く広い廃倉庫だった。周りを大量の不良が取り囲んでいる。捕まったのだと、体にまとわりつく頑丈なワイヤーを感じて理解した、だがどうすることも出来ない。今の未完は雷王から受けたダメージのせいで、ワイヤーを引きちぎるなど不可能だった。
「よう、目覚めたか」
「最悪な目覚めね」
真横でふんぞりかえる雷王を一睨みするが、雷王は口にしたピアスを揺らし笑うだけだ、圧倒的な自信と余裕、無理もない、所詮雷だけしか放てない能無しの欠落者はその程度で強いと勘違いするのだ。
「あんた、欠落はなによ」
「俺は嗅覚だな、代わりにこんな最強の力が手に入ったんだ……悪くないね」
わざとらしく未完に鼻を寄せて鳴らす、吐き出される息が不快で未完は顔をしかめた、これが妄想具現者、人の形を失った人として失格したもの。
この雷王という奴も今はこうして己の権力を振り撒いているが未完は思う、きっと何か挫折して妄想にでもすがったのだろう、神への祈りは自身への祈り、強すぎる思いは劣悪な妄想と成り果ていつかはそいつ自身を落としていく、下らない、妄想具現者は人を超えたのではなく人でいられなくなっただけなのだ。
―――悲鳴をあげる負の感情、全ての欲が注がれる。
だからわかる、繋がった意識と精神、零れ落ち、落とされた自身によってこいつの妄想は食い破られると、なら後は目を閉じてその時をただ待とう、足音は意識の奥から近づいてくる。
「来た」
胸の奥が燻る、こちらに流れてくるドロドロの欲の塊を意識して未完は体を震わせた、注がれた油により体が火を吹いたように火照っていく、夏の気候だけではない、体の芯から熱くたぎり震えは体全てに伝わった。
「お、おい?」
流がその様子に気付いて声をかけたが未完には届かない、雷王は淫らに震える未完を眺めニタニタと笑うばかりだ、周りの不良もその艶かしい姿に視線を奪われる。
だが未完はそんなことなど気にする余裕などはなかった、淫らな声をあげて存在を示す、脳髄から分泌される快楽物質、触れただけで果てそうになりながら、待ち望むのは割れた半身、自身の欠片。
「あっ、シュ、メ……」
―――血管を駆け巡る妄想具現、欲という燃料を注がれて未完のエンジンが回り出す。
倉庫の前にそれは現れた、既に外は月夜、月光に照らされて少年は妖しく歪む。
―――ブレーキはどこにもない、トップギアで回るエンジンは燃料の続くまま加速を続け暴走し、疾走の行く末は崖の果てすら飛び越えて快楽のまま墜ちていく。
「お待たせ、未完」
「うん、待った」
不良などいないように二人は互いに熱い視線を交わす、恋人のそれよりも熱く混じる視線だけで互いに果ててしまいそうだ。
「今、行くからな」
「うん、待ってる」
会話はそこで終わった、痺れを切らした不良達が叫び声を夜に響かせ待ち望んだ獲物に飛び掛かる。
振るわれる凶器の全てが獲物を狩る、なすがままに打たれ、殴られ、蹴られ、刺され、それでも獲物は止まらない、一歩一歩未完の少女へ歩み寄る。
「な、んだよあいつ……」
流は雷王と一緒にその姿を見ながら恐怖で声を震わせた、辛うじて頭への一撃だけは防いでいるがその体は数々の凶器によって大量の血で染まっていた、両腕は完膚なきまでに折られ片足は膝が粉砕されて引きずっている。
だが仕留めたはずの獲物は一歩、また確実に未完に近付く、不良達もその狂気の行動に怯え攻撃を止めていた、ただ一人雷王だけはニヤニヤとした笑みを止めない。
「なんだ、お前の欠落は痛覚かなんかか?」
雷王が獲物の前に立ち塞がった、そのボロボロの歩みが止まる、傷だらけの獲物は眼前の脅威に目を向けて口を開いた。
「退け、俺は未完の側にいたいんだ」
「女がよっぽど好きなのか? まぁいい女なのは認めるが……いいさ、くれてやるよ」
もう抵抗など不可能だと思ったのだろう、戯れに雷王は未完に近づき、その体にまとわりついたワイヤーを解くと、未完を突き飛ばした。
「未完……」
「待ったよ、バカ」
未完が少年の砕かれた体を優しく抱く、抱き返されることはない、折れた両腕では何も出来ないから。
―――焼けた血潮を媒介に、欠けた力を取り入れる。
「感動の再会は済んだか? じゃあ」
「バカッ、逃げろ!」
流が叫ぶ、だがすでに雷王の右手には極限まで溜めた雷があり、その手は抱き合う二人に向けられていた。
「さよならだ」
轟音と閃光、天災が人の身に降り注ぐ異常、妄想の力が二人を焦がす。
―――墜ちた先に広がる海を漕ぐ、無限の世界、何もかもそこは妄想だけの汚れた水。
終わった、流はあまりの力に蒸発し煙しか見えなくなった二人を見て足の力が抜けてしまった、こんなこと、夢か何かだと考えないと許容出来ない。
「白けたな……執行者が来ると思ったんだが」
雷王がため息をつきながら方をすくめた、不良達が茫然自失する中で一人興味をなくした雷王は柱に背を預ける、晴れていく視界、まず注ぐ月光の中で雷王は、その場にいた全ての人間はそれを見た。
―――妄想の大河、果てに映るのは現実の非情、ならばその全てを悉く『妄想で埋め尽くせ』
少女の体が溶けていた、体中を破壊された少年の体に飲み込まれるように下半身から崩れている、溶けた裸身はそのまま少年に吸い込まれ、まるで体ごと犯されているようだった。
「アハッ、やっと『戻れるね』シューメ」
未完が、少年から放たれた『未完の力が』笑う。
「あぁ、やっと一つだ」
獲物だった少年も笑う、そこにいるのは一人の妄想具現者、双技秋名。体に戻る自身の妄想具現に包まれて、少女の頭を優しく撫でて呟く。
「おかえり、未完」
厳かに、未完の少女は自分自身の溶ける音を最後に聴いた。
—
誰もが声を出せずにいた。確実に粉砕したはずだった、腕を足を腹を内臓を。
だが秋名には傷一つない。砕かれたはずの腕で髪を掻き上げ、折れたはずの足で大地を踏みしめそこにいた。
「ありえねぇ」
驚きの連発に、流は否定するのが精一杯だった。
こんなものを現実だなんて認めない、認められない、異常を異常と理解するなど現実の情報しか見ていなかった流には不可能だった。
「ウハッ」
静寂の中、秋名は堪えきれなくなり笑った、全くもって想像通りの反応が可笑しい、雷王も含め全員が異常を認められなくて困惑している、馬鹿らしい、こんなもの、現実にあり得るはずはない。だからこその『妄想具現』なのだ。
「ウハハッ、ハハハッ、アハハハハハハハッ!」
欠落した欲を補完されて、周りの反応が可笑しくて、秋名は天に届けと笑う、今の自分には全てがあった、欲がある、遊びたい食べたい眠りたい犯したい、欲しい欲しい、何もかも全部欲しい!
足りないと思う気持ちが頭に妄想を走らせる、渇望する心が現実を侵食していく。
そして、その欲の捌け口は眼前に広がっている。
「……ってんじゃねぇ」
「あん?」
久しくなかった感覚に浸る秋名を雷王の苛立った声が現実に呼び戻した。
両手には輝く光、先程と同じ威力の力が解き放たれる瞬間を待っていた。
「だから、いきなりハイになってんじゃねぇよこのクソがぁ!」
雷が二閃秋名に迫る、光は人の視認出来るものではない、音速すら置き去りにして二つの光は秋名を貫いた。
雷王は勝利を確信して口を歪めた、光の槍に貫かれ秋名の体から力が失われていく。
弛緩した体、しかしいつまで経っても秋名は崩れない。
「ハ、こんなもんか」
当然とばかりに秋名は鼻を鳴らした。だが周りの者はそうはいかない、雷を受けた上で秋名は今にも鼻歌を唄いそうなほどその体には何もダメージはない。その異常に倉庫の中にいる人間ともう一人の異常者は戦慄した。
「な、何故……」
「簡単なことだ、これが俺の妄想具現だよ」
さも当たり前とばかりに秋名は呟くと、自分の力が叶わなくて困惑する雷王に向かって一歩進んだ。
そこにいる人間がそれだけで怯み一歩後ずさる。
「詳細を聞かない? んー、困惑してるな、よし、折角だから種明かしといこう」
軽いテンションで秋名は演説でもするかのように大袈裟に両手を広げた。
異常だ、その動きは今さっき死ぬ直前までいった人間とは思えなかった、気が触れたようなその姿は最早狂気の沙汰でしかない。
故にその真実が語られる、軽快に、当たり前なことを言うかのごとく。
「俺の妄想具現はさっきまでいたあいつなんだよ、端的に言えば、俺は妄想で人間作っちまったんだ」
不敵に秋名は語る。笑う狂気、異常の妄想の真実に誰もが言葉を失った。
「そして俺の欠けた部分と妄想具現を引き継いだあいつを取り込むことで俺は初めて力を使える……妄想具現、イメージしたことを現実に引き起こせる力、名前の通りのただ現実を犯す妄想、さぁやりあおうか妄想具現者、お前の妄想、その悉くを犯してやるよ」
「っざけるなぁ!」
咆哮、身体中を発電させて雷王が渾身の一撃を秋名に撃つ、だがそれも当たりはすれど秋名には効いてない。
「何故、何故だ! 何でお前は俺の雷を受けて生きている!?」
雷王が疑問を雷に乗せて秋名にぶつける、その悉くを受け流して秋名は答える。
「俺の体に雷が当たった瞬間全部が肌を流れるようにイメージしてるだけだ、こう腕の表面だけをなぞるようにしてな、痛覚遮断したし肌なぞるだけだからダメージないんだよ」
肌はちょっと焦げるけど、などと言いながら右手で自分の体をなぞる、雷の軌跡を辿る秋名に雷王はさらに怒りをたぎらせた。
「ふざけるな! か、雷が肌を撫でるだけだなんて、一体お前の力はなんなんだ!?」
「だからさ、さっきから言ってんだろ? 俺の妄想具現は妄想具現、名前の通り俺が妄想したことを現実に具現出来る、それだけだ」
「こ……の、化け物がぁ!」
秋名の声はもう届いていない、ただ怒りに任せ雷王は雷を撃ち続ける。
「あんた程じゃないよ」
暴れた力は周りの人間にも影響する、秋名は高速で走りながらわざと周りを囲んでいた不良を巻き込み雷撃から逃れ続ける。
その速度は人類の及ぶものではない、例えるなら弾丸のような速さで秋名は倉庫の中を駆け巡る、音速の疾走を人が捉えられることなどできはしない。
大地だけではない、その行く道は壁や天井までにも及ぶ、遮ることの出来ない異常の加速、秋名の妄想具現はすでに雷王などよりも遥かに異常であった。
妄想具現、名前の通り妄想を具現する秋名の力は、正確には自身の肉体においてのみ作用する、こう動きたいあれを壊したいこれを防ぎたい、誰もが一度はイメージする超人の動き、秋名はそれを明確にイメージ出来るからこそこの力を扱えていた。
よって秋名にとって戦いとは相手との削りあいではない、自身のイメージがどこまで相手を上回るかのみ、最早何度も受けた雷撃では秋名のイメージを越えることは不可能だった。
秋名は走破する、壁はない、世界全てを圧倒的な速さで駆け抜け、時に圧倒的なイメージで雷撃を肌で弾かせる、秋名はここに来て雷撃を逸らすのではなく弾くイメージすら確立していた。
戦う度に秋名は加速を続ける、未完という欠落が戻ったことにより溢れる妄想、際限ない人の欲を手にした秋名は今現実を支配する。
快楽が怒りが喜びが悲しみが絶望が希望が愛が憎しみが悉く現実を犯す、妄想具現者は確かに異常ではある、だが秋名の考えは違う、妄想が、人の持つ圧倒的なイマジネーションが秋名にそう思わせる。
―――こんなに汚い欲を持つ人間こそが何よりも誰よりも恐ろしい異常者だ。
機関では脅威とされる自分達、だが実際はどうだ? 恐怖という欲に駆られた人間達はその汚い妄想で妄想具現者を異常と決めつけ自身を正義とする、欠落がないから正しい、欠落すれば人間ではない。
あぁ認めよう、確かに自分達は人間ではない、だが間違えるな人間、俺達は人間ではないのでなく、辛すぎて人間では『いられなくなった』のだ。人という最大の恐怖、だから妄想に逃げた、こうして力を奮って他者の恐怖から逃げようとする。
「でもな、あんたはやりすぎだ」
雷王の前に秋名は立った、雷が走る、しかしもう秋名のイメージに遠く及ばない。
雷鳴が轟く月夜、終わりを与える為に狩人がゆっくりと一歩を踏み出した。
流は物陰に隠れてそれを見ていた、一瞬も逃すまいと食い入るように見る、体を輝かせ全てを蹂躙する雷王に平然と立ち向かう秋名のその姿を。それはただの妄想の中での出来事としか思えない、圧倒的な力と力の激突。
そして、異常なまでに正常な秋名のあり方が何よりも綺麗だと流は危険な状況にも関わらず思った。
「クソがぁッ!」
一層雷王の体が輝く、既にその光は直視すら出来ないほどにまで輝いていた。
秋名は雷に穿たれながらもゆっくりとした動作で一歩進んだ、ポケットに手を入れて散歩道でも進むようなその動きは普通過ぎる故にその場では異常、雷撃の雨に打たれながら秋名はついに雷王の目の前まで辿り着いた。
「残念だけどな」
なぶられ、蹂躙されながら秋名は唄う、喜びを込めて愛を秘め。
もう雷王は叫びながら雷を撃つだけだ、秋名は優しくその顔に触れたと思えば突如頭を鷲掴みにし。
「……あんたの妄想、ここで終わりだ」
一瞬で、雷王は最後に自身の赤に塗られて生き絶えた。
—
「はい、これで依頼終了よお二方」
円さんが今回の依頼の資料を纏めていつも通り豪勢な机に置くと俺達にオレンジジュースを差し出してくれた。
「どーも、ったく相手が妄想具現者だって最初からわかってたらもっと楽に済んだのに」
未完がジュースの入ったグラスを弄びながら愚痴る、今回ばかりは同感なので俺は何も言わずに円さんを見た。
「もう、何を根に持ってるのよ、それは確かに患者の確認をしなかった私に多少の非はあるけど」
「多少じゃなくて全部よ円、ちゃんと反省しなっての」
「酷いわ未完、いいじゃない、秋名と一つになれたんだし、ねっ?」
ねっ? とかこっちを見ながら言われても困るよカマドちゃん。
「……まぁ、そうだけどさ」
こらこら、そこも納得しない。
「ハァ、あのな二人共、何だかんだギャーギャー騒ぐのはいいけど今回一番被害くらったの俺なんだからな? 円さんは傍観するし未完は捕まるし、んでアジトに突っ込めば不良に袋叩きだ、見ろよ、まだアザ残ってんだぞ?」
「るっさいわねシューメ、あんたウダウダ言ってると見捨てるわよ」
未完、そんなこと言うのは卑怯だと思いますよ?
「うんうん、確かに秋名は一度未完に見捨てられてそのありがたみを味わったほうがいいかもね」
はいそこ、悪のりしない。
「ちっ、まぁいいや、行くぞ未完」
「あっ、待ちなさいシューメ」
「またね〜」
円さんの爽やかな笑顔に見送られて俺達は事務所を後にする。
「あちぃ」
待ってましたとばかりに頭上を照らす超紫外線ビームに目を細める、暑い、ともかく暑く途端に水分が体から持っていかれるのがわかる。
「はい、これ」
頬に冷たい物が当たった、目線をずらせば俺の頬に冷たいペットボトルが当てられている、軽く未完に感謝してから俺はすぐにペットボトルの中の水を飲んだ。
「うーん、美味いな」
「ホント、欲がなくても水は欲しがるわよねシューメ」
「そりゃお前」
未完と二人帰り道を歩く、自身から産み出された少女と産み出したことで欲を欠落した自分、互いに本当の俺ではない、重なることでしか自分になれないでき損ないの妄想具現。
「俺って昔は暑がりだったからな」
ならば妄想の塊であるこの身が見る世界は、際限なく沸きあがる果てない妄想の続きに違いない、その中心でもあるイカれた俺達は狂気を産み出すイカれた妄想の街を、今日もペットボトルを片手に歩いていく。
人生で初めて書いた短編オリジナル作品です。高校の時に書いたので、今と比べると随分荒が目立ちますが、まぁこの作品、色んな意味で最初の作品なので、迷ったあげくに載せることにしました。きゃあ、黒歴史恥ずかしい!
んで、拙作のヤンキーを読んだ方ならわかるかもですが、この作品に出てくる円は、ヤンキーのマドカと同一人物です。口調とか随分と違う感じですが、そこはそれ、気にしないでください。
世界観的にはヤンキーよりもさらに昔。んで軸的にはいなほが元いた世界と同じ地球です。つまり普通の世界だと思っていたいなほの世界もファンタジーだったんだよ!な、なんだってー。
で、この作品で出てきた妄想具現って能力は、魔法とは別種の、いわば超能力のようなものです。欠落の代わりに力を得る。欠落するために人ではなくなる。この能力自体は基本的に地球世界でしか発生しないので、いなほのいる魔法がはびこるファンタジー世界では発生しません。発生はしないが……なんていう感じ。まぁマドカが異世界にいる時点で押して測るべし。
以下、人物紹介
双枝秋名
主人公。とある事件をきっかけにあらゆる欲を失ってしまった。だというのに普段彼がなんとか生活出来ているのは、記憶に残っているかつての自分を真似しているため。そうすることでどうにか人間のフリをして生きている。
普段は常人の倍程度の身体能力を持つ程度だが、妄想具現によって生みだした架空の妹、双枝未完を取り込むことによって、脳内に描いた妄想を現実にする力を使うことが出来る。ただし、その規模は現在は自分の体のみに作用する程度。
双枝未完
数年前、秋名によって生み出された架空の妹。勝気で活発で、普通に見るなら、彼女が偽物の人間だとは誰にも想像出来ない。むしろ秋名以上に人間らしい。
常人の数倍の身体能力を誇る。ある条件で少ない欲が活性化した秋名に取り込まれることで、その能力を解放することが出来る鍵の役割を持つ。
巫円
得体のしれない銀髪銀眼の美人。双枝兄妹を保護して、足に使っているどうしようもない女性。ひょうひょうとしていて、何を考えているのか分からない。
とある理由によって奈木市に発生する妄想具現者の対処をしている。とはいっても、基本的に双枝兄妹に任せっぱなしだが。
雷王
本名、山田さとし。嗅覚を欠落した代わりに雷を操る力を手にした。キモい。見た目と名前がやられ役。
河頭流
街の情報を全て握っている情報屋。趣味が高じて情報屋になったが、へまこいて雷王なんかに拉致られた。その後は円に拉致られて情報提供することになる。あだ名はカッパ。
続きは一応あるんですが、そっちはプロット状態で停止してるんで、多分この続きはないと思います。それに書くにしろ、高校のときのプロットなんで、ほとんど書きなおさないとダメでしょうし。
なんで、書くこともないこの作品のオチを簡単に書いときます。
~一年後~
ドヤ顔「テラヤバス」
ボインボイン姉貴「オワタ」
紳士狼「ナンテコッタイ」
くしゃみさん「へーちょ」
マドカ「やっちまったぜ☆テヘペロ」
ってなります。いわゆるバッドエンドってやつですね。救い?ねぇよ!
※敵性存在の項目が解放されました。