龍の異獣と龍の亜人
砦の側の巨大な異獣はその規格外な威厳とは不釣り合いに安らかな表情で眠っていた。
巨大な爪、巨大な牙、巨大な角、そして巨大な翼。
遥か昔、異獣が魔物と呼ばれていた時代より、生態系の頂点に君臨し、時に恵み、時に厄災としても語り継がれる存在。
今を生きる人々は誰もその生物を見たことがない。
それでも、今彼等の前で眠る巨体を前に、誰しもがその生物の名を思い浮かべた。
「黒龍……」
伝説に語られ、人々が思い描いたままの姿が、そこにある。
しかし最後の龍が討たれたのは今から何十年も前とされており、それもまた龍王討伐の伝説として語り継がれている。
「本物……ではないのですよね」
カロロは恐怖と好奇心が入り混じった様子で体を震わせる。
「うむ、これだけ異獣だらけの場所でふんぞり返っているのであるからには、ヤツも異獣なのであろう」
そう言って龍を見つめるバハメロもまた、柄にもなく指先が震えている。
しかしそれは、強者を前にした戦士の武者震いに過ぎない。
「……皆、臆してはないであろうな?よし、ではよく聞け!我々の目的はあくまであの龍の枕となっている砦の亜人狩り、『ライフラ』の討伐及び亜人の解放!総員!カロロの指揮の元、合図と共に突撃せよ!」
団員達の元を離れ、バハメロは龍の顔のよく見える小高く連なった岩の上に向かった。
(これだけ異獣だらけだというのに空を飛ぶ異獣がいない。想定通り、この龍が我が物顔で支配しているのだろう)
近づけば近づくほど、鱗の一枚一枚の存在感は強まり、見ているだけでも貫かれそうな感覚を覚える。
それでもバハメロは臆する事無く距離を縮め、やがて龍の寝息が聞こえてきた。
(はてさて……こいつは龍に見えるが果たして本当にそうなのか?モグラの異獣の背から手の甲を貫く棘が出るように、異獣とは人の理解をやすやすと超えるもの……まあいい、こやつが翼の生えたトカゲの異獣でろうが、手足の生えた蛇の異獣であろうが、関係はない事であるな)
バハメロが異獣の肩に乗り、鱗に触れる。
瞬間、ぎょろりと大きく見開いた瞳がバハメロの姿を捉えた。
しかし上位生物の余裕か、龍はバハメロを振り落とそうともせず、ただただ、彼女を丸ごと飲み込んでしまえるほど大きな瞳で見つめ続けた。
「起こしてしまったな、吾輩はバハメロ・フラオリム。お前から見ると小さすぎてはたく気にもならんであろうが。吾輩もお前と同じ『龍』だと思われてるのだぞ。龍のような獣、龍の様な人。似てると思わぬか?」
龍は答えない。
ただそれが見にまとわりつく汚れであるのか、それとも自身に挑む外敵であるのかを、生物的に、余裕をもって見極めている。
「ふむ……龍は言葉を話すという伝説は脚色だったか……それともやはり龍と龍の異獣では違うのか?……むむ……異獣という生き物は謎が多い。例の親玉がお前を飼いならしているというなら、話を聞いておいてもいいかもしれんな」
龍に向かって一通り、一方的に話しかけたバハメロはその頭の下まで飛び降り、背負っていた斧を取り出した。
これまで亜人狩りと戦う時に使っていたそれとは違い、今までよりも一回り大きくも、依然変わりなく刃の通っていない、斧の形をした鈍器。
『龍』は生物の頂点であるが故に、脅威には鈍感であった。
龍の異獣も同じであるかどうかを知る由はまだないが、少なくとも龍の亜人はそれに気がつくのに少し遅れた。
自身より遥かに小さな生き物からの強烈な打撃は、これまでに経験したことのない激痛を与えた。
「ガァァァァァァァァァァァァッッ――――!!!!」
巨体がわずかに浮き上がり、痛みを訴える様な咆哮が轟く。
これが『合図』となり、バハメロが龍の気を引いている間に団員達が突撃するというのが今回の作戦であった。
しかし流石のバハメロも、団員達が無事に動いているかを確認する余裕はない。
ようやくバハメロを敵であると認識した龍の異獣が最初に取った行動は、建物がそのまま突撃してきたかと錯覚するほど強大な爪による薙ぎ払いだった。
(思っていたより早い!だが……避けきれん速さではない!)
揺れる大地を思い切り蹴り飛ばし、後方へと跳躍。
野生の勘によりそれを読んでいたのか、今度は龍の太い尾がムチのようにバハメロを襲う。
(そうくるであろうな、その様な体を持つならば吾輩もそうする……故に!)
戦いに用いる直感という点では、バハメロも負けていない。
バハメロの翼は長時間の飛行はできないとは言え、ある程度空中軌道を制御することができる。
異獣の尻尾による攻撃を斧で受け流し、すかさず懐に詰め寄る。
「火、熱、火種、熱風、燃える空、燃える大地、走る豪炎、熱風よ運べ、火炎と爆風を、爆炎と熱風を……」
団員が巻き込まれない程度に離れた事を確認した、バハメロは自身の得意とする高火力の炎の魔術詠唱を始めた。
すると異獣はまるでそれを正面から受けて立つと言わんばかりに大地を力強く踏みしめ、大きく口を開く。
光の届かない程深い口内に、その付近の空気と魔力が吸い寄せられていく。
奇しくも、その行動は一種の魔術詠唱のようであった。
「『ブチ抜け、破壊炎!』」
「『ガァララアアアァァァァァァ!!!!』」
火炎と光線がぶつかり合い、凄まじい風が吹きすさぶ。
その風で古びた砦が揺れるのを感じ取っていたのは、突撃した団員達だけではなかった。




