無理に止めていた時間
崩れた壁から吹く風が、黒く長い髪を揺らす。
バハメロは、倒れたラッパーの前で立ち尽くしていた。
「……む……吾輩今気絶していたのか?」
バハメロは取り急ぎ周囲を見回す。
「……どうやら一瞬だけのようであるな、流石に血を流しすぎた……それに慣れない魔術の消耗もあるか、やはりもっと使い勝手のいい術を会得すべきか」
口から垂れた血を拭い、本来の目的地である奥の部屋へと続く扉に手をかける。
警戒はしたが扉には罠はついていなかった。
(で、あろうな、中の亜人達を傷つけては損だと思ったのだろう、あれだけ爆発罠を使って扉の周辺に被害が及んでいないのが、その証拠である)
裾で顔についた血を全て拭い、口角を上げ、咳払いを一つし、鍵を壊す。
そしてバハメロは、思い切り扉を開いた。
「到着である!吾輩達が!皆を開放しに来たぞ!」
部屋の中では、壁に繋がれ力なくうなだれる亜人達が複数人いた。
バハメロが亜人達の鎖を斧で壊していると、そのうちの一人が口を開いた。
「ずっと……扉の向こうから音が聞こえていた……あんた……怪我してるじゃないか」
「うむ、今回は策を弄する暇があまりなくてな、押し通ることしかできなかった」
「あんた、ずっとこんなことしてきたのか?」
「まだ3年程度である、これほど大きな拠点を襲撃するのは始めてであったが……今回も皆のお陰でなんとかなりそうである」
「これから俺たち……どうなるんだ……?」
「安心するのだ、これより全員、吾輩達の住まう拠点へと連れて行く、そこは安全だ、既に数十人の亜人達がいる」
手枷を解かれてなお俯いていた亜人達の目に、少しづつ光が灯り始める。
「よし、これで全員……皆立てるか?これより森にて待つ吾輩の仲間の元へ――」
全ての鎖を断ち切り、後退した団員と合流しようとした時、バハメロは違和感に気がつく。
『三日前、19匹売って、売れ損ないを12匹『処分』した、残りは18』
冷や汗を流し、数を数え直す。
繋がれていた亜人は右の壁に11人、左の壁に6人。
全員で17人、ラッパーの言っていた数と合わない。
「――足りない……っ!」
バハメロは慌てて振り返り、部屋の外へ出る。
するとそこにいるはずのラッパーがいなかった。
「……無駄である、集中できていないからか、先程までより気配が見えやすいぞ!出てこいラッパー!もう一人、どこへ隠した!」
バハメロが瞬きをすると、元々倒れていた場所から更に奥、ラッパーはそこにいた。
身動き一つ取れないほどに拘束した亜人の少女を、盾にするように抑え込んでいる。
「はぁ……はぁ……ふん、馬鹿が、扉の近くに箱があるのに気が付かなかったか?いざというときの保険を隠してたんだよ、最初っからな」
少女は手足を鎖で縛られた上に、口にも布を噛まされており、涙目でバハメロを見つめることしかできなかった。
「ラッパー……貴様ぁ……っ!」
「ははっ、いくら凄もうと、それこそ無駄ってもんだ……もうわかったぜ、あんな大掛かりな魔術を『脅し』に使うってこたあ、俺を殺せないんだろ、そしてこいつも!」
ラッパーは懐からナイフを取り出し、少女の喉元に当てる。
「くっ……」
「はは、はははっ!とんでもない理想主義者だ、最初からこうしてりゃよかったぜ!はぁ……ここからてめえを商品にしようとも、そっちの17匹を取り返そうとも思わねえ、俺はこいつ1匹からまた商売を始める!俺にはそれができる!」
「待て!」
「近づくな!はぁ……はぁ……17匹もくれてやるって言ってんだよ!」
ラッパーは少女を抱えたまま後退りし、壁に空いた大きな穴に向かっていく。
バハメロは未だかつてないほど思考を巡らせ、少女を救い出す術を考えたが、元々ダメージが蓄積していることもあり、思考がうまくまとまらない。
(駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ、このまま考えていても仕方がない!吾輩にできるとすれば、ナイフが刺さるよりも早くラッパーを殴り飛ばす事である!)
足に力を溜め、作戦開始の瞬間以上の速さを出そうとする。
「はぁ……あばよ化け物、次はお前みたいなやつに見つからないよう対策もして……次はもうこんなことにはならねえぜ!」
実際バハメロにはそれができた。
負傷した身ではあっても、位置関係やラッパーの状況を見れば、ナイフが突き刺さるよりも早く動くことはできた。
だが結果として、バハメロがそうする事はなかった。
する必要がなくなってしまったからだ。
「そうですか、なら……へへへ……もうしょうがないですよねぇ、そんなことされたら本当に私達終わっちゃいますからねぇ……」
その場にいた誰もが、彼女に気づかなかった。
どこからともなく現れた黒い羊の亜人が、いつの間にかラッパーの真上にいたのだ。
「……っ!てめえいつの間――」
「駄目だ待つのだ!!ヤカ!」
ラッパーがナイフをつきたてるよりも早く、バハメロが手を伸ばすよりも早く。
ヤカの短槍が、ラッパーの首を引き裂いた。
「……卑怯……者……っ」
動けやい少女に力なく倒れ込んだそれから、滑った液体が流れ、少女を頭から赤く染める。
「……や……嫌……」
少女は悲鳴を出す暇もなく意識を失ってしまった。
「……卑怯……卑怯者、へへ、へへへ、へへへへへ、卑怯で結構元々カスですので!それに気持ち悪い戦い方するあなたが悪いんですよ!ほら死ね!死ね!ああ悔しい?そうでしょうそうでしょう私なんかに殺されるなんて死ぬほど腹立たしいでしょう!?」
もう動かなくなったラッパーを、ヤカは何度も踏みつける。
少女を死体から離したバハメロはヤカに歩み寄った。
「ああ団ちょ――」
そしてそのまま歪んだ笑みを浮かべるヤカの頬を、バハメロは力いっぱい殴った。




