ある亜人の回想『鼠』➀
ある日、幼い少女が走っていた。
路地裏を駆け抜け、下水道へ隠れる。
少女は追われていたのだ。
彼女が鼠の耳と尻尾を持つ亜人であるからではない。
彼女が鞄に『貴重品』を詰めたからだ。
「……まいたかな……」
下水道は彼女の隠れ家になっていた。
しかし、ここにいるのは彼女だけではない。
「ただいま、ミクノちゃん、いい子でお留守番できてたかなー?」
「おかえりナノねえ、うん、いいこにかくれてたよ」
「〜〜〜!よしよしよぉし!偉い!そんないい子にはご褒美……じゃーん!齧られてないパン!」
「わぁ……やった、ナノねえ、はんぶんこしよ」
「くぅ、いいこすぎる……!じゃあはんぶんこ」
そう言いながら、拾い物のパンを不平等に割り、大切な妹に大きい方を渡す。
これがナノンとミクノの、約4年前の日常だった。
食の町、二プリゼ。
豪華レストランの立ち並ぶこの町は、大陸中の料理が食べられると観光客に評判で、町の中心にそびえ立つ『国一番のレストラン』のオーナーが町長も努めている。
どの店も客には困らないこの町では、食材の廃棄率は異様に低い。
それでも完全に無くすことは当然できない為、町中の路地裏を周れば必ず食べ物にありつくことができる。
運が良ければ、その山の上に綺麗なパンの一つくらい見つかるというものだ。
それ故、この町の路地裏は浮浪者が徘徊し、いいレストランの裏に屯しては、しょっちゅう衛兵に取り押さえられている。
そんな汚れた大人達には入れないような、小さな入口の下水道は、子供二人でくらすには充分な隠れ家だった。
翌日の夕方頃、今日もナノンは一人で『食料調達』に向かう。
「それじゃあミクノちゃん、今日もいいこにしててね」
「……ナノねえ、ミクノもお手伝いする」
「……だーいじょうぶ!お姉ちゃんが美味しい物見つけてくるから……それに、ここに『お母さん』が来るかもしれないでしょ?」
「……むう……」
「もうちょっとおっきくなったら、一緒に行こうね、約束」
「わかった、いってらっしゃいナノねえ」
妹に手を振り、小さな鞄を持って下水道を出る。
一抹の罪悪感を抑えるように、全ての感覚を研ぎ澄まし、廃棄された食料の中から持ち帰れそうな固形状の物を探す。
(……今日は野菜多め、火を通さなきゃ……そういえばマッチもそろそろ無くなってきた、灯り用のストックもあるけどそろそろまたどこかで拾わないと……ん?)
人影があった。
いつも通りの帰り道、ここまでくれば食べ物を狙う浮浪者は大抵まける場所に、黒ずくめの人間が一人。
薄暗い路地裏では顔どころか性別すらわからないが、このまま顔を突き合わせている理由もない。
そう思いナノンは一歩後ろに下がる。
その瞬間だった。
一瞬の光と小さな音の後、つい1秒前まで左足があった場所に、人差し指ほどの穴と焦げたような後が現れ、細々と煙が上がっている。
ナノンがそれを確認し、一目散に逃げ出す事に一切の躊躇いはなかった。
「……」
黒ずくめの人間は、ゆったりとした動作でそれを追いかけた。
(……っ、何?何あれ?指?指から出てた?あれが魔術?わかんない、わかんないけど間違いなく攻撃された!なんで?逃げないと、ひとまずミクノちゃんを連れて――)
先程と同じ、一瞬の光と小さな音。
それは背後からナノンの大きな耳の端を貫く。
「いっ……っう……!」
それでもナノンは全力で走った。
人影の体躯では下水道に入ることはできない、あそこまで逃げ切れば一先ずは勝ちだと思ったからだ。
下水道の入口にたどり着く。
人影はゆったりとした動作のままミクノを追いかける。
あれ以来、攻撃を仕掛けてくることはなかったが、それでも一定の距離で追いかけて来ていた。
ミクノは死にものぐるいで下水道に潜り込み、ナノンのいる奥へと進んだ。
「はぁ……はぁ……ただ、いま」
「……!ナノねえ、どうしたの?だいじょうぶ?」
「大丈夫、大丈夫……それよりミクノちゃん、急だけどすぐにここにお別れしないといけなくなっちゃったから、ご飯はちょっとまってね」
「え……でも、おかあさんは?」
ナノンは一瞬黙ってしまった。
ミクノは知らないが、二人の親はナノンが気づいた頃には既にいなかったからだ。
自分より遥かに幼いミクノを連れ、いるかもわからない親を探して何年も歩き回って来た。
これまでミクノが下水道から抜け出さない為の口実に使ってきたが、母が迎えに来る事など無いと、ナノンは本心で理解していた。
「……お母さんの話でしなきゃいけないことがあるけど、今は一先ずお引越しからだよ」
「……うん」
ミクノの手を握り、入ってきた方とは反対に向かって走る。
待ち伏せされている可能性を考えたのだが、この頃のナノンは所詮世間知らずの15歳。
反対側の入口は大人が整備のために使う入口があることを、焦燥感に負けて考慮していなかったのだ。
次に目を覚ました時、薄暗いままだった為下水道にいると錯覚したが、そこは下水道ではなく石作りの牢で、二人の足は鎖で壁に繋がれていた。




