第2話 新米社長、ひとまず工具を持つ
学が内匠部品の社長になった翌日。
市之瀬グループ本社。 高層ビルの最上階。
ガラス越しに街を見下ろす、静かな執務室。
「会長、よろしいのですか?」
秘書が、控えめに切り出す。
「あんなどこの馬の骨かわからない男を社長にするなんて」
玲子は、書類から目を離さず答えた。
「いいじゃない。どうせ今でも赤字なんだし」
そして、淡々と続ける。
「あと、一応私の遠い親戚の子ってことになってるから。どこの馬の骨かは、わかるわよ」
「……何をおっしゃっているんですか」
秘書が呆れる。
玲子は、ようやく顔を上げ、冷たく微笑んだ。
「どうにもならなくなったら…」
一拍置いて。
「あの男に会社の負債ごとかぶってもらって、
どこかへ消えてもらえばいいんだから。使えるでしょ」
秘書が言葉を失う。
「それに、あそこには相良がいるわ」
玲子は軽く肩をすくめた。
「だから、まあなんとかなるんじゃない」
「……しかし、あそこは会長と旦那様にとって――」
「それより」
玲子は、秘書の言葉を遮るように言った。
「例の大型案件、進捗はどうなってるの?」
秘書は一瞬、口を閉ざし、
そして仕事用の顔に戻った。
その頃、内匠部品では朝礼にて学の社長就任の挨拶が行われた。
のだが、挨拶は散々なものだった。
社員からはヒソヒソと不満が聞こえてくる。
「おい、あんな若い兄ちゃんで大丈夫なのかよ」
「どうせすぐ逃げ出すだろ」
「給料ちゃんと払ってくれるのかよ」
そして、一人の男が学の前に出てきた。
職長の濱岡鉄也だ。
五十代半ば。
無精ひげ。
背中と腕に刻まれた無数の古傷。
この工場で三十年以上、「ものづくり」と向き合ってきた男だ。
「あんた、会長の親戚だかなんだか知らねえが
工具の持ち方も知らねえただのガキじゃねえか。
俺たちはあんたのお遊びに付き合うほど暇じゃねえんだ。
おい、みんな。仕事、仕事」
濱岡がそう言うと社員は持ち場につきはじめた。
朝礼が終わって学が工場を回っても、社員たちは余所余所しく、露骨に無視する者もいた。
(まあ、そりゃそうなるわな…)
学がそう思っていた時だった。
「……おい、こっちの機械が止まったぞ」
「またかよ!」
社員たちがざわつく。
学は、反射的に機械へ駆け寄っていた。
「どいてください」
「は?」
濱岡が怪訝な顔をする。
学はしゃがみ込み、カバーを外す。
「……センサーじゃない。
制御基板の接触不良だ」
「おい、勝手に触るな!」
「この配線、振動で浮いてます。
仮止めが甘い」
カチ、カチ、と手際よく修正する。
――ガコン。
機械が、正常な音を立てて動き出した。
静寂。
「……動いた?」
社員たちがざわつく。
「たまたまだ」
濱岡はそう言いながらも、その視線は学から離れなかった。
そしてなんとも居心地の悪そうな表情だった。
「……機械、好きなんです。機械いじりは嫌というほどやってきました」
学は立ち上がり、油まみれの手を見つめながら言った。
「人より、機械の方が……正直で」
誰も、笑わなかった。
だが、濱岡はふん、と一息吐いた。
「おい、社長」
「は、はい!」
「現場に口出すなら、逃げるな。最後まで責任取れ」
それは、決して拒絶ではなかった。
事務所に戻ると一人の男がデスクにむかっていた。
「あの、どちら様でしょうか?」
恐る恐る声をかける学。
「おや、社長。お疲れ様です。相良と申します。
ここの営業と経理の担当として市之瀬グループ本社から出向してきております。
あとは、社長の”お世話係”といったところでしょうか。」
眼鏡の奥の視線が鋭い。
仕事はできそうだが、なんだか感じの悪い人。というのが、
相良に対する学の第一印象だった。
「すみません、知らなくて」
「いえいえ、社長はこの会社について何もご存じないのですから仕方ありません。」
「…(なんだよ、嫌味かよ)」
「そういえば、先程は機械の修理で大活躍だったそうですね。でも機械修理だけでは
会社は経営できません」
「…(いちいち一言多いな)」
「では、この会社の現状についてご説明させて頂きます」
「…お願いします」
聞かされた現状に学は絶望した。
数少ない得意先からの仕事でなんとかやっているものの、赤字は増え続け売上は先細りであること。
このままでは数カ月で社員の給料も滞る可能性があること。
「何から手を付けたらいいんだ…」
学がそうつぶやくと、相良が冷たく答えた。
「何もしないことです」
「え?どういうことですか?」
「あなたの仕事は邪魔をしないこと。そして現場を壊さないこと。それだけです。」
「壊す?」
「大丈夫ですよ。みんなあなたに期待なんてしていませんから。」




