消火
エミイは巨大な蟻の上に立っていた。
モグラの異獣の圧倒的物量に押し込まれた蟻は文字通り『虫の息』で、1つきっかけがあればその命が終わりを迎えるといった状態だった。
「……」
自分の顔と同じか、それ以上に大きな、真っ黒の瞳が、こちらを覗いている。
「やっぱり、まだちょっと苦手だわ……でももう、怖くはない」
握りしめたナイフを思い切り、振りかぶる。
「怖がって……いられないの!」
そのまま、勢いに任せた袈裟斬り。
よく研がれたオリセのナイフ。
瀕死の虫の外殻程度、切り裂けない訳が無い。
蟻が音を不気味な音を高らかに鳴らす。
本来、蟻には無いはずの赤い血液が、傷口から勢いよく吹き出し、エミイの半身を湿らせる。
赤く染まった右手に魔力を流すと、体にそのまま染み込むように血が消えてゆく。
その時エミイは、自分の想像した結果になった事を確信した。
「……はっ!」
エミイが天に向かって手を上げた。
すると森を焼いていた火が徐々に空へと集まって行き、巨大な火球となる。
太陽と見紛う程のそれは、徐々に小さくなってゆき、最後には焼け焦げて炭化した木々だけを残して消滅した。
「……は……」
もはや理解範囲を超えたヴィサゴは、いつの間にか膝から崩れ落ちて呆然としていた。
少しずつ血液をこぼす蟻の死骸から飛び降り、ふらふらとオリセの側に歩いてくるエミイに、それ以上反応する事も出来ない。
「……流石、だ」
「当然よ、さて……立ちなさい、貴方には色々聞きたいことがあるの。とはいえ連れて行く訳にもいかないから、ここで全部吐いて貰うわ。まずはそうね……」
疑問点はいくつかあった、そんな中で最初に何から聞いたものかと悩んだその瞬間。
「ぐ……ううう………!」
突如ヴィサゴが前のめりになってうめき声を上げる。
「!?貴方まだ!」
「エミイ、違う……何かおかしい……!」
「うう……か……は……っ!」
オリセの感じた違和感はすぐにハッキリとした。
べちゃり、という音と共に、ヴィサゴの口から粘液を纏った黒い塊のような物が吐き出されたのだ。
それは翼の生えた生物のようで、生まれたてのようなたどたどしさで翼を広げて素早く飛び去ろうとする。
「オリセ!」
「……!」
借りていたナイフを軽く放り投げるように返されたオリセは、そのまま謎の生物に向かって投げつける。
負傷の事もあり完全に刺すことはできなかったが、それでも刃が命中した何かは飛行機能を失い、ナイフと共に墜落した。
「これは……」
二人が駆け寄って見ると、その生物は翼の生えた哺乳類のような不気味な見た目をした、依然変わりなく未知の生物だった。
不思議な文様が全身に張り巡らせている事や、ヴィサゴの体内から産まれる様に現れた様子から、魔術絡みであると想定できるが、二人にはそれが何なのかは分からない。
「……そうだ……やつは……?」
振り返るとそこには力なく倒れる老人の死体が1つ転がるだけ。
『少し近くを調べる、体ももう少しで元に戻ると思うし』
そんな事を言ってエミイはヴィサゴの死体を調べるオリセから離れて、蟻の死骸の側に赴いた。
血を流しきったのか、少しづつ崩れ落ちる蟻にもう用はない。
用があるのはその付近でくたびれた顔をしている少女と蟻と同様に少しずつ崩れていくその仲間達だ。
「……やっぱり、無茶したのね?」
「あー、バレちゃったか」
憔悴していつもの様な元気が無いグラは、何処か満足気な表情をしていた。
「私もわかってたんだ、みんなを集めて、地上で戦ったりしたら、多分消えちゃうな〜って……」
「それじゃ、私の両親と一緒じゃない」
「うん……また同じ思いをさせちゃうってわかってた。でも止まれなかったの」
話しているうちに、周囲に倒れていたモグラの異獣達が全てが跡形もなく崩れきってしまっていた。
「みんな先に行っちゃった……私のわがままに付き合ってくれてありがとうって言わなきゃだったのに」
「どうして……そこまでしたの?」
「友達だからに決まってるでしょ、それだけだよ……それだけしか、私にはなかったから」
グラが優しく微笑みながら、手を差し伸べる。
エミイが無意識に、その手を乗せる様に手を伸ばすと、霊体ですり抜けるはずの手のひらに、少し温かい感触があった。
「……ありがとう」
「こちらこそ……またどこかで、会おうね!その時はまた――」
そう言い残すと、グラは景色に溶けるように消滅した。
最後までグラに触れていた手のひらには、1つの小さな黄色い結晶が握られていた。
「ほんと、最初から最後まで変な子……私の友人にお似合い」
結晶を握りしめ、オリセに合流する。
元の人型に限りなく近い姿をほぼ取り戻したエミイが、オリセと共に拠点に急いだ。
ボロボロながらも二人の姿を見て、心配半分ながらも安堵する仲間達の姿が視認できる所までたどり着いた時、拠点から大きな魔力の揺らぎと機動音が届く。
「これは例の……!完成したんだ……!」
「……全く、遅いじゃない……」




