音の極
威勢良く解き放たれた異獣達は獣であるが故に視覚や嗅覚、それぞれの手段で相手を探る。
それは本能的な戦闘前のルーティンであり、優秀な獣で在るほど、警戒を怠った者の末路を知っているもの。
例え超常的な経緯で産まれた獣であってもそれは変わらず、むしろ異常に発達した器官はより正確に力量を測る。
獣達にとって『相手』というものには3つの種類があった。
一つ、己の力量で勝利する事が出来る確信のある相手。
二つ、互角かそれ以下、敗北の可能性はわずかにあるが逃げ出す程ではない相手。
三つ、勝ち目のない、生存の為に戦闘を放棄すべき相手。
この場の獣にとってのカロロ達はその2つ目。
勝ち目の大いにある戦いの対象と判断された。
先陣を切ったのは鳥の様な異獣。
「……!来ます!」
カロロがそう口にした時、デールの目前には既に異獣の鉤爪があった。
「フンッ!」
デールはそれを認識するや否や、瞬発的に頭を突き出し、頭突きで鳥を叩き落とす。
続けて飛来する二羽目、三羽目の鳥も、デールなら対処できたであろうが、額についたかすり傷か流れた血液がデールの左目に入り、反応が僅かに遅れる。
しかしそれを見過ごすヨンヨンではなかった。
擦って開いた視界に映った、地に落ちた鳥を見て、デールはバツの悪そうに礼を言う。
「……今のは助かった」
「いいんだよぉ、それより……」
彼らは揃って自分より小さなカロロの顔に視線を向けた。
先程までとは明らかに雰囲気の変わった彼女が、心に何を思ったのかは知る由もない。
だが、今の彼女は『何か』を起こせると確信出来る表情をしていた。
「……分かった、指示をくれ」
「何をすればいい?」
「……!お願いします。まずは――」
獣達はお構い無しに襲い来る。
自慢の爪を、牙を、角を剥き出しに『弱点』であるカロロを狙うように。
「――10秒稼いでください!」
「「了解!」」
返事をしたその瞬間、目の前まで迫っていた二匹の異獣は既に迎撃されていた。
それでも獣達の波は止まらない。
まるで見世物の様に多種多様な恐ろしい獣達がなだれ込んでくる姿を前に、カロロは二人を信じて右手を喉に、左手を口の前に添えた。
「……音、震え、揺蕩い、地に溢れ、空に流れ、海に響いた、世に捧ぐ歌よ、我に喉を預け、我と共に歌おう――『 』」
きっかり10秒、カロロの詠唱は不完全に終わったかのように聞こえた。
しかしそうではない。
詠唱は既に完了し、最後の発動詠唱がその発動時に一瞬発生する現象である『範囲内に訪れる無音』に沈んだのである。
音魔術の持つ本来の最終奥義『毒奏』。
その効果は自信を中心とした、『音を知る者』を対象とした破壊の魔術。
しかしカロロの音魔術は独学である。
遥か昔に毒奏がもたらした破滅の物語を知ったカロロは、自らの手でそれを改良した。
そう、大魔術手前の魔術を一人で改良したのだ。
「今のは……」
「お二人共、ありがとうございます。あとはボクが」
咆哮を轟かせ襲い来る獣達に、カロロは前に出て、指先を向ける。
「お静かに」
カロロ以外、その場にいた誰もが目を疑った。
空間が僅かに揺らめいたかと思うと、数多くの獣達が目を見開き、鳴き声を止ませ、動きを止めたのだ。
それは決してカロロに服従したからではなく、獣達にとって理解のできぬ事が起き刹那的に思考を手放しただけに過ぎない。
魔術使いを前に、一瞬の静止は敗北を意味する。
「反響調整……完了!」
カロロはただ一度、勢いを着け体の正面で手を叩く。
ヨンヨンとデールは不思議なことにその音が聞こえなかった。
しかし実際には空間が大きく揺らぎ、静止した異獣達を失神させる程巨大な音の波が発生していた。
カロロの編み出した音魔術の新たな魔術奥義、『音界』。
それは範囲内の『音』並びに『音の波動』を自在に操る結界型魔術。
生物、無生物問わず、誰に何を聞かせるか、その全てを一時的に制御する事が出来る。
故に異獣達から一瞬音を奪い、味方のいない正面にのみ音による攻撃を放つこともできた。
範囲攻撃に際した柱の破壊による異獣の増援に関しても、音を柱の前で反響させる事により、柱にはヒビ一つ入れること無く、なおかつ異獣への追撃も兼ねた効率的なものとなる。
あえて全てを攻撃せず、一部の異獣を残し本能的恐怖で抵抗をやめさせる事も、今のカロロにとっては容易いことだった。
三人と異獣の戦いを見物していた亜人狩りの男、コンドル・ドイルは身を乗り出してカロロを見つめていた。
「なんということだ……あの魔術使い、そして計器のこの波形。ああ、ああなんという。とても興味深い……だが潮時だろう。彼らにはもはや足を止める理由はない。登ってくる前に退散――」
コンドルが振り返るよりも早く、何者かが肩を掴む。
力強く、しかし一切の音を立てず。
「……っ!?」
「……」
月が頂点をすぎる頃合い。
徐々に気分の下がってきたデールは少し落ち着きを取り戻しながらも、視線で怪我を負わせる程鋭い眼光でコンドルを睨みつける。
「……、………。」
なにやら口をパクパクと動かしているが、彼からは衣擦れの音すら発生していない。
「何を……っぐぅっ!」
無音の拳がコンドルの腹部にめり込み、彼は気を失った。
「異獣がいなけりゃこんなもんか……お?あー、あー。……戻った」
「ケホッ……効果切れです」
『音界』の齎す効果、擬似的なテレパシー、そして消音。
カロロは手を叩いた直後、デールにコンドルの場所と、彼の音を一定時間消す事を伝え、捕獲に動かせたのだ。
「ボスはこの通り」
「ありがとうございます、では戻りましょう。皆さん無事だと良いのですが」
「そうだねぇ……おや?」
ヨンヨンの視線の先には、少し離れた位置から三匹の異獣がコンドルを見つめていた。
それはカロロがコンドルの意識をデールに向けさせないように残した数匹の一部で、それぞれ熊、鳥、狸のような見た目をしている。
表情から意図を察することはできないが、恐怖でも敵意でもない感情を向けている様に見受けられた。
「リーダー、あの子たちはこれからどうすればいいのかなぁ。エサとかってこの男があげてたんじゃないのかな」
「……難しいですね。異獣である以上、保護する訳にもいきませんし……」
「だよねぇ……」
「そんな顔する様な話でもないだろ。さっきのでら野生で生きられねえほどヤワじゃない連中なのは知れた。こっから先はコイツら野生の生存競争だ……まあ、コイツの研究とやら次第では、国の連中がまた来るかもな。そん時はそん時ってこった」
デールはややぶっきらぼうに、異獣達に背を向け、コンドルを担いで歩き出す。
残された二人もやや思い残すことがありながらも、異獣の蔓延る部屋をあとにした。
カロロは壊れた扉の前で振り返り、深くお辞儀をしてから走り出した。




