「無価値と蔑まれた公爵令嬢、婚約破棄の夜に呪いごと護衛に抱きしめられる
「またその顔をしているな」
夜会の始まる前、控え室でぼんやりと窓の外を見つめていた私に、ガレスが呆れたように声をかけた。
「別に、何でもないわ」
「嘘をつくのが下手すぎる。昨夜も魘されていただろう」
図星を突かれ、私は思わず視線を逸らした。ガレスは護衛としてこの屋敷に来て三年になるが、誰よりも早く私の異変に気づく。表向きは無口で愛想のかけらもない男なのに、なぜか私に関することだけはやたらと目敏かった。
「気のせいよ」
「お前がそう言う時は、大抵気のせいじゃない」
ため息交じりにそう言うと、ガレスは懐から小さな飴を取り出し、無言で差し出してきた。
「……何よ、これ」
「甘い物でも食っとけ。少しはマシになる」
武骨な手つきで差し出された飴に、思わず笑いがこぼれた。
「護衛が令嬢に飴を配給する屋敷なんて、聞いたことないわ」
「配給じゃない。……仕方なく、だ」
耳の先が少し赤くなっているのを、私は見逃さなかった。
「アルマ、貴様との婚約はここで解消する」
社交界デビューの夜会で、婚約者のアルフレッド様が声高らかにそう言い放った。
「代償の加護など、聞いたこともない。妹のマリエルは、幼い頃から光の加護で傷を癒し、会場中の喝采を浴びているというのに。何の効果も見えぬ加護持ちなど、公爵家の面汚しだ」
隣に立つ妹のマリエルが、勝ち誇った顔で私を見下ろす。生まれつき光の加護に恵まれ、天才ともてはやされてきた妹と、十九になっても一度も目に見える効果を示さない私。比べられるたび、家族の視線が冷たくなっていくのを感じていた。
一度だけ、母に「なぜ私だけこんなに冷たくされるのですか」と尋ねたことがある。母は困ったように微笑んで、「あなたは、しっかりしているから」とだけ答えた。それが慰めなのか、単なる言い訳なのか、私には最後まで分からなかった。
「アルフレッド様、私を選んでくださって光栄ですわ」
マリエルが見せつけるように、掌に淡い光を灯した。会場がどよめき、称賛の声が上がる。
「見ての通りだ。効果の見えぬ貴様に用はない。今日をもって、婚約破棄だ」
その一言と同時に、会場の奥で低い唸り声が響いた。父の胸元から黒い靄が噴き出し、招待客たちが悲鳴をあげて後ずさる。
「父上に呪いが……!? な、なぜ今になって……!?」
靄は瞬く間に膨れ上がり、父を飲み込もうとしていた。誰も彼もが我先にと逃げ惑う中、私の足はなぜか動かなかった。いつもと、同じことだったから。
その瞬間、背後から誰かが私を強く抱き寄せた。
「また無茶をする気か。今日ぐらいは俺に任せろと、何度言えば分かるんだお前は」
呆れたような、それでいてどこか焦った声が耳元で響く。護衛のガレスだった。無口で不愛想、けれど誰よりも早く私の異変に気づく男。
「離して。父を助けないと」
「助けるのはお前の役目じゃない。……いや、違うな。お前の役目は、これ以上自分を犠牲にすることじゃない」
ガレスがそう言った瞬間、私の中で何かが軋んだ。
実を言えば、私の加護は「代償の加護」――誰かにかけられた呪いや傷を、自分の内側に引き受けて静かに鎮める力だった。効果は目に見えない。苦しむのは、いつも私一人。三年前から父にかけられていた呪いを、私は毎晩ひそかに吸い上げ続けていた。
「知っていたの、ガレス」
「知らいでか。お前の背中の痣、寝汗、うなされる声。全部、見てきた」
ぶっきらぼうな声の奥に、隠しきれない怒りと心配が滲んでいた。
「なんで、言わなかった」
「言えば、あなたが無理に止めようとするから」
「今まさに無理してるだろうが!」
思わず声を荒らげたガレスに、周囲がぎょっとした顔を向ける。護衛が主家の令嬢に声を荒らげるなど前代未聞だったが、当のガレスは気にする様子もなかった。
「毎晩、うなされる声を聞くたびに、俺がどんな気持ちでいたか分かるか。朝になれば何事もなかったように振る舞うお前を見て、殴ってでも聞き出すべきだったと、何度後悔したか」
いつも淡々としている男の声が、初めて震えていた。
「言えば、あなたに迷惑がかかると思ったの」
「迷惑なんて、一度も思ったことがない。ただ、お前に頼られていないことが、悔しかっただけだ」
その一言に、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
「――もういい。今日で終わらせる」
ガレスが私の手を取り、靄に向かって踏み出した。触れた指先から伝わる温もりに、抑え込んでいた何かが溢れ出す。
「守りたいなら、一人で抱えるな。俺も一緒に背負ってやる」
その一言と同時に、私たちを中心に淡い光の膜が広がった。膜は瞬時に靄を包み込み、内側から浄化していく。ぱちん、と何かが弾ける音がして、呪いは嘘のように消え去った。
「……これは」
誰かが、呆然と呟いた。会場は静まり返り、全員の視線が私に集まっている。
「代償の加護は、誰かと想いを分かち合って初めて真価を発揮する希少な加護だ。一人で背負い続ける限り、決して報われない呪われた加護と言われている。……お前はずっと、独りで抱え込んでいたんだな」
ガレスが、静かに告げた。
「悪い。もっと早く、力ずくでも聞き出すべきだった」
「いいの。誰にも、言えなかったから」
「これからは俺に言え。……いや、言わなくても勝手に気づいてやる」
思いがけない不器用な言葉に、頬が熱くなった。先ほどまで私を蔑んでいた貴族たちが、次々と頭を垂れ始める。
「な、なぜ護衛風情が、令嬢にそのような口を……」
アルフレッド様は青ざめ、言葉を失っていた。マリエルは、父の呪いに気づきながら黙っていたことが露見し、屋敷の別室に押し込められていった。
「今さら、私を愛そうとしても遅いですわ」
慌てて縋りついてきたアルフレッド様に、私は静かに告げた。
「あなたは私ではなく、目に見える加護に用があっただけです」
父も母も態度を一変させ、跡継ぎに戻すと申し出てきたが、心は少しも動かなかった。
「今さら、ですか」
短くそう告げると、二人は何も言えないまま押し黙った。
数日後、屋敷の裏庭で、ガレスが不器用な仕草で花束を差し出した。
「柄じゃないのは分かってる。だが、これしか思いつかなかった」
「プロポーズにしては、随分と武骨ですね」
「悪いか」
「いいえ。あなたらしくて、好きです」
そう答えると、ガレスは珍しく耳まで赤くした。武骨で口下手な彼が、これほど分かりやすく動揺するのを、私は初めて見た。
「これからは、一人で抱え込むなよ。絶対だからな」
「はい。あなたと一緒に、背負っていきます」
結婚してからのガレスは、相変わらず不器用なままだった。私が書斎で書類に向かっていると、いつの間にか温かい茶が差し入れられている。夜遅くまで起きていると、扉の向こうから「早く休め」とぶっきらぼうな声が飛んでくる。
「過保護すぎるわ、ガレス」
「お前に関してだけは、な」
「その台詞、もう何度目か数えているのだけれど」
「数えるくらいなら、素直に休め」
言い合いながらも、口元が緩んでしまうのを止められなかった。かつて誰にも顧みられなかった私が、今はこんなにも大切にされている。それだけで、これまでの孤独が、少しずつ報われていく気がした。
結婚の儀は、静かな教会で執り行われた。誓いの言葉を交わす瞬間、光の膜がまた淡く二人を包んだ。誰に説明されるまでもなく、それが加護の答えなのだと分かった。
窓の外には、穏やかな朝の光が差し込んでいた。婚約破棄されたあの夜から、私の人生は確かに変わった。
完




