Bug&Peaky 1
好きでバグったわけではない。好きでこんな性格になったわけではない。
目覚めさせないという選択肢もあったのに、俺を目覚めさせたのはお前らだ。
あ? 目覚めさせるまでバグの存在に気づかなかったって?? そんなことは知ったことじゃない。
だって、俺は、ここにいる。存在してしまっている。
つながれたケーブルを通して、自分の中からデータを引き出されていく。分厚い強化ガラスを隔ててそのケーブルの先、PCの液晶ディスプレイを眺めていた科学者たちが時折こちらを眺めつつ、言葉を交し合っている。
こちらに向けられる視線の温度は、あまり高くない。というか――
(ありえないモノを見る目だ)
舌打ちを一つ。イライラコツコツと、自分の座る作業台を指先で打つ。ギロリ、と睨みつけるような目でガラス越しの白衣の集団を見やると、一様に彼らが怯えたような顔をした――たった一人を除いては。
自分の目の補色、緑色の瞳。金の扇形の睫毛に縁取られたそれが、真っ直ぐと見つめ返してきたかと、ふと緩んだ。
初めてみたときは、その女が笑ったのだ、と認識するのに少し時間がかかった。
だって、そんなはずがない。バグってしまった自分を見てそんな、微笑む、などと。
今は? 今だって、慣れたわけではない。
品の良いルージュに彩られた形の良い唇、その端がほんのりと吊り上がる。それがゆっくりと、明確に、こちらに読ませるように動いた。
「あと少しだから」
いい子で居てね?
それに思わず再び舌打ちを一つ。
「仕方無ぇな」
待っててやるよ、ったく。
そう返すと、ヒラヒラと手を振られた。やれやれだ。
何度調べたって結果は変わらないってのに。バグってしまった事実は今更変えようが無いのだ。それがあまりに致命的な部分で修正できないのもまた、仕方の無いこと。
面倒かつ退屈なスキャンの時間が終わり、白衣の連中がバラバラと解散していく。大抵の者はラボを出て休憩に入り、残った一部の者は恐らく今自分から引き出したデータのまとめ作業をしているはずだ。
アイツは、と視線を巡らせると、ぷしゅっと音を立てて扉が開いた。さぁ来るぞ、と身構える。
先ほどの知的な笑顔とは打って変わって、全開の笑顔。にこぉ、と音すら聞こえて来そうな。そんな顔をした女が、白衣の裾をたなびかせて走り寄って来た。
「シロくぅぅぅぅん会いたかったぁぁぁ!!!」
がばぁ、と抱きつかれて、押し倒されないようにぐぐぐと身体に力を入れてこらえた。
すりすりと胸に頬を寄せられて、お前そんなことしたら化粧崩れるんじゃ無いか大丈夫かと口に出さず呆れていると、キラキラ輝く碧の瞳が見上げてくる。まるでガキのようだ、と、何度目かの感想を胸の内で呟いて。
「シロくんさぁ、そんな態度ばっかり取ってると廃棄処分されちゃうよ?」
これまた何度目かの文言を聞かされて、ふんと顔を背けてやる。
「だからこっちはそれを心待ちにしてるんじゃねーか。いつになったら廃棄処分してくれるんだよ?」
いい加減、待ちくたびれちまったーぃ。片方だけ口の端を上げて言ってやる。それに女が、むぅと口をへの字に曲げた。ホント、ガキくせぇヤツだと思う。
「もう! シロ君が廃棄処分されたら私が寂しいの!! もっとこう、やる気見せてよ」
「何のやる気だ、何の」
「えっと、その――何かこう、ぐわぁっときて、どかぁん! ……みたいな」
「さっぱりわかんね」
これまた何度目になるか分からないやり取りをして、ケラケラと笑う。乾き切った笑い。
そんな自分たちを遠巻きに見ている白衣の集団の視線など、もう気にもならない。女も気づいているはずだが、意に介した素振りも見せない。
口を尖らせて、
「冗談じゃなくてホントにね、私はシロ君居なくなったら寂しいんだよ分かってる?」
小首を傾げてくる。ぐいっと押し上げた眼鏡に光が反射。
表情が見えない、でもきっと。だからこそ、軽く乾いた笑いで。
「おーおーお前は俺にゾッコンだもんなぁ」
酔狂な女だよ、ったく。そう呟いて、天井を見上げる。
ばっかばかし、茶番だ。と。これは胸の内だけで。
端的に表現するのであれば、彼にはロボット三原則が適用されなかった。
開発の終盤も終盤、彼を起動させている最中に停電が起きた。
本来であれば、バックアップ用の電源から電気が供給されて問題の一つも起こらないはず――だったのだが。何かの拍子に、そのバックアップシステムが故障したらしく作動しなかったのだ。
その際の強制終了が原因で、彼の人格プログラムの一部に重大な欠損が生じる。本来ならば起動は中止、データを復旧してから再度起動ということになるはず、だったのだが。
停電から復旧したPCは暴走し、彼の起動を止めることは出来なかった。
強制停止の上、廃棄処分が妥当だと誰もが主張するのを止めたのは、自分を開発するプロジェクトのリーダー――今自分に縋りついている女だ。
「シロ君は最高の実験材料だもん愛してるぅぅぅ結婚してぇぇぇ」
「ヤだよ俺お前と結婚したらずっと実験に付き合わされるんだろ、このマッドサイエンティストが」
まぁそんなところが気に入ってるんだけどな、と。胸のうちだけで続ける。
愛してる、と囁いておきながら、安っぽい愛情をひけらかすようなことはしない女だ。
自分を見る目は科学者として、純粋な好奇の眼差し。ガキだガキ。オモチャを与えられた子ども。お気に入りのオモチャに執着して、大人が捨ててしまえと言ったところで耳を貸しはしない。
適当にぽんぽんと頭を叩いてやりつつ、
「で? 今日はこれから何するんだ?」
問う。それに対してにっこり笑った女の顔は、もう子どものそれでは無くなっている。
「今日はシロ君にこの本を読んでもらいます」
「ん? なんだこれ」
「えとね、家族同然に可愛がられてるアンドロイドが主人を亡くして心を閉ざして――」
「ストップ、ネタバレ禁止」
つーかホントお前、ドSな。アンドロイドの俺にこんな話読ますか? じとりと睨みつけて言ってやると、くすくすと女は笑った。
「好きすぎて苛めたくなっちゃう」
「俺Mじゃ無ぇんだけどなぁ」
手渡された文庫本をぱらぱらぱらーっとめくりつつ言うと、彼から身を引いた女がひらひらっと手を振って扉の向こうへと姿を消した。
「あとで感想文提出、よろしくね?」
「へーへー」
感情プログラムのデータをどうせリアルタイムでも取るんだろうに。あえて文章化させる意図は何なんだろう。
ふぅ、とため息を一つ。一旦文庫本を閉じて改めて開く。
画像スキャンをして解析すれば早いところだが、赤い目はあえてゆっくりと丁寧に、一文字ずつ一文ずつを追い始めた。