ある亜人の回想『角』
最初の記憶は雨で湿った土の上で目を覚ました瞬間だった。
少し視線をずらすと、墓石のような物に汚れた布がかけられている。
後にラニと呼ばれる少女は自分が裸であることに気が付き、その布を取って体に巻いた。
少女にはそれまでの記憶が無かった。
何故自分が裸で土を被っていたのかもわからない。
名前と言葉だけはしっかりと覚えているのが逆に奇妙に感じる。
一応年齢も思い出そうとしたがそこはまるで思い出せない。
最後には面倒になり10歳という事にした。
手がかりを探して空を見上げると、雨雲の手前に太い木がそびえ立つ。
次に眼の前の誰のものかもわからない墓を見る。
長らく手入れされていないそれには何か線が掘られているが、蔦や苔が邪魔をしていてそれが文字なのか画なのかまでは調べることはできない。
最も、その石に自分の記憶が刻まれているということもないであろうが、何をすればいいかもわからない彼女は、なんでもいいから情報が欲しかった。
「うう……」
石の上に、鳥がとまる。
世界でもっとも弱い動物、コナギ鳥。
衝撃に弱く石を投げられれば絶命するし、視野が狭く耳も悪い為手で捕まえる事も容易。
さらに後ろから急に捕まえれば驚いて勝手に絶命する。
終いには警戒心が薄い。
まるで自分を差し出すかのようにこうして空腹のラニの前にとまる程だ。
故にコナギ鳥の生息する森はとても安全で、平和な場所という証明だ。
「……ごくり」
しかしそんな事は今のラニには知ったことではない。
「いただきます」
一言添えて、素手で捕まえる。
特有の『ヒェェ』という情けない鳴き声を最後に、コナギ鳥は生き物から食材になった。
「ごちそうさまでした」
口元についた血を拭いながら、焼けばもっとうまいのだろうと思う。
腹が満たされひとまずこのままここで生きてもいいかと考え始めるころ、自分以外の人間の話し声が聞こえてくる。
「!」
何もしらないラニはその声に近づいた。
「ではこの辺りに異獣が……おや?」
「どうしたんだい君、迷子?」
「あの、わたし、なにもおぼえて」
「……!離れてください!」
二人組のうちの一人、後ろを歩いていた女が猟銃をラニに向ける。
当然だ。
今のラニは汚れた布を身に纏い、口元と手は血で赤く、そして二人組には見慣れない二本の角が額から伸びている。
彼らからすれば御伽噺に出てくる悪魔そのものだったろう。
「化け物だ!」
「わたし……?ちが……」
ラニの言葉は届かず、2丁の銃撃がラニに向かって放たれる。
合計8発が全弾体に当たったにも関わらず、多少姿勢を崩すのみで生きているラニを見て、二人組は顔を青くして後ずさる。
「っ……!あ、いたい……いたい……!なんで、わたし……」
自分のこと以外ろくにわからないラニは当然、相手が何故自分を攻撃するのかもわからない。
必死に掌を前に向けてなにも隠していないと証明しようとするが、赤く染まった掌を向けては逆効果だった。
それ以上、二人組とラニは言葉を交わすこと無く。
ラニは追加の銃撃を3発受けてようやく逃走を選んだ。
数日土の上で寝込んだ後、森の川で手を洗う。
水の反射でラニは初めて自分の姿を客観視する。
「……きたない」
清潔感という概念をどこで覚えたのかもわからないが、とにかく全身を洗い流し、身につけている布も洗ってみる。
既に撃たれた傷は塞がっていたが、時々痒みに耐えられず血が滲むほど掻き毟るせいで跡が消えない。
その跡を隠すように、洗って乾かした布を体に巻き直した。
「……」
改めて、自分の姿をみる。
「……うん!」
ラニは満足げに微笑み、そして再び先日の場所へと向かった。
誰も来なかった為、少し足を伸ばして人の声がする場所へ向かった。
そこでは皆が笑い、楽しそうに鳥の丸焼きを食べていた。
そしてラニはようやく、自分が亜人と呼ばれる存在である事を暴力をもって知り、逃げる様に川まで戻ってきた。
試しに、自分の角を折ってみた。
触ってすぐにくすぐったさを感じた時点で気づけた事だが、角にも感覚がある。
折れば当然痛みを伴うということだ。
本来そう簡単に折れるものではないが、ラニは痛みにこらえながら腕に力を込めて右の角を折った。
そうすることで自分も純人になって、自分も美味しい肉を食べられる。
ただ純粋にそう思ったからだ。
しかしそれは不器用な子供のする事で乱暴に力を加えた角は中間で折れ、無くなったとは言い切れない。
それでもラニは自分の角を放り投げ、反対の角を強く握った。
それから約一ヶ月。
ラニの角は両方きれいに治っていた。
折っても翌日には伸びてくる角には驚いたが、毎回激痛を堪えて、綺麗に根本から折れるまで折り続けた。
それでも伸びてくる上、徐々に丈夫になっていくのがバカバカしく感じ、ついに諦めてしまった。
ちょうど痛みにも嫌気が指していたところだ。
それから何かが吹っ切れたラニは、角を折る時の衝撃で少し頭が冴えたような悪くなった様な不思議な感覚のままで、一人で生きる方法を考えた。
コナギ鳥が絶滅してしまわないよう、他の森に移動することにした。
泥棒という言葉を知るまで、あるいは思い出すまでは寝ている旅人の荷物からマッチや衣服を盗んだ。
好きなタイミングで動物を狩れるだけの力と才能があった為、食べ物には困らなかった。
道中亜人狩りに遭遇する事もあったが、幸運にも捕まる事なくその存在を知り、見つかる事もなく逃亡を繰り返してきた。
数年間あらゆる森を渡り歩いたラニは、覚えている限りの人生がそこまで不幸だとは思わなかった。
それはそうと純人は嫌いになったし、他の亜人に出逢いたいとも思っていない。
世界の理不尽も感じたが、不愉快極まりないだけで自分は生きていける。
一人でも肉は焼いて食べられる、火の付け方さえわかってしまえばそれでよかった。
常に感じるこの感情が、孤独感からくる寂しさであるなどとは知りもせず、彼女は一人で育ち続けた。
それから更に数年後の現在――。
「……昨日の野営もそうでしたけど、ラニさんって火つけるのうまいっすよね」
「ん、そうか?」
開放した亜人達を連れて拠点に帰るノヤリスは、馬車に乗り切らなかった亜人を連れて徒歩で拠点へと進むも、夜に大人数での移動は危険と判断し、野営で一晩を明かす。
ここにいる亜人はそれほど多くはなく、翌日拠点から往復してくるリッキーの馬車と合流すれば全員が乗り切り、解放作戦が完全に終了となる。
つまりこれが最後の野営だった。
「うむ、実は吾輩も薪に火をつけるまでならできるが、それを調節するのはあまり得意ではないのである……」
「団長は火力を上げる事しかしないから駄目なんすよ、引き算もしないと」
ラニはじゃれ合うバハメロとナノンを眺めながら、薪を投げ入れ焚き火の火力を安定させた。
食べ物を調理するのに丁度良く、それでいて居場所がバレないよう極力煙の出ない程度に合わせる。
「っし、それじゃあひと狩りしてくる」
火を見たそう言ってラニは森へ向かい、誰よりも大きな獣を殴り倒し持ち帰った。
歯を無邪気に見せ笑う彼女は今や、一人での食事が嫌いになっていた。




