ある亜人の回想『目』➀
遠い昔、24人の魔術師が遺した、24冊の魔術書。
それは朽ちず、燃えず、破れず、世界の何処かに眠っている。
この本が消えるのは、そこに記された『古式魔術』を読者が会得した時だけ。
しかし古代の、それも人生全てを賭けて魔術を修めた者の生み出した集大成とも言える魔術を、そう簡単に会得することはできない。
本来の力をそのままに扱うことができるのは、500年に一度の魔術の天才か、その魔術師の生まれ変わりか、もしくは書き手の魔術師と『繋がり』があるか。
魔術の廃れ始めた現代においても、古式魔術は一線を画した力があるのだ。
最も、それも扱える者がいなければただの歴史だが。
そんな力を『少年』は偶然手に入れた。
今から約25年ほど前。
亜人の少年は母親を消した。
母と二人の逃亡生活中、亜人狩りに揃って捕まりそうになった時、母が自分を差し出して見逃してもらおうとしたからだ。
醜く泣き叫ぶ母と、それを見下す亜人狩りに対し、恐怖よりも不快感を感じた時、少年は思った。
薪にしようと拾ったあの本に書いてあったことが本当にできればいいのに、と。
その本こそが古式魔術書の一冊『並光』であった。
少年は奇跡的なまでに幸運だった。
ちょうどこの状況、自分だけ助かろうと泣き叫ぶ母、それを見下し捕えようとする三人組、そして怯える事もなく不快感と共に絶望する術者。
それらが『古式魔術・並光』を遺した魔術師、パラレ厶が魔術を修めるきっかけとなったトラウマと、偶然にも一致した。
これが『繋がり』となり、この時少年は古式魔術を会得した。
(詠唱とかはなくて……ただこう……)
突如芽生えた感覚のままに、魔術を行使する。
まるで今までなんどもやってきたかのように。
そして瞬きの合間に、少年は一人になった。
それから数日後、少年が宛もなく歩いていると、小さな屋敷の庭に迷い込んでしまった。
(まずい、木が多いからまだ森と思ってた)
茂みの向こうから話し声が聞こえる。
隠れて覗き込んで見るとそこでは純人の若い女性がテーブルにお菓子を置いて、庭の木を見ながらお茶を飲んでいた。
少年は母の事があり、純人と女性を心底嫌っていた。
(ちっ……いいご身分だな、あの食べ物もきっと無駄に高いんだろ)
「……さてそろそろ試作品を……って、私ったらフォーク忘れてるじゃない」
独り言と共に家へ戻る女性を見た少年は八つ当たりがてら、テーブルの上のお菓子を手で掴み、そのまま森へ持ち去った。
ひとしきり走った後、してやったりと満足げに手元を見る。
形は少し崩れたものの、美味しそうな香りを醸し出すお菓子がそこにはあった。
「……せっかく高級品を盗んだんだ、食って見るか」
少年は口の中へ無造作にお菓子を放り込む。
甘い果実と生地の味が口いっぱいに広がる、今まで経験したことのない、最高の味だった。
翌日、少年はどうしてもあの味が忘れられず、期待するなと言い聞かせながらもまた同じ庭の茂みまでやってきた。
(……またいるな)
昨日と同じく、庭のテーブルにお菓子とお茶を広げて、女性がそこに座っていた。
「……あー!またフォーク忘れちゃったなー!取りに行かなきゃー!」
女性はそう言って突然立ち上がり、ばたばたと家の中に入っていく。
(今だ!)
少年はテーブルに駆け寄った、また昨日と同じ事を繰り返そうとしたが、テーブルの上を見て手が止まる。
そこにはフォークがしっかり置かれていたのだ。
「捕まえたぞ〜?お菓子泥棒クン」
気づいた頃には遅かった。
後ろから両肩に手を置かれる。
今までは遠目だったが、真後ろに立たれると自分より大きな年上の女性であると分かった。
「……!」
少年はとっさにフォークを手に取り、それを突き立てようとした。
「ほら座って、泥棒なんてしなくても食べていいから」
思わぬ言葉に驚き、フォークを置く。
(いや……そうかこの女、まだ『目』を見てないから亜人だって気づいてないな?この距離だと尻尾もみえなかったんだろう、それならひとまず……)
少年はフォークの代わりに、同じくテーブルに置かれていたきれいな白い布で目元を隠し、こっそり尻尾も服の中にしまってから椅子に座った。
何も見えないが、音で女性が前の椅子に座ったのを感じる。
「どうして顔を隠すの?」
「逆に聞くが、どうして泥棒をつまみだそうとしない」
「このお菓子を食べてほしいから、ほら私は答えたから、次はキミの番だよ」
「……顔を覚えられる訳にはいかないからだ」
「あはは、こういうとき普通隠すのは口元じゃない?」
女性は明るく、快活に笑う。
「……食べてほしい、っていうのがわかんねえ」
「このお菓子ね、うちの果樹園で採れた果物を使って私が作ったんだけど、まだまだ試作なの、将来的に販売したいんだけど子供の意見が聞きたいなあ〜って」
当然少年に付き合う義理はない。
今すぐ昨日と同じようにお菓子を掴んで逃げようと考えていた。
「君はお菓子を食べて感想を聞かせてくれるだけでいいの、素性も聞かないし、泥棒として突き出したりもしない、でももし逃げたら……このお菓子はあげない」
(純人とこれ以上関わるべきじゃない、ここは我慢して逃げるべき……でも……)
少年は食べたこともないお菓子の甘みを忘れられずにここに来たのだ、当然この提案をはねのける事は容易ではない。
「……分かった」
「よし、じゃあまずは昨日の分から」
「……甘かった」
「そりゃそうよ、もっとこう匂いとか食感とか」
「……匂いは悪くない、あれは初めての食感だったが……噛んだとき欠片が沢山落ちた」
「崩れやすかったって感じかな、なるほど、じゃあ次は今日の分を……目隠ししたまま食べれる?できれば見た目の意見も聞きたいんだけど」
「……問題ない」
少年は手探りでフォークとお菓子を手元に寄せ、目を覆った布の下からそのお菓子を見る。
昨日とはまた違った色鮮やかなケーキに、思わずつばを飲む。
慣れないフォークを使い口に運び、甘さを噛みしめる。
「っと自己紹介しなきゃね、私はマユラ、マユラ・イプ・ライト」
「……」
「言いたくないなら偽名でもいいから教えて?じゃないと泥棒クンか目隠しクンって呼ぶことになるわよ?」
「……シーモ」
「はいシーモくんね、今日のお菓子はどう?」
「……甘い」




