第34話
「ッチ! 余裕ぶってんじゃねえよッ!! 死ねえええええ!!」
霧が激しく渦巻き、三方向から同時に銀光が走る。分身、あるいはあまりの高速移動による残像か。女エルフの短剣が、今度は俺の喉元、心臓、そして脇腹を同時に狙って突き出される。
だが、俺の眼には、彼女の本体の動きは泥の中に沈んだ鈍亀のように映っていた。
「――無駄だと言ったはずだ」
俺は最小限の動きで二本の刃をかわすと、最後の一撃――喉を狙った本物の短剣を、左手の二本の指で挟み止めた。
「……!? ッチ、嘘だろ……指で、止めた……!?」
「逃がさんと言っただろう」
指に力を込めると、銀色の短剣が「パキン」と乾いた音を立てて砕け散った。驚愕に顔を引きつらせる女の懐に一気に踏み込み、俺の右手が彼女の細い首を無造作に掴み上げる。
「が……っ、あ……げほっ、……ッチ!」
俺はそのまま、彼女の身体を近くの壁へと叩きつけた。石造りの壁が衝撃で震え、彼女のフードが脱げ落ちる。現れたのは、勝ち気そうな目元と、桃色の髪をした若い女エルフだった。
「……目的は何だ。誰に頼まれた?」
「……ッチ、殺せ……ッ! お前みたいな、最低の……略奪者に……屈するくらいなら……死んだ、ほうが……あ、あぐっ……!」
首を締め上げられ、酸素を求めて喘ぎながらも、彼女は俺を殺さんとばかりに睨みつけ、何度も何度も舌打ちを繰り返す。
「ゾナンを殺したのが俺だから、殺す。……単純な動機だな。だが、お前が見ていたゾナンという男がどれほどの屑だったか、その頭で考えたことはないのか?」
「……うるさいッ!! ゾナン様は……ッチ! あたしたちを、守ってくれてたんだッ! お前みたいな、余所者とは違うッ!」
「守る、か。……ハハハハハ!!」
俺の笑い声が書斎に響き渡る。その傲岸な笑みに、女――ナギは恐怖と屈辱が混じった表情で身を震わせた。
「……面白いな。その眼。テイムで心を書き換えて、俺を愛でる人形にしてやるのは簡単だ。だが……それでは少々、退屈が過ぎる」
俺はナギの首を掴む力を少しだけ緩め、彼女の耳元で冷たく囁いた。
「いいだろう。お前が見ていたゾナンと、今目の前にいる俺という存在が、この国の王としてどちらが相応しいか。……その目に刻み込んでやろう。俺の側ですべてを見届けろ」
俺がそう告げると同時に、書斎を覆っていた霧が潮が引くように消え去っていった。
床には、幻術に当てられ意識を失っているイリスが横たわっている。
「レオン様!!」
「……ッチ、邪魔が入ったか」
その時、書斎の重厚な扉が爆音と共に弾け飛んだ。
なだれ込んできたのは、殺気を剥き出しにしたシホ、ラフィーネ、そしてエルマの三人だった。彼女たちは、俺がナギの首を掴んでいる光景を見るや否や、一瞬で戦闘態勢に入る。
「その女……レオン様に刃を向けましたわね? 万死に値しますわ。今すぐ灰にして差し上げます」
ラフィーネの周囲に、禍々しいほどの魔力を持つ召喚陣が浮かび上がる。シホもまた、抜き放った銀剣をナギの喉元へ向けた。
「待て。殺すな」
俺の静かな、しかし拒絶を許さない命令に、三人の動きがピタリと凍りつく。
「レオン様、なぜですか!? このような薄汚いネズミ、生かしておく価値もありませんわ!」
リリティアが散歩から戻ってきたのか、後ろから叫ぶ。
「……今日から、この女を俺の側近として置く。この城での自由を認める。だが、俺が命じるまで、死ぬことも逃げることも許さん。……異論は認めない」
「な……っ!? ッチ、ふざけんなよ……!」
ナギは床に放り出され、激しく咳き込みながら俺を睨み据えた。
「……あたしを側に置くなんて、後悔させてやるからな。ッチ……あんたが寝てる間に、必ずその喉を掻き切ってやる。絶対だッ!」
「やってみろ。……せいぜい、俺を飽きさせないことだな」
俺は、不満を飲み込み跪く配下たちと、屈辱に震えながら舌打ちを繰り返すナギを見渡し、王の椅子へと戻った。
ユグラディア王国の中心に、また一つ、新たな「火種」が飼い慣らされようとしていた。




