音を立てて崩れる理想
「自分が何をしたか、解っているのか……!」
感情を押し殺すような声が漏れ出す。
バハメロに殴り飛ばされたヤカは、晴れた頬を擦りながら、黙って俯いていた。
「……へへ、殺害は最低限、という名目の不殺……その暗黙のルールを破ったからですよね……」
「お前に限っては暗黙ではない、お前と出会った時確かに禁じたはずだ……!何度も言っただろう、殺せば――」
「殺せば……対等な世界は遠ざかる、ですよね……?」
ヤカはふらりと立ち上がる。
「わかります、わかってますよ団長、一人も殺めず、頭数を揃え、意志を示し、国の中枢に亜人の人権を認めさせる……私達はその目標に向かって……今もこうして活動しています」
「……そうだ、そのために、我々を認めない口実をできる限り減らすのだ、だというのに今!お前は……お前は一人、殺めたのだぞ!」
「……でもこうしないとあの子は死んでましたよ」
「殺す必要はなかったと言っているのだ!気絶させるでも、少女から引き離すでも!……彼女は怪我をしなかった、だが、今日の事は彼女の心に大きな傷を作っただろう!なぜ寄りにもよって殺したのだ!」
「へへ……私にそんなことできませんよ……あの状況じゃこれが精一杯でした……」
バハメロは苛立ちを抑えきれずにいた。
これまで殺しは最低限、とは言えど確認された範囲では団員全員がそれを守って行動していた。
全ての団員達を心から信頼しているバハメロに取って、今回のヤカの行動はそれだけ衝撃的だったのだ。
「……団長……もう団長もわかってるんじゃないですか?」
「……何?」
「さっきも言われてましたよね、『理想主義者』だって……団長ならその理想を叶えられるって信じてきました、今も信じてます、でも……私達、このままだと最後まで立っていられるんですかね」
バハメロはいつものように、『団長として、自分が最後まで守る』と言おうとした。
だがその口に広がる鉄の味が、それを引き止めた。
「……それでも……吾輩達は人を殺しては……」
「……団長、亜人狩りは亜人を沢山殺してるんですよ、今回このカトリスは特にそうでした……なのに私達は誰も殺しちゃいけない……それってとっても……『不平等』じゃないですか?」
バハメロは何も言えなかった。
全身から力が抜るのを感じたが、座り込むことすらできなかった。
バハメロ自身も薄々感じていたのだ。
自分の理想が茨の道の先にあるものだと、それを自分に続く仲間たちにも押し付けてしまっていると。
それでもバハメロは道を進むしかなかった。
茨をちぎり、踏み倒すしか無かった。
しかし、限界はすぐそこまで来ていたのだ。
「……ヤカ、お前の言うことは尤もである……うむ、うむ……吾輩も、大人になる時が来たのだな……ひとまず開放した亜人達を連れて帰るぞ、これからの事は皆と相談する、罰も帰ってからだ」
「……甘んじて罰を受けます……」
「最悪レベルは確実である……覚悟をしておくのだ……」
バハメロとヤカは18人の亜人を連れてカトリスの拠点を脱出した。
撤退ポイントにたどり着くと既に全員揃っており、クドが揺動班と共に撤退した事を確認した後、全員を乗せた大きな荷台を引く馬車が森を出ていった。
襲撃犯の負傷者は2名、どちらも今後の生活に害はないが、ノヤリスの作戦に置いて負傷者が出るというのは珍しい事だった。
更にヤカがラッパーの死体を攻撃する場面を見たのはその場にいた少女を含め3人。
その全員がヤカに対し恐怖を覚え、その後生活に支障をきたしかねないほどのトラウマを抱えた。
バハメロも今後についての事で頭がいっぱいになり、拠点への帰りはとても重苦しい道となった。
襲撃班も森を去り、満身創痍のカトリスの拠点では亜人狩りが徐々に意識を取り戻していた。
「いってて……なんだったんだあいつら……」
「わかんねえ、暴れるだけ暴れて消えやがった、全員生きてるのが奇跡みてえだな」
「……そいつぁどうかな」
拠点の中から一人の亜人狩りが大きな足音を立てて走ってくる。
男は混乱と怯えで表情がすっかり青ざめていた。
「はぁ……はぁ……っ、はぁ……!爆発跡を見てきたんだ……そしたらよぉ!奴隷が全部持ってかれてて……」
「なんてこった、俺達の商品がか!?」
「そんなことどうでもいいんだよ!ボスが……ボスが……!」
その場にいた亜人狩り達は揃って隠すこともなく動揺した。
商品は失い、拠点も半壊、その上組織のボスまで失ったのだ。
「……じゃあ俺達これからどうすんだよ」
「もう、足を洗うしか……」
亜人狩り達が項垂れているところに、『彼』は現れた。
「おやおやそれは素晴らしいですねぇ、ですがいくら足を洗っても、汚れた手は汚れたままですよ」
「……!あの尻尾……また亜人か!?あいつを捕まえればまた……」
「おいやめとけ……もう懲り懲りだ!」
亜人狩りの男が、もつれる足で逃げ出した。
その男の逃げた先に、『彼』がいた。
「ああ、逃げないでください、ちょっと気疲れしてるので捕まえられられないかもしれない……今回も『全員足を洗ったからノヤリスの秘密は保たれた』ってシナリオにしないと行けないんだよ」
「あ、あんた、さっきの連中の仲間か!」
「あー……ワタシとしたことが……まあいいさ、いつも通り全員消すからね」
数分後、カトリス拠点周辺から人が消えた。
その場に残ったのは『彼』だけだった。
銀色の髪に、不思議な柄の目隠し。
そう、シーモだ。
シーモはこれまで開放作戦で、半壊した組織を、撤退後完全に『始末』していた。
これまでノヤリスが小規模とは言え複数の亜人狩り組織を襲ってもその秘匿性が保たれていたのはそのためである。
このことは誰も知らず、シーモの独断によって行われていた。
「しまったなあ、とてもしまった、ワタシがちょーっと昔を懐かしんでる間に開放作戦……しかもこんな中規模組織に向かうなんて……音魔術が聞こえて急いできたんじゃ間に合わないよなあそりゃあ……はぁ……1人くらい逃したよな……ああしまったしまった……」
後日、逃げ出した亜人狩りが他の亜人狩り組織に拾われた事で、ノヤリスの名が明るみに出始めるのだが、その事はまだ、誰も知らない。
解放団の崩壊が、少しづつ始まっていた。




