忌み子
どんな手段の攻撃も必中する様な距離で、老人は無防備に頭を垂れる。
もしエミイの精神状態が正常であれば、彼女の魔術によって男は無力化されていたであろう。
だがオリセによって少しは正気を取り戻したとは言え、先程より近くに現れた『蟻』、謎の老人、そしてその行動。
エミイの思考は再び混乱し始めていた。
「おや、その様子……もしやお嬢様、虫がお嫌いで?これはとんだ失礼を……ですがどうか少しばかりお許しを」
「……っ貴方、一体何なの?お嬢様?お迎え?さっぱりわからないわ!」
「ではまず自己紹介を。私は魔人会幹部にしてボスの側近。名をヴィサゴと申します。此度はボスにお嬢様をお連れせよと、命じられてここに参上した次第にございます」
「どうして私を……」
謎の老人、ヴィサゴは上着の内側にあるポケットから工芸品の様な飾りを取り出し、エミイの前に差し出した。
金でできた輝く紋章。
その紋章の形は、エミイにとってとても馴染み深いものだった。
「……!?それは……っ!アバロム家の……」
「はい、お嬢様に見せよとボス……『エバル・アロン・アバロム』様から預かった品にございます」
目を大きく見開いたエミイは差し出されたそれを受け取らず、ヴィサゴごと吹き飛ばさんと詠唱を投げ捨てての雑な魔力放出で攻撃を仕掛ける。
普通であれば確実に命中する距離。
だがどういう訳か、まるで攻撃をすり抜けるようにヴィサゴはエミイから数歩分距離を開けて服についた煤を払っていた。
「……っ、本当なの?本当にお祖父様が、魔人会の長なの?答えなさい!」
「はい、間違いなく。さあ、ボスがお待ちです。どうぞこちらへ」
再び、恐れることなく距離を詰めるヴィサゴがエミイに向かって手を伸ばす。
その手がエミイに触れる直前。
視界の外から突如飛来した刃物が、ヴィサゴの手の甲を貫いた。
「はあ、失礼ながらお嬢様、友人は選ぶべきだ」
「……離、れろ……!」
「オリセ!」
蟻に踏まれた状態で、無理して投げたナイフは刺さりが浅く、簡単に抜けて鮮血と共に地面に落ちる。
「……どうしてくれるのだミスター狐男、私の手袋に穴が開いてしまった。貨幣の価値を知っているかは知らないが……この手袋片方は君3人分の価値より高い。少し――」
手の甲を擦りながら、ヴィサゴはまだ燃えていない枝を拾い、近くの燃え盛る木から火を写した。
オリセは危機を感じるも、重くのしかかる蟻の足が邪魔で未動きが取れない。
「――少し、不愉快に感じたよ!」
ただシンプルに、燃える枝が火を纏った棒であるうちに、炭化して崩れる前に。
尖った先端をオリセの肩に突き刺す。
「っ……!が、ぐ、あああっ!」
傷口を内部から焼かれる感覚。
その痛みを感じている間に、ヴィサゴは手の届かない距離まで離れている。
(なんだ……?何故、何故こうも間合いが……掴めない……!)
「その枝はしばらく燃え尽きない、早めに気を失う事をおすすめするよ、ミスター狐男」
老人の細い指が下に向けられる。
それは『蟻』に対する合図だった。
踏みつける足にかかる力が更に重くなり、オリセからうめき声を上げる余裕すらも奪っていく。
「オリセ!……っ、今すぐやめなさい!」
「お嬢様……はあ……勘違いなさらないでいただきたい」
ほんの一瞬。
まるで既に目の前にいたかのように、ヴィサゴの細い腕は既にエミイの首を掴んでいた。
「ぐ……」
「私が忠誠を誓ったのはボス、貴女のお祖父様であって、貴女ではない……しかし本来であれば丁重に扱いたかったのですよ?ですが……致し方ありますまい」
ヴィサゴはポケットから一本の小さな瓶を取り出した。
中にはどろりとした赤い液体が入っており、ヴィサゴの動きに関係なく常に揺れ動いている。
「抵抗するのであればその場で使って良いと仰せつかっておりますので、失礼」
エミイの細い首を閉める片手間、空いた左手だけで器用に瓶の蓋を開け、中の液体をエミイの口に流し込んだ。
エミイの意思も、喉が締められていることにも関係なく、液体はするするとエミイの体内に流れ込む。
そして全て体内に取り込まれたのを確認したヴィサゴはようやく、エミイの首から手を離した。
「ごほっ……!はっ……はっ……っ、熱っ……!うあ、ああ……っ!」
謎の液体を飲み込んだエミイはその場にうずくまり、何かを隠すかの様に必死に体を抑え込む。
しかしそれも無駄だと言わんばかりに、それは溢れ出した。
「あ、……駄目!オリセ、見ないで……見るな!」
その言葉が、せめてもの最後の抵抗だった。
押さえつけた反動のように勢いよく、弾けるように。
エミイの腕が、顔が、耳が、メキメキと音を立て歪に形を変えていく。
「お前……今何を……っ、エミイに今!何をした!」
「ふむ、やはりご存知ありませんでしたか……あれこそお嬢様の真の姿――」
体が変形する不気味な音が鳴り止んだ時、そこにいたのは『異形』の女だった。
左右非対称で、人型の、何か。
コウモリの亜人であるエミイは、その性質が尖った耳や小さな牙程度で、獣系の亜人の中では特徴も目立たない方だった。
それもそのはず。
エミイはずっと隠していたのだ。
右腕から繋がる翼、普段以上に長い耳と白くなった左目、口から飛び出る牙。
そして今にも背中から服ごと破って現れようとする、左の翼。
まさに怪物、人間とコウモリのキメラとでも言うべきその姿を、エミイは必死に隠そうとする。
「――あれこそ、アバロム家の隠し子。血縁上祖父であるボスですら最近まで存在を知らなかった、世界で唯一の存在……純人と亜人の『混血』にございます」




