慈悲
アスナウは耳を疑った。
イーリスに王位が継承されてから、およそ10年以上が経っている。
その間ずっと内通者と知りながら泳がせる理由が、アスナウにはわからなかった。
「そんなはずがありません……であれば野放しにするはずがない。一体何故?」
「……この10年間、貴方に渡る情報を調整していました。貴方が内通者として手渡す情報の重要性が、貴方を手元に置いて情報を引き出すメリットを上回らないよう」
「……は……?じゃあなんですか?貴方には……っ、貴方は!全てを見通していたとでも言うのか!」
イーリスの視線は揺らがない。
魔人会と内通していたとは言え、長く仕えた王が、嘘やハッタリを使わない事は城内では有名な話。
他でもない女王が、『お前はずっと手のひらの上だったのだ』と言ったのなら、間違いなくその通りなのだ。
「貴方が流せる情報は国にとって大きなリスクにならない程度の真実のみになるよう調整し、最初の6年は受け渡しの方法や欲している情報から繋がっている組織の特定。そしてそれから今日までは、その組織……要注意団体、魔人会の内部事情を少しでも探るために、貴方を利用し続けた」
イーリスの白い瞳に真っ直ぐ見つめられ、彼女が一言一言言葉を紡ぐ度、アスナウの背筋に悪寒が走る。
「もう少し確実な情報が欲しかったのですが、魔人会はノヤリスの怨敵。これ以上見過ごしてはこれからの計画に支障をきたします」
「ぐ……」
アスナウはこれまでと態度が一変し、敬意を感じない程不躾に表情を歪ませ、恨めしそうに睨みつける。
「最後に聞かせてください、何故、魔人会に手を貸したのですか?確かに先代は良き王とはいえません。ですが先代に長く仕えた貴方が突然裏切る理由だけ、私には分かりませんでした」
「理由……?簡単な話……先代女王、ロージエ様より、『ボス』の方が仕えるに相応しいと判断したからだ……!仕えた年月?関係ない……!私は王の死に際に全てを見限り、新時代を担うボスに忠誠を誓った!我が先祖の栄光は、魔術と共にあったのだから……!」
「……そうですか。リラーテ、彼を」
イーリスは一言、表情も変えずに呟き、彼に背を向ける。
「はっ……ほら、立ちなさい」
「くっ……これから私は……いや、先祖から受け継いだ冒険者協会はどうなる……?」
「まず貴方は国家反逆罪として、適切に処置します。……ですが、一族のこれまでの献身に敬意を評し、冒険者協会とは別に労働者協会を立ち上げ、それからの世間の余裕、需要に応じて冒険者協会の維持と強化を約束します。これが……これが、貴方の見限った国の王、イーリス・リア・ミスタルの慈悲と知りなさい」
「……寛大な心に今は感謝を……ですが、貴女もきっと理解する日が来るでしょう。魔術にやる世界であり続けることの素晴らしさが!」
「では女王様、失礼します」
「ええ、後は任せました」
翌日、アスナウは機関や内通していた魔人会の名は出さず、王への攻撃による国家反逆罪とだけ発表された。
アスナウは独身で、身内も既にいない為、その役職は信頼出来る後任の者に引き継がれた。
そしてその後任には早速労働者協会の設立という大仕事を任されることになる。
懸念を取り払い、準備を着々と進め、イーリスの白い顔にうっすらとクマが浮かび上がり始めた頃。
ロッサ号着陸から何度目かの、長同士の会合を経て、遂に計画始動の日が1週間後に決まった。
一方その頃、明るい月の浮かぶ深夜。
同じく目の下にクマを浮かべたコルは、そこら中に技術者達の横たわる工房で、一人目を輝かせながら作業台の前で手を動かしていた。
記念すべき新工房開発品第一作目にして、コルの新しい力。
そして時代を大きく揺るがす超技術による発明。
その完成は、目前に迫っていた。




