変わっていくもの
ロッサ号の甲板は強い風を受け流す構造になっており、飛行中でも外に出ることができる。
だが着陸から十数分の今その事を知っている者はほとんどいない。
その為コルは広い甲板に一人立っていた。
襲撃前に現れた謎の生物が、ミスタルの女王を名乗った時、コルの脳内はキャパオーバーだったのだろう。
そこから先の話はあまり覚えていない。
かろうじて最後に、バハメロと女王が2人で話し合うから解散して休憩するよう指示されたのは理解できていて、宛もなくふらふらと歩いた結果、この甲板にたどり着いたのだ。
ただぼーっと、なにもない場所を眺める。
文字通り何も考えられない状態が続き、ただ時間が流れていく。
そんな状態がしばらく続いて、最初にハッキリと輪郭を持った思考はラックの事だった。
「……俺はまだ、何にもしてないよ」
純人嫌いのラックと少しでも打ち解けるというのは、難題でありながらコルの目標の1つだった。
手を取り合うのは難しくても、ラックが生きやすい様にできないかと時折考えていたが、結局それらは間に合わなかった事になる。
「ラックだけじゃない、ヤカもだ」
コルはヤカとはあまりに接点がない。
時々挨拶はするが、昔とある街で発生した路地裏の怪物事件の犯人で、バハメロに殴り倒されて団員になったという話をラニから聞いた程度で、言ってしまえば今の彼女については何も知らない。
彼女のペースに合わせて知ろうとはしていた。
だが、それも間に合わなかったのだ。
コルは今の感情が母や祖母が死んだ時と同じ喪失感で満たされていた。
同時に自分の手の届かない死に対する無力感にも襲われる。
「……ずっとそうだ、俺には何も……」
思ったことが頭の中だけで処理しきれず、そのまま口から零れ出る様に、コルは床を眺めながらブツブツと呟き続ける。
やがて胸が締めつけられる様に痛み、ラックとヤカの顔を思い出して崩れ落ちる。
「なんで……2人が死ななきゃいけなかったんだ……?」
コルは自分の中にドス黒い感情が芽生えるのを感じていた。
仲間の命を奪われたのだ。
人々を困らせるテロリスト集団という明確な『悪』に。
「……アロルの小銃を渡して正解だったな。あれじゃ駄目だ。爆薬を射出できるようにする?いや、アイツらは魔術使いだ、機車の時みたいに水を使う奴とかもいるはず。じゃあ毒?そとも単純火力で……もっと、もっと考えろ。次会った時アイツらをぶっ殺す為に」
口から零れ出る言葉が全てだった。
まるで自分の口から放たれた言葉を聞いてから脳内でその事について考え始めるような、不気味な感覚に彼の本質的な部分までもが歪められてしまいそうになる。
そんな時、蹲る彼の背後から自分の物ではない聞き慣れた声がした。
「お前、実はぶっそーなとこあるよな」
「っ……!」
驚いて、座り込んだまま振り返る。
そこには振り返ったコルと目線の合う様にしゃがむラニの姿があり、その顔は心配と悲しみが混じった物憂げな表情をしていた。
「いつの間にかいなくなったから、探したぞ」
「ラニ……ボロボロじゃないか」
「あー私は大丈夫だが服がな……また直してもらわないと」
「流石に新しいのに変えたら?」
「そうもいかねえよ、一応コルから借りた服だし」
「え?ずっと帰ってこないからもう諦めてあげたつもりだったんだけど……」
「一回返したぞ?また借りただけでな、ニシシ」
表情に反していつもと同じ様な会話をしながら、ラニは隣に座ってコルの肩を抱き寄せた。
「……ロッサ号の完成、頑張ったな」
「ほとんどナノンだよ、俺は仕上げを手伝っただけ……ほんとに凄い子だよな」
「自分にできることを精一杯やったんだ、お前も凄い奴だぞ」
「あはは……ありがとう、ラニもお疲れ。無事でよかった……ほんとに……」
「ああ、当然だろ。私は結構強いからな」
少しの静寂の後、ラニが続ける。
「コル、今からわがままを言うぞ」
「わがまま?」
「ああ、私は、お前に『変わって』欲しくない。今までのコルの方が、私は好きだ」
ラニの言い方は少し抽象的だったが、コルにはそれが意味する事が理解できる。
実際、ラニがこの場に現れなければ彼女の言う通り『変わって』いたという自覚が今はあるからだ。
「私はオリセとエミイと一緒に、コルより早く2人の死を聞いた。コルよりも長く、受け入れるための時間があったんだ」
「……凄いね。皆はもう割り切れたんだ」
「いや全然。時間があっても駄目なもんは駄目で、今これ以上できることは無いから、一度受け入れたと自分に思い込ませているだけだ。正直私もアイツらを『ぶっ殺したい』と思ってる」
「じゃあ……」
ラニは首を横に振る。
「『ぶっ殺す』じゃなくて、『ぶっ殺したい』だぞ」
「同じじゃない?」
「違う、『横になる』と『寝る』くらい違う」
「あー……それで……?」
「……?」
「なんで自分でわかんなくなってるんだ」
「変な例え方したせいだな、つまりな……えーと」
ラニは少し考えた後、抱き寄せる力を強め、コルの頭を撫でた。
「誰をどう殺すとか、ずっと考えてたら疲れるだろ?疲れて元気ないコルより、いつものコルの方が私は良いと思う、だから私のわがままって事なんだが……」
「……なるほどね」
再び訪れる短い静寂の後、次はコルが続けた。
「……じゃあ、こうしよう」
「なんだ?」
「俺はラニが側にいるうちは、ラニの好きな俺でいる。でももしラニが俺を置いてどこかに行ったら、取り繕う必要が無くなった俺は変わっていく。だから…………」
俯くコルの瞳から、ぼたぼたと涙が落ちる。
「だから、ラニは死なないで」
「ああ、当然だ。言われなくても私は長生きするぞ、生きてるならずっとコルと一緒にいるだろうしな」
「ああ……ああ……」
ラニはコルの涙が収まるまで、隣で頭を撫で続けた。
少ししてコルが目をこすり顔を上げると、ラニの表情は幾分か明るく、優しくなっていた。
「コル〜、寧ろそっちがどっか行くなよ?私と同じくらい長生きして、寿命で死ぬ最後まで私の相棒でいろよ……いや、そこまでいくともっとワンランク上の関係か、相棒の上だから……超相棒?」
ラニはいつも通り、至って真面目に言っている。
いつも通りのそれがどうにも面白くて、泣いた直後だと言うのに軽く吹き出してしまう。
「ふ……はは、はーなにそれ、それなら普通恋人か、夫婦とかじゃない?」
「へえ、こいびとってなんだ?」
「ああ、恋人ってのは……」
数秒前、自分がポロッと言った事を思い出す。
「……ん?いや、ちょっと待って。俺今なんて言った?」
その時不意に視界に入る、見慣れたラニの顔。
コルは溜まった感情を喉と瞳から流した事で、奥底に残された小さな感情に気がつく。
考えたことをそのまま口からこぼす状態の名残は最後に、困惑の言葉を落としていった。
「え嘘……もしかして俺ってそうなの……?」
「……?何がだ??」
「え?あー……えっとね……」
コルは顔を赤らめ、再び俯き、数秒考え込んだ。
この感情について確信めいたものもある。
コルを取り巻くマイナス感情が消えた訳では無いし、先にやるべきこと、やらなければいけないことが山積みな現状も変わらない。
この感情は言ってしまえば余計な事なのだが、余計な事を考える程度には気持ちに余裕が生まれたということでもある。
それ故にコルは一旦『後回し』にすることを選んだ。
「よ、よーしラニ。おかげでちょっと元気出たよ。今の話は一回忘れて、忘れた?よしじゃあそろそろ戻ろう」
「……?おう?まあ、元気になったならいいか」
二人は同時に立ち上がり、少し海の様に広がる雲を見下ろしてから、ロッサ号の中に戻った。
船の中では少しづつだが、窓の外を見る者が増えていた。
皆それぞれ心に残った感情が表情に現れているが、それでもその感情を持って進まなければいけないと理解し始めたのだろう。




