とある亜人の回想『血』③
『貴方が小柄で良かった』
そう言ってメアリはエミイの入った棚を閉める。
暗くて狭い空間でエミイは耳を澄ました。
(……凄い音……)
彼女は当然生まれてこの方、人が命がけで戦う音を聞いたことがない。
だがそれでも、外から聞こえる剣撃の音、知らない誰かの叫び声、何かが崩れ落ちる音。
それら全てはエミイに少なからず恐怖心を与えた。
小さく丸めた体を僅かに震わせながら、エミイは時を待った。
(……お父様……お母様……早く……っ)
精神的に限界を迎えようとしたその時、地下室の扉が開く音が聞こえた。
エミイはすぐに理解する。
(……違う……お父様達じゃない)
明らかに杜撰で、足音すら粗暴な何者かが、ここまで侵入してきているのだ。
(まさか……そんな……っ!)
『最悪』を想像し、目の端が熱くなる。
(音を立てちゃ駄目……やりすごさないと……)
涙を堪えて、口を両手で押え込む。
そんなエミイに対し、世界は残酷にも追い打ちをかけた。
足に纏わりつく感触。
どんな偶然か、エミイの足元に蟻が列を成していた。
「っ……!」
虫嫌いのエミイはなんとか悲鳴を飲み込んだが、蟻の行進は止まらない。
いっそ恐怖で気絶できれば良いものを、蟻の一部が足から這い上がってくるのを感じながらなお、振り払うことも逃げ出す事も出来ず、ただ涙を溜める事しかできない。
(もう……)
永遠に感じるほどの精神的苦痛。
いよいよ限界を迎えようとした、その時だった。
『お前が……最後……!』
『っ!ぐ……あ……』
父の声、そして知らない男の倒れる男。
ほんの僅かな時間ではあったが、差し出された希望を前に、一瞬でも全ての恐怖が和らぐ。
『出てらっしゃい……エミイ……』
そして少し離れた場所から聞こえる母の、今にも消えそうな程小さく、か細い声。
「今の……っ!」
エミイは慌てて棚から飛び出る。
エミイ自身も驚くほどの勢いだった。
蟻から逃げたいが為だけではなく、不吉な予感を察知したからだ。
エミイが母の声がする方向、地上へと続く階段まで辿り着くと、そこに両親が寄り添って座っていた。
全身傷だらけで服を赤く染め、父に至っては片腕が無くなっている。
どちらも等しく後が無いというのは、文字通り『箱入り娘』のエミイでも理解は容易い。
「嘘……嫌、嫌よ!お父様!」
抑えていた涙が溢れ出す。
それを見たメアリは自分の両手に視線を下ろし、比較的汚れていない左の手を使って、エミイの頭を弱々しく撫でた。
「お父様は……先に行ったわ。見て、後悔だらけの顔……当然よね、娘を残して行くんですもの……私もきっと……穏やかには眠れないわ」
その左手からも力が抜け、そのままだらんと床に落ちる。
もう腕を上げる体力すら無くなり始めているのだ。
「私達は……そうね、見えなくなるだけ。これからも貴女の側にいるわ、だって、貴女の事大好きだもの。それにお父様も……一人にして置けないわ」
「そんなの……勝手すぎるわ……私が好きなら、生きて、生きて側にいて……」
エミイが大粒の涙を零しながら懇願する。
するとこれまで表情を変えず、全ての力を最後の会話に注ぎ込んでいたメアリの瞳からも、同じように涙が溢れ出した。
「私も……私も……っ……そうしたかった……っ……!」
「……っ……」
「エミイ……ああ私達の愛しい子……どうか、貴女が……幸せに……」
共に戦うこともできず、回復魔術も使えず、死にゆく母親に気の利いた事も言えない、15歳の箱入り娘。
彼女が両親に対し、最後にしてあげる事が出来たのは、涙で汚れた顔を隠す様に二人を抱きしめる事だけだった。
「――で、その後逃げたり自暴自棄になって捕まったり、かと思ったら助けが来たりで、なんだかんだでここにいるってわけ。これで満足?」
現在19歳、ノヤリス拠点のベランダでグラと話すエミイはうんざりとしていた。
滅多に過去を話したがらないエミイだが、グラの怒涛の質問攻めに根負けし、その日の話題としてこの事を話すことになったのだ。
「……グラちゃん?」
「……ううう、ごめんねエミイちゃん……辛いこと聞いて……ぐずっ……」
「ちょっ、何も泣く事ないでしょう!」
「ぐすっ、実体があったら抱きしめてあげたい……どうして霊体なの〜!」
「はあ……全く、楽しい話じゃないから誰にも話してなかったのよ」
「くすん……あれ、話してないの?オリセちゃんとかラニちゃんにも?」
「ええ、誰にも。必要ないもの……それに、ここじゃ両親が死んだなんて珍しくもないわ。むしろ珍しいのはナノン達や送り猫三兄妹」
グラは浮遊しながら空を見上げ、自身の記憶を遡る。
「確かに、ここにお父さんお母さんといっしょに来た人見たことないや……ごめんねエミイちゃん、ちょっと考えればわかった事だったね……」
「はあ、いいわよ別に。友達なんだし……薄々思っているの、家族の話はともかく、自分が混血だって事は、渡り月の皆にくらい言うべきだって。でも……」
「……絶対大丈夫だよ。今の私じゃお喋りと応援くらいしかできないけど、彼等なら」
「……だといいわね」
(――なんて事を話した日もあったわ……)
そして時は過ぎ、現在。
ロッサ号の完成が目前である中、エミイは半人半獣の状態に変化した今でも、顔を上げられずにいた。
(あれからずっと言えなかったし、グラちゃんだってこの姿を直接見た訳じゃないからああだっただけなんじゃないかって……)
必死に抑え込もうとするも、魔人会の幹部ヴィサゴに飲まされた液体のせいか体が思うように動かない。
「お願い、オリセ……私を見ないで……」




