そういうものだから
森の中は横を見れば木、下を見れば根、上を見れば葉だった。
森を抜けた今となっては、小さな建物に平らな地面、上を見れば薄暗い曇り空。
コルはこれが青空か夜空ならとても綺麗だっただろう、などとは考えなかった。
なぜなら、いくら綺麗でも肩に担がれ爆速で走り抜けるのだから、風情もないし、生きて帰れたと干渉に浸る間もない。
そういえば生きて帰ってこれたのか、と思う頃にはすでに目的地にたどり着いていた。
「ここか、随分とでかいな」
ラニはルーンタグの屋敷を見上げ、コルを下ろしながら言った。
逃亡を続け、家といえば一時期隠れ家にしていた山奥の倉庫の事だったラニにとっては、小規模な屋敷も大豪邸に見える。
「そうかな、まあ小さくはないけど田舎町にしちゃたしかに……そうか……っとそんな話をしに来たんじゃないんだ、入った入った」
人通りも少ないとは言えこんなところで世間話を始める訳にもいかない。
きぃと音を鳴らして家の門扉を開き数歩進む、家の玄関から人影が飛び出してきた。
「コル!コル!ああ無事だったのか!帰ってこないんじゃないかと心配で心配で……」
人影の正体はゴムト・ルーンタグ、コルの父親でありここに来るまでに通った果樹園の管理者だ。
「ただいま親父、話はちょっと後で」
コルはゴムトのハグをなめらかに回避し、ラニと一緒に家に入る。それと同時に雨が振り始め唖然とするゴムトも急いで家に入るのだった。
コルは裸足で走って泥だらけになったラニの足を見て、男物で悪いな、と急いで引っ張り出してきた自分の服を渡し、シャワールームの場所を教えた。
しぶしぶ向かったラニを見送り、靴を脱いで息をつくと後ろからゴムトが抱きついてきた。
「コル〜〜〜!!!」
「冷たっ……親父ちょっと雨当たっただろ、湿ってる……」
コルは逃げるようにリビングのソファーに座る。
父に出されたお茶を飲み、久しぶりの温かいお茶の美味しさに感動していると向かいのソファーから心の底から安心したような声が聞こえた。
「いやあほんとによかった お前までいなくなるんじゃないかと父さんはほんとに心配だったんだぞ」
「そっか……まずは心配かけてごめん親父、それについてなんだけど」
コルは流れでラニの事を紹介しようとしたがゴムトが遮って話をする。
「いいやいいんだこうしてボロボロになってでも帰ってきてくれたんだからな、気をきかせて土産を買って行こうとして帰りに迷ったんだろう?察しのいいというか……出来た息子だ」
「ああだからそれはな……」
コルは自分がボロボロになっても生きている理由の説明をなんとか挟もうとしたが、気になるところがあった。
「……土産って?」
コルの荷物は行きと何も変わっていない、どこにでもあるようなカバンに趣味で使う小道具や非常時用のあれやこれやを少し入れている程度、なんならサバイバル中に使ったマッチや壊れた魔術灯の分、むしろ行きより減っている。
「ああ!私は考えていたのだ、妻マユラを亡くしこの家の家事は今すべてマリさんがやっている、マリさんもいい年だからなんとかしてやりたいが私は家事はからきしだろ?」
「待て待て親父、話が見えない、土産ってどれ?なんのこと?」
「……?あの女だよ、連れてきてたろ亜人」
ここまで察しの悪かったコルでも次は一瞬で察した、自分の父親は自分の恩人かつ友人である女を『土産』だと言った、『物』だと、『奴隷』だと勘違いしたのだろう。
そして息子が買ってきた奴隷に、亡き母の変わりに家事をやらせようと言いたいのだと。
空気が重くなり静寂が訪れる、時間にすれば数秒だったがコルにとっては数分にも感じる時間だった。
説明すれば父はわかってくれると信じていた、しかし現実、説明する間すらなかった、そんな暇もなく想定が崩れ去る。
コルは自分の知らない感情を抑えていた、怒りと失望と悲しさが混じったような感覚。
眼の前の父が何か言っているが、全く頭に入ってこない。
ただそんな中頭に浮かんだことをそのまま喉から絞り出すことしかできなかった。
「違うよ……ラニは奴隷じゃない……」
「え?しかし家に亜人を持ってくるなんて奴隷以外に何がある?亜人はそれでもいいんだ、そういうものなんだから、それより私達は母さんが頑張りすぎていた分を埋めなければ……」
ゴムトはこんな言い方をしたが彼は決して悪人ではない、妻の他界に息子の行方不明で精神的に疲労し、思考が回っていないだけなのだ、視野が狭まり亜人が息子の恩人であるなどと考えもしない。考える余裕がなく言葉を間違えているのだ。
だかそれは寄りにもよってコルがラニと語り合い知った、『こういうものだ』という凝り固まった中身のない偏見。
今のコルが最も許せない言葉だった。
「そういうもの……ッ?」
プチンと音が聞こえた気がした、その音は実際には鳴っていない、コルだけが聞いた音だった。
世界から一人だけが切り取られたように、視界が白くなり音が聞こえなくなる。
次の瞬間、握った拳が痛み、目の前にいた親がソファーごと転がっている。
コルは産まれて初めて人を殴ってしまったのだ。
本人がいないところで恩人であり友人であるラニを奴隷扱いしたこと、そして母の変わりが奴隷という存在に変わりうると思っていること。
すれ違いと憶測がぐちゃぐちゃに混ざり複雑だった感情が怒りだけに変わってしまった。
「……あっ……違……親父!」
一瞬で沸点に達した怒りは収まるのも一瞬だった。
ゴムトは起き上がらない、コルは大慌てで確認したが死んではいないようだ。
当たりどころが悪かったのだろうか、激しく動揺した頭では考えきれない。
そんなにラニが馬鹿にされたのが尺に触ったのかと自己分析を始め、ようやく脳内に浮かんだ文字は"逃げよう!"だった。
(そうだラニを匿うために帰ってきたんだ、ここはラニにとっても安全じゃない!親父はすぐ起きそうだけど気まずくてもう話せないし!!)
半分パニックのままコルは急いで自室に戻り荷物をまとめ、部屋の倉庫から生活用品をかき集め、母の部屋から服を数着、ここまでくれば誤差だと父の部屋から小銭を少し持ってシャワールームの方へ向かう。
するとコルの服を着こなしたラニが歩いてくるのが見えた、サイズはぴったりだったらしい。
「あ、おいコル、あれ使い方分かんなかったから溜まってた水で足だけ洗ったけどよかったか、って……どうした?その荷物」
「ああいいよ、今からちょっと濡れるからね、さしあたりここをでて別の町に逃げるよ」
「?お、おう」
ラニは首を傾げてから頷いた。
リビングを急ぎ足で通り抜け、玄関でラニに丈夫な靴と雨避けのコートを渡す。
「なああのおっさんお前の親父だろ、倒れてたけどいいのか?」
「……いいんだよ、すぐ起きる、簡単な置き手紙もしたし明日にはお手伝いのお婆さんも来る、ほら行くよ……じゃあな……親父」
二人の姿は町の外の暗い道に溶け、そして足跡は雨にかき消された。
引っ張り出してきた予備の魔術灯をつける。
ラニは照らされたコルの顔を覗き込んだ。
「言いたくなさそうだから何があったかは聞かないが……大丈夫か?」
少しの間の後ぎこちなく微笑んで返す。
「ああ、大丈夫、お金も持ったし、この魔術灯は長持ちさせるからな!とりあえず……ルヘレンにでも向かうか、あそこは治安が良くてご飯も美味しいらしいからね」
俯いて少し考えたラニがコルの腕を掴んで前を歩く。
「コル、雨も激しくなってきた、私はこれから前しか見ないし、お前の声も聞こえなくなる」
「?」
「見えないし聞こえもしないが、もし今からお前の目に雨が入っても私が手を引くからお前は歩ける、私も気にせず引っ張るからな、止まるなよ、それだけだ」
全てラニの言った通り、雨は強くなりコートや地面にびしびしとぶつかる音が大きくなる。
「そうだな、今日の雨は横向きだからそういうこともあるかもだ……聞こえてないだろうけど、ありがとう」
手を引かれて歩くコルが、雨の中どんな顔でどんな声を出していたのか、どんな感情を流していたのか、それは誰も知らない、声を出していたのかすら知られてない。
五感の鋭い亜人がいただけで、誰も見ていないし、聞いていないのだから。