ナックル、ナックラー
少し前、コルとナノンが異獣に追われている頃、ノヤリスのアジトの資料室にて。
「紙とにらめっこして楽しいかい?ロナザメトくぅん」
団長補佐のロザナメトが書類に向かって筆を走らせていた。
そこにシーモがぬらりと現れちょっかいを出す。
ノヤリスでは割と日常的な風景だ。
「はぁ……邪魔をしないでください、早々に新入団員4人の書類をまとめなければいけないんです、貴方と違って暇じゃないんですよ?あと紙に触らないでください」
「今なんか失礼なこと考えたよね?やだなぁいくらワタシでも大事な書類に落書きしたり折り鳥を作ったりなんてしなさフフフ」
本当は図星だが表情一つ変えずに誤魔化すのがシーモという男だった。
「……失礼、また言い過ぎたかもしれません、悪い癖です」
「毎度毎度気にしすぎだと思うけどねえ、昔みたいに自然に話せばいいのに」
「昔の僕など忘れました、あんなクソ虫……」
ロザナメトが筆を置く。
「それより終わりました、団長にこれを渡しに行きたいのですが、今朝から見かけませんね、どこにいるか知りませんか」
「ああワタシは丁度その話で暇つぶ……談笑したくて来たのさ、聞いて驚きたまえ、なんとラニくんがあのバハメロ道場についていけてるのさ!すごいだろう!」
「……なるほど、『身のこなしで実力がわかったのさ』などと言われたときはいつもの虚言だと思いましたが、本当に期待の新人ですね、あのバハメロ道場に……あの……う……頭が……」
ノヤリスのアジトにはいくつかの離れがある。
ナノンやその妹ミクノがいる『鋼花』と呼ばれる開発部隊の工房もそうだ。
その離れの一つが道場、所謂"特別"訓練室だ。
全団員が利用できるがここでトレーニングをする者はほとんどいない、なぜなら団長であるバハメロがいるからだ。
ノヤリスは家族のような組織なため、畏まるという意味ではない、ただここでバハメロと遭遇したが最後、地獄の特訓が始まる。
バハメロも決して強要はしない、寧ろ団員の体を気遣う方だが、団員達は一度断った時に見せる、無自覚に少し落ち込んだ顔が罪悪感を撫で、最終的に最後まで付き合ってしまうのだ。
そしてその団員は一時間で数日に渡る全身の痛みと一回り強くなった自分を手にいれる。
そんな道場でバハメロとラニは――。
「オラッ……!」
「ッ……うむ!今のはいい拳である!だが重心が甘い!こうだ!」
バハメロの拳をラニはガードしたが、それでも受けきれず膝をつく。
二人は半日、道場で組手という名の殴り合いを行っていた。
……安全に配慮した上で。
「今の咄嗟の守りも良い!ほぼ完璧である!偉いぞ!花丸!」
「花丸のガードでも受けきれねえ……私より小さい体などこからそんな力……へっ、もっかいだ!」
「うむ!次は足技を意識して……む?シーモではないか、珍しいな!」
いつの間にか扉の前にシーモが立っていた。
「ロザナメトくんからのお使いでね、ラニくん達の入団の書類……うわあこれまた随分とすごい特訓してたんだねえ、ラニくん生きてる?」
「余裕だっての、何ならこれからもう一本やるんだ、見てろよ次こそ……」
ラニは完全に燃えていた、これがバハメロ道場の恐ろしいところ、最後まで逃げ出せない、いや、逃げたくなくなるのだ。
「ラニは吾輩と戦闘スタイルが合うから教えやすい!それに筋もいいからすぐに対応してくれる!いい子である!では改めて、いざ尋常に〜……!」
シーモが間に割って入る。
「はいはい落ち着いて落ち着いて、二人のサインだけ貰ってすぐに退散するから、一瞬待ってね」
「むう……久しぶりの接戦で盛り上がっていたのに……早く書類と筆を出すのだ!」
バハメロは急いで筆を受け取り、さらさらと書類にサインをする。
「こほん、ではラニ、ここにサインをすればお前も正式にノヤリスのメンバーとなる、はっきり言って吾輩はお前が欲しい!組織としてだけでなく個人的にも!」
「最初に言ったが、コルがいないならすぐに抜けてやるからな」
筆を受け取り、バハメロの下に名前を書いた。
上の段には『バハメロ・フラオリム』と書かれていた、バハメロのフルネームだろう。
(文字なんて書くこと滅多にないが、全部書くものなんだな……)
下の欄にラニもフルネームで名前を書いた、文字は知っていたがろくに練習をしていないラニの書く字はなんとか読めるというくらいに歪んでいたのに対し、バハメロの字は先程握っていた拳が書いたとは思えない程綺麗なものだった。
「その点は大丈夫でしょう、コルくんが入るのはほとんど決まってる様な物だからね、"ボク"は才能を見る目があるのさ」
「おめでとう!団員番号47番!ラーニンダム.ナックラー!お前をノヤリスの団員、そして家族として迎え入れるぞ!」
「あんま大声でフルネーム言うな!恥ずかしいだろ!」
「良い名だぞ!ラーニンダム・ナックラー!」
「かっこいいよラーニンダム・ナックラー、もしかして名前略すのコル君の真似した?」
「う、うるせえ!色々思ったんだよ!コルの前で絶対言うなよそれ!」
「フフ、さてそれじゃあ用も済んだしボクはこの辺で失礼を……」
「シーモよ折角だ、お前も一緒に鍛えてやるぞ!来い!」
「いえいえ、こうなると思ったから一番ハートが強い『ボク』が来たってこと、文句は『ワタシ』によろしく〜」
そう言うとシーモがぼやけて、瞬きをした次の瞬間に消えてしまった。
バハメロが少ししゅんとする。
「相変わらず変なやつだな……」
「同感である、だがそこがシーモのいいところだな!」
「っし、休憩終わり、もっかい行くぞ!団長さんよ!」
「うむ!戻った相棒が見違えるほど鍛えてやるぞ!ラーニンダム・ナックラー!」
「恥ずかしいからやめろっての!オラァッ!!」
その日は夜遅くまで拳のぶつかり合う音が道場に響いた。




