呪われ
リンが外に出ると、見渡す限りの火炎が煙を焚いていた。
植物が燃える匂いと、巨大な木が焼けて崩れる音がそこら中からリンに降りかかる。
「もうこんなところまで……ミクノちゃーん!どこに行ったの〜!」
最終防衛線を守るオリセ達曰く、拠点から黒い機械が森に飛んでいったのを見たという。
まさか誰もそれをミクノが操縦しているとは、考えない。
だがミクノの不在を知っているリンだけはそうではなかった。
燃え盛る森の中を呼びまわっても返事はない。
しかしその代わりに僅かな足音と人の気配が2人分。
「……」
「……!ラックちゃん!ヤカちゃん!よかったわ無事で〜……ねえ2人共、ミクノちゃんを見なかった?どこにもいなくて……」
「……」
またもや、返事はない。
二人は黙り込んだまま、虚ろな目でリンを見つめている。
「あらあら~……困ったわね……」
「ええ全く、一言も喋らないのだけは困る」
先程まで感じなかった、三人目の気配。
力無く立ち尽くすラック達の後ろに、ベールを被った女が一人。
リンは一目でそれが魔人会の刺客であると理解した。
「……あなたね〜?ラックちゃんとヤカちゃんをこんな風にしたのは。一体何をしたの?」
「教えてあげてもいい、でもその前に私の質問に答えてくれたらね」
女は懐から取り出した手帳を開き、そこに書かれた文を読み上げる。
「えーっと、ヤカ・ヤック……は、この女だろう?次は……バハメロ・フラオリム、ナノン・ミューツ、ミクノ・ミューツ、ラーニンダム・ナックラー。この四人はあなたのお仲間、今どこに?」
聞き馴染みのある名前の羅列、『敵』がすぐ後ろにいるというのに相変わらずぼーっと立ち尽くす仲間。
状況の全てが混乱を招くが、一先ず問いかけに応じる。
「えーっと……どこと言われても困るわ〜?皆今色んなところにいて……」
「……嘘じゃなさそうね、ほんとに戦況の把握が遅れてる?……まあいい、出てきたのはそれを聞きたかっただけ。それじゃあ――」
女は手帳をしまう。
そして、指をパチンと鳴らした。
「死になさい」
突如、リンに襲いかかったのはベールの女でも、隠れていた魔人会の雑兵でも無く、見慣れた二人の亜人だった。
「!ま、まってラックちゃん!?ヤカちゃん!?二人共どうして……きゃっ!」
本来、純粋な戦闘員であるヤカの短槍を、非戦闘員であるリンが回避する事は容易ではない。
しかし今のヤカとラックは妙に動きが鈍く、リンが必死になればなんとか紙一重で避ける事ができるまでに落ちている。
「ふ、ふたりとも〜!目を覚まして〜!」
「はあ、滑稽だ、なんとも気が抜ける。心優しいお嬢さんには特別に、教えてあげよう」
女がラックの隣に立ち、彼の兜を取る。
性質の『濃い』トカゲの亜人である彼がずっと気にしていた、誰にも見せようとしなかった頭部が晒される。
「……ふん、気色の悪い」
女はラックのこめかみに向けて人差し指を向けた。
魔術に明るくないリンでも、魔術使いが指先を向ける事が何を意味するかくらいは知っている。
だからこそ、これまでにないほど目を見開いて、これまでにないほどの冷や汗を垂らし、これまでに無いほどの大声を上げた。
「っ!やめて!!」
しかし無慈悲な事に、相手は『敵』だった。
たった数秒、詠唱と思わしき言葉を呟いただけで、指先から0距離で放たれた魔力がラックの頭部を破壊する。
頭部を失ったラックが崩れ落ちるのと同時に、まるで動きがシンクロしているかのようにリンも膝から崩れ落ちる。
「……そんな……ラックちゃん……」
「くく……なに、そう悲しむな……ほら」
不気味な事に、先に立ち上がったのはラックだった。
かつて頭部があった場所から血液を垂れ流し、愛用していた白いシャツが赤く染まるのを気に留める様子もなく。
ただ、立ち上がっていた。
「どうして……」
「わかっているだろう、亜人の抵抗力ならあの程度の魔術でこうはならないよ。バカ共はわかってないけど、根本から生命力が違うんだ……くく……『生命力』があるなら、耐えられる」
「……!」
「ああ!そうだ、二人は先程『殺した』んだ。そして私の古式魔術『死奏』で操っている!ああ、いい表情だ、愉悦、愉悦……っ……?」
ほんの一瞬だった。
リンの表情が曇ったのはほんの一瞬。
次の瞬間には、少し陰りがあれども穏やかな表情に戻っていた。
「……恐怖で心が壊れたか?」
「……いいえ〜、私はただ、二人を笑顔で送ってあげなきゃって……そう思っただけなの」
「何……?」
「ごめんなさいね、二人の敵討ちと、皆の為。そうじゃなくても、私が許せないから……あなたを……殺すわ〜」
そう言ってリンは微笑み、自身の大きな翼を広げた。
悪魔系の亜人である彼女の翼は元々、同じく悪魔系の亜人やバハメロの様な龍系、カロロの様な鳥系と比べても特別大きい。
魔人会の女には知り得ないことだが、この時の彼女の翼は、普段より数段と大きく広がり、日頃見られないような、悍ましい模様を浮かび上がらせている。
「殺す……?殺すと言ったのか?死を司る古式魔術使いの私に向って?くく、いいだろう、では殺して見るがいいさ、先にこの『死体』を殺してから!」
女の合図で再び、ラックとヤカが襲いかかってくる。
彼女の言う通り、既に死体となった二人は危険を顧みず、まっすぐに突撃してくる。
「……私は仲間を傷つけられないの〜、だから言ったの、あなたを殺すって」
覚悟に満ちた彼女と目があった、その時だった。
ラックとヤカが突撃をやめ、その場に倒れ込む。
(……!何をした?何故私の『死奏』が解除されている?)
「人は、死んでからしばらく意識が残るんですって〜」
ほんわかと、まるで日常会話をするように、リンはベールの女に近づいた。
(なんだ?何故私は横になっている?馬鹿な、まさか、既に殺されたの?私が?どうやって?)
わかる筈もない。
リンが敵意を持って、翼を最大まで広げた。
その様を目視した時点で、彼女の死は確定していた。
一方的で、理不尽な殺害。
リン自身も全容を把握していない、彼女の翼が持つ『呪い』の力だ。
「もう10年は使ってなかったからできるかわからなかったけど、うまくいったわ〜……少し、失礼しますね〜」
既に死に、消えゆく意識だけが残った女は、自分の懐から手帳が奪われるのを黙って見ることしかできない。
「この手帳は貰うわね〜……本当は、あなたにはもっと苦しんでほしいけど……即死させることしかできないの〜……」
敵の死体を背に、仲間の死体を、せめて連れて帰ろうと抱きかかえようとする。
突如大きな物が動く音がし、その方を向くと、大きな鉄の塊がチャシを抱えてこちらに走ってくるのが見えた。
「あらあら~?もしかして……」
リンは『いつも通り』翼を広げて手を振り、存在をアピールする。
それに手を振り返すチャシと、鉄の塊から顔を覗かせるミクノ。
「もう、よかったわ〜……ふたりとも生きてて……」
「リンーッ!!後ろだーッ!!」
音もしないほどの高速。
先程のベールの女とは違う、新手の魔術使いが、リンのすぐ後ろにまで迫っていた




