龍娘相搏つ
龍。
ある伝説では、神の切り落とした髪の毛から産まれた存在。
またある伝説では、何万もの時をかけて大陸を流れる大河が命を宿したとも言われる。
つまるところ、遥か古の人々はその規格外な生命を恐れていたのだ。
とはいえ、それらの伝承はそんな彼らが誇張して書いた創作にすぎない。
だがしかし、力の描写に関してははそうではなかった。
単純な話、脚色を加える必要がない程、彼らの力は強大なのだ。
その足が大地を砕く、事実である。
その尾が空間を抉り取る、事実である。
その翼で天を支配し、その爪、その牙で全てに風穴を開ける、これも事実である。
バハメロはそんな規格外の存在を前に、単身拳を構えていた。
「……ふむ、硬い」
龍の異獣が放った火炎を、それより僅かに上回る火力の魔術で押し通る事数回。
異獣の鱗には僅かに跡が残れど、その勢いは留まる気配がない。
バハメロは魔術使いではない為、このまま押し合いが続けばいずれ異獣の火炎放射に押し負ける事は避けられない。
彼女達以外誰も見ていないこの戦いは、まさに伝説の一幕にほかならない激しさを見せていた。
「お前とやり合うに当たって、龍殺しの英雄譚を読んできた。どうやら『伝説の剣』は欠かせないらしいな。だが――」
「ガァ……ガラララァァァッッ!」
バハメロの言葉を遮る様に、龍は尻尾を振り回す。
地面を丸ごと抉り取る様な薙ぎ払いに、バハメロは跳躍に加えて翼で思い切り空を押し上げる様にして高度を追加する。
「あいにく吾輩は剣は持っていない!きっと世界初の試みなのであろうな!」
彼女の翼はその程度、跳躍の追加として使う程度の機能しか無く、その翼を羽ばたかせても飛行する事はできない。
悪魔系や鳥系の亜人は、体重によっては僅かながらに飛行能力を持つ者がほんの一握りだけ存在する。
しかし翼だけでなく太い尻尾や角を持つ龍の亜人は、その重みに翼が耐えきれないのだ。
それ故に、バハメロは内心驚いていた。
龍の異獣を前に平然としている様に見えるがその実、異獣が翼を使って巨大を浮かせたのが信じられなかったのだ。
一度羽ばたく度、木々が根元から吹き飛ぶほどの強風が吹き荒れる。
「くっ……ぉ……おおおお!!」
鋭い風がバハメロを切り刻む。
「……ぐ……ぬんっ……!」
荒れ狂う斬撃の嵐の中、バハメロは踵が埋まるほど地面を固く踏みしめた。
彼女が団員に散々教えてきた格闘術の基礎が一つ、『力を込める』の究極体たる構え。
それを教わったチャシが、弟子であるデールと共に考案した、怪力の二人がただ全力で構え、全力で殴ることによる、風圧の拳。
『双風拳』と名付けられたその連携技の土台は、他でもないバハメロにある。
「吾輩を、誰だと思っている……!」
思い切り、力を振り絞る。
力に見合わぬ体格で、チャシやデールの様な力を瞬発的に出すための、おおよそこれから拳を突き出すとは思えない体勢。
「吾輩は!亜人解放団ノヤリスが団長、バハメロ・フラオリム!先に立つ者として、向かい風は慣れているのである……っ!」
バハメロは身体を動かす天才である。
全身の運動エネルギーを一撃の拳に集中させる技術と、それに耐えうる鋼の如き肉体を彼女は奇跡的に取り揃えている。
「単身改造版……ッ……!『一撃双風拳』!!」
異形の構えから繰り出される拳。
拳を突き出すまでの過程が無かったと錯覚するほど速いその攻撃は、異獣の突風を、風の拳で殴り返す。
乱れた風は異獣の翼を煽り、その巨体は空中でバランスを崩した。
しかし、相手は獣の『王』であった。
身を切り裂く風は、あくまで行動の一部、歩いている間に躓いた程度のことでしかない。
「ガラララララァァァァァァァアッッ!!」
空中からその自重を乗せた踏みつけは、それなりに離れた砦の団員や亜人狩りすら膝をつくほどの振動と強風を生み出した。
隕石でも落ちた様なクレーターの中、龍は土煙を睨みつけていた。
彼には匂いでわかるのだ、まだ敵が生きている、と。
異獣に思考や言葉が存在するのか、それはまだ人類の知るところではないのだが、もしあったとすれば、龍の異獣はこう考えた事だろう。
『眼前にいる奴は、ヒトではないのか?』と。
それは『彼』が生涯で初めて感じた、一瞬の迷いであった。
「迷えば……破れる……」
土煙の中から突如飛び出した一筋の黒い線が、異獣の翼を貫く。
「ガガガラララァァァ……ッッ!」
それでも異獣は臆すること無く、『次』に備えた。
その双眸が捕らえたのは、他でもない傷だらけバハメロだった。
土煙を払って、バハメロが姿を表す。
黒い長髪、存在感のある尻尾、威風堂々とした佇まい。
その全ては変わらず彼女を彼女たらしめているが、衣服を突き破る鱗や、鋭く光る瞳が、今の彼女の異常さを示している。
龍人、とでも言うべきであろうその姿は、バハメロも知らないものだった。
「……む……」
死に物狂いで掴んだものなのか本人にもわからないが、内側から溢れるその熱は鼻血と共に治まり、みるみるうちにバハメロ本来の姿を取り戻した。
(今のは――)
(団長、団長!聞こえますか?カロロです。今団長の脳内に直接音を届けてます)
(むむ!?)
(繋がった!やっと範囲内に入ったみたいです……先に要件を言います!亜人狩りの制圧並びに亜人の保護を完了しました――)
脳内でカロロが話をしているが、バハメロの意識は目前の敵に再び向いていた。
より一層警戒を強めた様に見える龍の異獣は、一定の距離を保ってこちらを睨みつけている。
「ふむ……」
バハメロは溢れ出す鼻血を、鱗が突き破った衣服の欠片を拾って拭い取り、龍に向かって語りかけた。
「やめよう!吾輩はこれ以上戦う理由が無くなった!」
龍の異獣は何も返さず、ただバハメロを睨みつけている。
「お前が望むならこのままどちらか死ぬまでやっても良いが、それだとお前も無事では済まないとこれまでのやりとりで理解してくれていればありがたいのであるが!」
「……ガラララララララァァァ!」
「うむ、何を言ってるかさっぱりである!お前の眠りを妨げた事は謝罪しよう!お前と砦の主がどの様な関係だったかは知らぬが、あの場で暴れられては困ったのだ、故に離れてもらう必要があった!」
「ガラララァァァ!ガラァァ!」
(……っ……駄目か……?)
「ガガガララララァァァァァァァァァァァァァアッッッ!!」
異獣は天に向け咆哮を轟かせた。
そして風穴のあいた翼を折りたたみ、身を翻してクレーターをよじ登り、そのまま砦とは反対の方向にゆっくりと歩いて行った。
(今の音は一体……団長!何でもいいので声を出してください!団長!)
「……心配するな、ちょっとした挨拶、である」




